エピローグ
「お疲れー」
「お疲れさまでーす」
終業後、マーカスやトム達に挨拶をしてロッカールームを出る。首元のシャツを緩め、薄暗い明かりが灯る廊下を歩いていると、いきなり誰かが飛びついてきた。
「っ義兄さん!」
「おい……エディ、何の用だよ?」
「一緒に帰ろうねっつってたじゃん? 何で先に帰るんだよー、なぁなぁ」
「うるせぇな……レイラと二人で帰ればいいだろうが。俺はこれからスーパーに行くんだよ」
「俺も行く!」
「じゃあ、私も~」
「レイラ」
女子トイレからひょっこり出てきたレイラが俺を見て、にっこりと嬉しそうに笑う。今日はゆったりとした白いワンピースにスニーカーを履いて、デニムジャケットを羽織っていた。
「三人でスーパーに行って、それから帰りましょうよ~」
「いや、でもなぁ」
「いいじゃん、別に。何で俺らのことを避けるんだよ?」
「いや、避けるも何もお前らな……」
二人で帰ればいい。何なら、仕事もやめればいい。そう言ったのに、二人とも、意味ありげな微笑みを黙って浮かべるだけで。
(休日もずっとこんな感じだしな……まったく、二人で出かければいいものを)
新婚旅行先でも、しょっちゅう連絡が来た。まぁ、父上は嬉しそうだったが。夜、リビングで寛いでいるところ、電話がかかってきてセシリアと母上、父上と話していたことを思い出す。あれはあれで楽しかった。二人から、ひっきりなしに写真が送られてきて。だが、しかし。
「あのな? お前ら。夫婦なんだし、たまには俺から離れて、」
「ん? レイラちゃんとイチャイチャはいつだって出来るし」
「そうそう。だから、別にいいじゃないですか! 一緒に買い物に行くぐらい!」
「お前らな~……あーあ、変わってねぇな。本当」
俺がいじけて自室にこもっていた、あの時もそうだった。アンバーと呼ばれていた頃のエディが、コンコンとノックをして、返事を待たずに扉を開ける。雪柄のニット帽を被っていた。鼻先は赤く、いたるところに雪がついている。
『アーノルドさん! 雪、すごいですよ! 一緒に雪遊びしませんか?』
『……何で? レイラと行ってくれば』
『そう言わずに! 遊びましょうよ、アーノルドさん!』
『アル兄様~、遊ぼうよ!』
『レイラまで。……誘うのなら、シシィを誘えばどうだ? 俺は今、忙しいんだ。本を読むので』
『えーっ!? 嘘吐き! アーノルドさんの嘘吐き!』
『アル兄様の嘘吐きーっ』
『うるせえ! 本が読めないだろうが、まったく……』
二人がきらきらと期待に満ちた瞳で、俺のことを見つめていた。その時のことを思い出してから振り返ってみると、エディがあの時のように、淡い琥珀色の瞳を輝かせていた。苦笑して、レイラを見てみると、こちらも嬉しそうに笑って見上げてくる。
「あーあ。まったくもう、お前らときたら」
「いいだろ? 別にー。なぁなぁ、義兄さん」
「お兄様ー!」
「はいはい。俺がいないと駄目なのな、お前らは。まったく……じゃあ、帰るか。一緒に。家にな」
死ぬかもしれない、死ぬかもしれない。エディが死ぬかもしれないと、そう不安に思っていた日々は終わった。レイラを手放してやれなくて、苦しんでいた日々も終わった。この二人が結婚したら、孤独になるかと思ったら全然違った。エディの従兄弟達やサイラス、マーカスやトム達が気を使って、遊びに行こうと誘ってくれるようになった。
「あっ、そうだ。兄上が、返事が返ってこないってうるさくて」
「あー、会社の件だろ。俺、まだのんびり暮らしてたいんだけどな……」
「でも、いいんじゃないですか? 海外を飛び回るのも。アーノルド様なら、秘蔵の何かを無料で貰えそう!」
「確かに! お前、向いてるよ! 貿易商!」
「うるせぇな! あー……何だよ? 俺がいないと淋しいみたいなこと、さっきは言っていたくせに」
