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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
18/122

14.賑やかな昼食とレイラ嬢の秘密

 





「それで? レイラちゃんはエディ君とあれからどうなったの? いつも通り、二人で仕事しているだけなの?」




 おもむろにミリーからそう尋ねられ、思わず吹き出しそうになってしまった。駄目だ。今飲んでいるオレンジジュースは、搾り立てで中々に美味しいのだ。センターの食堂にてレイラはミリー、そして何と今日はマーカスとトムとジェラルド、おまけにライとアランと一緒に座って、昼食を摂っていた。



 ミリーのバディである女好きのジーンは、可愛らしい女の子数人に誘われて昼食を食べに行ったらしく、珍しくここには参加していない。同じくジェラルドのバディであるエマも、男性数人と昼食を食べに行ったらしく、ジェラルドは遠い目をしてその後ろ姿を見送っていた。



 無理も無い、彼女の男性問題の後処理をするのはジェラルドなのだから。レイラはミリーからそっと目を背け、手に持ったストローでひたすらジュースをかき混ぜていた。何故ならついうっかり、思い出してしまったからだ。



 エディに先日キスされたことを。



(わああああああ!! 出来ることならこのまま忘れていたかったよ、ミリーさん! ああ、どうしよう、いや、あれはうっかりしていて事故みたいなものだし、何よりも眠かったんだもん! 絹羊の魔術のせいで!)



 そこまでを考えた瞬間「可哀想に、レイラちゃん。君はいつか絶対に俺のことが好きになるよ」と、あの時の甘い声が脳裏に蘇ってきて。



(っならない! 私は絶対に貴方のことなんて好きにならないから! ああっ、もう! あんな変態悪魔のことなんて考えるだけ無駄無駄! 今はこの美味しいお昼ご飯に集中していよう、そうしていよう……)



 本日の昼食は白身魚のフライとセロリのタルタルソースサンドイッチと、コーンクリームスープと人参のグラッセである。ざっくりとした薄い衣の白身魚のフライに、濃厚なタルタルソースがよく合っている。しかしどうにも私は、そんな美味しい昼食を心ゆくまで堪能出来ないらしい。



 何故かって目の前には、先程から尋問したがっている様子のミリーとアラン、マーカスとトム。それに加えて、心配そうにこちらを見つめてくる、壮年のライ・ロチェスターが並んでいるからだ。彼はバディであるアランの暴走を止める為に同席しているのか、先程からしきりにこちらを見て、申し訳なさそうな顔をしている。そんな顔をしていると、一気に優しそうな人に見えるので、ほっこりしてしまった。



「お待たせー! レイラちゃん、誰かにいじめられたりしなかった? それとも、俺がいなくて淋しかった?」

「そのどちらも当てはまりませんよ、エディさん? 貴方はまたそんなに注文をしてきて」



 エディがトレイを持ったまま椅子を引いて、くちびるを尖らせる。



「だって、お腹が空いたんだもーん。レイラちゃんも何か一ついる? 君の好きなオレンジと胡桃のパンが只今焼き立てですって、お姉さんに教えて貰ったから、念の為に注文してきたよ? 一つぐらいいる?」

