18.魔生物の捕獲と公園でのもふもふ
「っレイラちゃん! そっちに行ったよ!! ごめんっ、捕まえて!? あと、俺のことも捕まえて欲しいですっ!」
「この状況でよくもそんなっ、ふざけたことが言えましたねっ、とぉっ!! わぶっ!?」
「レイラちゃん!? 大丈夫かい!?」
顔にぼふんと、白いふわふわの塊が当たった。両手を彷徨わせつつ、それをがっしりと捕まえる。
「はーっ! やっと捕まえましたよ、この洗濯泥棒さんを!」
「フェッ、フエエェ、フエッフエッ」
魔生物のアルパカもどきが嬉しそうな声を上げて、こちらの頬をべろりんと舐めてきた。むちむちふわふわの白い毛並みが手に優しい。レイラがそうやって魔生物のアルパカもどきを――――彼らは本物のアルパカよりも随分と小さくて、強烈な匂いもしない――――ふわふわと撫でて抱き締めていると、エディが息を荒げてやって来た。
「っは、はぁっ、こいっ、こいつはっ、今まで散々っ、はぁっ、俺が追いかけ回していたというのにっ!」
「お疲れ様です、エディさん。仕方が無いですよ、この子達は人間の男性が嫌いなんですから……」
エディが息を荒げて、両膝に手をついている。鮮やかな赤髪がさらりと流れ落ちて、春の陽射しに煌いていた。この制服には体温調節系の魔術が施されているので、夏でも長袖のままで平気なのだが、流石に暑いらしく、紺碧色のジャケットを脱いで腰に巻きつけていた。白いシャツ姿のエディが顎の汗を拭い、こちらを見上げてくる。
「このっ、はぁっ、はぁっ、変態のっ、アルパカもどきめっ!」
「分かったから、一旦落ち着いて下さいよ……息を整えてから喋って下さい、非常に聞き取り辛いです」
「レイラちゃんがっ、はっ、今日も俺に相変わらずっ、冷たくてすごく好きっ!」
「エディさんは今日も元気そうですね……このポジティブ片思いお化けが」
「それ、この間から気に入って使ってるフレーズだよね……勿論、俺を罵る時に」
「エディさんがしつこくて、諦めが悪いからですよ? さーってっと!」
「フエエッ、フエエッ」
嬉しそうな鳴き声を上げてこちらを見下ろしてくる、アルパカもどきの鼻面を優しく撫でてやる。エディがそれを、ほんの少しだけ羨ましそうに見ていた。
「どうしますか? 主婦の方々の話によると、この辺りにはまだ、数頭のアルパカもどきがいるようですが」
「丁度良いから、そいつを使って何とか出来ないかな?」
「この子をですか?」
「そうそう。こいつはどうやら群れのリーダーみたいだし、何とかならないかな? と思ってさ~」
エディが自分の顎に手を添え、深く考え込む。人間の男に見つめられ、 アルパカもどきが不満そうにぶふんと鼻を鳴らした。彼らは人間と同じ魔力を持つ魔生物でとても賢く、こちらの言語をほぼ理解しているそうだ。四歳児程度の理解力はあるそうなので、ペット兼大事な家族として、ここ近年では魔生物を飼うのが流行している。とは言えども、今回依頼された内容を考えると、彼らはどうも群れで行動して、洗濯物を貪り食っている野生のアルパカもどきらしい。
彼らは女性の下着ばかりを狙うので、世の男性陣からはもっぱら「変態アルパカもどきめ!」と罵られている。
「いっそのこともう、こいつの背中にでも乗っちゃう?」
「ええっ? 鞍も無いのにそんな事が出来るのかって、あれっ? あの……?」
その言葉を聞いたアルパカもどきがぐいぐいっと、紺碧色の袖を噛み締めて、引っ張り始める。突然のことに困惑していると、傍らのエディが、にやりと悪そうな笑みを浮かべていた。
「ほら、やっぱり! 乗せてくれると思ったんだよなー! レイラちゃん、ちょっとごめんね?」
「へっ!? あのっ、ちょっと、エディさん!? 私はまだ別に、乗るとも何とも言ってませんけど!? って、わああっ!?」
言うが早いが、エディがこちらの両脇に手を差し込んでひょいっと、アルパカもどきの背に乗せてしまった。
