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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
26/122

22.呪われた枕と繋ぎ直したかった手について

 







 がちゃんと扉が開いた。それまでそわそわと、落ち着かない様子で歩き回っていたレイラがばっと振り返る。無数の白い羽根が舞っている向こうで、いつもの赤髪を下ろしたエディが枕を抱えて佇んでいた。



「っありがとう、ありがとう、エディ君!! これでようやく俺も、元嫁がかけたハゲの呪いから解放されたよおおおお~!!」



 今回の依頼人であるルドルフ・ホッジャーがどすっと抱きついて、彼に熱烈なハグとキスをプレゼントしている。エディは三時間半にも及ぶ解呪作業で疲れているらしく、太った中年男性にされるがままだった。レイラがそっと、当たり障りの無い笑顔を浮かべて、後ろへと下がった。巻き添えを食らいたくないのだ。



「うっ、いや、あのっ、もう分かったんで離してくださいよ……俺だってこれは仕事だし、」

「ありがとう、ありがとう、エディ君!! いやぁ~! 流石は一等級国家魔術師のエディ君だよ!!」

「いや、あの、ちょっ、ハグはレイラちゃんのからしか受け付けていな、」

「本当に君達に頼んで良かったよー!! レイラちゃんもレイラちゃんで元嫁の愚痴をずっと聞いてくれたし、何もかも本当に助かったよー!」



 ここは白い壁紙と焦げ茶色のフローリングが美しい廊下で、遠くからその光景を見守る。おおはしゃぎのルドルフの頭には、白髪混じりの黒髪がほんの僅かに残っていて、今回の解呪作業は必要無かったのではと思わせるような薄さだ。しかし、彼が満足しているのならそれでいい。



「そうだよ! レイラちゃんも本当にありがとうね~!! ごめんね、おじさん! ちょっとさっきからあんまりにも嬉しくって、はしゃいでいて~!」

「ああ、いや、どうぞお気になさらずに……」

「あの、もういい加減にしてくださいよ。離して欲しいです」

「はっはっはっは! ごめんごめん、つい嬉しくってさぁ! それにしてもエディ君は元軍人だったよね? いやぁ~、おじさんのぶよぶよお腹とは違って、腹筋が逞しいね~!」



 遠慮なく腹を撫で回されて、エディが心底嫌そうな表情を浮かべていた。どうやら彼の優しさは中年女性のみならず、中年男性にも向けられるものらしい。



(私なら即座に振り払うんだけどなぁ、エディさんは優しいなぁ)



 特に助ける気がないレイラは、にこにこの笑顔でそれを見守っていた。少しだけ落ち着いたルドルフが、エディをようやく解放して、円らな青い瞳でその枕をしみじみ眺めていた。



「本当に助かったよ、エディ君! あいつもあいつで、かなり高度な呪いを枕に仕込んだのか、どの解呪業者にも断られてしまってね~」

「ああ、まぁ、酔いそうになる組み方をしていましたからね……」

「酔いそうになる組み方って、一体どんなの?」

「おじさんのお母さん、つまりはお姑さんがドレス選びと結婚式に口出ししてきただとか、あんたには絶対に遺産はやらないだとか、娘に全然好みじゃない服を大量に送りつけてくるだとか何とか、」

「えっ!? ちょっと待って、俺、それ知らないんだけど!?」

(そんな言葉が出てくる時点で、もうこの夫婦は駄目だったな……)



 レイラが紫色の瞳を遠くさせつつ、エディの話に耳を傾ける。向かいのエディは疲れた表情で、色っぽい溜め息を吐いていた。赤髪をしどけなく下ろしているからか、やけに儚げな色気が漂っている。




「まぁ、他にも色々と? 息子さんが学校での問題に巻き込まれた時にも、まともに話し合いをしてくれなかったとか、孤独に延々と子育てをした挙句、会社の若い秘書と浮気されたっていう恨みつらみが、枕から聞こえてくる呪いが仕込まれていて、」

「ストップ、ストップ、エディさん! ルドルフさんの顔色がちょっと、とんでもない色になってきているのでそこでストップです!」

「ああ、ごめんね、レイラちゃん? 今のは流石に俺が悪かったよ」

「いや、私にじゃなくて、ルドルフさんに謝って欲しいです……」



 なるほど。どうやらそれで、流石のエディも疲れ果ててしまったらしい。



「いやぁ、解呪作業の段階で。あいつのそんな恨みつらみが延々と出てくるのなら、それはどこの業者も断る筈だよねぇ」

「彼らは命を削って仕事をしているので、精神的な負担まで背負い込みたくはないんでしょう。何かと危険な専門職ですからね……」



 エディの淹れたハーブティーを飲んで、向かいに座ったルドルフが額を押さえている。彼の勧めで、一緒にお茶を飲むことになったのだ。エディが手際良く薬缶のお湯を沸かして、意外にも丁寧な手つきでラベンダーティーをカップに注ぐと、その白磁のカップを手渡してくれた。