「……それじゃあ、一個だけ貰います。その分のお金は後で、アーノルド様にでも請求しておいて下さい」

「そういうことなら喜んで請求しておくよ、レイラちゃん。どうやら君は、俺に奢られたくないみたいだからね?」

「エディさんに貸しを作りたくないんですよ、何かと面倒だから。貸し借り無しで」

「冷たい!! でも、そんなレイラちゃんも好きっ! 俺と今すぐに結婚して!?」

「しません。というか人前でプロポーズしてこないで欲しい……」



 彼は今日も今日とて、変わらない。周囲にいる人々もすっかり慣れたらしく、エディがレイラの隣に座ると口々に話しかけてきた。



「いよう、エディ君! 君も君で本当に相変わらずだな~。何それ? そんな量、本当に食べ切れんの?」

「ジェラルドさん、食べ切れますよ? 俺ってこの通り、燃費が恐ろしく悪いので」

「わ~、本当に葡萄パンを毎日食べているんだね! レイラちゃんから目の色だから食べているって聞いたけど、それって本当なの?」

「アラン、口元にソースが付いているぞ? あと、ジュースが零れそうになってるから……!!」



 慌てたライがアランを止める。アランがその言葉を聞いて、パイナップルジュースを持ち直し、照れ臭そうな微笑みを浮かべてライを見上げていた。



「なぁなぁ! エディ君! あれから一体どうなの? その、レイラ嬢との関係は?」

「それは俺も気になるっすよ、エディ君! 二人の関係性に何か進展は!?」

「えっ!? あの、マーカスさんにトムさん、私は目の前にいるんですけど、どうしてそんな質問を、」

「いや~、残念ながらとことん無いですね! 俺はせめてお休みの日にぐらい、彼女とデートがしたいんですけど。そんなことを提案しようものなら、足のすねを蹴り飛ばされて無視されて終わりですね、はい!」

「え、エディさん……!!」



 向かいに座っているミリーがグラタンのマカロニを掬い上げ、蜂蜜色の瞳を丸くする。



「うわ~、そんなことまでされているんだ? 私だったら心が折れちゃいそう。どこからどう見ても脈無しなのに、エディ君はどうして頑張れるの?」

「ミリーさん!? 俺はたった今、貴女の言葉で心が折れそうなんですけど!?」

「えっ!? あっ、ごめんね? エディ君の心を折る気は無かったのよ? ただどうしてかなぁって、単純にふと思ったから」

「ミリーさん。それ、エディ君の心に追い討ちをかけていますよ? それで? レイラ嬢としてはどうなの? エディ君を恋愛対象として見たことって、今まで一度たりとも無いの?」

「じ、ジェラルドさんもジェラルドさんで、相変わらず言葉を飾らない人ですよね~っと……」



 ジェラルドの紫色の瞳に射抜かれ、そっと顔を背ける。隣に座ったエディが期待に満ちた、きらきらとした淡い琥珀色の瞳で見つめてきた。



「いや、だってさ? エディ君にときめいたりしないのかなって。ミリーさんじゃないけど、ふと疑問に思ってさ? それでどうなの? レイラ嬢は今まで一度も、エディ君にときめいたりなんかしてないの?」

「っう、いや、あの、それはですね……」



 ジェラルドは何も悪い人ではないのだが、どうにも言い方に棘がある。幼馴染のエマから言わせてみると、彼も彼で中々に繊細な人で言い過ぎたかもしれないと、自己嫌悪に陥っていたりするそうなのだが、全然そういう風には見えない。ただ彼も彼で、優しい人であるということは理解している。彼はこう見えて、よく人の相談に乗ってくれるのだ。



「ときめいた!? 俺にちょっとぐらい、ときめいてくれた!? ねぇ、レイラちゃん!?」

「あーっ、もうっ! うるさい! こっちを振り返らないで下さいよ、鬱陶しい!」

「ひ、酷い! 俺はいつだって、君のことを見つめていたいのに何でどうして……!!」

「あっ、流石のエディさんもダメージを受けているね……」

「アラン。こういう時は、そっとしておいてあげた方が良いのではないかと……あとそれから、レイラ嬢もレイラ嬢で、その、私のようなおじさんがこんな事に口を出すのは余計なお世話かもしれないが。その、もう少し表現を柔らかくした方がいいんじゃないかなって」



 怖々と気遣わしげに見つめられて、流石の私も言葉に詰まる。彼に注意をされて、嬉しい人間など存在しない。誰だって、善人からの優しい批判にぐっと心を痛めて、嫌われたくないと思うものだ。



「それもそうですよね……正しくライさんの言う通りです。申し訳ありません、エディさん。今のは流石に言い過ぎでした」

「俺の方こそごめんね、レイラちゃん!? そんな風に悲しそうな顔をしないで!? 今のは俺が全部悪かったから! 俺も俺で実はさり気なく、レイラちゃんの罵倒に興奮しているからそんな風に気にしなくっても、」

