24.屋台の串焼き販売と賑やかな魔術対決
「えっ!? 俺がここで肉を焼いて、串焼きを売り捌くんですか!?」
「しっ! 声が大きい! あのババアに知られたら、一体どうするんだよ!?」
「いや、貴方も貴方でかなり声が大きいですよ、ジェシーさん……」
ジェシーが嫌そうに顔を顰め、渋々と口を噤んだ。ここは首都リオルネ最大の王立公園で、頭上には木々の枝葉が広がっている。エディとレイラとジェシーの三人は芝生の上に立ち、木陰の下で顔を寄せ合っていた。今回の依頼人は、このそばかすだらけの少年である。
ぱさついた茶髪と青い瞳を持つジェシー・タルボットは、折角のお休みに彼女とデートも出来ず、今回の祝祭――――ドラゴンの聖女ドロレスの武勇を称える賑やかな祝祭だ――――に参加する予定の母親から、肉を焼いて売るよう指示されてしまい、そのボイコット計画を立てている最中である。
簡単に言ってしまうと、この少年は二人に屋台の店番を頼んでいるのだ。
「なっ、なっ!? 別にいいだろ!? 俺の母ちゃんもあんたのファンだしさぁ、あのババアだって息子が注意力散漫で売るよりもさ、愛想の良いあんたが売った方が、」
「いや、でも! それで怒られるのは、依頼を受けた俺達なんですけど……」
懇願してくるジェシーを見て、エディが困った表情で頭をぽりぽりと掻いている。明らかに気乗りしない様子の二人を睨みつけたあと、ジェシーが財布を取り出した。
「ほらっ! 金ならここにあるからさぁ!? 頼むよ~、今日は元々彼女とデートする予定だったのに母ちゃんが我慢してくれってさぁ、人手が足りないから! あんたならこの気持ち、よく分かるだろう!?」
財布から紙幣を取り出そうとするジェシーを、エディが慌てて止める。
「ちょっと待って下さいよ!? 俺達だって、その、まだ君の依頼を受けると決めた訳じゃないんで……!!」
「そう言わずにさぁ! 頼むよ、エディの兄貴~! あんたなら分かってくれると思ったのに! なっ? なっ? エディさんだってレイラちゃんとデートしたいだろ!?」
「えっ? そこで私が出てくるんだ……?」
困惑するレイラをよそに、エディが「それはよく分かる!」とでも言いたげな表情で頷いていた。
「でもさ? 俺って今、レイラちゃんと公園デートをしている最中なんだよね」
「いえ、違いますけど!? 一体どうしてそうなっちゃったんですか!?」
その言葉を聞いてジェシーがもう一度、ぱぁんっと両手を合わせて懇願してくる。その様子が何だか微笑ましい。
「頼むよ~、エディの兄貴!! 俺さ、昨日まで思い出しもしなかったんだけどさ!? 今日で付き合って一年目になるんだよ! それなのに俺がその、母ちゃんの手伝いをしなきゃいけないって聞いて彼女、怒っちゃってさぁ~!」
「あー、それは駄目だわ、お前! それは振られるやつだな!」
「えっ、エディさん!? 何かと繊細な十七歳の少年に、それは言っちゃだめです!」
容赦無く、少年の心を打ち砕いたエディを止めたのだが。何故かジェシーが嫌そうに顔を顰める。
「申し訳無いけど、レイラちゃん。あんたの発言に一番傷付いたからね!?」
「えっ、難しい! えっ!? 今のってどこがだめな発言だったの!?」
「大丈夫、レイラちゃんは何も悪くないからね? と言うことで、今回はお断りするという形で……俺とのデートの続きを再開しちゃおっか、レイラちゃん!」