「わっ、わああぁっ、ふわっふわ!! ふわっふわで気持ちが良いー! というかもうこの時点ですっごく楽しい気がしますよ、エディさん!」
「あはははっ、それは良かった! さーってっと、それじゃあ俺もこいつに乗って、」
「フエエエッ、ブエエッ!」
「そこは俺も乗せる所だろう!? くそがっ、この変態アルパカもどきめっ!」
「あー、はいはい! お二人とも落ち着いて、そうやって睨み合わないの!」
それなりに小さいアルパカもどきの背に跨りつつ、首筋をぽんぽんと叩いてやる。勿論、ふわふわとした白い毛並みに邪魔されて、何の音も出なかったが。
「アルパカもどきさん、エディさんも乗って大丈夫ですか? それとも、かなり重たいでしょうか?」
「フエエッ、フエッ、フエッフエッ」
「くっそ~! 何だよ、その、レイラちゃんに頼まれたからお前のことを渋々乗せてやるぜ! って糞生意気な顔は! やめろ! 上唇を上げて俺のことを馬鹿にするなよ!?」
「フエッ、フエッ、ブエエエッ!!」
「エディさん、アルパカもどきさんと子供みたいな喧嘩をしていないでいいから、早く私の後ろに乗って頂けませんか……?」
その言葉を聞いて、エディがはっと我に返る。我に返って、淡い琥珀色の瞳で見上げてきた。
「そうだった! 俺としたことが何と言う有様だ!! 折角のレイラちゃんとの乗馬お散歩デートだったのに!」
「いえ、業務中ですからね? 今現在こうしている間にも、私達には時給が発生していますからね? あとそれからこれは魔生物のアルパカもどきであって、馬でも何でもありませんからね」
「俺の心を冷静に折るような発言をどうもありがとう、レイラちゃん! それじゃあ後ろに失礼するよ、うんしょっと!」
意外にも可愛らしいかけ声と共に、エディがひらりと優雅に跨った。こちらの背後にきちんと収まって、当然のように腹に手を回して、嬉しそうな声を上げる。
「うっわ~!! 本当だっ! 本当にこれ、ふわっふわだ! ズボン越しでもちゃんと分かるね!?」
「でしょう!? ふわっふわで本当に気持ちが良いですよね! それじゃあ白もふさん、貴方のお仲間の所へ私達を連れてってくれませんか?」
「フエッ、フエエッ!」
「うっわ、こいつ嫌な奴だな~! 俺に話しかける時とレイラちゃんに話しかける時とで、まるっきり声のトーンが違うじゃん……!!」
「はいはい、落ち着いて下さいよ、エディさん? それでは出発しんこーうっ!」
「フエエエッ!」
二人を背に乗せて、白もふさんと一時的に名付けたアルパカもどきが歩き出す。このアルパカもどきはかつて、古代サラマンダー帝国において利用されていた家畜であり、今現在も限られた地域で荷物を運ぶ家畜として利用されている魔生物なのだ。そんな訳で魔生物のアルパカもどきは、背の高いエディとレイラを乗せても、軽やかに石畳の上を歩いてゆく。
「うっわー! 楽しい、これっ! これ楽しいですね!? エディさん!」
「ほんとほんと、楽しいよね、レイラちゃんっ! わ~! 何だか遊園地のアトラクションみたいですっごくテンションが上がるなー!」
「へいへーいっ、進め進めーっ!」
春の柔らかな風が顔に当たって、嬉しそうな笑い声を上げる。赤茶色の石畳に花々の鉢植えが垂れ下がった街並みを通り抜け、道行く人々が驚いた表情でこちらを振り返り、母親と手を繋いだ小さな子供が「ぱーっ、ぱーっ!」とおたけびを上げている。
頭上には雲一つない、美しい青空が広がっていた。胸が弾んで、後ろのエディを振り返ると、彼も機嫌良く笑っている。
「楽しいですね、エディさん! でも本当にこれで、他の子達に会えるのでしょうか?」
「大丈夫大丈夫~、こいつらはこう見えて意外と賢いし、とっくに被害が出てるってことは、ある程度腹が満たされているってことだし! 動きが鈍くなった所を一網打尽にしようか!」
意外と近かった距離にたじろいで、慌てて前を向く。腹に回されたエディの両手が熱い、それでも何とか冷静さを保って話しかける。
