15.エドモン・ハミルトンが待ち望んでいた未来
薄い、灰色の雲が空を覆っている。陽の眩しさを湛えた空から、ひらりはらりと、小さな雪が降ってくる。それに手を伸ばして、受け止めていた。ここは屋敷の正面玄関の前で、白い大理石造りの植え込みに腰掛けながら彼を待つ。後ろには春になると芽吹く、植物や花が植えられていた。でも、今は冷たい雪をただただ受け止めているだけで。目を閉じると、ここに来たばかりの光景が目蓋の裏に蘇る。
『ほら、レイラ? 今日からここで一緒に暮らすんだよ……』
私の小さな手を握り締めたハーヴェイが、途方に暮れたように呟き、屋敷の正面玄関を指差した。お友達のお家に住むというのは不思議で、悲しくて虚しくて。すんと鼻を鳴らして、涙を引っ込めた。もうそろそろ泣き止まないと。
『分かった……よろしく、お願いします』
その頼りない挨拶に、ハーヴェイが静かに「ああ」とだけ返す。恨まれていると思った。私がお父様とお母様を殺したから。
(でも、そんなことはなかったな……そう言えば、あの頃のハーヴェイおじ様は冷たかった)
今では私のお父様。頭がおかしいけど、淋しがり屋で歪んでいる。イザベラが結婚しようと、決意した理由が少しだけ分かるような気がした。その狂気はこちらへは向かない。向くとしたら、離れてゆく時だけ。
(エディさんには本当に……謝っても謝り足りないし、感謝しても感謝し切れないなぁ)
本当にお父様の代わりにしていないのか、そう不安がる私を見て、「とことん話し合ってみようよ、じゃあ」と言ってくれた。最初は引き取る気が無かったこと、幼い私が「傍にいてあげる」と言ってくれたから、娘として大事にする気になったこと。そんなことを話し合って、ちょっとだけ泣いて、お酒を飲んでから寝た。翌朝、眠たそうに欠伸をしているエディを見て、愛おしさが増す。
「……エディさん、まだかな? 会いたいな」
ぎゅっと、黒いウール地のワンピースを握り締める。どうしてこんな喪服みたいなワンピースを選んでしまったんだろう。これからプロポーズして貰えるというのに。どうしてか、カラフルな服に腕を通す気になれなかった。黒髪を緩く下ろして、パールのカチューシャだけ付けていた。ふと空を見上げると、またちらほらと雪が舞い降りてくる。ああ、記憶が戻ったからこそ、あの時の光景が目に浮かぶ。
『ねぇ、レイラちゃん? 危ないよ。気をつけて……』
『もう! アンバーってば、心配性なんだから!』
彼はいつもいつも、少し後ろの方で私を見守っていた。気の弱そうな顔立ちに優しい微笑みを浮かべ、兄のような、従兄弟のような距離で私を見つめていた。それから、徐々に苦しみを吐露するようになり、私に熱っぽい眼差しを注ぐようになった。その熱い手のひらを掴んだ瞬間、心をわし掴みにされたのかもしれない。淡い琥珀色の瞳がこちらを射抜いてきて、時が止まる。
『好きだよ、レイラちゃん。本当に好きなんだ、君のことが。今なら死んでいった母上の気持ちがよく分かるよ。好きなんだ、本当に』
『アンバー……?』
過去を匂わせるような発言をしていた。何となく薄っすらと、彼がハルフォード公爵家の子息であるということも分かっていた。息を飲み込んでいると、ふっと微笑む。辺りには誰もいなかった。名だたる画家が手がけた肖像画が飾られ、廊下には冬の陽射しが射し込んでいる。
『だから、いつでも言って。待つから、俺。好きになって貰うその時まで』
『アンバー』
それ以外、何も言えなかった。眷族の魔術を解く方法を二人で模索して、夜にはココアを飲んで、暖炉の前でクランペットをあぶって食べるような関係だった。でも、この時もう、すでに恋に落ちていたのかもしれない。
「……エディさん。早く会いたいなぁ」