 横に立ったエディからティーカップを受け取って、それを口に含んでみると、ラベンダーの優しい香りがふんわりと漂う。エディも隣に座って、ハーブティーを飲んでから、静かに口を開く。



「呪われた博物館(ミュージアム)という、解呪専門の公的機関はご存知ですか?」

「ああ、勿論、よく知っているよ? だが、あそこの連中は中々にきな臭いし、信用できたもんじゃなくてだね」



 エディはまたハーブティーを口に含むと、一気に飲み干した。隣で鮮やかな赤髪が煌いて、穏やかな午前の時間が過ぎてゆく。柔らかなクリーム色の壁に、草花柄絨毯が敷かれたリビングルームは綺麗に整理整頓されていた。



「そんな悪評が絶えない所ですが、あそこなら請け負ってくれた筈ですよ? 数年前に軍で出会った、ケンタウロスの友人がいましてね」

「けん、ケンタウロスかい? 獣人でも、人外者とのハーフでもなく?」

「あははは、彼は戦車などの整備士でしてね。魔生物とのハーフでも希少民族でも何でもなく、彼本人が呪われているんですよ。人間の姿形をね?」



 それを聞いて、ちょっとだけ不愉快な気持ちになった。見ず知らずの浮気したおじさんにはそう話すのに、私には何も話してくれないのだなと。



(そんな話、初めて聞いた。まぁ、エディさんがどこの誰と仲良くしていようが、私には関係がない話だけどね……)



 こうして考えてみると、本当に私は彼のことを何も知らない。何も教えては貰えない。そう考えると、胸の奥が苦しく詰まった。



「それじゃあつまり、彼が呪われるような人間だってことじゃないか! おっかないなぁ!」

「いえ、俺が言いたいのはそういうことでは無くてですね……」



 エディが苦く笑って、ルドルフを見つめていた。そんな精悍な横顔を見て何だかどっと、意味も無く疲弊を感じていた。



(何だろう? 何だか、やけに体が重たいなぁ)



 そうとは知らずに、エディとルドルフの会話は穏やかに進んでゆく。



「呪われた博物館(ミュージアム)だなんて、馬鹿げた名称で呼ばれていますけど。あそこも俺達が所属している、魔術トラブル総合対応センターと同じ公的機関です。彼もそちらによく顔を出しているそうですが、気の良い連中ばかりだと、そう聞き及んでいますよ?」

「いやぁ、しかしだな~。あの博物館(ミュージアム)にはその、社会のはみだし者というか、呪われた社会不適合者ばかりじゃないか!」



 そこでルドルフもハーブティーを飲んで、深い溜め息を吐いた。



「一体どうして、彼らも呪われてしまったんだろうね? 普通、まともに生きていればそんな呪いをかけられることなく、」

「えっ? でも、ルドルフさんも奥さんから呪われていましたよね?」

「えっ、エディさん! 駄目ですよ、本当のことを言っちゃ!」

「きっ、きみたち、傷心のおじさんの胸を、嫌というほどに抉ってくるね……!?」

「もっ、申し訳ありませんでした……」

「すみません。枕にハゲの呪いをかけられただけとは言えども、カテゴリー的には一緒なのかなぁって」

「え、エディさん……いくら何でも素直に言い過ぎですよ!?」



 しれっと冷たい表情で言っていることから、珍しくご立腹なのだろうか?