「そっ、それならそれでいいんですけど……あとエディさん、もう少し離れて、」
「あっ!! レイラちゃん、見えてきたよ! ほらっ! 早速、最初の一頭がさ!」
「あっ、本当だ、こっちをガン見していますね……」
こちらをじぃっと眺めてくる、仲間のアルパカもどきに向かって白もふさんが「フエッ、フエッ」と鳴き声を上げて走り寄ってみたものの。群れのボス(ここは推定)が、何やら見知らぬ人間達を乗せているぞと、訝しげな表情でくるりと背を向け、入り組んだ路地裏へと走り去ってゆく。
「あっ!! 逃げやがったぞ、あいつ! おい、白もふさん! お前、群れのリーダーなんだろ!? どうにかして捕まえろよ、あいつのことをさぁ!」
「フエッ、フエエッ」
「無茶なことを言わないであげて下さいよ、エディさん! 可哀想に、白もふさんも困っているじゃないですか!」
白もふさんが困ったようにおろおろと動揺して「フエェッ!」と鳴き声を上げ、走り去ってゆく仲間の後を追って路地裏に入ってゆく。途端にひんやりとした空気に襲われ、先程とは打って変わった雰囲気になる。何だか、悪の組織の一員を昼間に追いかけるスパイのような気持ちとなって、テンションが上がってしまった。前方には、可愛い白もふのお尻を揺らしたアルパカもどきが一頭。こいつを捕まえられるかどうかは、レイラ達二人の腕にかかっている。
背後でエディが獰猛に笑った、少なくとも私はそう感じた。
「浅はかなり、魔生物のアルパカもどきめ! よしっ、レイラちゃん、俺にしっかり捕まっててくれる?」
「一体何をするつもりですか、エディさん?」
「いや単純に、俺が魔術で投げ縄か何かを出してあいつを捕まえようかと思うんだけど、その為の気力充電には、レイラちゃんの背後からの大好きハグが必要で、」
「不要じゃないですか、そんなもの!! あと大好きハグって一体何なんですか!? 低知能なことをいきなり言わないで下さいよ!?」
エディがその言葉を聞いて、愉快そうな笑い声を上げる。
「あっははは! ごめんごめん、レイラちゃん! それじゃあ早速、あいつを捕まえようかな?」
「まったくもう、エディさんときたら! いいから早く、そんな無駄口を叩いていないであいつのことを捕まえて下さい!」
「仰せのままに、ミス・トレス」
ぼうっと、火が上がるような音が聞こえてきて、ふと振り返ってみると、エディがその手に赤々と燃え盛る炎を纏わせていた。
「さぁてっと! あいつを捕まえるのなら、とびっきり優雅にしたいよね~」
「その気持ちは何となく分かります……!!」
「あはははっ! 分かってくれてありがとう、レイラちゃん! 俺のご主人様。そんな訳でっとぉ!」
「今、何やら不穏な単語が聞こえましたが、気のせいにしておきますね……」
エディが優雅に手を振るってぼうっと、赤い薔薇の花弁を咲かせる。咲かせて、その赤い薔薇の花弁がぶわぁっと空中に舞ってゆく。その赤い花弁はぼうぼうと、炎を宿して燃え上がって、瞬く間に一つの燃え上がるドラゴンとなって、前方を走っているアルパカもどきへと襲いかかる。
「わぁっ! すごいすごいっ!! 一体、どんな術語を組み合わせたらこんな魔術が行使出来るんですか!?」
「うーんっとねぇ、それは企業秘密かなー? それにしても薔薇の花弁から炎に変わって、そこからドラゴンにしたのはちょっとやり過ぎだったような気が」
エディが微妙な顔でそう話している間にも、炎のドラゴンはアルパカもどきの首に食らい付き、ぐるりんとその姿を、深紅の首輪へと変える。深紅の首輪へ姿を変えると同時に、先程までエディの手から放出されていた炎が、深紅のリードへと変わった。
「ああ、なるほど。それがエディさんの狙いだったんですね……」
「そうそう、あらかじめまどろっこしく縄を出して駆けながら、ハンティングするよりかは、よっぽど効率的だろう? 何せ俺達には魔術があるからね、縄自体が動いてドラゴンになって、こいつを捕まえる方が良いと思って」