あっさりとジェシーを見捨てることにしたエディが、淡い琥珀色の瞳を恍惚と細めて、両手をぎゅっと握り締めてくる。鬱陶しい、叩き落とすしかない。
「デートじゃなくって、巡回ですぅー! ちょっともう、本当にいちいちやめて下さいよ、エディさん!?」
「いだっ!? そんなっ!? いいから俺とのデートを再開しようよ、レイラちゃん!?」
「いや、もう、本当にマジで俺の話を聞いて欲しいんだけど!? 分かった、もういい! それならそれで、俺は何もかもを放り出してデートに行くから……!!」
癇癪を起こしてしまったらしく、さっさかと大股歩きで芝生の上を歩いて行った。それを見て慌てたエディとレイラが、少年を引き止めにかかる。
「わーっ! ちょっと待てよ、ジェシー君!? そう早まるなよ!? 分かった、分かった、それじゃあ、いつもより格安で引き受けてやるからさ!? せめて、君のお母さんにきちんと説明してからにしようか! なっ!?」
「そうですよ、エディさんの言う通りですよ!? 貴方のお母さんに怒られるのは、私達なんですからね!? とりあえず、許可を貰いに行きましょうか!」
不貞腐れる少年を宥めて、彼の母親に会いに行く。ポーラと名乗ったその女性はふくよかで、花柄刺繍のベストと青いスカートの民族衣装を着ていた。青い瞳をきらきらと輝かせ、エディに写真撮影を求めてくる。彼はいつもの愛想の良さをとことん発揮していた。そして最後には、笑顔のエディの手を握り締め「頑張ってね! アーノルド様に負けないでね!」と激励し、「ありがとうございます、負けないように頑張りますね!」とエディが答えたところで、ようやく本題に入れた。疲れた。
「えっ? そうだったの? それならそれで早く言いなさいよ、ジェシー! そうと知ってたら私だって無理に頼まなかったわよ、それをあんたはよくもこんなまぁ、エディ君とレイラちゃんに頼んだりなんかして、」
「もう、そういうのはいいからさぁ! 母ちゃんだって、憧れのエディ君に会えて満足だろ!?」
「それはそうだけどね、ジェシー。今度からこういうことはさっさと早く、」
「あーっ! もういいから! そういうことはさぁ! とにかく、もうこれで行ってもいいよな!? なっ!?」
「まったく! 気を付けるんだよ!? ジェシー、あんたが一言そう説明してくれたら、無理に手伝えとは言わなかったのに!」
ジェシーは心底嫌そうな表情で両耳を塞ぐと、エディの手をがっしりと握り締めて、ぶんぶんと振り始める。
「ありがとう!! ありがとう、エディ君! これでようやく彼女に会いに行けるよ! 俺の母ちゃんがうるさいかもしんないけど、後はよろしく頼んだっ! それじゃあっ、俺はこれで逃げるっ! ととっ」
その宣言通り、芝生の上を駆け抜けてゆく。そんな息子を見て、ポーラが溜め息を吐いた。
「はーあ! まったくもう、息子が申し訳無いことをしたね! その代わり、後でたっぷり串焼きをあげるからちょいと手伝ってくれるかい? 勿論、お金はきちんと払うつもりだからね? ああ、そうそう」
彼女は誰の返事も求めていないのか、有無を言わせない口調でそう告げてくる。こんなお母さんに逆らうのは、時間の無駄であるということをよく理解しているので、ただにこにこと笑顔で相槌を打つ。
「これから、あんた達をとびっきり飾らせて貰うよ? なーに、別に変な衣装を着せたりはしないさ! でも、折角あの“女殺し”からレイラちゃんを借りるんだからね! とことんやらないとね!」