「エディさんはもう少し気にして下さいよ!? あと、いちいち私の手を握ってこないで下さい、鬱陶しい! ていっ!」

「あだっ!?」

「れ、レイラ嬢……」

「何かライさんのフォローも台無しにしていくって感じっすね、エディ君もレイラ嬢も」

「まぁ、賑やかでいいんじゃない? トム君、ここに何か付いているわよ?」



 そんなやり取りを見つめて、溜め息を吐いたトムに、ミリーがとんとんと自分の頬を叩いて笑う。



「あっと、しまったな。トマトパスタにしなきゃ良かったな~……」

「ほい、トム。紙ナプキン。あとお前、昨日もそう言ってたから。それなのに何で今日も頼んだんだよ?」

「ありがとう、マーカス。いやだってさぁ、この完熟トマトと粗引き肉が美味しくってもう! あと、俺の好きなオリーブオイルとヒヨコ豆がたっぷり入ってるから!」

「まぁ、その気持ちは分かるけどな~。ヒヨコ豆がほくほくしてて美味しいよな~」

「分かる、それな。どーせ明日もまた頼むんだろうな、俺」



 もごもごと、エディが隣で葡萄パンを頬張っている。あと他には、私が前に頼んでいた鴨肉ハンバーグと鮭のクリームパスタ、山盛りにされたフライドポテトとハーブ野菜のサラダ、それに人参のポタージュとブルーベリータルトを頼んでいた。一番目を引くのは、木籠に盛られたふわふわの葡萄パンと、胡桃とオレンジのパンだろうか。大量のパンを見て慄いていると、エディがそれに気が付いて、パンを手渡してくれる。



「はい、どうぞ、レイラちゃん? さっきあげるって約束していた胡桃パンだよ?」

「いやあの、今のは催促でも何でも無かったんですが……まぁいいや。折角なので頂きますね?」

「うん。レイラちゃんが美味しく食べてくれると、俺も嬉しいよ?」



 にっこりと甘く微笑みかけられて、何故だかその微笑みに、心臓がうぐっとなってしまう。いつもそうだった。何気なく向けられた微笑みや愛情に、どうしてだかもどかしい気持ちになってしまう。照れるという訳ではないし、物凄く胸がときめくとかでもない。それなのに、胸が詰まって上手く息が出来ないみたいな。



「そんな様子を見ていると、脈無しじゃないような気がするんだけどなぁ……レイラ嬢?」

「は、はははは……ジェラルドさんは一体、何を仰っているやら何やら」

「滅茶苦茶動揺してんじゃん、レイラ嬢……あれなの? もしかして、エディ君が理想のタイプだったりとかして?」



 ひえっと、悲鳴を漏らさずに済んだのは、ただの幸運と奇跡だった。ごくりと人参のグラッセを飲み込んで、そっと厳かに首を振る。



「い、いいえ? 私の好きなタイプはどちらかと言えば、そう。ジェラルドさんですね……」

「何でここでそいつにしたの!? ねぇ!? レイラちゃん!? そこはアホノルドか俺って場面じゃなかった!  俺もう、これ以上ライバルが増えるのはこりごりなんだけど!? 流石に嫉妬で身が持たない!」



 エディが立ち上がって騒いでいるのを見て、向かいに座ったミリーが困ったように笑う。



「うわぁ、物凄く手強い~……エディ君、可哀想」

「俺も同感っすよ、ミリーさん……レイラ嬢はえぐいなぁ、もう」

「うん。本当、それな……俺がもし好きな女の子からこんな扱いを受けたら、普通に仕事行けなくなるんだけどな~」



 その言葉を聞きつけ、口元にパンの欠片を付けたアランが首を傾げる。



「エディさんのことだから、すぐに立ち直っちゃうんじゃないのかな? レイラちゃんの顔が見れなくなるよりましーって言って、寝台からずるずる~って這い上がってきそうだよ?」