エディがレイラをアルパカもどきの背から下ろしつつ、にこやかな笑顔でそう説明してくれた。やたらと心臓が騒がしくなってしまうのは、ここがひんやりとした空気が漂う路地裏だからか。それとも先程から、やたらと距離が近いからか。それらのときめきにがっつりと蓋をして、むっつりとした表情のアルパカもどきを見上げる。
「さぁ、元の場所に戻りましょうか、アルパカもどきさん! 駄目ですよ? 人の洗濯物を齧っては!」
「フエエエッ、フエッフエッ」
「こいつ、あからさまに嬉しそうな顔をしやがって……!! レイラちゃん、俺にも何かご褒美をくれないかな?」
「それなら後で十分間無視してあげますよ、エディさん?」
つんと澄ました顔で言ってみると、エディが不思議そうな表情で首を傾げる。
「それってはたしてご褒美なのかな、レイラちゃん? どうせならもう少し踏んだり蹴ったりって、あだっ!?」
「いい加減にして下さいよ、この変態悪魔め! いいから口答えをしないで、残りのアルパカもどきを探しに行きますよ!?」
「はい、レイラちゃん! この俺が君の為に全てのアルパカもどきを捕まえてみせますよ、俺だけの花の女神」
「やたらと嬉しそうにしないで下さいよ、エディさんはまったくもう……」
優雅な所作で胸に手を当てて、エディが妖艶に笑う。エディのずるい所はそんな芝居がかった仕草をしても、恐ろしく様になる所だった。くるりと背を向けて腕を伸ばすと、それまで気取っていたエディが慌てて、こちらの脇に両手を差し込んで、アルパカもどきの背に乗せてくれる。
「……さてと! それではエディさん? 次のアルパカもどきはどうか、この私に任せて貰えませんか?」
「レイラちゃん! いたよ、あいつだ! 三頭目のアルパカもどきだよ!?」
「私にも見えていますよ、エディさん! さぁ、どう調理してやりましょうかね?」
「格好良いレイラちゃんも好きっ! 俺と結婚して欲しい!」
「あの、もしもしエディさん? 私の気が散るようなことを叫ぶの、やめて貰えませんか?」
「あっ、す、すみませんでした……」
うろたえるエディを無視して、前方の獲物をきっと睨みつける。ここは首都リオルネの街並みと、そびえ立つクラシカルな時計台が見える高台で、広場には白と青のモザイクタイルが敷き詰められていた。そんな広場で魔生物のアルパカもどきが、こちらを警戒して見つめている。彼もしくは彼女の逃げ場は無い、レイラ達が広場の出入り口に佇んでいるからだ。
自分の指先に魔力を集中させてぱきぱきと、紫水晶の欠片のような魔力を咲かせる。それを見て、背後のエディが息を飲んだ。そう言えば、彼の前で魔術を使うのはこれが初めてかもしれない。大抵はエディが魔術を使って問題を片付けてしまうし、私も私で、魔術を使う時はエディがいない時だから。
人によって魔力の形は違う。エディとアーノルドは自然系統に分類されている炎と光の形で、私は鉱石系統に分類されている紫水晶だった。中には指先からごろごろと、砂利を放出しているようにしか見えない人もいるそうなので、美しい紫水晶で良かったと心底そう思う。
「それではっと! 私もちょっと、エディさんのやり方を真似てみましょうかね?」
「術語、教えてあげよっか? 今ならその、周りに人もいないし」
その申し出に眉を顰めて、首を横に振る。どうにも彼は過保護だ。
「結構ですよ、エディさん? 私だって三等級国家魔術師なんです。エディさんとアーノルド様のような、一等級国家魔術師様には到底及びませんけどね!」
先程思いついた、素晴らしい術語の組み合わせを脳内で唱えつつ話す。それまで白い指先を覆っていた紫水晶がしゅるりと、優雅な紫色の花弁に姿を変えた。姿を変えて、ぶわぁっと紫色の花弁が舞い上がって、辺りに散ってゆく。
