13.夫婦の幽霊とあげる予定だったブレスレット
今日は婚約指輪のお返しを買いに行こうと思って、街に出ていた。より一層寒さが増して、雪がちらほらと降っている。テラコッタ色の煉瓦道を歩きながら、ブティックのショーウィンドウを見つめると、ファー付きの白いコートが飾られていた。そしてガラスには、黒いウール地のコートを着て、黒いふわふわの帽子を被っている自分が映っている。
(あのエマさんでさえ、ジェラルドさんにお返しをしたって言ってたからなぁ……)
あのエマでさえも、婚約指輪のお返しをしたのだ。なら、私もしなくては。
(でも、エディさんに喜んで欲しいし。何が……何がいいかな?)
今朝も、私が頬にキスをしただけで嬉しそうに笑い、「ありがとう、幸せ~」と呟いていた。私が何かした方が喜ぶのかもしれないけど、でも。
(どうせなら残るものを! 何がいいかな? よく分からない。贈って喜びそうなものは)
腕時計? いや、もうすでに素敵なものを持っているし。ネクタイ? 制服だし、きっと私が贈ったら毎日付けたがる。香水も何か違うし、指輪はもう買った。財布、靴、イヤーカフ……。
(うーん……何を欲しがるか、全く見当が付かない。食べ物とか? でも、残らないし。お酒も別に……興味無さそうだし、エディさん)
服を贈る? でもなぁ。そんなことを考えて、ちらほらと、白い雪が降るブティック通りを歩いていた。賑やかに人が通り過ぎて行って、こちらを置き去りにしてゆく。エディさんと、二人で歩くのが一番楽しいんだけど。
『えっ? 今日、出かけるの? じゃあ俺、パパと出かけてこようかな……』
『ハーヴェイおじ様と……?』
『お父様って呼んであげてね? 悲しむからさ……いや、祝祭も近いし。何か買いに行くかって話になっていて』
『へえぇ~……』
『物騒なへーだね、レイラちゃん。でも、可愛い~』
にこにこと嬉しそうに笑って、同じくご機嫌なハーヴェイと出かけてしまった。眷族のくせに、離れたら淋しいって言っていたくせに。でも、そんなことを聞くと「え? ちょっとなら大丈夫だよ? また夜にも会えるし」と言ってきた。毎日イチャイチャしているからか、以前ほど「レイラちゃん、レイラちゃん」と言ってこない。
(私もアーノルド様と出かけてやろうかな……それとも、ジーンさんでも誘う? サイラス様も誘ったらあっさり来そう)
あの女好きのクズは今いち、何を考えているのかよく分からない。私の怒る顔が見たいのか、エディへの当てつけなのか、しょっちゅう余計なことをしてくる。いっそ、この前会ったエディの従兄弟の誰かと遊びに行こうかなと、荒んだ顔で考えていたその時。目の前で、鮮やかな赤髪が揺れる。一瞬、エディかと思った。
(……あ、違う。女性だ。長い、赤髪の女性)
それは目の前で、緩やかに波打っていた。黒いビロード地のコートから覗く手は、驚く程に白い。どことなく高貴な雰囲気を纏ったその女性は、嬉しそうに夫を見上げて、話しかけていた。何を話しているかはよく分からない。でも、ダークブラウンの髪を持った夫らしき男性が、彼女をエスコートしながら、嬉しそうに耳を傾けている。何故か、目の前に現れた夫婦に目が釘付けになった。エディと同じ、ルートルード出身なのかもしれない。
「だから、お祝いに」
「じゃあ、俺がよく行く……」
き、聞き取れない。でも、熱心に単語を拾う。「結婚記念日」「お祝い」「行きつけの店」という単語がちらほら出てきたことから。
(多分、奥さんが旦那さんに贈り物をするのかな? どんな店かな……ちょっと付いて行ってみよう)
何を贈っていいのかよく分からず、途方に暮れていたから、そんな考えになってしまったのかもしれない。前を歩く夫婦が楽しげに喋りながら、角を曲がった。いつの間にか周囲に人はいなくて、ちらほらと降る白い雪が、全ての音を吸い込んでしまったかのように、人のさざめきも車の音もしてこない。かつんと、灰色の石畳を鳴らして私も角を曲がる。
(つ、つけられていると勘違いされませんように……!!)
ゆらゆらと揺れている、長い赤髪が本当に美しかった。横顔しか見れてないけど、快活な美女といった感じの奥様。そんな彼女を優しく見つめている夫も、どことなく色っぽくていかにも女性にモテそうな感じ。
(期待が……期待が出来る! 何か、センス良さそげなお店に入って行きそう!)