「うわ、リアルに想像してしまった、今……とんだホラーだよ、それ」

「でも、しそうではあるよな……あとジェラルド君? それってどういう顔色なんすかね?」

「ジェラルド君。私がその、水のお代わりでも持ってこようか……?」

「大丈夫です、ライさん。ちょっと、その、酷く驚いてしまっただけですから……」



 攻撃こそが最大の防御なり、とは何と素晴らしい響きなのだろうか? ふふんと勝ち誇って、顔色が悪いジェラルドを見つめていると、エディがぐっと、葡萄パンを強く引き裂いていた。ジェラルドの顔色が悪いのは勿論、エディが嫉妬全開で歯軋りをしているからである。



「いや、ほらね? 私も私で、ご本人が目の前にいるのに、そのことを言うつもりは無かったんですよ~。でも、ほら? あんまりにも聞かれるものだからここは一つ、お教えした方が良いのかな~と思いまして」

「レイラ嬢……あの、俺がもう、本当に悪かったから勘弁して欲しいです……」



 ジェラルドがぼそぼそと呟いて謝ると、エディが朗らかな声を出しつつ、手の中の葡萄パンをぎゅっと握り潰す。



「いいなぁ~、ジェラルドさん! 俺は嘘でもレイラちゃんから、そんな風に言って貰ったことがないのにいいなぁ~……いいなぁ」

「エディ君、それ、完全に目が笑ってなくて怖いから……あとこれ、俺に対する嫌がらせだからね!? レイラ嬢もレイラ嬢で笑ってないで、何とか言ってくれよ!!」

「ジェラルドさんがもう一度謝ってくれたら、三日後にエディさんの誤解を解きます!」

「三日後なんだ? それまで果たして、ジェラルド君が生きているかどうか」

「マーカス君。不吉なことを言うのはやめてくれよ……今のこの状況だとそれ、全く笑えない冗談になるからさ」



 彼も反省しているようなので「嘘ですよ、仕返しですよ」と伝えてみると、エディがほっとした様子で葡萄パンを頬張り始める。しかし私には、誰にも言ったことがない秘密が存在していた。



「むわ、レイラひゃんもこれ、俺ら貰ったやひゅ、はべる? んぐ、食べる?」

「いや、いいです。遠慮しておきます……私はついさっき、お昼ご飯を食べたばかりなんで。というか、エディさんもエディさんでよくそんなに入りますね」

「いや、折角貰ったものらからっへ、そうおもっへ、いっはい食べているさいひゅ、最中……」



 この戦争の英雄“火炎の悪魔”は近頃、リオルネ都民の間で皆の息子的存在になってきていた。どこからかエディが常にお腹を空かせていると聞いて、皆さんが(主に中年女性の皆さんが)、彼にクッキーだの手作りマフィンだの何だの、果てにはこれしかなくてごめんねと言って、鍋ごと渡してくるのだ。勿論、流石の彼もそれは丁重に断っていた。



 今現在も一仕事終え、公園のベンチに座って、チョコエクレアを食べている最中である。つい先程いらないと言ったものの、甘い香りにつられてそれが欲しくなってしまう。



「エディさん。私もやっぱり、その、ちょっとだけ貰ってもいいですか……?」

「どうぞどうぞ! どれも美味しいよー、レイラちゃんはどれにする?」



 エディがぱっと明るい笑顔となって、手に持っていたエクレアを全部口に入れて頬張りつつ、がさごそと白い箱を探り始めた。



「いや、あの、自分で取りますよ?」

「はいどうぞ、レイラちゃん! エクレアと苺シュークリーム、どっちにする?」



 お茶目に二つ取り出して笑ったエディに、またしても心臓がうぐっとなってしまった。そう、本当は。



(本当はエディさんが、理想のタイプなんだよなぁ……)



 その淡い琥珀色の瞳も、長く鮮やかな赤髪も。シナモンのように甘くて、癖のある低い声も何もかも。その逞しい筋肉質の体だって。



(まずい。考えるのやめよう、そうしよう)



 笑顔のエディからエクレアを受け取って、ひたすらもぐもぐと食べる。春らしい麗らかな天気だった。頬に当たる風は柔らかで心地良く、芝生と女神像の噴水が美しいこの公園には誰もいない。正真正銘、エディと二人きりだった。