「そうですねぇ~、私が子供を出産したら行ってもいいですよ! サイラス様と一緒に海外へ!」
「「えっ!?」」
エディと二人で同時に驚いて、レイラのことを見下ろす。深い紫色の瞳を細めて、悪戯っぽく笑っていた。
「おい。俺はともかく、エディには知らせて、」
「マジで!? ドッキリじゃない!?」
「こんな悪質なドッキリはしませんよ……ほら、新婚旅行から帰ってきたあと、私、寝込んでいたでしょう?」
「あー、あれ。初期症状だったの……!?」
「エディ、おめでとう。パパだな。てか俺も叔父さんかよ……小遣いとか死ぬほどやってしまいそう」
「早っ! 早くないか? お前」
「まだ産まれてもないのに……? 硬貨どころか、手すら握ったことないのに!」
レイラが笑い、エディも笑い出す。ああ、口元のにやけが止まらない。そうか、俺も叔父さんになるのか。それに、エディとレイラが親になる。
「っあー……じゃあ、妊婦に良さそうな食べ物を買って、」
「大丈夫ですよ。最近、お母様とシシィちゃんが気を使ってくれていて」
「あっ! パパには? 話したの?」
「お父様にはまだ~……うるさそうだからやだ。最後で」
「気持ちは分かるけどな? レイラ……」
「帰ってから伝えまーす。だって、初孫でしょう? ん~、安定期に入ってから教えようかな~」
「それがいいかもな」
「だね、それがいいね」
エディが頷いたあと、顎に手を当てて「そうか~、俺もパパになるのか~」と嬉しそうに笑う。何はともあれ、まぁ、あの頃の自分に言ってやりたい。
(一人になんかならねぇよ。大丈夫)
俺も俺で、父上の厄介な性質を受け継いでいるのかもしれない。そう考えたあと、笑って二人の肩に手を回した。目の前には、正面玄関へと続く階段が伸びている。
「じゃ、帰るか! 俺、レイラの言う通り、子供が産まれたら海外に行こうかな~」
「それがいいですよー。サイラス様も一緒ですし! 囲まれてもきっと大丈夫!」
「大丈夫、大丈夫~。兄上、その辺りは俺より上手くやれるからさ~」
「ああ、まぁ、そうだな。コミュニケーション能力で言えば、兄上の方が上だな……」
「まだそう呼んでいるんですね……? 律儀ですね、アーノルド様も」
「言わないと拗ねるからなぁ。ふとした拍子に、サイラスさんって呼ばないように日頃から気を付けてる」
「「へ~……」」
「何だよ、お前ら! 今日、飯作ってやらねぇぞ!?」
階段を降りつつ、そう言って振り返ってみると、背後の二人が立ち止まってこちらを見下ろしてきた。またあの時の二人と姿が重なる。今ではもう、すっかり背が伸びているが。
「ごめんなさーい! 作って作って! お腹減った!」
「俺も腹減った! 今日なに?」
「あー、じゃあ、ステーキにでもするか!」
「やった!」
「わーいっ、ステーキ、ステーキ!」
“魔術雑用課の三角関係”だの何だの言われていたが。苦笑して、はしゃいで通り過ぎて行った二人の後を追う。
(違うな。ただ俺が拗ねていただけだ。まぁ、良かった。明日は何を作ろうか……)
きっとこうやって生きていく。仕事をして、飯を作って、三人で一緒に。
懐かしく感じる、キャンベル男爵家の応接室にて。ソファーに腰かけて待っていると、コンコンと控えめなノック音が響いた。それまで新聞を読んでいたアーノルドが顔を上げ、目の前のテーブルにそれを置く。それから、黒と白のストライプ柄のネクタイを整え、「どうぞ」と声をかけた。
がちゃりと、音を立てて開いた扉の隙間に指を差し込んで、おそるおそる、こちらを見てきたのはレイチェル。エディの淡い琥珀色の瞳と、赤髪をそっくり綺麗に受け継いでいた。思わず笑って、ソファーから立ち上がる。
「レイチェル。久しぶりだな。レイラとエディは、」
「お、叔父様! どっ、どどどどうして」
「えっ」
「どうしてもっともっと早く、帰ってきてくださらなかったんですか……?」
