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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
23/122

19.今更ながらの新人歓迎会開始

 





「さて。それでは渋々、本当に渋々、俺は一向にお前を歓迎していないが、お前が入ったことを歓迎してこれから新人歓迎会を始めたいと思う」



 アーノルドが酒の入ったグラスを掲げて、苦笑する職員たちの前でそう述べた。エディがそれを聞いて憤慨したように立ち上がり、同じく酒が入ったグラスを持って、アーノルドをびしっと指差す。



「ちょっと待ってくれよ、アホノルド!? こういうのってもっと早くに、それこそ俺が入った翌日にでもするもんだろう!? あれからもう、一ヶ月以上経っているんだが!?」

「俺はお前がやめるのを今か今かと、心待ちにしていたんだが、お前が一向にやめないもんだから。それならそれでお前の歓迎会を開いてやろうかと、そう思ってだな……」

「っうるせえよ、バーカバーカ! 早くレイラちゃんとの婚約を解消しろーっ!」

「いいね、いいね、エディ君ー! ひゅー、ひゅー! もっとやれーっ!」

「ジーン! アンタは本当にまったく、飽きもせずにエディ君を焚き付けるんだから!」



 ミリーが呆れたようにたしなめて、ジーンがぺろりと、お茶目に舌を出してグラスの酒を飲み始める。仕事を終えた日常魔術相談課の職員達は、いつもの制服から私服に着替えて、とある居酒屋に集っていた。白い壁と黒いタイル床の個室には、どーんと大きなテーブルが置かれ、職員達はそれぞれのバディと一緒に腰掛けている。



 テーブルの上には鮮やかなトマトとフレッシュチーズの野菜サラダ、アンチョビとバジルが乗ったバケットに、甘いぷりぷりの帆立とサーモンのカルパッチョ。桃の果肉にクリームチーズを挟んで生ハムを巻いた前菜、ソーセージに皮付きポテト、オニオンリングフライに烏賊のフリットと、酒のつまみがずらりと並んでいた。



 しかし、天使のような美貌を持つアランは早速、カルボナーラとコーンクリームスープとミニサラダを頼んで食べている。どうやら、下戸のライと一緒に酒ではなく夕食を食べるつもりらしい。一方のライは、ジェノベーゼパスタとオニオンスープを頼んで食べていた。



 慎重な手つきで、ゆっくりとスープを掬い上げているライを見て、思わず微笑んでしまう。マフィアのような風貌のライは灰色のポロシャツに白いチノパンツを着ていて、隣に座っているアランは青いチェック柄のシャツとデニムを着ていた。アランの隣に座ったミリーは、ゆったりとした白いシャツを着て、クラッカーをつまみあげ、隣のジーンは爽やかなブルーのストライプシャツを着ている。



 そして既に酔っ払っているのか、向かいに座ったマーカスとトムはそれぞれ、黒いポロシャツとプリントTシャツを着てにこにこと笑い、二人でジョッキを傾けつつ、肩を叩き合っていた。



「ねっ、レイラちゃん? それって美味しいの? さっきからずっと、そればっかり食べているみたいだけど……?」



 エディがこちらを覗き込み、にっこりと機嫌良く笑いかけてくる。今日は黒いタンプトックの上から、薄茶色のサファリジャケットを羽織り、金色のコインネックレスを付けていた。耳には金色のイヤーカフが並び、節くれだった指には、赤い石の指輪と銀色の指輪がきらきらと光っている。



(多分、この人はちゃんと、自分の魅力を理解しているんだろうなぁ……)



 やや心臓に悪い服装のエディから目を逸らして、テーブルの上のクラッカーを見つめる。



「このクラッカーがね、意外と美味しいんですよ、エディさん。だからついつい止まらなくなってしまって、」

「レイラちゃーんっ! それっ、エマも食べますぅ~、お口にあーんしてくれませんか~?」

「おい、エマっ! お前、あんだけレイラ嬢にべたべたすんなって言ったのに、お前ときたらまた懲りもせずに!」



 横からどすっと抱きつかれて、驚いて振り返ってみると、そこにはエマがいた。機嫌良く笑っているエマはノースリーブの黒ニットを着ており、その豊かな赤茶色の髪が頬に当たってくすぐったい。