(いやいやいや……考えるのやめようと思っていた所なのに! だってそうでもしないと、あの時のキスだとか全部思い出しっ)



「れ、レイラちゃん!? 一体どうしたの!? お腹でも突然痛くなっちゃった!?」

「ぐっ、何でもありません……!! たった今、己の不甲斐なさに打ちのめされているだけです……」



 思わずエクレアを握り締めたまま、体を折り曲げる。この手にエクレアを持っていなければ、両手で顔を覆っていたに違いない。



「だ、大丈夫? 本当にお腹が痛いとか、そんなのじゃない?」

「大丈夫です……すみません。つい、うっかり取り乱してしまって」



 心配したエディが、背中に優しく手を添えてくれる。その手の温度にまた、何かを思い出しそうになってしまった。少々焦りながらも、元の体勢に戻ろうとしたその時。



「何だろう? この鎖はネックレス? かな」

「っああ、それはですね、その……」



 不意にエディが首から、そっと鎖を持ち上げる。それは亡き両親と私の三人で撮った写真が入っている、ロケットペンダントだった。



「いつもはその、ちゃんと隠しているんですけどね……」

「ふぅん。……それってさ、もしかしてさ、あいつとのお揃いだったりしない?」



 エディに引き出されたロケットペンダントを隠していると、唐突にそんなことを聞かれてしまった。



(ま、まさか、そんな勘違いをされるとは思いもよらなかったなぁ……)



「……いいえ? 違いますよ? これはですね、」

「やっぱりあいつとのお揃いネックレスなんだ!? まさかこの間のみたいに!?」

「ああ、そういえばそんなこともありましたね」



 激しく動揺するエディをよそに、レイラが物憂げに顔を伏せる。今まで誰かに話そうだなんて。そんなことはただの一度も思ったことが無かった。



「これはその、私の亡き両親と三人で撮った家族写真です。その写真が入ったロケットペンダントで、」

「本当に!? 嘘じゃない!? 俺の目を見てちゃんと言える!?」

「いっ、言えますけど?」

「それじゃあその写真、俺に見せてくれない? それともあれかな? 実はあいつの写真が入っていて、レイラちゃんはそれを肌身離さず持ち歩いて付けているとか、そんな感じの愛のネックレスなのかな!? ねえ!?」

「ちょっ、ちょっと落ち着いて下さいよ、エディさん! そんなに揺さぶらないで欲しいんですけど……!?」



 がくがくと肩を揺さぶられつつ、エディを宥める。まさかここまで疑われるとは。そして彼は私のことになると、余裕がすっかり無くなってしまうらしい。



「そんなに疑うのならお見せしますよ、まったくもう」

「いや、だってこの間の件もあるし、またレイラちゃんがあいつとのお揃いペンダントでもして、もしかして、あいつの写真を常に持ち歩いているのかなって……」

(すっかりトラウマになっているんだな……)



 確かにあれは、アーノルドが陰湿だった。我が婚約者殿は基本的に意地が悪い。お揃いの格好で出勤したこと自体すっかり忘れていたのだが、どうも彼にとっては、衝撃的な出来事だったらしい。



「はい、どうぞ。中を開けて確かめてみてもいいですよ。とは言っても、ただの家族写真なんですけどね……」

「ごめんね、レイラちゃん。ありがとう。俺は基本的に毎日あいつから嫌がらせを受けているからさぁ、もう、何もかも信じられない気持ちで一杯なんだよね……」

(相当傷が深いな……)



 もぐもぐとチョコエクレアを頬張りながら、エディが慎重な手つきで、それを開いて確かめるのを見つめていた。ちょっと青ざめている。青ざめていて、不安で一杯の表情だった。



(そんな、魔術のびっくり箱じゃあるまいし)



 ロケットペンダントを開いたエディが、淡い琥珀色の瞳を綺麗に瞠る。私はそれをただ、静かに眺めていた。



「はーっ! 良かった! 本当にアホノルドの写真じゃなかったー! 良かったぁー!」

「まずはそんな感想なんだ? ……ほらね? だから言ったでしょう?」

「うん! 本当にそうだったね! ごめんね、レイラちゃん? 可愛い君の言葉を疑ってしまって……素敵な笑顔のご両親だね? この時のレイラちゃんってさ、いくつだったの?」