そんな呟きのあと、ふと顔を上げて見てみると、向こうにエディが現れた。漆黒のフロックコートを着て、鮮やかな赤髪をきっちりと纏めている。さらに腕には、真っ赤な薔薇の花束を抱えていた。はらりと、歩いた拍子に花弁が、白い雪の上に零れ落ちる。沢山あるからか、まるで血のようにぽたぽたと、真っ赤な花弁が雪の上に落ちてゆく。ゆっくりと微笑みを深めて、立ち上がった。逸る胸を押さえて、大理石造りの白い階段を降りる。
「っエディさん!」
「おっと! 遅くなってごめんね、レイラちゃん。淋しかったよね?」
「はい……でも、大丈夫です」
プロポーズして貰うのなら、玄関先がいいとお願いした。そんなことをアーノルドに言ってみたら、美しい眉を顰めて「何で玄関先なんだよ? もっとあるだろうが、他に」と言われてしまったが。でも、ここが良かった。何だか始まりの場所という気がして。エディが淡い琥珀色の瞳を細めて、ゆっくりと足元に跪く。ああ、私だけの王子様なんだ。ふと、そんなことを思ってしまって、照れ臭くなってしまう。
「レイラちゃん、改めまして……俺と結婚してください。一生大事にします、その苦しみごと」
「はい! よろ、よろしくお願いします……!! って、あれ? 変だったかも。それにちょっと泣けてきちゃ、おわ!?」
エディがいきなり立ち上がって、薔薇の花束ごと私を抱き締めてきた。つぶ、潰れてしまう! せっかくのお花が潰れてしまう!
「ちょっと!? エディさん!? お花が潰れ、」
「良かった、本当に! なが、長かった……!!」
「ご、ごめんなさい。お疲れ様です……散々その、意地張って絶対に好きにならないとか言ってましたけど! 好きになりましたよ? ねっ、アンバー?」
私から離れて、懐かしい呼び名に琥珀色の瞳を細める。綺麗だった、何もかも。零れ落ちた赤い花弁に、静かに舞う白い雪。そんな中でエディが暁の空のような、鮮やかな赤髪を揺らして微笑む。
「懐かしいね、それ……もう、これからはずっと一緒だよね?」
「もちろん! ずっと一緒ですよ、エディさん。ウェディングドレス選びも楽しみですね!」
「だね。シシィちゃんはともかく、兄上と義兄さんは来なくていいのに」
「ややこしいですね、その呼び方……ごっちゃになりそう」
「いや、兄上がうるさくってさ……どうしてアーノルドは義兄さんで、俺はサイラス呼びなんだ!? って怒るから。それで」
「ん~……仕方が無いですね。本当にもう。まったく」
貰った薔薇の花束を抱え、雪が積もった庭を二人で歩く。どこまでも穏やかに、静謐に雪の世界が広がっていた。かつて私達は、ここではしゃいで雪遊びをしていた。今でも耳を澄ませばあの時の、自分達の笑い声が聞こえてくるような気がする。
『アンバー、次は何を作る!?』
『俺、一度城作ってみたい! 魔術、魔術で何とかならないかな!?』
昔の記憶に浸っていると、おもむろにエディが口を開いた。
「あー、俺。腹減ってきたなぁ」
「ちょっと、やめてくださいよ!? これから試着なのに……」
「俺はべふに、んぐ、ドレス着ないからいいんじゃない?」
「いや、それはそうなんですけど! というか、早! 私も食べたくなるじゃないですか!」
「これ、いきなり知らないおばさんに突っ込まれたクッキーで」
「また?」
「そう、また。あっ、でも、パパから貰った小さいドーナッツもあるよ? いる?」
「ふっ、太るからいらない……!! 結婚式終わったらいっぱい食べる! 美味しいの、いっぱい食べる!」
「俺としては、もう絞らなくてもいいと思うんだけどなぁ……」
「嫌だ。もっと絞る~……」
「……あれだね? 惨澹たる光景だね?」
「もーっ!! だからあれほど、飲みすぎないでって言ったのに!」