「あーっ!? いいなぁ、ずるい、ずるい!! またエマさんがレイラちゃんに抱きついている!! 俺もレイラちゃんに抱き付きたくて仕方が無いのに!?」

「うるさいですよ、この糞悪魔が!! エマはいっつもこうやって生きてるんですぅ~、レイラちゃん成分を都度補給しないと、エマは生きてい行けないんですよ~だっ!」

「エマ、お前はな、いちいち大袈裟なんだよ……レイラ嬢もレイラ嬢で悪いな、俺の幼馴染がいっつも迷惑をかけて」



 黒いTシャツの上から白いシャツを羽織ったジェラルドが話しかけてきて、むくれたエマが「迷惑なんてかけてないも~ん、ふ~んだ」と呟く。そんな表情に笑っていると、グラスを片手にアーノルドがやって来る。



「レイラ、隣に座ってもいいか?」

「あっ、はい。どうぞ、アーノルド様、こっちの方に、」

「えーっ!? 何でお前、急に現れてそんな厚かましいことを言ってんの!?」

「レイラちゃんの隣はエマのものですぅ! ジェラルドも含めて、鬱陶しい男性陣はここから退散してくださーいっ!」

「俺も含めてかよ、エマ……大人しく酒を啜ってるだけなのに?」



 ぎゃんぎゃんと騒ぎ出した二人に、アーノルドがひょいっと肩を竦めて、薄っすらと笑う。



「おー、おー、二人してレイラの婚約者である、俺への批判が凄まじいなぁ、おい?」

「今、その情報絶対に必要無かっただろ!? この腹黒陰険陰湿イヤミ虫め!!」

「ぶーぶー! 早くレイラちゃんと別れろーっ! そんでこの糞悪魔も、レイラちゃんのバディを早くやめろーっ!」

「お酒が入っているからか二人とも、いつも以上に騒がしいですね……」

「すみません、部長。エマには後で俺から、きつく言って聞かせとくんで……」



 怒り狂って騒ぐ二人を宥め、無事に済ました顔のアーノルドが隣へと座る。今日のアーノルドは淡いブルーシャツの上から、白黒ギンガムチェックシャツを羽織って、明るい茶色のコットンパンツを履いていた。そんな婚約者と同じく、私は白黒ギンガムチェックのブラウスと、明るい茶色のキュロットパンツを履いている。この服装を見たエディとエマが死ぬほど渋い顔で、アーノルドを無言で睨みつけたのは言うまでもない。




「お前はいちいち陰湿なんだよ、何かとさぁ」



 レイラの隣を魔術で死守したエディがビールのジョッキを傾けつつ、アーノルドを睨みつける。そんな視線をエディとエマ――――彼女は渋々エディの横に座っていた――――に向けられてもどこ吹く風といった様子で、アーノルドが白ワインベースのサングリアを飲む。それには瑞々しいキウイとライムと檸檬の輪切りが浮かんでいた。からりんと、大きな氷がグラスを叩く。



「アーノルド様? 私にもそれ、一口分けて貰えませんか?」

「レイラ? お前もてっきり、頼んでいるかと思ったんだがな……いいよ、全部あげるよ? はい、どうぞ」

「やっぱり陰湿じゃねぇか、お前はよ!?」

「レイラちゃんっ、エマもっ! エマもこれからサングリアを頼む予定ですけど!?」



 エマがばっとメニュー表を取り出して、ジェラルドがそれを手で制し、そっと静かに首を振っている。



「んっ、美味しい、これっ! 私も次はこれを頼んじゃおうっかな~」

「それは良かった。全部お前にやるから好きなだけ飲め。俺は俺でまた、違う酒を頼むからさ?」



 テーブルに肘をついたアーノルドが上機嫌で黒髪を弄り、その恋人のような仕草に、エディがうげっと顔を顰めていた。



「っお前は陰湿なんだよ、いちいちさぁ! 一体何だよ、その手つきは!? レイラちゃんの恋人気取りかよ!?」

「恋人気取りじゃなくって婚約者な? お前ら二人には申し訳無いけど」

「ってめぇ!! おいっ、ジェラルド!? 私を止めるんじゃない、お前から海の藻屑にされたいのか!?」

「待て待てっ、ちょっと落ち着けよ、エマ!! 今のお前は酒も入ってんだし、いいから落ち着いて座っとけって!!」



 そんな騒ぎを見て、向かいのジーンが手を叩き、やんややんやと楽しそうに囃し立てる。美味しいお酒とたっぷりのおつまみが胃に入って、どんどん賑やかになってゆく。



「レイラひゃん、これ、おいひいよ? んぐっ、はべてみた?」



 もっもっと、口いっぱいに頬張っているエディから、トマトとチーズのバケットを受け取る。口に入れると、滑らかな塩気のモッツァレラチーズと甘いトマトの味わいが広がった。思わず頬を緩めてしまう。堪らなく美味しい。