(まぁ、無理も無いか。散々、何時間も奥さんの愚痴を聞いた挙句に、お友達の悪口まで言われてるもんなぁ)



 それでも、エディにはどろりとした悪意が存在しなかった。気に食わないとでも言いたげに、精悍な顔を顰めているものの、身に纏う雰囲気は穏やかなままで。だからかルドルフも、特に気を悪くした様子はなく、疲れたようにハーブティーを啜っていた。



「でも、それもそうだよね。今のは完璧にブーメランだったのかもしれないな……」

「はい。それなので、今度からはそちらに頼めばいいと思います」

(さり気なくしれっと肯定しているなぁ。否定してあげてよ、エディさん)



 思わず苦笑いをして、芳しい、ラベンダーの香りが漂うハーブティーを飲み干した。甘いラベンダーの香りと温かいお湯に、ほっと心が解けてゆく。



「ありがとう、エディ君にレイラちゃんも。それじゃあ、今度からはそちらに頼んでみることにするよ。色々と面倒をかけてしまって悪かったね。これからもよろしく頼むよ」















「あーっ、つっかれた! あのおじさんもおじさんで、何かと鬱陶しい人だったなぁ~」

「お疲れ様です、エディさん。よく頑張りましたね」



 隣を歩くエディが、疲れたように腕を伸ばしている。大きく伸びをしてくわぁっと、欠伸をしていた。レイラがそれを見て苦笑する。二人は先程の邸宅を出て、長閑な高級住宅地を歩いていた。只今の時刻は十一時四十八分。少し早めの昼休憩に入ってもいいだろうと考え、自分の腕時計を眺める。



 これは十五歳の誕生日にアーノルドが贈ってくれたもので、黄色いミモザの花柄とチョコレート色のベルトがクラシカルで優美な雰囲気だった。これを貰った時は、何だか自分が大人扱いされているかのようで、アーノルドにびょいんと抱きついて喜んだ覚えがある。



(まぁ、そんなことをしている時点で。まったく大人じゃなかったんだけどね……)



 こういった記憶と優しい思い出が降り積もっているからこそ、アーノルドと恋人らしく触れ合う度に、胸の奥が苦しく締め付けられるのだ。アーノルドはどう足掻いても切り離せない、大事な大事な家族で。



(ああ、昔のような関係に戻れたら。それはどんなに)



「大丈夫? レイラちゃん。さっきから黙り込んでいるけど、もしかして具合でも悪いのかな?」

「あっ、ああ、大丈夫ですよ、エディさん。別に何ともありませんから」



 エディが心配そうな顔で覗き込んでくる。痛ましげな淡い琥珀色の瞳に、どうしようもなくほっとしていた。彼はいつだって、私のことを気にかけてくれる。気まぐれなアーノルドとは違って。しかし、そんな気持ちを隠して、当たり障りの無い笑顔を浮かべ、何でもないのだとでも言う風にエディを見上げる。



 エディは何故か、不愉快そうにきゅっと眉を顰めていた。そんな表情をすると一気に、いつもの無邪気さが鳴りを潜めて、色気の漂う男性へと様変わりする。



「別に、俺にまで気を使わなくてもいいんだよ? 辛いのなら無理して欲しくないし……さっきから、ずっとそうやって沈んだ顔をしているよね?」

「えっ? あっ、ああ、そんな風に見えていましたか? あれは別にちょっと、ルドルフさんに呆れていただけで、」

「いーや! 絶対にそんな顔じゃなかったね! 俺が話している間もずっと鬱々した顔をしていたからさ。どこか体調でも悪いのかなってもう、俺は心配で心配で仕方が無くって……」



 きゅっとくちびるを引き結んで、拗ねたような気持ちで俯く。



「それこそ、絶対に嘘でしょう?」

「レイラちゃん? 俺は別に嘘なんか吐いてな、」

「だって、今まで私にはそんな話をしてくれなかったのに、その、エディさんが楽しそうにルドルフさんには話していたから……」



 自分の甘さにとことん嫌気が差していた。これではまるで。



「えーっと、そもそもの話、俺はあのおじさんと楽しく話していた訳じゃないし……」



 エディが隣で困ったように頭を掻いて、空中を眺めていた。



「レイラちゃんのそれってもしかしてさ、一種の嫉妬なのかな?」

「へっ!? いっ、いやいや!? 違いますよ!? 私は別にそういう意味で言った訳じゃなくって、」

「っあははは、思いっきり動揺してるんじゃん、レイラちゃんってば!」

「うぐっ、いやっ、その、そのですね……!!」



 エディがなーんだとでも言うかのように、晴れやかに笑っていた。それにつられて笑みを零しつつ、恥ずかしいやら情けないやらで、自分の足元を眺める。



(そうか、嫉妬。私、あんなおじさんに嫉妬していたのか……)



 エディがごくごく自然な動作で、こちらの手をそっと握り締める。あんまりにも自然な動作だったのでそのまま繋いで歩いて、ぼんやりとエディを見上げていた。



「そう心配しなくても、俺の一番はいつだってレイラちゃんだからね? それに」



 淡い淡い、琥珀色の瞳が優しく蕩ける。優しく蕩けて、こちらを見下ろしてきて、心臓がびゃんっと跳ね上がりそうになった。無意識にエディの手を握り締め、じっと熱く見つめる。