「うわ~! もうちょっと俺、死にそう!! レイラちゃんが可愛すぎて死にそうなんだけど!?」
「知りません。どっかそこら辺でくたばっていれば良いと思います」
レイラは大変やさぐれた気持ちで民族衣装に身を包んで、公園のベンチに座っていた。まだもう少し準備に時間がかかるということで、ポーラは手早く、エディとレイラをテントに追いやって着替えさせた後、公園のベンチに座っているよう指示してきたのだ。これはエオストール王国の民族衣装で、沢山の白いレースが付いたブラウスと赤と青を基調にした草花柄ベスト、それにふわふわの白いチュールスカートがとても可愛らしい。
そして最後には、薔薇と百合の可憐な花冠が付いた、白いベールを被る。でも、長くて鬱陶しいし邪魔。
「あーっ! 俺、カメラ持ってくれば良かったかも!! すみません、ポーラさん! 今から俺、カメラを取りに帰っても大丈夫でしょうか!?」
こちらへと勇ましくやって来たポーラに、エディが振り返って懇願している。そんなエディの服装も中々に心臓に悪く、白いシャツの上から、金色のドラゴンの刺繍が施された黒いベストを身に付け、腰には赤い布と黒い布を何枚も重ねて、黒いズボンを履いていた。
いつもの鮮やかな赤髪はゆったりと下ろし、白い布を巻いている。そして、布が滑り落ちるのを防ぐ為なのか、金色の月桂樹の冠も被っていた。風にはためく白い布と鮮やかな赤髪が美しく、エキゾチックな雰囲気でちょっとだけ見惚れてしまう。
「私がそんなヘマをすると思ったのかい、エディ君? さっ! 魔術カメラを持ってきてあげたから二人とも、立ち上がってそこに並んでごらん?」
「わーっ! ありがとうございます、ポーラさん! レイラちゃんの次に好きです!」
(よくもまぁ、そんな甘い言葉をぽんぽんと吐けるな、この人は……)
真顔でむっつりと黙り込んでいる私の肩を抱いて、にっこりと笑う。勿論、その腕は即座に振り落としたが。ポーラに何枚か写真を撮ってもらうと、カメラを借りて、色んな角度から私の写真を撮り始める。少しも笑わなかったのだが、エディにとっては十分だったらしく、満面の笑顔でカメラを構えていた。
といった訳でようやく、レイラ達は肉を焼いて串焼き肉を売ることとなった。売り始める前から、げんなりと疲れてしまったのは言うまでもない。
「エディくーんっ! こっちにも一本くれないー?」
「はーいっ! 少々お待ち下さーいっ、とりあえずこっちのお姉さんに三本ね? 数、合っていますか? 全部で千五百ミラでーすっ」
最初はエディが肉を焼く予定だったが、あまりにも美しい民族衣装姿のエディを見たポーラが「焼かなくていいから、お客さんに持っていってあげて!」と言ってきたのだ。ぽうっと見惚れてくる女性客に、エディが爽やかな笑顔で牛串を渡し、また周囲の人に捕まって注文を聞いている。
周囲は賑やかな人々で埋め尽くされ、くらりと眩暈を起こしそうになりながらも代金を集めて回ってと、忙しくなく動き回っていた。
「レイラちゃーんっ、こっちにも一本くれない?」
「ちょっと誰よ、今、私の足を踏んだ人!」
「レイラちゃん、アーノルド様とはいつ別れるの?」
「わっと、すみません! お釣りが間違っていたみたいでー」
押し合う人々に飛び交う野次と質問。曖昧な微笑みでそれらをかわしていたら、急にがくんと体勢を崩してしまった。