「うわ~、本当だ! 美味しいな、これ~」

「でしょでしょ? もう一個いる?」

「何食ってんだ? お前らはさっきから」

「はい、これ。おいひいれふよ、アーノルド様?」



 口元に手を添えつつ、アーノルドを振り返ってみると、こちらの手首を掴んでバケットに齧りついた。



「あ、本当だ。うまいな、これ」

「っほら、お前の分もやるからこれでも食っとけよ、アホノルド!?」

「流石にそんなには食えん! 一体、どこからその皿を持ってきたんだよ!? きちんとテーブルに戻しておきなさい、きちんと!」

「お前、俺のお義母さんみたいだな……勿論、それは姑の方の」

「そこはせめて実母にしておけよ!? あー、ほらほら、レイラ? 合間にちゃんと水も飲んでおけよ?」

「うげっ、はぁーい……」



 手渡された冷たい水を飲んで、更に美味しいご飯を食べ進める。早くも頬が熱くなってきて、視界がほんの少しだけ揺らいだ。冷たい檸檬水をごくごくと飲んでいると、アーノルドがエディに話しかける。



「エディ、お前、意外と酒に強いのな? さっきから全然顔色が変わんねぇ……」

「あー、俺、顔に出ないだけで強い方でも無いんだけどな~。そういうお前は死ぬほど顔が赤いな」

「俺は顔に出るタイプだし、酒はそんなに強い方じゃないんだよ」

「へー、酒に強そうな顔してるくせになぁー」

「うるせぇよ。お前の方こそいちいち一言余計なんだよ、まったく……」



 エディが隣で皮付きポテトを摘まんで、ビールを水か何かのように流し込んでゆく。ふと気になって、じゅわっとした豚肉の脂が美味しいソーセージを齧り取ってから、エディに話しかけてみる。



「エディさん? エディさんは酔ったら、どんな感じになるんですか?」

「俺? 俺はそうだなぁ~、ある程度酔ったら脱ぎ出す癖があるかな?」

「えっ!? 脱いじゃうんですか!?」

「っおいおい、エディ? お前、きちんと水も飲んでおけよ?」

「大丈夫大丈夫、まだそこまでは酔っていないから~!」



 そんな風に楽しくお喋りをしつつ、気になっていた桃とクリームチーズの前菜を持ち上げてみた。先程から気になってはいたものの、ついつい、ポテトやソーセージに目がくらんでそればっかり食べていたのだ。



「エディさん、これ、食べてみましたか?」

「あー、俺、それはまだ食ってない。他のもので手一杯で……あと、何かそれはちょっと躊躇している」

「珍しいな、大体は何でも食うお前が。まぁ、その気持ちも分かるけどな」

「これって絶対に美味しいやつですよ、二人とも!」

「レイラちゃんがそう言うのならば、俺もそれを食べてみるっ!!」

「はっやいな、お前は……それならそれで、俺も食ってみるかな」

「三人で食べてみましょうか! さてさて、どんなお味かなぁっと!」



 几帳面に一個ずつ皿に載せて、同時にぱくりと食べてみる。



「意外と美味しかった!! これっ! お代わり、お代わり!! 後で絶対に頼む!」

「いいから先にそれを食っておけよ、エディ? それ食ってからな!?」

「ほんほーら、エディひゃんの言うとおり、んぐ、すっごくおいひい……!!」



 瑞々しくて甘い桃の果肉を噛むと、じゅわっとクリームチーズが広がって、生ハムの風味が広がってゆく。甘酸っぱいバルサミコ酢のソースも堪らない。



「うわ~、本当に美味しい、これ! トムさんとマーカスさんは食べました、これ?」

「あー、まだそれは食べてない。旨いの、エディ君? それって」

「クリームチーズと桃と、生ハムか~……俺、食べられるかなぁ?」



 レイラは先程アーノルドから貰った、爽やかな白ワインに甘いパイナップルと檸檬のサングリアを飲んでいた。ほろ酔い気分でそれを楽しんでいると、何とかジェラルドから許可を貰ったエマがやって来る。見るとエディはいつの間にか、少し離れた所でジーンに絡まれている。アーノルドもアーノルドで、ジルと一緒にメニューを手にして話し合っていた。