「へぇ~! すごいね、レイラちゃん! 菫の花弁であいつを捕まえるのか! 是非とも俺のこともそうやって捕まえて欲しいですって、あだっ!?」
「いちいち変態発言をしないで下さいよ!? この手に負えない変態悪魔め!」
「うっ、可愛い! レイラちゃんからの頭突きって、本当に堪らないな……!!」
エディが自分の顎を手で押さえて、恍惚と呟く。そんな変態発言を聞いて背筋がぞっとしてしまい、慌てて前を向いた。
「嫌だ、もう、どうか新しい世界への扉を開かないでいて欲しいです……」
「ごめんね、レイラちゃん 俺としてもこの辺りはちょっと、その、受け入れがたい部分として最近湧き上がってきているんだよね……」
「物凄く重みのある変態発言だった! あっ、ほらほらっ、見て下さいよ、エディさん!」
その発言を聞かなかったことにして、前を指差す。空中に舞っていた紫色の花弁がアルパカもどきに襲いかかり、白い毛皮を埋め尽くしていた。
「なになに? わーお、素晴らしい眺めだね! いいなぁ、俺、アルパカもどきがすごく羨ましいよ。少なくとも逃げたら、レイラちゃんに追いかけて貰えるからさ……」
「エディさんが万引きか何かをしたら、私も喜んで追いかけるんですけどね」
「それって何の意味もないやつじゃん、レイラちゃん……」
襲いかかった後それらは、先程と同じく白い首に巻きついて、紫色の首輪へと変化する。濃い紫色のリードが手の中に現れた。ついでに、色とりどりの花々をぼふんと咲かせてみる。白いマーガレットに、淡いピンク色の薔薇と黄色い百合が咲き乱れ、それを見たエディが歓声を上げる。
「すごいや、レイラちゃん! 俺ではとても、こんな風には出来ないなぁ!」
「ふっふっふー、綺麗でしょう? どうせ捕まえるのなら優雅に、とびきり美しくしたいと、そう思ってですねぇ~って、おわっ!? え、エディさん!?」
「可愛い、可愛いよ、レイラちゃん! 好きっ!」
エディが後ろから抱きついてきて、ぎゅうっと抱き締められる。白もふさんが不満そうに鼻を鳴らし、リードに繫がれているアルパカもどきも、冷めた表情で見つめてきた。あまりにもぎゅうぎゅうと抱き締められ、困惑してしまう。
(変なの。まるで、エディさんが私に恋をしてるみたい)
そう、未だにエディの好意が信じられない。彼が時折、酷く冷たい目で私のことを見下ろしてくるから。夏の宵闇がくらりと展開されるかのように、彼の淡い琥珀色の瞳は翳って、こちらを見下ろしてくる。その仄暗い眼差しに、何かとんでもない怪物が潜んでいるような気がして、その度に背筋がぞっとしてしまうのだ。
(聞けばいいのかもしれないけど、そんなこと)
到底聞けない。もしかすると、ただの勘違いかもしれない。初対面でプロポーズしてきた“火炎の悪魔”のことを考える度に、胸がざわついた。それは恋愛特有の甘やかさではなく、暗雲が立ち込める不吉な騒がしさで。ひとまずエディの腕から抜け出そうと考え、もがいて声を上げる。
「やめて下さいよ、エディさん! 速やかに放さないと、この後のお昼ご飯はアーノルド様と一緒に食べに行きますからね!?」
「わー! ごめんよ、レイラちゃん!? 今すぐ放すから、俺と一緒にお昼ご飯を食べに行こうよ!? とは言えどもこいつら全員、捕まえてからだけど……」
エディが深い溜め息を吐くと、目の前に立っているアルパカもどきが首をぶんぶんと振った。
「ブエエッ、ブエッ、ブエエエッ」
「ん? どうにも、あと他にお仲間はいないようですよ。エディさん?」
「本当だ、首を激しく横に振っているね……それならそれで、こいつらを魔術でどこか遠くの森に飛ばしたあと、二人でピクニックにでも行かない?」
「そうですね、エディさん。お天気も良いし、どこかの公園で一緒に食べましょうか!」
「わーっ! レイラちゃん、どこにする!? どこで食べようか!?」
「そう言うなり、もう走っているじゃないですかー! って、エディさーん? 全速力で走ると転んじゃいますよー?」