ぱたんと、目の前で扉が閉まる。駆け寄り、焦って扉を開けると、モスグリーンのワンピースを着たレイチェルが壁に背をつけて、ぐすんと涙ぐんでいた。こちらを淡い琥珀色の瞳で見上げてくる。いまだに慣れなかった。レイチェルが産まれてからもう、何十年と経つというのに。
「わ、悪い……あの、今日も可愛いな? お土産も沢山買ってきたし、」
「二年! 何の数字だか分かりますか?」
「えーっと、俺が帰ってこなかった間の……?」
「そう。私が叔父様と最後に会って、お茶をしたのが十四歳になって二ヶ月目の、」
「いいから、細かい数字は……ああ、そういうところはエディにそっくりだなぁ」
「だって、私もちょっとだけど、ドラゴンの血が入っているもの。あとお父様はね、お仕事が入ったの。緊急の。お母様もそれに付いて行きました」
「へえ。まぁ、俺も知らせずに来たから、」
「本当に! もうちょっと早く教えてくれたら、私だって……」
ぐすんと鼻を鳴らす。気まずくなって、頭を掻いた。どうもこの血の繫がらない姪っ子は、会う度にどんどん我がままになってゆく。ふと見てみると廊下の窓から、春らしい陽射しが射し込んでいた。目に眩い。
「あの、叔父様……今、恋人は?」
「いないけど」
「本当に!? いませんか!?」
「……レイチェル。お土産を沢山買ってきたから。ひとまず、応接室に入らないか?」
「じゃあ、私がお茶を淹れてあげますよ。この間、新しく買ったもので……」
ころりと機嫌を直したレイチェルが部屋に入って、備え付けのポットのスイッチを入れて湯を沸かす。それから、さっきまでの不機嫌さはどこへいったのやら、引き出しの中から茶葉とお菓子を取り出して、じっとポットを眺めながら、それをぼりぼりと食べ始める。
「んぐ、叔父様もいる?」
「いる……いるが、お前な」
「ん?」
「いや、女の子は父親に似るって言うからなぁ」
「私、最近よく言われるの。自由ねって。あと気分屋」
「だろうな……元気にしていたか? セスと喧嘩していないか?」
「お兄様は……最近、ますますシスコンなの。鬱陶しい」
「うん、まぁ、言ったら泣くから言わないようにな?」
「言ってる。じゃないと、エスカレートするもの」
「……毒舌はレイラ譲りだなぁ」
クッキーを食べているレイチェルの隣に立ち、溜め息を吐くと、おもむろにこちらを振り返った。ポットからはしゅんしゅんと、僅かに湯が沸く音が響いてくる。
「ねぇ? 叔父様」
「な、何だ? どうした?」
「お母様のことが好きだったって、本当? この前、ジーンのお祖父様から聞いたの」
「ああ……まったく、あの人は」
今は政治家として活躍しているジーン・ワーグナーとレイラはまだ親しく、人外者の血が僅かに混ざっているというコーネリアスは、いまだ健在で、こうしてレイチェルに余計なことを吹き込んでいる。元気で何よりだ。
「本当かどうか……俺にもよく分からない」
「どうして? だって、昔はお父様と叔父様で争っていたんでしょう?」
「……レイチェル。どこまで聞いた?」
「ジーンのお祖父様から……色男と名高い叔父様と、戦争の英雄として有名なお父様がお母様を巡って、争っていたって。ねぇ、本当? 仲が悪かったって。何だか信じられない。お父様と叔父様が?」
「ああ、まぁ、そんな時もあったんだよ。俺も若かった」
「今だって若いわ、叔父様は。……きっと、私と並んでいてもカップルにしか見えない」
意味ありげに微笑みかけられ、冷や汗を掻く。確かに先祖返りしているからか、俺は一向に年を取らない。二十代に間違われることも、しばしばある。
「……レイチェル。俺もクッキーを食べても?」
「ん、どうぞ」
「ありがとう……」
胡桃のバタークッキーらしきものを受け取り、包装紙を破く。エディ譲りの食欲で、次々とクッキーやフィナンシェを食べているレイチェルがまた、口を開いた。
「で? 本当なの? お母様のことが好きだったって」