 エディがほっとして、嬉しそうな笑顔で尋ねてきた。手に持っていたエクレアを口に放り投げつつ、慎重にペンダントを覗き込む。そこには記憶の中にある通りの、優しい笑顔を浮かべたエドモンとメルーディスが映っていた。その綺麗に着飾った二人の間で、当時四歳だった私が、少しだけ緊張して佇んでいる。



 そうだ。私はこの時、どうしても上手く笑えなかったのだ。緊張してしまって。確かハーヴェイが自分のカメラを持ってきて、お父様とお母様との写真を撮ってあげようと言ってくれたのだ。ああ、この時はまだ想像していなかった。



 こんな悲劇が起きて、私がお父様とお母様を殺してしまうだなんて────……。



「っこれは、私が四歳だった時の写真ですね……すみません、ちょっと、その、涙が出てきてしまって」



 慌てて涙を指で拭うと、エディがぽんぽんと、優しく頭を撫でてくれた。その温かい手のひらに撫でられつつ、深く息を吸い込むと、ようやく素直に泣けるような気がした。その仕草はまるで、無理に涙を抑えなくていいと、そう言っているみたいだったから。



「本当にごめんなさい。あれからもう、十年以上も経つのに……」

「当然だよ、それは。……そう簡単に癒えるもんじゃないだろ?」



 静かな声だった。それは優しくも温かくもなかったけど、私の悲しみを汲み上げて、理解してくれている。そんなことを感じさせるような、静かで余計なものが入っていない声だった。エディがそっと、私の手を握り締める。



「ごめんね、辛いことを思い出させてしまって……でも、このお父さんとレイラちゃん、本当にそっくりだね?」

「そうでしょう? お父様の髪が長いから余計にそっくりで」



 優しく微笑んでくれたエディに対して、自然と微笑みを返すことが出来た。口角が上がって、少しだけ明るい気持ちになれる。涙はもう完全に止まっていた。



「だから、あれかな? レイラちゃんはお父さんの代わりにされているのかな?」



 ひゅっと、息を飲み込んだ。心臓が止まるかと思った。本当にお天気の話をするみたいにエディは、こちらの痛い所を突いてくる。



「っどうして、急にそんなことを言ってくるんですか? 私が傷付かないとでも、そう思っているんですか?」



 流石のエディもしまったと思ったのか、慌てたようにこちらの手を握り締める。膝の上で重ねられた手がどうしようも温かくて、酷く悲しかった。



「ごめんね、レイラちゃん? 今のは流石に俺が悪かったよ! 俺はただこの間、レイラちゃんに誰の代わりにもしないかって、不可解なことを聞かれてその、どうしてなんだろうなぁって思ってさ」

「ああ、あれはその、絹羊の魔術で眠かったせいもありますし……」

「それで本当に、レイラちゃんとお父さんがそっくりで。だからかなぁって思って……」



 そこで落ち込んで、エディがしょんぼりと顔を伏せてしまう。そんな風に悲しげな顔をされてしまうと、罪悪感で胸が一杯になってしまう。ちょっと言い過ぎたかもしれないなと考え、無意識にエディの手を両手で包み込んでいた。



「あー……今のはまぁ、私も言い過ぎました。ごめんなさい」

「いや、いいよ。今のは完全に俺が悪かったから……」

「私はいらない存在なんです。今の義理の両親だって、私が親友の娘でなければ、引き取らなかったことでしょう。……私は死んだお父様の代わりでしかないから」



 思ったよりも冷静に話すことが出来た。エディは突然の告白に動揺もせずに、きょとんと不思議そうな顔でこちらを見つめていた。



「だからです。だからずっと私は苦しいし、きっとこれから先も一生楽になんてなれない」



 困惑させるだけだというのに、何故だか言葉が止まらなかった。エディの不思議な所はこういう所だ。いつもいつもエディには本当のことを話してしまう。これは胸に秘めておくべきことだったのに、こんな唐突の告白は非常識なだけだというのに。