「わっ!? っとと、すみません! あっ、あの……?」
偶然近くにいた茶目茶髪の男性が、腕を掴んで支えてくれたのだが、どうもその茶色い瞳が妖しく光っている。突然向けられた欲にぞっとしてしまい、後退った。腕をがっしりと掴まれているので振りほどくことも出来ない。それに何よりも恐怖にかられて、体も足も動かせなかった。そんな様子を誰かが見ていたのか、声が人垣の向こうで上がる。
「おーいっ! エディくーんっ? 君の愛しのレイラちゃんが、誰かに腕を掴まれているよー?」
「えっ!? どこどこっ!? すみません、ちょっと退いてください!」
その途端、腕を握っていた男が舌打ちをして、周囲の人々を乱暴に押しのけて去ってゆく。ほっと、肺から息が漏れ出た。
「大丈夫!? レイラちゃん、何もされなかった!?」
人混みの中から現れたエディがぐいっと腕を掴んで、私を引っ張り、自分の方へと引き寄せる。淡い琥珀色の瞳を見てほっとしていた。もうこれで大丈夫だ。
「エディさん」
「ああ、ごめんね? レイラちゃん。こんなことなら、傍から離れなきゃ良かったなぁ……大丈夫? 何も変なことはされてない?」
いつもの手が伸ばされ、こちらの頬を優しく包み込んでくれる。至近距離でそれを見上げ、どくどくと心臓を鳴らしていた。一気に頬が熱くなってしまう。
「だっ、大丈夫です、あのっ、そんなことよりも人に見られているので早急に離れて、」
「はいはい!! ちょいっとごめんよ、ここを通してくれな! はいはい、エディ君にレイラちゃん!? 大丈夫かい?」
「「ポーラさん!」」
ポーラはやれやれと、大変草臥れた様子で自分の肩を揉んでいた。
「まったく! まさか、ここまで人が集まってくるとは微塵も考えちゃいなかったよ! 変な輩がレイラちゃんに絡んでいたようだし、牛肉もすっからかんに無くなっちまったからもう大丈夫だよ! ありがとうね!」
「うんまーっ! あれらよ、まはか、んぐ、本当にちゃんと貰えるなんて」
「さっきの方はどうも、エディさんの熱烈なファンらしいので。良かったれふね」
「ん~」
屋台が立ち並ぶ芝生の上にて、もぐもぐと牛串を食べる。現在の時刻は十二時十四分。休憩時間だということで、遠慮なくあちこちの屋台に顔を出して見物していた。ぷんと、揚げ油とにんにく、炭火で焼いた豚肉のような香りが漂ってくる。きょろきょろと辺りを見回していると、隣を歩くエディがふっと、愛おしそうな微笑みを浮かべていた。心臓が少しだけうるさくなる。そんなエディは先程と同じく、美しい民族衣装を纏っていた。二人によく似合っているからと言って、ポーラがくれたのだ。実はこれはルートルードの民族衣装で、エオストールのものではない。
「ねえ、レイラちゃん? この牛串だけじゃ物足りないし、あっちの方も行ってみて、」
『はいっ! それでは只今から毎年恒例の、魔術フェスティバルを行いまーすっ!』
その瞬間、割れるような歓声がどっと沸き起こる。驚いて振り返って、背後の野外ステージへと目を向けた。そのステージにはレインボーハットを被った白いスーツ姿の男と、同じくカラフルな服を着た女性が、スピーカーとマイクを持ち、何やら笑顔で声を張り上げている。
『ここにお集まりの皆さんもご存知のように! 我らがドラゴンの聖女! 勇気あるドロレスの数々の伝説と武勲を称え、飛び入り参加大歓迎の魔術トーナメントを開催したいと思いまーすっ!』