「平気、平気ー! こっちの方に良い木陰があるんだよねー!」
エディがまるで子犬か子供のように、芝生の丘を走り抜けて、その鮮やかな赤髪を遠くの方で揺らしていた。それを見て苦笑し、パンが沢山詰まった紙袋を抱えて、ゆっくりと歩いて後を追う。陽射しが目に眩しい、爽やかな青空が広がっている。公園の芝生と合わさって、酷く穏やかな光景だった。
遠くの方には笑顔で手を振っているエディがいて、それを見て笑って振り返す。なだらかな芝生の丘の向こうには木々が植わっていて、ざぁっと爽やかな風に吹かれて揺れていた。エディがそんな木々の下でピクニックシートを取り出し、せっせと真剣な顔つきで敷いている。
「魔術で出したのかな……って、ああっ! ガイルさんが黒いもふもふ姿になってる!? これは速やかに、もふもふしに行かねばっ!」
焦って芝生の丘を駆け抜けると、風が吹いて黒髪が舞い上がる。
「あれっ? レイラちゃーん? 別にそんなに慌てなくても、俺一人で十分設置出来て、」
「レイラ嬢は俺の体が目当てなんだろ、エディ坊や もふもふさせてやると、随分前にそう約束していたからなぁ」
「えーっ!? いいなぁ、ずるい、ずるい!! ガイル、俺もお前のことをもふってもいいか!?」
「はっ? エディ坊や、お前はもうそんな子犬じゃあるまいし……」
「子犬じゃなくても俺達人間は、お前らもふもふのお腹に顔をぼふんと埋めて、その毛皮を堪能したいもんなの! 俺の言っている意味が分かるか!?」
「分かるが、理解する気はあんまりない」
「っは、はぁっ、ガイルさーんっ! きゃーっ!! もふもふーっ!」
思わず紙袋を放り投げて飛びつくと、エディが慌ててそれを受け止めて、こちらを振り向く。
「れっ、レイラちゃん!? パンが、パンがっ! あと羨ましいっ! 俺のこともそうやって抱き締めて欲しいです!!」
「落ち着けよ、エディ坊やにレイラ嬢も……はーあ、まったく。お前らときたらいつまでも手のかかる、子犬のような存在だな。まるで」
思いっきり黒い毛皮に顔を埋めていると、ガイルが呆れた様子で溜め息を吐いていた。でも、黒い尻尾がぶんぶんと激しく揺れていて、笑ってしまう。初めて見たが、かなり大きい。こんなサイズの黒い狼が現れたら、辺りはパニックに陥るんじゃないかと思う程に大きくて、ふわっふわの手触りだ。
「レイラちゃん!? 俺は!? 俺のことは!?」
「さっき無断で私に抱きついたでしょうが、エディさんはっ!」
「エディ坊やはそんなことをしていたのか? 悪いな、レイラ嬢。息子のしつけがなっていなくて」
「息子!? 息子なんですか、エディさんは!?」
「ガイル的にはそうらしいよ? 何か……まぁ元々、ガイルは俺が契約している人外者じゃないし」
「あれっ? そうなんですか? へー、知りませんでした……」
驚いて振り返ってみると、エディが紙袋を抱えて、ちょっとだけしまったなという顔を見せる。あまり踏み込まれたくないことなのだろうか、と思って咄嗟に口を噤んだ。
「ほら、エディ坊や? 飲み物は買ってきたのか?」
「買ってきた、買ってきた。漏れないように魔術をかけて……あったあった。ほらっ、レモネードとカシスソーダが! お前もちょっと飲むか?」
エディがストロー付きのドリンクカップを持って首を傾げると、ガイルが渋い顔つきで、ふるふると首を振る。
「俺は山羊ミルクがいい。しゅわしゅわしたやつはあんまり好きじゃない」
「えーっ? それならそれで、今度私が買ってきてあげますよ! ガイルさん」
「俺は!? レイラちゃん、俺の分は!?」
「エディさんは自分の分があるでしょうが! 無かったら、どっかそこら辺で雨水でも何でも飲んだらどうですか?」
「相変わらず辛辣なこと、この上ないな。レイラ嬢は……」
「俺悲しい、悲しいよ、レイラちゃん! でもそんな君も好きだよ、俺と結婚してくれる!?」