「んー、純粋な恋愛感情じゃなかったけどな。多分」
「多分って……あーあ、私もお母様そっくりの黒髪と紫色の瞳が良かったなぁ。だって、綺麗だもの」
「そうか? 俺は赤髪の方が好きだが」
「本当に!?」
ぱっと、フィナンシェを持ったまま、嬉しそうな顔で振り返った。可愛い姪っ子に微笑みかけ、その口元に付いていたクッキーの欠片を取る。その途端、顔を真っ赤にして後退った。ああ、しまった。こういうことをするから、俺は。
「本当に。俺はエディの赤髪が好きで……」
「……どうして、そこでお父様の話が出てくるの? ねぇ? おかしくない?」
「レイチェル……まだ恋人はいないのか?」
「私、叔父様と付き合って結婚するって決めてるから!」
「やめてくれ……頼むからやめてくれ。レイラとエディに顔向けが出来ないし、何よりもセスに殺される」
「大丈夫よ、黙らせるから。全員。それに叔父様は、今までの恋愛全部失敗してるでしょう? 私だったら、叔父様のことを幸せに出来るのになー」
「俺は十分、今のままで幸せだから……」
この年になってもまだまだ、ふらふらと遊んでいるサイラスもいることだし。最近ではキースとジル、サイラスと俺の四人で遊ぶのが楽しいし。諦めの悪い姪っ子から離れ、ソファーへ向かうと、とことこと付いてきた。
「ねぇ! “魔術雑用課”の三角関係って言われていたんでしょう? 街でも有名だったとか」
「ありゃ黒歴史だな。俺も俺で馬鹿だった」
「ねーえ! 私、叔父様のことが好きなの! 結婚してくれない?」
「やめろ……一体、どれだけ年が離れていると思って、」
「関係無いわ、年なんて! 叔父様もほらっ、お若いし! 普通の人よりも寿命だって長いんだし!」
「ああ、先祖返りなんていいことがない……」
ソファーにどっかり腰かけると、すかさず隣に座ってきた。だが、逃げると追いかけてくる。これまでの学習から、黙ってそのままにしておいた方がいいと理解していたので、押し黙る。すると、機嫌よく腕に絡み付いてきた。ふわりと、エディとよく似た柑橘系の香りが漂ってくる。
「ねぇ? だめ? 私じゃ」
「何かこう、倫理的にさ」
「血は繫がってないでしょう? 一滴も!」
「だが、俺が今一体いくつだと思って、」
「あ、やっとこっちを向いてくれた。アーノルド叔父様」
淡い琥珀色の瞳を細めて、にっこりと笑う。エディの顔を思い浮かべていると、いきなりちゅと、軽く、それもくちびるにキスをしてきた。焦って飛びのき、口元を押さえていると、ぷうと白い頬を膨らませている。
「どうして逃げるのよ? いいじゃない、別にこれぐらい!」
「……帰る! いいか、レイチェル? お前は俺の魅了にかかっているだけで、」
「だーめっ! 反対っ!」
「ちょ、お前っ、ますますエディに似てきて、」
「レイー? 俺の可愛いレイチェルは一体どこにって、うわ!?」
「お兄様」
レイラ譲りの黒髪を持ってはいるが、サイラスとよく似たレイチェルの兄、セスが驚いて紫色の瞳を瞠る。しまった、うるさいんだ。この甥っ子は。レイチェルに半ば押し倒されたまま、硬直していると、わなわなと肩を震わせ始める。
「叔父上はまた……俺の可愛い天使をたぶらかしたりして!」
「してない! どちからと言えば、俺が被害者なんだが!?」
「まぁ、被害者だなんてそんな! 酷いわ、叔父様!」
「わっ、ちょっ、セスが嫌がるから離れて、」
「お兄様が嫌がるからなの? 一度も叔父様は自分の感情を持ち出して、私を拒絶したりなんかしない。叔父様は嫌じゃないのね?」
ひたりと、鋭い琥珀色の瞳が俺を射抜いていた。ああ、勘が鋭いのはエディ譲りか。そんなことを考えて、息を飲み込んでいると、レイチェルがするりと胸元を撫でてくる。
「ねぇ? 叔父様……」
「レーイーチェール! 言っているだろう!? ああっ、魅力が解けるような薬が開発されていたら、今すぐ買って飲ませたのに!」