「レイラちゃん? ちょっとお隣、大丈夫ですか~?」

「大丈夫ですよ、エマひゃん。たまには私も、んぐっ、アーノルド様とエディさん以外の人と話したい気分でふから~」

「うふふふ、良かった! ねぇ、何を飲んでいるの?」

「サングリアれふよ、エマさんも一口いります?」



 エマが甘い微笑みを浮かべて、隣へと座る。彼女は何かとスキンシップが激しい人だが、そんな所も好きだった。人に好かれて悪い気はしないし、仲が良い女友達という感じがして。



「んーん、大丈夫! それよりもちょっとハグをさせてよ、レイラちゃーんっ」

「あはははっ、いいですよ、エマさん! ぎゅーっ!」



 柔らかなエマの体を抱き締めて笑っていると、エディとジーンが慌ててやって来た。



「いいなー! レイラ嬢、俺も俺もーっ!」

「あははは、いいですよ、ジーンさんも!」

「ちっ、いつもの邪魔者どもがやって来たか……」

「レイラちゃん、俺はー!? 俺はーっ!?」

「エディさんは嫌ですぅ! 自分の体でも抱き締めていてくださーいっ」

「えーっ!? そんなっ!? レイラちゃん、そう言わずに俺も俺もーっ!」



 賑やかな時間が過ぎてゆく。この頃になるとすっかりもう、エディの歓迎会だということを忘れていた。



「うー、ライさん、僕もう無理……」

「だ、大丈夫か、アラン? 帰りはその、私が背負って帰ろうか?」

「それじゃあ、そうして貰おうかなぁ……」



 アランがテーブルに突っ伏し、ライがその背中を優しく擦っている。酔いつぶれやすいアランの世話は、彼に任せておけば間違いないだろう。今の問題はこの、すっかり酔ってしまった我が婚約者殿である。



「レイラ~、何でだよ、何でそんなに嫌がるんだよ~」

「いや、私、人前ではあんまり、べたべたしたくない方ですからね……」



 アーノルドが嫌がる私を膝に抱え、ぐすぐすと泣いて肩に顔を埋めてくる。彼は意外にも酒に弱い。そして何よりも、酔うとぐずぐずと泣いて、やたらと甘えにくる泣き上戸なのだ。周囲の視線が気になって顔を上げてみたが皆、さっと顔を逸らして、見ないようにしてくれる。しかし、それがまた余計に恥ずかしい。