「……あの家でこれからもきっと、私は死んだお父様の代わりにされ続ける。アーノルド様との婚約だってそうです。どれもこれも、私を縛る鎖でしかなくって」

「それじゃあさ、俺と駆け落ちでもしちゃう?」

「はっ、はいっ!?」



 驚いて隣のエディを見上げると、にやりと悪戯に成功したような笑顔を浮かべていた。愉快そうに手を握って、顔をぐっと寄せてくる。



「そんな家は出てしまえばいいんだよ、レイラちゃん? 俺は一等級国家魔術師だからどこへ行っても歓迎されるし、それに、レイラちゃんだって三等級国家魔術師だろう?」

「あっ、ああ。それはまぁ、確かにそうなんですけど!」

「こう考えてみたらどうかな? 君にも選ぶ自由があるんだって。それに、実の両親でも義理の両親でも変わらないよ? ……レイラちゃんを、そんな風に縛っていい訳がない」



 そこで不意に痛ましげな表情となって、エディがこちらを覗き込んでくる。その淡い琥珀色の瞳を、ただ呆然と眺めていた。



「自由? ……私が?」

「そうだよ? もしかして今までずっと気が付かなかったの? レイラちゃん、君はとっても自由なんだよ?」




 気が付かなかった。そんなことは今まで一度も考えたことがなかった。



(あの家を出る? 私が? ……エディさんと一緒にあの家を出て、駆け落ちをする?)



 彼なら確かに私のことを大事にしてくれるだろうし、きっと、一緒に暮らしていても楽しいだろう。エディの前でだと、こんなにも素直になれる。素直になれて、こんなにも安心出来るのだから。



(っいやいやいや! どうして私は、エディさんと結婚する前提でものを考えているんだろう!?)



「レイラちゃん。君は自由なんだよ? いつまでもあいつの婚約者でいる必要も無いし、その家だって辛かったら出てしまえばいい」

「それはでも、そんな……ハーヴェイおじ様は絶対、私を草の根を分けてでも探し出すと思います」



 その言葉を聞いてエディが、事も無げにあっさりと言い放つ。



「海外逃亡ってのもありだよね~、レイラちゃん? 俺と君はどこに行っても食いっぱぐれのない国家魔術師だし、俺も三ヶ国語くらいは操れるからさ~」

「さん、三ヶ国語ですか!?」

「そうだよ? こう見えても俺、元王族だからね? それにエオストール王国屈指の、ハルフォード公爵家の生まれだし?」

「へっ? あっ、ああ、確かにそれもそうでしたね……」



 エディが嬉しそうに笑って、前を向いて、ぎゅっと私の手を握り締める。



「うん。昔からいい教育は受けているからさ? それに、戦争で勝った時に報奨金として多額のお金も貰っているし、貯金もかなりあるし、俺の伝手とガイルの魔術で海外逃亡くらい、いつでも出来て――――……」

「ちょっ、ちょっと待って下さいよ、エディさん! 別に私にそんなつもりはありませんからね!?」

「へぇ、そうなんだ?」

「そうですよ!  一体どうして、勝手に話を進めて行くんですか!?」

「だって、それは、レイラちゃんがあんまりにも苦しそうだったから?」

「そっ、それは、でも、私は」



 ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、何とか言葉を紡いだ。



「それでも私は、いつか絶対にアーノルド様と結婚します。だから、エディさんなんかとは結婚しないし、駆け落ちなんてのも絶対にしません! というか、したくもありませんからね!?」

「……うん。レイラちゃんならきっと、そう言うと思っていたよ? 俺は」



 エディがふっと淋しそうに笑って、こちらの黒髪を掬い上げる。指で掬い上げた黒髪に、そのままキスをすると、真っ赤な顔の私を見てにやりと笑った。



「でも、気が変わったらさ? いつでも教えて? 君を奪う覚悟はもうとっくの昔に出来ているから」




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