「お兄様……邪魔しないで欲しいんだけど?」
「だめだ! 絶対にだめだ!! 叔父上とだけは、叔父上とだけは!」
「セス。助かったよ、ありがとう」
「何も叔父上のためではありませんが。俺の心の平安のためです」
「そうか……」
レイラそっくりの澄ました表情でつんと、セスがそっぽを向く。ああ、可愛がっていたのになぁ。四歳の時、レイチェルが産まれてからというものの、他のものには見向きもしなくなった。ずっとずっと、妹が欲しかったらしい。無理矢理腕を掴まれ、引き剥がされたレイチェルが眉を顰めて、がっとセスの足を蹴り飛ばした。
「いたっ!? レイチェル!?」
「邪魔しないで、お兄様! まったくもう、婚約者との仲を深めていたというのに!」
「いや、婚約者じゃないからな!? 叔父だからな!? ああ、さっき言い忘れていたんだが。兄上もこっちに来ていて、」
「おーい、アーノルド? ここにいるって聞いたんだけど」
「げっ、叔父上……」
「セスー! げっとは何だ? 傷付くなぁ、もう」
「わっ、ちょっ、俺は逃げるっ! 逃げますっ」
「いいじゃないの、別に。ケチ臭い」
笑顔で両腕を広げたサイラスを見て、慌てて逃げ出す。が、サイラスが獰猛に笑って追いかけ、あっという間に捕まえてしまった。そして、満面の笑顔で嫌がるセスをぎゅうっと抱き締め、頬擦りをし出す。
「可愛い~! レイラ嬢に似て真面目で、俺そっくりのセス可愛い~! 好き~! 天使! 俺の可愛い天使ちゃんは元気にしていたかな? ん?」
「離してくださいって、このナルシスト! 変態!!」
「わ~、今日も元気だね! お土産、いっぱい買ってきたよ? その中でセスが気に入るものがあるといいんだが……」
サイラスが淡い琥珀色の瞳を細め、嫌がるセスの手にちゅっと口付けると、ぴしりと硬直してしまった。まぁ、俺に突っかかってこないから助かる。溜め息を吐いて、ソファーで寛いでいると、レイチェルがお茶を持ってきてくれた。
「はい、叔父様。ねぇねぇ、さっきの“魔術雑用課の三角関係”。詳しく教えてくれない?」
「いや、それはちょっとなぁ」
「懐かしいなぁ! そう呼ばれていた時が……いいかい、セス? 何を知っても気にする必要はこれっぽっちも無いからね?」
「叔父上。いい加減にしてください、鬱陶しい」
「頬にキスぐらい、いいじゃないか。はい」
「うえっ……無理。無理無理無理」
そう言いつつも、拒絶するとうるさいからか渋々と受け入れている。頬やら額やらに、ちゅっちゅとキスされている兄を見て、隣に腰かけてきたレイチェルが「ああ見えて、お兄様。そこまで嫌じゃないのよ」と呟いたあと、お茶を啜った。
「しかしなぁ~……コーネリアスさんもコーネリアスさんで、また余計なことを」
「余計なことじゃないわ、ちっとも。だって、お母様もお父様も、自分達の過去について一切触れないもの。まぁ、一つの国が滅びている以上、口が重たくなるのも当然なんだろうけどね」
静かな淡い琥珀色の眼差しで、どこか遠いところを見つめて話し出す。たまにレイラもこんな顔をする。複雑な気持ちとなって、足を組み、湯気をくゆらせているティーカップを見下ろした。丁寧に、隣には俺が好きなココアクッキーが置いてある。それを手に取って、包装紙を破く。
「そうだな……全部を話す必要は無いだろう。が、エディの過去を話さないとな~。説明がなぁ」
「伏せたらどうだ? プロポーズした理由だけ」
「ああ、だな」
「好きだからじゃないの?」
「少し違うんだよ、レイチェル。そういや、ますます綺麗になってきたね? 可愛い」
「叔父上?」
「大丈夫。俺が好きなのはセス、お前だけだから」
「違う! そういう意味で言ったのではなく!」
怒り出したセスを抱き寄せ、まるで恋人のように頬へとキスをする。不安に思うのは俺だけか?