「ほらっ、アーノルド様? 恥ずかしいので、いい加減に放して下さいよ?」

「うー、嫌だ、俺はもう、ずっとこのままこうしてる……」

「レイラちゃん、レイラちゃん? アホノルドの世話は俺に任せてくれるかい? きちんと最後まで面倒を見るからさ?」

「嫌な予感しかしないですよ、エディさん! それって!」

「レイラちゃん、レイラちゃん? それならそれで、エマに任せてくれるかなぁ?」

「そんな可愛い笑顔で言っても無駄ですよ、エマさん!? 邪悪オーラが隠しきれていませんからね!?」



 邪悪な笑顔のエマとエディが立ったまま、じりじりと距離を詰めてくる。たじろいで腹に回されたアーノルドの腕を握り締めると、低く唸って「いやだ……んん」と呟くだけで。



「ほっ、ほらっ? アーノルド様、本当にもう、いい加減に放して下さいよ?」

「嫌だ、レイラ、お前は俺だけの婚約者なのに、一体どうしてなんだ?」



 ぐりぐりと顔を押し付けられて、流石の私も困惑してしまう。エディとエマの顔がぴくぴくと痙攣し、更に近寄ってくる。怖い。



「いいなぁ、俺もそんな風に酔ったら、レイラちゃんに面倒を見て貰えるのかなぁ……」

「それならそれで、一気飲みでもしたらどうですかぁ? 急性アルコール中毒になっても、エマは知りませんけどぉ!」

「はっ!? なるほど、その手があったか!!」

「えっ、エディさん!?」

「おい、エマっ!? お前、エディ君を唆すなよ!?」

「唆してなんかいませんよーだっ! エマはふと、思いついたことを言ってみただけですぅ~!」

「くっそ!! 相変わらずいい性格してんな、お前はよ!?」



 エディを止めようとしたのだがそれでも間に合わず(なにせ抱き締められているからだ)、エディがテーブルの上にあったビールを、一気に飲み干してしまった。



「わーっ!? エディさんのおばかーっ! ちょっとアーノルド様!? いい加減に放して貰えませんか!?」

「んー、嫌だ……」

「エディ君、お水、お水! ミリーさん、すみません! ちょっと手伝って貰えませんか!?」

「エマのせいじゃないもん、エディ君が勝手にしたことだも~んっ」

「エマ、お前な!? この期に及んで、一体何を言っているんだよ!?」

「大丈夫大丈夫、何とも無いから!! でも俺、今から脱いじゃおうっかな~!」

「わー! 流石にそれはちょっと待って!? 目に毒だから!」

「あれ? もしかしてレイラ嬢、今、さらっと本音が出ちゃった感じなのかな……?」



 すぽーんっと、勢い良くタンクトップを脱いだエディがへらりと笑いかけてくる。その逞しい上半身には無数の傷跡が走っており、思わず目が吸い寄せられてしまった。



「どう? レイラちゃん、これで俺のことを好きになってくれた?」

「半裸でその台詞は何かとまずいんで、やめて貰えませんかね!? アーノルド様もアーノルド様で、いい加減にやめて欲しいんですけど!?」

「はいはい、もうお開きにしますよー? いやぁ、こんな時の為に素面でいて良かったですね!」

「じっ、ジルさぁーんっ! 助けてくださぁい……」

「大丈夫ですよ、レイラ様? 坊ちゃんのことも、後片付けのことも、俺にどうぞ全部任せて下さい。こういう時の為に、俺という従者が存在しているんですからね?」













 頭が痛い。希代の色男“女殺し”ことアーノルド・キャンベルが、目を覚まして一番最初に思ったことはそれだった。どうやら昨夜は飲みすぎたらしく、頭が痛い。天井を眺めてみると、どうやら自分の寝室らしいが、何せ寝起きで意識がはっきりとしない。いつもの紺色シャツパジャマを着て眠っていたようだが、これはもしかしてジルが着せてくれたものだろうか?



 そこまでを低く呻きながら考えていると、こんこんと軽やかなノック音が響き渡る。こちらの返答を待たずに扉が開いて、黒いニットワンピース姿のレイラが現れる。その手には、飲み物を載せたトレイを持って。



「アーノルド様? 何だ、もう起きていたんですね?」

「レイラ……大丈夫だ、今起きた所だから」



 何が大丈夫かも分からないままに返事をして、何とか寝台の上で体を起こす。レイラがくすくすと可愛らしく笑って、寝台の傍までやって来た。今日は珍しく黒髪をポニーテールにしていて、その揺れる毛先に目が奪われる。どうやら彼女は俺の為に、酔い覚ましと軽い朝食を作って、持って来てくれたらしい。



「もうっ! 昨夜は本当に大変だったんですよ? あれからエディさんはズボンまで脱ごうとするわ、それをジーンさんが手拍子で催促するわで……って、アーノルド様? 一体どうしたんですか?」

「何でもない……」




 彼女に抱きついてぎゅうっと、その柔らかい腹に顔を埋める。まだ昨夜の酒が残っているのかもしれない。酔うと自分は、本当に駄目な人間になってしまうから。



(いや、酔っていても酔っていなくても、俺は駄目で、最低最悪の人間だったなぁ……)



 どうすればいいのだろうか? この歪みを。もっともっと違う出会い方だったら、レイラともきっと。エドモンさんが生きていたら、きっと。



(馬鹿げている。そんなこと、今更考えたってどうしようもないのに?)