そんな言葉を聞いてエディがぽつりと真顔で「魔術対決……」と呟いた。その小さな声に不穏なものが宿っている。まずい、止めなくては。
「エディさん? 絶対にやめて下さいね? 貴方が参加したらどうせ凄い騒ぎに、」
「俺っ! その魔術トーナメントに参加しまーすっ! はいはーいっ! 飛び入り参加もオッケーなんでしょう!?」
「えっ、エディさん!?」
エディがばっと勢い良く手を上げたせいで、ステージに集まっていた人々がこちらを振り返る。次の瞬間、わぁっと歓声が沸き起こった。
『おおっと! これはこれは何と、戦争の英雄“火炎の悪魔”だーっ! 勿論大歓迎ですよ、エディ・ハルフォードくん!! どなたかこの一等級国家魔術師である、“火炎の悪魔”に挑んでみたい方はーっ!?』
どっと凄まじい歓声が上がって、その熱気にかっと頬が熱くなるような気がした。
「えっ、エディさん!? 本当にあれに、参加する気なんですか!?」
「大丈夫だよ、レイラちゃん? 休憩時間内には全て終わらせてみせるからね?」
エディが獰猛に笑ってステージを鋭く見据えつつ、残った牛串を豪快に齧り取っている。
「いっ、いえっ、そういう問題ではなくてっ」
「大丈夫。誰も俺の敵なんかじゃないよ、レイラちゃん。どこの誰が現れても颯爽と叩きのめしてみるから、観客席で俺のことを応援していて?」
非常に憂鬱な気持ちになってしまった。それなのでエディに買ってきて貰った、ピスタチオとカシスのジェラートのコーンを齧り取りながら、ステージ上の司会者とエディを死んだ魚の目で見つめる。しかも最前列の席。
エディが「レイラちゃんを最前列に!」と要求したのでこうなったのだ。これはあとでもう一つ、ジェラートを奢って貰うしかない。目立ちたくなかったのに。それなのにエディはこちらを見て、にこやかに手を振ってくる。私に向けられたものだと理解してはいても、あちこちから女性達の黄色い歓声が沸き起こる。周囲に佇む男性陣の目つきが虚ろになっていた。
それにぎこちない笑顔を向けて「いいから黙って、大人しく司会者の話でも聞いておけ」と、身振り手振りで伝えてみたのだが。それを見たエディが蕩けるような微笑みを浮かべ、投げキスをしてくる。その瞬間「きゃーっ!!」という黄色い歓声が沸き起こって、エディがそれを見て頷いていた。
『おおっと、これはこれは! 流石は戦争の英雄“火炎の悪魔”、女性陣からの人気が特に凄まじいですねぇ!』
「俺はレイラちゃんからの歓声しか受け付けていませんが、それでも嬉しいです。皆さん、どうもありがとうございます」
そんなエディの言葉に、またしても歓声が沸き起こる。レイラと周囲の男性陣はけっと、やさぐれた顔つきでエディを眺めていた。
『はいはーい、女性陣の皆さん、どうか落ち着いて下さいねー? それでは、毎年恒例の魔術フェスティバルを改めて! 始めたいと思いまーすっ!』
わぁっと、観客の声とぴゅーっと口笛が響き渡る。それを聞いて思わず、深い溜め息を吐いてしまった。どうやら今日はとても長い一日になりそうだ。
『はいっ! それでは第二百十二回! 魔術トーナメントを始めようかと思いますっ! エントリーナンバー六の戦争の英雄“火炎の悪魔”に挑むのは、何とあのっ! 去年の優勝者! アルジャーノン・ブルフィンチさんでーすっ! ひゅーひゅー!』