ハーヴェイの部屋に寝転がった、アーノルドとサイラス、そしてハーヴェイを見てレイラが激怒する。三人はそれぞれ、だらしない格好で床やカウチソファーに寝転がっていた。そしてきちんとしたスーツに身を包んだキースとジルが、後片付けをしている。昨夜ここで、三人は飲みに飲んでいたのだ。
「申し訳ありません、レイラ様。今から坊ちゃんを起こすので……」
「間に合わせるから大丈夫ですよ~」
「ジルさぁーん……」
「ウェディングドレス姿、見ていないので楽しみです。おや、エディ君はもう着替えているんですか?」
「今日が楽しみすぎて! この格好のままで寝ようとしたら昨夜、止められました!」
「当たり前でしょう!? せっかくのスーツが皺になっちゃうじゃないですか!」
春らしい、白地に花柄プリントのワンピースを着たレイラが怒る。エディが照れ臭そうに「いや~」と返して、頭を掻いていた。今日というこの日のために買った、茶色のヘリンボーン柄のスリーピースを身に付けている。
「まったくもう……お酒臭い! ジェラルドさんやミリーさんが見たら一体何て言うか」
「お昼だよね? 来るの。確か十二時ぐらい?」
「はい。そこからご飯食べてー、ケーキを切って、ガーデンパーティー的な感じで進む筈です……ああ、緊張する! エディさんのお祖母様もやって来るし」
「でも、レイラちゃんのお祖父様とお祖母様も来るんだよね……? どうしよう? 緊張してきた」
「私もかなりしてきた……!!」
昨夜、酔った勢いでハーヴェイが「よし! あのクソジジイとクソババアも呼ぶか!」と言い出して、エドモンの両親、つまりはレイラの祖父母に電話をかけた。孫娘が“火炎の悪魔”と結婚することも初耳だったし、明日結婚式が行われるということで動揺していたが、二つ返事で了承していた。なにせ今まで、アーノルドがこっそりと、ハーヴェイに内緒で会わせていたとは言えども、ろくに会えなかったから。大喜びする祖父母に対してハーヴェイが、「まぁ、明日。俺の気が変わるかもしれないけどなぁ……」と不穏な呟きを漏らしたあと、電話を切っていた。
「うー……どうしよう? お母様も手伝わなくていいって言ってるし!」
「レイラ様、ぜひ坊ちゃんと庭で散策でもしてきてください。先程、飾り付けを済ませたので」
「あ、ありがとうございます。キースさん……」
「じゃ、行こうか。レイラちゃん。ジルさん、それにキースも。あとはよろしく~」
「任せてください、エディ君。ここの人達、全員綺麗にして送り出しますからね?」
「ご心配なさらず。ジルと二人で仕上げますから」
「はーい。じゃあ」
「またあとで~……」
ひらひらと、手を振ってから扉を閉める。意外なことに、キースとジルは相性が良いらしく、二人でしょっちゅう釣りに行ったり、旅行に行ったりしている。好きな女性を亡くしたという共通点もあるし、主人であるエディとアーノルドの年も近いし。おまけに二人とも、独身で恋人もいない。二人で何を話しているかは謎だが、たまに片方がぶっと吹き出して、背中を叩いたりしている。
「はー……もうすっかり春ですねぇ、暖かい」
「そうだね、レイラちゃん……!!」
「うわ、すごい締まりの無い顔してる。その、そんなに嬉しいんですか……?」
「そりゃあね! 夢にまで見た結婚式ですから! あ~、楽しみ! またあの可愛いレイラちゃんが見れるっ」
「写真まで飾って、何十回と見てるのに……?」
「ほら、実物は違うからさ? あ~、カラードレスも楽しみ!」
「……私の楽しみが少ないような気がする!」
「何で!? 着るんだよね!? ドレス」
「そうなんですけど、エディさんはお色直ししないから……」
「あー、なるほどね。そういうことか。びっくりした」