「しません。さぁ! お腹もぺこぺこだし、お昼ご飯を食べましょうか!」
靴を脱いでピクニックシートの上に座り、がさがさと紙袋の中を漁る。
「はいっ、レイラちゃんのこれっ! 海老フライと檸檬のバケットサンドイッチ!」
「ありがとうございます! わ~、すっごく美味しそう~」
「ねー、それ、すっごく美味しそうだよねー! 俺はこの、スモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンド! あと葡萄パンに蜂蜜とチーズの丸パン、クロワッサンにチョコドーナッツとアップルパイと、」
「ぐふっ、そんなに買っていらんれふか!?」
早速サンドイッチを頬張りながら聞いてみると、向かいに座ったエディが、不思議そうな顔で首を傾げる。
「うん。そうだよ? 今日は何かと走り回って疲れたし」
「栄養面も考えろよ、エディ坊や?」
ガイルが寝そべりつつ、体を起こして話しかけてくる。少しだけパンが欲しいのか、その目はエディの持っているパンに釘付けだった。爽やかな檸檬の風味と海老フライの、ぷりぷりと弾けるような食感を楽しみつつ、そんなガイルに話しかけてみる。
「むふん、ガイルひゃん、わらひのサンドイッチ、んぐ、いりまふか?」
「いや、いい。俺に玉葱は毒だからな……」
「こう見えてもガイル、基本的に犬と一緒なんだよね~。折角だから、俺がレイラちゃんのを貰いたいですっ!」
「嫌です、駄目です! ガイルさん、これを食べ終わったら、もふもふを、んぐ、してもいいれすか!?」
「いいよ、いいからちょっと落ち着けよ、レイラ嬢? 別に俺はどこにも行ったりしないからさ?」
ガイルが苦笑して、黒い尻尾をふんわりと穏やかに振って、見上げてくる。
(かっ、可愛い! 好き~! 後でもふもふさせてもーらおうっと! ふふふっ)
ふんわりとした、極上の毛皮を持つ彼に見惚れていると、エディが不満そうに鼻を鳴らしてクロワッサンを頬張っていた。ぱらぱらと、クロワッサンの欠片が白いシャツに零れ落ちていたので、それを見て思わず笑ってしまう。
「ふわ~! もっふもふ! 幸せー! 食後のガイルさんもふもふ、幸せー!」
「はーっ、俺もほんっとうに久々! ガイルのお腹をもふもふするのーっ!」
「エディ坊や、お前はもう、子犬でも何でもないからなぁ……」
ふにゃりと頬を緩めて笑って、ガイルの黒いお腹に顔を埋めて寝転がっていた。そのすぐ隣にはエディもいる。彼も無邪気な笑顔で、ふわふわとした黒い毛並みに顔を埋めていた。
「ふわっふわ~、しやわせなふわっふわ~!」
「レイラ嬢? 俺の腹の上で眠るなよ? おい、エディ坊や?」
「ふわ~、もっふもふだなぁ、相変わらず! ちょっと眠たくなってきたかもしんない、俺……ふあぁぁ」
エディが隣で大きく欠伸をして、それを見てまた笑ってしまう。ああ、エディといるとこんなにも毎日が楽しい。
(ずっとずっと、こうやって生きて行けたら。それはどんなに……)
どんなに楽しくて、幸福なのだろうか? それでもアーノルドと結婚しなくては。誰もがそう望んでいるから。
(ああ、嫌だなぁ。こうやってずっとずっと、なんにも考えずに仕事が出来たらそれはどんなに)
その先を考えるのはやめて、ガイルの黒い毛皮に指を埋め、そっと目を閉じる。お腹も檸檬と海老フライのサンドイッチで満たされていて、枝葉がさやさやと揺れ動いていて気持ちいい。全部揃っている。エディがふと手を伸ばして、私の手を握り締めた。つられてそちらを見てみると、エディの淡い琥珀色の瞳が甘く蕩ける。
「楽しいね、レイラちゃん。どう? 俺と一緒にいてレイラちゃんは落ち着く?」
「……落ち着くけど、だからと言ってエディさんのことを好きになる訳じゃありませんからね?」
「え~、そんなぁ、淋しいなぁ~」
「ふふふふっ、さぁ、ほらっ! もうそろそろ休憩も終わりますし、仕事に戻りましょうか!」