 戸惑ったレイラがそっと優しく、こちらの銀髪頭を撫でてくれる。おかしな話だったが、自分が大事に育ててきたからこそ、こうしてレイラに甘えることが出来る。



「ほら、アーノルド様? まだ酔っているんですか?」

「かもしれないな……何を持ってきてくれたんだ? レイラ?」



 彼女から渋々離れて、首を傾げてみると。レイラが優しく笑って、いつもの甘い声で教えてくれた。



「これはさっぱりするかと思って、色々とブレンドして持ってきた白葡萄ジュースです。昨日のサングリアが美味しかったので少し工夫して、檸檬の輪切りとパイナップル、それにオレンジとミントと、ちょっと甘い蜂蜜も入れて、弱めの炭酸水を入れて混ぜてみました」

「あれか? 父上が飲み残していた、炭酸が少し抜けていたやつか?」

「ふふっ、そうそう。それですよ。ハーヴェイおじ様ったらまったく、飲めもしないのに買ってくるんだから、もう……」



 笑顔のレイラからグラスを受け取る。瑞々しいオレンジと檸檬、パイナップルとミントの色鮮やかなグラスを見て自然と口角が上がった。ゆっくりと口に含むと、檸檬の香りと蜂蜜の甘さが漂う。しゅわしゅわと炭酸が舌を刺激してから、二日酔いの胃に染み渡っていった。



「……ありがとう、レイラ。わざわざ作って、持ってきてくれて」

「いいえ? どういたしまして、アーノルド様! これも食欲があったらと思って、作ってきたんですけど……食べてみますか?」



 その炭酸水を返すと、レイラがそれを受け取りつつ、心配そうな顔で首を傾げる。サイドテーブルの上には、チキンとレタスのベーグルサンドイッチが並んでいて、それを見て湧き出た唾を飲み込む。幸いにも、ちゃんと食欲はあるらしい。



「あー、歯を磨いて、服に着替えたらそれを貰おうかな? レイラ?」

「はい? どうかしましたかって、わっ!?」



 無理にレイラを抱き寄せて、寝台の上に寝転がった。からりんと氷が、サイドテーブルの上で涼しげな音を鳴らしている。



「えーっと、あの、アーノルド様……?」



 レイラの腹に手を回して、後ろからぎゅうっと強く抱き締める。我ながら幼いなと思ったが、何も言わずにただただ、彼女の柔らかな黒髪に顔を埋める。甘い花のような香りと、石鹸のような香りが漂った。嬉しくなって、更に抱き締める。昔とは違って、甘いミルクのような匂いはしない。その代わりに女性特有の甘い香りが広がる。



「ご飯、食べないんですか? アーノルド様……」



 もぞもぞとレイラが動いた。でも、何となくまだ甘えていたくて、ぎゅうっと強く抱き締める。俺とは何もかもが違う。細い肩に白い指に、こちらを困ったように見上げてくる可憐な紫色の瞳。



「食べる。食べるがまだ、もう少しこのままでいたい……」

「もしかして、まだ昨夜のお酒が残っているんですか? アーノルド様?」



 彼女が愉快そうに笑う。その甘やかな声に愛おしくなって、胸の奥がきゅっと苦しく締め付けられた。どうかこのままで。どうかもう少しだけこのままで。どうかもう少しだけ、この俺だけの大切で愛おしい少女がどこにも行ってしまわないように。



(分かってる。分かってるよ、そんなこと)



 分かっている、ちゃんと理解している。だからどうかもう少しだけこのままで、と。ほんの僅かに湧き上がった未練と愛しい思い出と、悲しみと苦しみに蓋をした。見てみぬ振りをする。そうでもしないと、俺はちゃんと生きていけないから。そうでもしないと、何かとんでもない過ちを犯してしまいそうだから。



「レイラ……今日この後、二人で出かけてみないか?」



 彼女の肩から顔を離す。昔に願ったことは今もこの胸にある。今もこの胸にあるからきっと、俺は上手くやれる。今はまだ見てみぬ振りをしているだけ。耐え難いその瞬間を先延ばしにしているだけ。



「あー、服を見に行きたいです! 今年は綺麗なミントカラーが流行りで、欲しくなってきちゃって」

「お前が何かを買いに行きたいと言うのも珍しいな、レイラ? いいよ、分かった。それならそれで、今日はお前の服を見に行こうか」






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