(あっちは血が繫がっているんだし……いや、サイラスは自分とよく似たセスが単純に可愛いんだろうが。でも、最近は男にも興味が出てきたって言って)
そこまでを考えていたら、ふいに「叔父様?」と話しかけられる。ああ、クッキーを持ったままだった。
「悪いな。クッキーもありが、」
「お兄様と叔父様のことなら、気にしなくてもいいわ。別に」
「……顔に出ていたか?」
「少しね。でも、大丈夫。叔父様の微妙な表情の変化を感じ取れるのは私だけだから」
「……」
ああ、どうにもやりにくい。エディによく似た、レイラの娘に勝てるとは到底思えない。一体いつからだろう、可愛いレイチェルが俺を異性として見るようになったのは。
「ああ、この顔が憎い……もっと、普通の顔に産まれたかったんだが」
「贅沢ね? 叔父様。でも、叔父様がそんな顔じゃなくても好きになってたと思うわ、私」
「離れなさい、レイチェル……」
強引に腕を組んできたレイチェルを見て、溜め息を吐いていると、少し離れたところでセスが騒ぎ出した。
「叔父上! だめですよ!? 一体いくつ、年が離れていると思っているんですか!?」
「セス~、何で俺じゃなくてアーノルドを見ているのかな? ん?」
「距離が近い! まったく……お茶を淹れてあげるので、ソファーに座って待っていてください」
「っふ、仕方ないなぁ、もう」
「こっちの台詞ですよ、それは……」
そう怒りながらも、ポットにスイッチを入れて沸かし出した。魔術仕掛けのあれ、便利だな。欲しいなと思って眺めていると、すぐ隣にサイラスが腰掛けようとする。
「どうぞ」
「っと、悪いな。セスがお茶を持ってきてくれるんだって」
「聞いていましたよ。あと、嫌がっているからほどほどに……」
「レイラ嬢とエディが来るまでの間、話してやったらどうだ? っふ、ふふ、初対面でプロポーズしてきた理由だけ、伏せてさ?」
「あー……」
「えっ!? 初対面でプロポーズしたの!? 一体どうして?」
「ああ、ん~……」
話すか話さないかは、レイラとエディが決めるだろう。マナーモードにしていた魔術手帳が小刻みに震えたので、取り出してみると、そこには“ちょっと遅くなるかも! ごめん”とエディからのメッセージが入っていた。まぁ、今は王族お抱えの一等級国家魔術師なんだ。忙しくて当然だろう。
「……兄上、エディはまだかかると」
「ああ、だろうなぁ……」
「はい、叔父上。お茶を持ってきましたよ」
「ありがとう、セス。何だ、そっちに座るのか? じゃあ、俺もそっちに行こうっと~」
「えっ、来ないで欲しいんですけど?」
「照れ屋さんめ~、このこの」
「鬱陶しい……」
げんなりとした顔で、ぴったりと密着してきたサイラスに手を繫がれている。申し訳ないが、助けれらる気がしない。無理だ。
「ねぇねぇ、叔父様? じゃあ、お父様とお母様が来るまでの間、その話をしてくれる?」
「ん~、そうだなぁ」
「いいじゃないか、してやれよ。面白いからさ」
ふと、その場にいる全員を見渡してみると、一様にわくわくとした顔で身を乗り出していた。応接室にはちょうど、あの二人が出会った頃の、柔らかな陽射しが射し込んできている。昔を思い出して、ひっそりと笑い、組んだ足の上に手を置いた。
「じゃあ、まぁ、話すとするか。あれはな? 俺が盛大に拗らせていた話でもあるんだが────………」