「それに俺の過去が聞きたいのなら、いくらでも話してあげるよ? とは言ってもまぁ、聞いていても、特に愉快な話ではないけどね……」



 エディが困ったように笑う。何らかの壁が取り払われたような気がした。個人的な深い部分に踏み込んでもいいと、そう優しく言われたも同然だったから。泣き出してしまいそうなくらいに安心して、ようやく微笑むことが出来た。



「それじゃあ、また。いつか聞かせて下さいね? その、エディさんの負担にならなければですが……」



 辺りは誰の影も見当たらない、長閑な高級住宅地で。それぞれの家の防音性が高いのか、静まり返っていて、よく手入れされた美しい庭のバードフィーダーに鳥達が集って、ぴちぴちと楽しそうにお喋りをしている。



「負担になんてならないよ、レイラちゃん。あの」

「はい? どうかしましたか、エディさん?」



 エディがこちらを物言いたげな瞳で見つめている。その若干思い詰めている表情に、少しだけ不安になってしまう。すると、戸惑ったように俯いて首を横に振った。



「ああ、いや、何でもないよ、レイラちゃん……」

「どうしたんですか? 何か、私に聞きたいことでも?」



 エディが酷く切ない表情で微笑む。それがどうしてだか、泣き出してしまいそうな顔に見えた。



「いいや。何でもないよ、レイラちゃん……このまま、その、手を繋いでいてもいいのかな?」

「あっ、ああ、いつの間に……駄目です。その、手を離して貰えませんか?」



 上手く、嘘が吐けただろうか? 本当は。



(本当はこのままちょっと、手を繋いでいたかったなんて。口が裂けても言えないな)



 胸の奥が苦しく詰まった。エディが力なく笑って、そっとこちらの手を離した。ごねるかと思ったのに一切ごねなかった。また胸に、正体不明のモヤモヤが降り積もってゆく。



「そっか。そうだよね、レイラちゃん? ごめんね、勝手に手を繋いだりなんかして」

「いっ、いいえ? まぁ、次からはしないで貰えると、その、有難いかなぁって……」



 距離が縮まったと思ったのに、またこうして離れてゆく。エディはただの仕事のバディで、恋人でも何でもないから。



(私はアーノルド様の婚約者だからなぁ……)



 そんな事実が重たくのしかかってくる。エディが場の雰囲気を変えようと思ったのか、明るい調子で声を張り上げた。



「さっ! それじゃあ、レイラちゃん! 俺と一緒にお昼ご飯でも食べに行こうか! 俺が何でも奢ってあげるよ?」











「駄目です、エディさん。どこの店もお客さんで一杯でした……」

「えーっ? 何でだろう? 今日は平日の昼間なのになぁ~」



 先程の高級住宅地から程近い、洗練された雰囲気の白い石畳に、所々ヤシの木とパラソルが立ててあるお洒落な街の一角で、レイラとエディは途方に暮れていた。先程から通りすがりの若い女性達が、エディをちらちらと見つめている。そんな視線に気が付いていないのか、はたまた慣れているのか、エディは困ったように腕を組んでいた。



「たまにありますよね、こういうことって……」

「そうだよねぇ~。あーあ、今日は何かと運が悪いなぁ~」



 エディが頭を掻いて、疲れたように笑う。疲れたように笑ってふと、レイラの背後を見つめる。



「あの二階のお店はどうだろう? 空いているように見えるけど」

「ああ、それもそうですね……階段が中々に辛そうですが、行ってみますか?」

「行ってみようか、レイラちゃん! 何なら俺が、お姫様抱っこして運んであげるよ?」

「そんな無駄な動作は不要です。自分の足があるのでそれを使って歩いて行きます」

「そっ、そっかぁ、それは残念だなぁ……」



 和やかにお喋りをしつつ、石造りの階段を登って初夏の爽やかな風を楽しむ。



「わ~! 意外と景色が良いですよ、エディさん!」

「あははっ、本当だね、レイラちゃん。要するにここの階段はさっ、それだけ急で長いってことだよね……!!」

「だっ、大丈夫ですか、エディさん?」



 ぶわりと強い風が吹きぬけて、緩やかな黒髪がもさぁっと顔にかかる。もわもわと慌てふためいていると、エディが楽しそうに笑って、黒髪を払いのけてくれる。



「レイラちゃんの方こそ大丈夫? 今日はやけに風が強いよね~」

「そうっ、そうですね、エディさん。今日は本当に風が強くって……」



 頬に触れている、エディの指先にどぎまぎしつつ顔を背けた。エディから顔を背けて、さっと前を向いて階段を登る。危ない危ない、なるべく離れておかないと。遠くの方には壮麗な王宮と美しい街並みが見えて、どこまでも初夏らしい青空が広がっていた。