芝生が広がった庭園には、淡いブルーやグリーンの風船が浮かべられていた。そんな中で白いクロスがかけられたテーブルが並び、白とピンクの薔薇で彩られたアーチまで並んでいる。春の空は青く、優しく澄み渡っていた。風も柔らかで、花と光の匂いを含んでいる。
「ああ、幸せ……不思議ですね。何だかこうして二人で歩いてるの」
「そうだね、不思議だね。穏やかで」
「あーっ、緊張する! ルートルードからも、確かお客さんが来るんでしたっけ?」
「そうそう……俺の叔母さんに当たる人なのかな? よく分からないんだよね。とにかく親戚」
「とにかく親戚……」
「来なくてもいいよって言ったんだけどなぁ~。どうしても参加したいって、しつこくて」
隣を歩くエディが溜め息を吐いて、苦笑する。その気持ちが痛いほど、よく分かった。
「あの、ごめんなさい……本当に」
「いいよ。別に気にしなくて。こうして幸せになれたんだし、それでもう」
「ありがとうございます……」
「念願のお父さんも手に入ったしね! あ~っ、祝祭楽しかったなぁ。今年も楽しみだ」
「パーティーとなると張り切るんですよ、お父様は」
兄弟のようになったエディとアーノルド。それにアーノルドをしょっちゅう連れ出して、遊びに行っているサイラスも加わって、去年の祝祭は本当に賑やかだった。みんなで一緒に年を越したのも楽しかった。きっと、こうやって祝祭を楽しんで、誕生日を祝って生きていくんだろう。ふと、空を見上げるとドラゴンがこちらへと向かってきていた。あんぐりと口を開けて、二人でその黒いドラゴンを見つめる。
「あれは……もしかして!」
「知り合いのドラゴンなんですか?」
「多分! でも、ちょっと危ないかも!」
「えっ!?」
ばさばさと、はばたく音が響き渡る中で、咄嗟にエディがレイラを庇って横へ飛んだ。それまで二人がいた場所に、ぼうっと漆黒の炎が立ち昇る。そして無数の傷痕を抱えた、漆黒のドラゴンがずしんと着地し、辺りが少しだけ揺れる。その音を聞きつけて、屋敷の窓からハーヴェイやサイラスが顔を出していた。
「やぁ! 久しぶりだな、エディ。番を守るのは正しい判断だ。悪いね、コントロールが出来ていなくて」
「お祖父様……いえ、そうお呼びしていいのかどうか」
「何を言う! お前の意思では無かった、それだけで十分だ。我々ドラゴンはいつでもお前を歓迎しよう」
白い煙が晴れたあとに現れたのは、黒髪黒目の、どこからどう見ても青年のドラゴンだった。真鍮のゴーグルが巻かれた、黒い帽子を被って、時代遅れのストライプ柄スーツを着たその男性が、私を見てにっこりと笑う。
「怪我は無かったかな? お嬢さん」
「あ、は、はい……」
「これは驚いたな……!! まさかお前が来るとは思わなかったぞ、老ライアン。俺の子に手を出したらぶっ殺してやるからな?」
「おっと! 流石は笑う蜘蛛男、血の気が多いな……」
苛立ったハーヴェイがぼうっと、煙草型のそれを吸いながら、放射状の炎を放つ。ライアンは驚きもせず、黒い腕を燃やしたそれを、振り払って鎮火する。
「大丈夫だ。復讐をしに来た訳じゃない……祝いに来たんだ、私は」
「どうだか。嘘臭い」
「お前はまともに、誰かのことを大事に出来ない人間だからな。理解が出来ないんだろうよ。さて!」
ライアンが黒い帽子を外し、そこにぼんっと綺麗な花々を咲かせる。清らかな白い百合と薔薇、マーガレットとカスミソウが咲き誇っていた。
「おめでとう、エディにレイラ嬢。受け取りに来てくれるかな?」
「わっ、わ~! すみません、ありがとうございます!」
「お祖父様、あの」
駆け寄って帽子ごと受け取ると、エディが心細そうな顔でその人を見つめていた。上の窓からサイラスが「お祖父様! 俺も今から行くので、帰らないでくださいね!?」と叫ぶ。
「ああ、もちろん! サイラス、転ばないようにゆっくりおいで!」