怪しまれないように、息を潜めて付いて行く。思ったよりも二人は足が速く、軽やかな足取りで歩いて、とある店を二人で見上げてから、くすりと笑った。不思議とその声は耳によく届いた。優しくて、深い声。
「ここなら大丈夫でしょう。あの子も入りやすそうだし、店員さんも親切だし」
「そうだね。じゃあ、ここにしようか。……喜ぶかな?」
誰かの名前を呟いたあと、喜ぶかなと囁いた。でも、そこだけ聞き取れなかった。
(あれ? 結婚記念日のお祝いじゃないの?)
不思議に思って歩いていると、その夫婦がからんからんと、扉のベルを鳴らして入って行った。怪しまれたら嫌なので、なるべくゆっくりと歩いて、その店の前に行く。はっと、白い息を吐いて見上げてみると、優美な黒い文字で“魔術の不思議を貴方に”と書かれていた。ちょっと敷居が高そうだけど、確かに入りやすそう。優美な紺色に塗られた柱と、重たそうなアンティークの扉。
(……よし、入ってみよう)
ゆっくりと、その扉を押して入る。からんからんとベルが鳴り、むわっと、店の中の暖かい空気が流れ込んできた。おっとりとした雰囲気の優しげな女性が、「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる。飴色の床板に、様々な魔術仕掛けの小物が収められたショーケースが並ぶ狭い店内には、誰もいなかった。
(あれ? おかしいな。いない)
でも、二階へと続く螺旋階段があるから、きっとそちらに行ったのだろう。私がきょろきょろ辺りを見回していると、金髪に青い瞳を持った女性が話しかけてきた。
「あの、何かお探しですか?」
「え、ええっと、こんにちは。私、その、婚約指輪のお返しを探しに来まして」
「まぁ、それはおめでとうございます。でしたら、色々とありますよ。ぴったり、お誂え向きのが」
優しそうな女性が青い瞳を細めて、謎めいた微笑を浮かべる。ふんわりと香る、甘い木と紙の匂いにどぎまぎしながらも、ひとまずショーケースの中を覗き込んでみる。
「あの……二十代後半の男性が喜びそうな……ええっと、彼、あまり物欲が無いんです。何を贈ったらいいのかよく分からなくて」
「お酒や煙草などは……?」
「しません。でも、仕事でもスーツは着ないので……」
「でしたら、こちらの腕時計はいかがでしょう? ご夫婦に人気のものなんですよ」
角度によっては黒にも見える、深い青色のビロード地に乗せられた腕時計を持ち上げ、女性が手首に通す。魔術仕掛けだからか、うにょんと動いて縮まり、女性の細い手首にぴったりと寄り添った。そこから、薄い金色の文字盤のつまみをかちりと回す。次の瞬間、ぶわりと赤い炎で出来たドラゴンが飛び出し、口から炎を吹いた。
「わっ! ……すごい」
「こちらのドラゴンが朝、起こしてくれるんですよ。学習機能が搭載されていますので、何時何分と伝えて、起こし方を指導することも可能です」
「起こし方を指導……!!」
「それから、ドラゴン以外のものに変更出来るんです。たとえば先日ご来店してくださった男性は、奥様とよく似た青い瞳の乙女がいいということで、ドラゴンからその乙女に変更なさって」
「あ、ああ。なるほど……」
「ですから、物欲が無いと言うのであれば……お客様そっくりの乙女に設定して、お渡しするのもいいかもしれませんね? 実際、女性のお客様も夫によく似た男性を、もしくはそれを連想させるようなものをと言って、お買い求めになっております」
「ほ、ほう……」
それしか出てこない。私が困った顔をしているのを見て、くすりと笑った。
「他にもございますよ。こちらは舌に呪いを刻むキャンディー」
「あの。すみません、何て? の、呪いなんですか? 贈るのに?」
「はい。呪いとは言っても軽度の呪いでして。紅茶とキャンディー、お酒の三つがあるのですが」
「は、はい……」
「そのどれもが可愛らしい呪いでして……十分間、お相手の好きなところしか話せなくなる呪い。いつもは照れ臭くて言えないことを言える呪いなど、プラスにしかならない呪いで、カップルに大変人気が、」
「あの、それください。お酒で。あと照れ臭くて言えないことが言える呪いで」
「はい、かしこまりました。ありがとうございます。味はどうしましょう? シェリー酒、ウィスキー、ワインがございますが」