わあぁっと大きく歓声が沸き起こる。ジェラートも食べ終えてしまったので、仕方なく拍手を送る。
(大丈夫かな? エディさんは……休憩時間内に終わらせるって、そう言っていたけどなぁ~)
腕時計を確認すると、もう既に十二時四十三分だったので。流石に今日は半分仕事をさぼるような気持ちで、この魔術対決を見守らなくてはいけない。
(あーあ、まぁ、ミリーさんの目が無い所でジーンさんもかなりさぼっているという話だし。皆、そんなに真剣に働いていないしなぁ……あー、でも、仕事さぼるのは何か辛い。落ち着かない気持ちになっちゃうなぁ)
普段から真面目に働いている分だけ、罪悪感が凄まじい。それでも気を取り直して顔を上げて、去年の優勝者だという、輝かしい銀髪と青い瞳の男性を見つめる。そんな甘い顔立ちの彼はぱちっと、私と目が合うと、次の瞬間、うんざりするような甘い微笑みを浮かべて、ひらひらと手を振ってきた。
うげっとしか思わなかったが、後方の女性達はきゃあっと、黄色い歓声を上げている。それを見たエディがぴくりと、不機嫌そうに相手の男を睨みつけていた。アルジャーノンがこちらに手を振ってきたのが気に食わなかったのか「こいつ後で絶対に殺す」と、そう呟いているように見える。
わざとらしく、気障な青いローブを羽織ったアルジャーノンは(ちなみに今の季節は初夏である)、興奮する女性達に手を振っていた為、エディの物騒な口の動きに気付いていない。
(うーん、大丈夫かなぁ? あんまり、酷い騒ぎにならないといいけど)
不安をよそに、戦いの火蓋が切って落とされた。何故かどこからか、太鼓がどんどんと打ち鳴らされる音に、じゃりんじゃりんと、賑やかな鈴の音が聞こえてくる。ステージ上で向き合ったエディとアルジャーノンは、相手に不足は無しといった様子で、獰猛な微笑みを浮かべていた。
かぁんとゴングが打ち鳴らされる。その瞬間、待ちきれない様子だったエディの姿がぶわりと、大きな翼を持つ真っ赤なドラゴンとなって、相手に襲いかかった。あまりの速度と熱気に、観客席の人々が悲鳴を上げる。そうこうしている間に真っ赤なドラゴンが、ぱしゃんと水の盾に弾かれ、先程の位置へと戻ってゆく。
もうもうとした、水煙と水しぶきが収まった後。アルジャーノンが自分の腕で顔を拭いつつ、エディに向かって声を張り上げた。
「っ今、僕に手加減をしただろう!? 君は!」
「すぐに終わってしまうのもつまらないからね? 去年の優勝者であるブルフィンチ君にある程度、花を持たせてあげようかと思って」
エディの侮辱に顔を歪め、ブルフィンチがお返しだと言わんばかりに、自分も水で出来たドラゴンへ変身する。そしてくわっと、鋭い牙が並んだ口を開けて襲いかかった。
「っエディさん! 頑張って!!」
応援などするつもりは無かったのに、思わずそう叫んでいた。ステージの上は水で出来たドラゴンに覆い尽くされている。エディが見当たらない。ルールは単純、相手が気絶するか降参すると宣言した時だけ。まれに死者が出るということもある、国家魔術師同士の対決に胸がざわついていた。
そんな不吉な予感を裏切るかのように、エディがいた辺りから、ぶわぁっと炎の柱が立ち昇る。そして液体状のドラゴンの首に、真っ赤な炎のドラゴンが絡み付いて、盛大に弾けて蒸発してしまった。細かい雨が観客席に降り注ぎ、きゃあっと悲鳴が上がる。
(っう、エディさんは一体どうなって……?)