「あの……」
「エディ、気にするな。何も。……戦争でお前に殺されたドラゴン達も、敵の手にかかって死ぬよりは幸福だろう。よっぽどましだ」
「お祖父様……」
「あの、お祖父様って言ってますけど……?」
ライアンが黒い瞳を細め、笑う。それから、帽子の中にあった一本の白百合を抜き取って、私の耳の横に挿してくれた。
「そう。私はエディの遠い……そうだな。親戚に当たるんだろうな? 私の妹がルートルード国王に嫁いだんだ。何年か前」
「いや……直近の話じゃないんですけどね!?」
「まぁ、この辺りの感覚が合わないのは仕方が無い。似ているだろう? 私とエディは」
「た、確かに……!!」
ぐいっと困惑するエディの肩を抱き寄せ、無邪気に笑う。確かに雰囲気がよく似ていた。明るくて、初夏の海のような男性。
「あいつらも来たがっていたが、止めておいた。うるさいし、全員よく食うからな」
「あー、確かに。助かりました。ありがとうございます」
「いや、いい。だが、私は時間を勘違いしていたようだな……」
「一緒に! 一緒にお茶でも飲みませんか!? エディさんのお祖父様! ええっと」
戸惑っていると、どこからかふわりと、新しい帽子を取り出して被る。そして私の横を通り過ぎて、すたすたと芝生の上を歩いていった。
「ややこしいからな。お祖父様でいい。それに、名前で呼ばれるのは好きじゃない」
「分かりました。じゃあ、お祖父様で……」
「お祖父様! お久しぶりです!」
「サイラス! 元気だったか!?」
珍しくはしゃいだ様子のサイラスが、広げられた腕の中に飛び込む。めちゃくちゃに頭を撫でられて、頬やら額やらに熱烈なキスをされていた。ドラゴンの愛情表現は凄まじい。されなくて良かったと、そう思って胸を撫で下ろしていると、エディがぽそりと呟く。
「いいなぁ、あれ。俺もして欲しい~」
「えっ!? そうなんですか!? な、何で!?」
それから全員で和やかにお茶をしたあと、時間が来たのでウェディングドレスに着替え、キャンベル男爵家の廊下を歩く。セシリアとエマが裾を持つと、そう申し出てくれた。
「はわわわわ……!! お姉様、春の女神のようでしてよ! 美しいっ!」
「あとでっ、あとで写真撮ります! エマと、エマと一緒に! 二人でっ!」
「おち、落ち着いてくださいよ、二人とも……」
エディと二人で選んだのは、可愛らしいウェディングドレス。控えめで品が良いパフスリーブに、緩やかに開いた胸元。そこに浮かび上がるのは花束柄のレースで、どこまでもふわふわと波打っている。長い黒髪は編み込みをして下ろし、先程貰った白い百合やカスミソウを挿した。くちびるは薔薇色に染め、レースで縁取られたベールを被る。選んだベールはどこか、宗教的な荘厳さを帯びていた。
「でも、ありがとうございます。二人とも。だいぶ緊張が解れてきた……」
「おねえ、お姉様っ!!」
「駄目ですよ、シシィちゃんっ! レイラちゃんのウェディングドレスが、私達の涙で濡れてしまうからっ!」
「エマさん、耐えますわ! 私!」
「ええ、ぜひ! そうなさってくださいませ!!」
「エマさん、妊婦がそんなに興奮しちゃ駄目ですよ……?」
もうお腹も大きくなっているし、いらないと言ったのだが。エマは「持つ! 裾を持つ!!」と言って聞かなかった。夫であるジェラルドが、ぐったりとした顔で「ごめん……レイラ嬢」と言ってきたので、思わず笑ってしまった。きっと今頃は、トムやマーカス達とお酒を飲んでいる。
「でも、ちょっと、色んな人の前でキスするの、恥ずかしいですね……?」
「うっ、うう……お姉様! ようやくエディお兄様と、うっ、ううっ」
「レイラちゃん、レイラちゃんがっ……他の男のものになるだなんてっ!」