「ワインでお願いします」
「かしこまりました」
女性がにっこりと微笑み、美しく並べられていたワインボトルを持ち上げ、レジへと向かう。
「どうなさいますか? あと他には……」
「や、安いですよね!? それだけじゃ……ええっと、他にも何か。そうですね……先程の時計も気になってはいるのですが」
「ふふ、どうぞゆっくり悩んでください。今日は雪で私も暇なんですよ。朝からお客さんが一人も来なくて」
「えっ?」
朝から? 一人も? 私が驚いて、まじまじと見つめていると、不思議そうに首を傾げた。
「あの……さっき、こちらの店にご夫婦が入ってきませんでしたか?」
「いいえ? 来ておりませんが……あの、お約束でも?」
「い、いいえ……見間違いだったみたいです。あの、他におすすめってありますか?」
おかしいな。あの夫婦は一体何だったんだろう。快活な赤髪の女性と、物腰が穏やかで色っぽい男性。
「でしたら、こちらはいかがでしょう? この香水瓶に魔力を流し込むと、その人の魔力に合わせて香りが変化するんです」
「わ~、楽しそう……」
「ですから、パートナーの魔力の香りを纏うことが出来るんです。ご夫婦でそれぞれの香りを付けてらっしゃる方もいますよ」
「じゃ、じゃあ、それもください……!!」
「はい。お互いにしか分からない、無香タイプもございますが」
「む、無香タイプですか?」
「はい。職種によっては香水が付けられない方もいますので……お相手の近くに行くと、ふわりと香るようになっておりまして。お相手にしか届かないんですよ、香りが」
「あっ、あ~……じゃあ、それで」
「かしこまりました」
エディさんのことだからきっと、「レイラちゃんと俺にしか分からない香りだね」と言って喜ぶ。でも、どうしよう? お返しがどんどん増えていく……。
「わ、私としてはその、もっともっと贈りたいのですが……お値段も安いし」
「はい」
「でも、これって変ですかね……? 分からなくて、色々と」
そんなことを聞いてみると、親戚のお姉さんのようにころころと笑った。店の奥に設置された、薪ストーブからぱちぱちと、爆ぜる音が聞こえてくる。
「あればあるほど、お相手も嬉しいのでは? 普通にこだわる必要はありませんよ、きっと。お客様が可愛らしく、喜んで欲しくてと言ってお渡しすれば、確実に喜ばれるかと」
「た、確かに……!! 喜ぶ人です、彼は」
「でしたら、色々選んでみても楽しいかと。こんなのもございますよ、ほら」
「わっ……綺麗」
真珠のような光沢を放った、七色の瓶には深い、薔薇色の液体がちゃぽんと揺れている。
「こちらは魔術が溶け込んだ、魔術薬でして。お相手と一緒に飲んで眠りに就くと、夢の中で会えるんです。そして、そのまま行きたいところへ行けます」
「行きたいところへ……!?」
「そうです。体感時間になりますが、二時間ほど。……先日は奥様が足を悪くして、寝たきりとなった方が買いに来られて。夢の中で新婚旅行に行くのだと、思い出の場所に行くのだと、そう仰っていました」
「ああ、なるほど。そんな使い方もあるんですね……」
「皆様、出会った場所だったり……プロポーズされた場所へ出かけるみたいですよ」
「じゃあ、それもください」
消耗品しか買っていないので、悩みに悩んだ挙句、最初にすすめられた腕時計を買った。ちょっとだけ迷ってから、私もドラゴンが出てくる腕時計を購入。エディとよく似た、淡い琥珀色の瞳と赤いドラゴンにして貰った。そして、エディに贈るものは私とよく似ている、黒髪と紫色の瞳の乙女に。
「あ、ありがとうございます……ごめんなさい、長居をしてしまって」
「いえいえ。ありがとうございます。また春になったら、色々と素敵なものが入荷する予定なので。ぜひ、旦那様といらしてください」
「あ、ありがとうございます……!! そうしますね」
ひらひらと、手を振って店を後にする。帰りに買い物をしようと思って、リュックサックをポケットに入れてきて良かった。ずっしりと重たい、リュックサックを背負いながら、雪が降る路地を歩く。
(にしても……あの夫婦。何だったんだろ? まぁ、いっか。いいのが買えたし)