腕で顔を守りつつ、懸命に目を凝らす。もうもうと立ち上がる水蒸気が収まった後のステージには、ぐったりと気絶しているブルフィンチと、濡れた赤髪を搔き上げているエディが立っていた。その手には落としてしまったのか、金色の月桂樹の冠と白い布が握り締められている。
観客がごくりと息を飲み込む。少し遅れて、司会者が声を張り上げた。
『しょっ、勝者は! 戦争の英雄“火炎の悪魔”だぁーっ!!』
わぁっと割れるような歓声と拍手が鳴り響く。ほっと胸を撫で下ろし、私も盛大な拍手を送る。その後に続く試合でも、エディは大活躍だった。魔術で不気味に光り輝く、カットラスを作り出した男を見て、エディがせせら笑い、自分も赤く輝くカットラスを優雅に作り出す。そして、見事な剣捌きで相手を追い詰め、すっと首筋にカットラスを当てていた。
屈強な男がごくりと唾を飲み込んで、喘ぐように呟く。
「まっ、参りました……降参です」
わぁっと大きな歓声が上がった。エディはカットラスをふっと消しつつ、腕時計を確認してからぎょっとした顔をし、「ごめんね?」と口の動きだけで謝ってきた。仕方が無いと伝える為に、柔らかな苦笑を浮かべて首を振る。エディもそれを見て苦笑して、ほっと深い溜め息を吐いていた。彼は試合の行方よりも、こちらの反応が気になるらしい。
その後もぞくぞくと対戦者が現れた。エディは巨大な鎌を操って襲いかかってくる美女に「一体どんな筋肉をしているのかな!?」と叫ぶと、持っている剣でしなやかに受け流し、渋々といった様子で凄まじい飛び蹴りをして、容赦無く吹っ飛ばしていた。
(う、うーん、意外や意外、エディさんは女性相手でも容赦なく、拳がふるえる人なんだなぁ……)
ちょっぴり困惑しつつも、ぱちぱちとエディに盛大な拍手を送る。その後エディは申し訳無さそうな顔をして、気絶した美女を横抱きにし、スタッフに引き渡していたのだが。それを見て、何故か胸がもやもやとしてしまう。
(い、いや、まぁ、あれは常識的な対応だし……気絶してるし、背負うわけにはいかないし)
そんなもやもやとは裏腹に、試合はどんどん始まってゆく。今度の対戦相手は男で、ぴかっと眩しい閃光でエディの目を潰しつつ、棍棒で殴って気絶させる予定だったらしいが。エディはさっと反射的にしゃがみ込んで、相手の棍棒を受け止めつつ「何も見えないんだけどなぁ~」と呟き、がっと鋭い回し蹴りをしていた。
男がうっと低く呻いて、崩れ落ちた。しょぼしょぼと目を瞬かせたエディが棍棒を持ち上げた所で、ひっと悲鳴を上げて後退り「こっ、降参ですっ!」と宣言する。わぁっと、また大きな歓声が上がってエディの勝利が宣言される。
その後の試合で印象的だったのは、泥まみれの人形を大量に出した女性で、エディは「俺、鼻が曲がっちゃいそう~」と涙目で呟きつつ、泥人形をぽんっと、花とブリキの人形に変えていた。美しい花びらが舞い落ちる中でエディは、女性の足元から炎を立ち昇らせて囲んでしまい、その炎が晴れたあと、気絶した女性が現れる。何をどうやったのか、相手の女性は無傷だった。また一際大きな歓声が上がって、疲れた様子を見せながらも次々と倒してゆく。
「褒めてやるよ、少年! そら!」
「おわっ!?」
少年と契約しているグリフィンがあっさりと、エディに嘴を掴まれ、投げ飛ばされてしまった。驚いてけたたましく前足を上げたグリフィンを見て笑い、しゃがみ込んで、顎の下に強烈な頭突きを叩き込む。
『しょっ、勝者! エディ・ハルフォード!!』
わぁっと歓声と拍手が上がってまた、次の対戦者がステージへと上がる。今度は小柄な老婆が相手で、鋭い二本の針を持ち出して放ってきた。エディが「魔術、関係なくない!?」と叫んで間一髪の所で避けると、自分も小さいナイフを二本構える。
そして無限に放たれる細い針を叩き落とし、滑らかな頬に傷を付けながらも、あっさりと相手の懐に入り、老婆の鳩尾を殴って気絶させていた。
「今までで一番苦戦したかも、俺~……っと、次は君かぁ、よろしくね?」