「あーっ、やっと座れた! やっと落ち着いた! もう俺、お腹がぺこっぺこで凄く悲しい……」

「お疲れ様です、エディさん……何を頼むか、もう決めていますか?」



 エディが向かいで、ぐったりとテーブルに突っ伏していた。そして突っ伏していた顔を上げ、ふすんと悲しそうに鼻を鳴らす。



「いや、それは流石にまだかな……レイラちゃんは何を頼むことにしたの?」

「あー、ここは折角のカレー屋なので、その、定番のカレーでも頼もうかと」



 レイラがやけに口ごもったのは、きちんとした理由がある。エディの母国でもある旧ルートルード王国は南の島で、エオストール王国とは海を挟んだ隣国であり、そして今回入った飲食店はなんと、ルートルードのスパイス料理を中心に扱う店だった。



(ルートルードとの戦争が終わってから、ルートルードの郷土料理を扱う飲食店が増えたんだよなぁ……)



 異国情緒溢れる雰囲気の、黄色と赤のストライプ柄ソファーに、タッセル付きの幾何学模様クッションが所狭しと並べられ、それにテラコッタ色の壁紙に擦り切れた草花柄の絨毯。ほんのりと薄暗い店内には、モザイク硝子のランプが吊り下げられ、壁のくぼみには木製の人形と動物たちが並んでいる。他の店にするべきだったかもしれないと思って、冷や汗をかいていた。しかし、他に空いている店も無かったし、何よりもエディが疲れ果てていた。



 エディは「ここでもいい? 大丈夫?」と確認してから、何の気兼ねも無く入っていったが、店の従業員は驚いていた。今も店の奥の方から興味深くちらちらと、店員達がこちらを眺めてくる。エディは特に気にした様子も無く、出された水を飲んでいた。



「あー、レイラちゃんって。辛いの平気だっけ?」

「まぁ、ある程度は」

「だったら、んぐっ、こっちの方がいーよ、このカレーはあんまり辛くないからさ?」



 がりがりと氷を食べながら、手にしているメニュー表の料理をとんとんと指で軽く叩く。彼は隣国の特徴を強く受け継いでいるので、スパイスの匂いが漂ってくる店に溶け込んでいた。



「ああ、でも、レイラちゃんって確か、マンゴーが苦手なんだっけ? んぐ、こっちのカレーはポークマンゴーピクルスカレーだからさ、辛くないけど好みが分かれるかもしんない」

「ポ、ポークマンゴーピクルスカレー!? そっ、それって美味しいんですか?」

「俺は美味しく感じるかなぁ~。意外とマンゴーピクルスが野菜感覚で食べれるし、豚バラ肉もこってりジューシーでおすすめ。まぁ、無理に勧めたりはしないけどね……」



 疲れ果てているのか、いつもよりぐったりとした口調になっている。ついうっかり可愛いと思いかけてしまい、慌てて、その不思議で美味しそうなカレーを頼むことにした。



「あっ、ああっ、そっ、それじゃあまぁ、折角のエディさんお勧めのカレーですし、それにしてみますね!」



 エディがそんな言葉を聞いて、ふんわりと嬉しそうな微笑みを浮かべた後。残っていた氷水をぐいっと、一気に飲み干した。



「……うん。ありがとうね、レイラちゃん。あとそれから」

「はい? 他にも何か良いお勧めが?」



 エディが苦笑して、首を軽く横に振る。



「それもあるけどね、レイラちゃん? 別に気を使わなくても大丈夫だからね?」

「ああー、やっぱり、そわそわしていたのが思いっきりばれていましたか……」

「うん。バレバレだったよ、レイラちゃん」



 エディがろくに残っていない水を数滴だけ飲み干し、愉快そうな微笑みを浮かべる。いつもの淡い琥珀色の瞳が、薄暗い店内の中で煌いて、鮮やかな赤髪もランプの明かりに照らされて光っていた。



(ああ、やっぱりこの人は。違う国から来た人なんだなぁ……)