ふと気になって、後ろを振り返ってみると、さっきの女性が店に入っていくところだった。からんからんと、静まり返った路地にベルが鳴り響く。
「……帰らなきゃ。エディさんも待ってるかもしれないし」
でも、何となく動く気にならなくて。溜め息を吐いて、歩いていると、ふいに横の店が気になった。骨董品が並んでいる店の中を覗くと、エディとハーヴェイが並んでいた。
「本物!? 何!?」
ついうっかり叫ぶと、即座にエディが振り返った。お揃いの黒いコートを着たエディが、私を見てぱぁっと顔を輝かせる。それから、何やら話し込んでいる店主とハーヴェイを置いて、ドアまで来てくれた。
「レイラちゃん! 良かった~!」
「へっ? 何がですか? 偶然ですね?」
「いやぁ、俺さ? 実はブティックの前でレイラちゃんを見かけて。慌てて追いかけたんだけどさ、すぐにいなくなっちゃって」
「あれ? そうなんですね? 辿れなかったんですか?」
「そうそう。何故かね……ぷっつりと途切れちゃって。何かに邪魔されてるみたいに。だから、何かあったに違いないと思って、必死に探してたんだけど」
「おっ!? レイラ!? 良かった!」
「お父様」
紺色のコートを着たハーヴェイが振り返り、嬉しそうに笑う。その横に立っていた、ふくよかで眼鏡をかけた初老男性が会釈をしてくれる。
「何を熱心に見ているんですか?」
「ああ、これ……ルートルードの国王が使っていたブレスレットで。それなのにこのジジイが足元見て、ふっかけてきやがる!!」
「いやぁ~……戦時中のねぇ、どさくさにねぇ、紛れて持ち出された貴重なやつだから」
「俺もな~、これが欲しいんだけどな~」
それは金で出来た、滑らかでシンプルなブレスレットだった。裏には名前と、結婚記念日が刻まれているらしい。お値段を聞いてみると、邸宅が三軒建つほどの金額を提示された。子供かな? 戸惑ってエディを見てみると、悔しそうな顔をして「せめて半額にしてくれたら、俺も買えるんだけどなぁ」とぼやいた。か、買えちゃうんだ……?
「……でも、エディさん。これって本物なんですか?」
「本物だよ。叔父上がよく気に入って付けていた……叔母上からの、結婚記念日に貰ったプレゼントだったみたいで」
「あの、お安くして貰えませんかね……? せめて、良心的な価格で売って欲しいんですが」
なるべく目を潤ませて、可愛く見上げてみると、あっさりと頷いた。横のエディとハーヴェイが「おい!!」と血の滲むような声を上げる。
「お前、このクソジジイ!! 俺の娘が可愛いからって! 俺の娘が可愛いからって!!」
「今まで散々ごねていたのにですか!?」
「い、いやぁ~……この子が生き別れになった娘にそっくりでねぇ」
「絶対に嘘だろ、てめぇ! いないだろ、そんな娘!!」
「九十パーセントオフ! いや、指輪一個ぐらいの値段にしてください!!」
「それは流石にちょっと……」
結局三人で詰め寄って、リーズナブルな指輪一個ほどの値段にして貰った。いきなりすんなりと頷いた店主を思い出したのか、横のエディとハーヴェイがぶつくさ言い出す。
「何だよ、あいつ……レイラちゃんがお願いした途端、あっさりとさぁ」
「店に火でもつけて燃やしてやるべきか? クソジジイ、古臭い骨董品とまみれて燃えちまえ」
「ま、まあまあ……落ち着いてくださいよ。あと」
「「ん?」」
「お父様には話しかけてない。エディさんに話しかけてるんですけど?」
「だ、第二次反抗期……!?」
「どうしたの? レイラちゃん」
雪がちらほらと降って、賑やかに人が行き交う大通りの中で、一際輝いて見えた。淡い琥珀色の瞳を細めて、嬉しそうに笑う。私といれて嬉しい、私に見つめられて嬉しいと言わんばかりの微笑みだった。胸の奥がきゅっと狭くなる。
「渡したいものがあります。その、婚約指輪のお返し……」
「えっ!? マジで!? 何かな、お肉!?」
「いや、流石にそれは……お肉の方が嬉しかったですか!?」
「う、うそうそ。冗談だから……」
「レイラ~? パパにはぁ~?」
「無い。あると思ったんですか?」
「新しい我が息子よ、レイラが冷たいんだ……」
「ま、まぁまぁ……帰りましょうよ。帰って、義母さんとアーノルドと、シシィちゃんと一緒にご飯でも食べましょうよ」
修正するので、次は更新休みます。