「二人とも、すでに大泣きじゃないですか……まだ何もしてないのに」
「お、お姉様ぁ~……」
「レイラちゃんんん……!!」
苦笑しつつ、二人を宥めながら庭へと向かう。庭に出た途端、歓声が上がって嬉しかった。幸福そうな笑顔を浮かべたエディの下へ行き、二人で設置されたウェディングベルを鳴らす。
「せーのっ!」
「よっ! おお、鳴った! 鳴った!」
「それはそうですよ……ええっと、次は誓いのキスでしたっけ?」
「かわ、可愛い……!! 照れてる。大丈夫だよ、いつもとは違って軽く済ませるからさ?」
エディがベールを払い除けて、軽くキスをしてくれた。ウェディングベルが高く鳴り響く中で、何故かミリーやライは号泣していたし、アーノルドもアーノルドで感極まってしまったのか、立って目頭を揉んでいた。サイラスが笑って、そんなアーノルドの肩に手を置く。ブーケはもちろん、真っ赤な薔薇のものを。それをセシリアに手渡し、微笑みかける。
「次はシシィちゃんですかね? 楽しみに待ってます」
「お姉様……!! これっ、あとでドライフラワーにします! 永久に飾ります! お二人の愛の証をっ!」
「えっ!? 俺も欲しい!」
「何で!? ブーケですけど、これ!」
賑やかに喋って、笑って、お酒を飲んで歩き回る。結婚式は終始和やかな雰囲気で、春らしい陽気さに包まれていた。
「ああ、良かった……!! エドモンが生きて、見ていたらどれほど喜んだことか!」
「本当にねえ……綺麗よ、レイラ。とっても綺麗」
「ありがとうございます、お祖父様。お祖母様」
「安心してください! 俺が! 俺がレイラちゃんを大事にしますので!!」
「あ、ああ。うん……驚いたな、本当に戦争の英雄だ」
「ええっと、レイラとはその、どこで知り合ったのかしら……?」
馴れ初めを聞かれ、笑顔で黙り込む。それを聞いていたアーノルドとサイラスが、慌てて二人を連れ出してくれたので助かった。
「ああ、もう、びっくりした……」
「まぁ、話す訳にはいかないからね……ああ、そうそう。さっきも言ったけどさ?」
「はい?」
エディが嬉しそうに琥珀色の瞳を細めて、私の頬にキスをする。周りでどっと、冷やかすような声が上がった。思わず頬が熱くなる。
「世界で一番綺麗だよ。似合ってる、そのカラードレスも」
「あり、ありがとうございます……!!」
選んだのは、淡いラベンダーとピンク色のチュールが重なったドレスで、肩には菫と薔薇が縫い付けられている。スカートはふんわりと広がっていて可憐なのに、腰には艶のあるラベンダー色のリボンが巻かれていて、少しだけ大人な雰囲気を漂わせていた。試着に行った際、エディと同時に「これでしょ!」と選んだカラードレス。
しみじみと幸せを噛み締めていると、もう一度からんからんと、ウェディングベルが鳴り響く。振り返って見てみると、酒に酔ったトムやマーカス達が集まって、みんなで鳴らしていた。笑いかけると、みんなで一斉に手を振ってくれた。さぁっと、魔術で生み出された花びらとしゃぼん玉が、空へと高く高く舞い上がってゆく。
「幸せになろうね、レイラちゃん。一緒に」
「そうですね……長かったけど、本当に」
でも、いい。きっと、終わりが幸せであればそれで。どんなに苦しくとも、罪が苦くてもそれで。死ぬその時まで、ほんの少しの罪悪感を抱えて、エディと二人で生きてゆく。
「さ! じゃあ、これが終わったらケーキ、ケーキ!」
「苦しくないんだったら、今食べたら?」
「そうします! もう最近、何だかやたらとお腹が空いて空いて……」
「まぁ、春だからねぇ。俺とウェディングケーキ、食べに行こっか!」
「はい! わ~、美味しそう! アーノルド様と、ふふっ、キースさんとジルさんで作ったケーキ!」
「凝ってるよね。びっくりした、あれ……」