 やはりエディの美しさとは、エキゾチックな美しさで、芳しいカルダモンと黒胡椒、シナモンにパイナップルや青い海、その上を航行する帆船を思わせるような人なのだ。



「まぁ、エディさんが気にしないのなら。私も気にしないようにします。本当にごめんなさい」



 エディがふっと困ったように微笑んで、手にしているメニュー表をくまなく眺める。



「どうして、レイラちゃんが俺に謝ってくるんだろう? 別に君は悪くないのに?」



 シナモンのように癖のある、甘くて低い声が心地良い。すっかり聞き慣れた低くて甘い声は、いつだってとんでもなく優しい。



「いえ、私だったら気になるなぁと。自分が気にしてもいないことを他人から、過剰なまでに気にかけられたら何かちょっと、イラッとしませんか?」

「まぁ、言いたいことはよく分かるよ? レイラちゃん。でも、俺は気にかけて貰ってすごく嬉しいし、気にならないかな」



 エディがテーブルに肘をついて、上機嫌でそう告げてくる。そうしていると妙な色気が漂って、心臓がちょっとだけ騒がしくなってしまった。



「そっ、それなら良かったです。あのっ、他にも何かお勧めってありますか?」

「あるよ、勿論。海老と蟹の揚げ春巻きに、タンドリーチキンに羊肉と牛肉の串焼き、チーズと蜂蜜のナンとか、ああ、レイラちゃんならこれも好きかな? ミックスナッツのクルフィ」

「くっ、クルフィとは一体何でしょうか!?」

「ねっとり濃厚な、溶けにくいナッツアイスだよ。カルダモンの匂いが苦手なら向いてないけど」

「ねっとり濃厚なアイス!! それにしまっす! エディさんはデザート、何を頼む予定なんですか?」



 食い気味に尋ねられて、エディが愉快そうに口元を押さえて笑い、いつもの甘い声で優しく教えてくれる。



「俺はねー、レイラちゃん? ココナッツミルクと孔雀椰子の蜜が入った、美味しい卵の焼きプリンとバナナの天ぷらと、カシューナッツのアイスクリーム添えにしようかどうしようか、滅茶苦茶迷っている最中!」

「えーっ!  いいなぁ、それも美味しそうだなぁ! でも、私はやっぱりクルフィが食べたい……!! んんん、どうしよっかなぁ~」



 メニュー表を厳しく睨みつけていると、エディが笑って素晴らしい提案をしてくれる。



「それじゃあ、俺とシェアして食べてみる? 残ったやつは俺が全部食べるし、レイラちゃんは好きな物を好きなだけ食べたら?」

「あっ、あんまり私の事を甘やかさないで下さいよ、エディさん!? でもまぁ、それは名案なのでお言葉に甘えて……」



 数十分後、テーブルに所狭しと並べられたスパイス料理の数々に。レイラは深い紫色の瞳をきらきらと輝かせ、身を乗り出してエディの説明を聞いていた。



「はい、レイラちゃん。こっちが海老と蟹の揚げ春巻きで、こっちは羊の粗引き肉ともち米と、春雨とキャベツのサラダ。そんでこっちのクレープっぽいやつは、豚肉とヒヨコ豆とチーズ、ポテトがぎっしりと入ったお食事? お食事系クレープかな? 実際の名前は違うけど」

「ふっ、ふわっ、ふわあぁ、どれから食べるか、滅茶苦茶迷うやつですね、これ……!!」

「とりあえず、このタンドリーチキンと羊肉の串焼きでも食べてみたらどうかな?」

「そうっ、そうしますね……」



 エディから銀色のお皿を受け取って、ごくりと唾を飲み込んだ。数十種類のスパイスとヨーグルトに漬け込まれていたというタンドリーチキンと、じっくりと、炭火で焼き上げた羊肉の串焼きは脂を滴り落としていて、堪らない匂いを漂わせている。まずは骨付きのタンドリーチキンを手で掴んで、豪快に齧り付いて食べてみる。



「んーっ、美味しいれふね、エディさん! あっ、これは海老と蟹の揚げ春巻きでしたっけ? どうれふか?」

「これも美味しいよー、レイラちゃん! 一口食べてみる?」

「食べてみまふっ! あとエディさんに折角お勧めして貰った、マンゴーカレーも早く食べてしまいたいのに、手がぜんぜん回らなくて辛いれふ……!!」

「っあははは! 大丈夫、大丈夫! まだまだ時間はあるからね? 余ったら俺が持って帰るか食うかするし、いっそのこと、余った分は持って帰っちゃう?」





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