エディは実に楽しそうに、相手と戦っていた。何故か巨大なサイに変身した男と戦っている時も獰猛に笑って、相手の角を正面から受け止めると、ぶわりと炎で包み込んで、ぽんっと可愛い子犬の姿に変える。可愛い垂れ耳の子犬となった相手は震えて、エディに降参ですの腹向けをしていた。
エディが嬉しそうに笑って、子犬の腹を撫でた後、指を振って変身魔術を解く。とうとう、最後の挑戦者だ。相手は黒いフライパンを構えた主婦で、途中でエディの剣を折った上に、あのエディをステージの隅まで追い詰められていたので凄い。一体何者なんだろう、彼女は。
「あーあ、最後の最後で、何だかとんでもない強敵が出てきたなぁ……」
それでも、エディは勝った。わあぁっと、今までで一番大きな歓声が上がって、今回の優勝者は“火炎の悪魔”エディ・ハルフォードだと宣言される。その後は仕事中であるにも関わらず、沢山の人に胴上げをされてしまった。そして、優勝者の証である王冠を被ったエディが、私を抱き上げてはしゃいだ声を上げる。
「レイラちゃん、レイラちゃん! 優勝者の俺にキスをしてくれるかい?」
「する訳ないじゃないですか、そんなのーっ! もういいからほらっ、早く着替えて仕事に戻りますよ!?」
「えーっ!? そんなぁ! 本当にしてくれないのーっ!?」
「しませんっ、キスなんて絶対にしませんっ!!」
それでも、エディは嬉しそうな笑顔で私を抱き上げ、くるくると回っていた。つられて笑ってしまう。ああ、本当にもう。ひらひらと魔術の花びらが舞い落ちる中で、レイラもエディも満面の笑顔を浮かべていた。そこへ、仕事中ならば後片付けや清掃を手伝って貰おうかと、目を光らせたスタッフの方々によって、連れ去られてしまう。
大きなビニール袋を片手に空き缶を拾い集めつつも、楽しかったねと二人で笑い合って片付けていた。その後、雑な内容の報告書を見たアーノルドが「やり直し。そんでお前らは一体、今日は何をしていたんだよ!?」と怒ってきたので、夢うつつにお説教を聞く羽目となってしまった。本当に今日は長い一日だった。
その後のエディとアーノルドの会話(ロッカールームにて着替え中)
「あっ、そうだ。アホノルド? 今日はさぁ、レイラちゃんの民族衣装姿が死ぬほど可愛かったからさぁ、お前にも後で写真を何枚かやるよ。ほい」
「お前なぁ、エディ、後で渡すとか何とか言っておいて今渡すって、おわっ!? 何だお前、何でこんな衣装をレイラに着せているんだよ!?」
「いや、俺じゃなくて、着せたのはポーラさんなんだけど?」
「いや、ポーラさんって一体誰……?」
(アーノルドが過剰反応していた理由は、白いベールが花嫁衣裳のように見えたから。よってエディが無理矢理着せたのではないか? としきりに疑っていた)
更にその後の話
「いや、どうしてその、私のむっつり真顔な写真が、アーノルド様の寝室に飾られているんでしょうか……?」
「あー、それはだなぁ、エディからその、貰ったんで折角だからと思ってだな」
「焼却処分」
「レイラ!? ちょっと待て、それは流石にちょっと待て!!」
(エディが撮った写真のレイラは全てむっつり真顔だった。それがどうも許せなかったらしい。この後のレイラとアーノルドは写真を奪い合う戦いを繰り広げている)
実は意外と苦労していた試合(後片付け中のエディとレイラ)
「あー、あの黒いフライパンを何で別のものに変えなかったかって? あれはさぁ、俺も他のものに変えたかったんだけどさ、見事に封じられてしまって」
「えっ、エディさんの魔術をですか!?」
「うん。あのおばさん、戦闘力はそうでもなかったけど、技術的に言えば俺よりも上なんじゃないのかな? 多分、現役の一等級国家魔術師だと思う」
「げ、現役の一等級国家魔術師……それじゃあ、私なんて瞬殺ですよね」
「うん、多分そうだと思う。レイラちゃんがあのフライパン使いのおばさんと、戦う羽目になったらだけどね~」
(想像しただけで何か嫌だな、それは……)




