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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第四章 絡まった糸をみんなで解いて
115/122

10.新しい日常と父親からのメッセージ

 




 朝、カーテンの隙間から光が射し込む。起きなきゃなとは思いつつも、両目が開かなかった。仰向けになったまま、鼻から深く息を吸い込むと、他人の家の香りがした。でも、どこか懐かしい。ああ、そうだ。ここはあのキャンベル男爵家で。



(引っ越したんだ……慣れないな、まだ。本当に)



 兄上は意外と何も言わなかった。魔術新聞に目を通したまま、こちらを見上げもせずに「まぁ、一年間傍にいてくれたから。別にそれでいいよ、エディ」と言ってくれた。その手も声も、心なしか震えているような気がしたけど。まぁ、またいつでも会えるし。兄上にはキースもガイルもいるし。



(ガイルの薄情者め……まぁ、いいんだけどさ。別に)



 ガイルはキースの下へ帰っていった。離れて暮らすとなると、やっぱり辛いみたいだ。もう悪夢を見てうなされても、あの冷たい鼻先はやってこない。もふもふも出来ない。



(でも、ようやく手に入れたから。レイラちゃんを)



 だからいいや、これで。そろそろ起きないとまずいかな? どうかな。ごろりと寝転がって枕を抱えていると、ある気配が近付いてきた。彼女だ、すぐに分かった。今、上の階で扉を開けてこっちに向かってる。あの当時、ハーヴェイおじさんが嫌がって、俺とレイラちゃんの部屋をなるべく離した。もう今は別にいいんだぞ、何なら同じ部屋でもいいぞって言われたけど、昔住んでた部屋を使ってる。



(ああ、そっか。俺……色々取り戻したいんだなぁ)



 またあの頃に。またあの頃に戻って、この屋敷で彼女と穏やかに暮らしたい。横向きになってうつらうつらしていると、おもむろに扉が開いた。彼女だ。



「エディさん! おはようございますっ! 外、雪がすごいですよー!」

「わっ!? ……おはよう、レイラちゃん」



 白いネグリジェを着た彼女が、寝台に飛び込んできた。抱き止めて起き上がりつつ、「昔もこんなやり取りをしたね」と言おうとしたら、彼女が先にそのことを口にする。



「ふふ、昔も似たようなやり取りをしましたよね? 私達」

「うん……良かったよ、記憶が戻って。ハーヴェイおじさんが戻してくれて。いや、パパだったな。そういや。パパ」

「……今いないし、律儀に呼ばなくてもいいんですよ?」

「いや、ついうっかり呼びそうだしさ。おじさんって」

「呼んじゃえばいいのに……」

「荒れてるね、レイラちゃん……」



 彼女が深い紫水晶のような瞳を細めて、ぼふんと抱き付いてくる。笑ってそれを抱き締め返していた。窓の外ではしんしんと、白い雪が降り続けていて。地面に積もっては、その高さを増してゆく。



「おはよう、エディ。レイラ。飯出来てるぞー」

「ありがとう。でも、いいのに……」

「アーノルド様は何だかんだいって、人の面倒を見るのが好きなんですよ。お父様、おはようございます」



 ソファーで珈琲を飲んで、新聞を読んでいたハーヴェイが唖然とした顔で、ふるふると震え始める。寒いからか、赤とオレンジ色のカーディガンを着込んでいた。



「今……何だって? お父様って!?」

「まぁ、私の記憶も戻してくれたし……エディさんのこともちゃんと大事にしているみたいだし、ふぉっ!?」

「あっ、ありがとう! ありがとう、レイラ! 滅茶苦茶嬉しいよ!!」



 感激したハーヴェイがこちらを抱き上げ、くるくると回り出す。笑いながら回されていた。ああ、もういいや。全部取り戻していこう、これから。何もかも全部を。



「遅れるっ! 遅れる! どうしよう!? アーノルド! いや、お義兄様!?」

「お義兄さんでいいよ、別に……」

「呼んで欲しいんですか? お義兄さんって」



 ばたんと馬車の扉を閉めたアーノルドが、黒いコートのあちこちにくっいた雪を払い落としつつ、気まずそうな顔で黙り込む。隣に座ったエディがぱっぱっと、紺色コートについた雪を手で払いながら、「じゃあ、お義兄さんって呼ぼうかな~」と呑気に呟いた。外は寒く、鼻先が赤く冷え込んでゆく。



「まぁ、元々、弟が欲しかったしな……妹じゃなくて」

「えっ? そうだったんですか? あ、でも、そんなことを昔に聞いたような気が、」

「じゃあ、良かったじゃん。俺という弟が出来てさ」

「エディ、お前な……」



 ふと窓の外を見てみると、吹雪いていた。一緒に窓を覗き込んでいたエディが「わ~……やばいな、本格的な冬到来だ」と呟く。ふうと息を吐いてみると、白く曇っていった。



「ジル、大丈夫か? あいつ……」

「どうせ言っても聞かないでしょう。ジルさんってば、本当に甘い……」

「あっ、そっか。この雪の中、御者台に座って運転してるのか……」

「言っても聞かないんですよ、いつもいつも……」

「まぁ、そのお陰で遅刻しないんだけどな……空からだと早いから」

「便利~……それに格好良いもんなぁ、これ」

「分かります、格好良いですよね……」

「俺とどっちが?」

「えー? それは、」

「おい、イチャイチャするなら俺のいないところでしろよ。デリカシーゼロかよ、お前ら……」



 三人で顔を見合わせて笑って、食べ切れなかった朝食のサンドイッチを食べる。何せお父様がはしゃいでいて、私を離してくれなかったのだ。ベーコンと目玉焼きが入ったパニー二と、紙袋に入った熱々のフライドポテト。隣で缶珈琲を飲んでいたエディが、嬉しそうに笑う。



「でも、良かったよ。お義母さんもシシィちゃんも嬉しそうだった」

「えっ? そうですか……?」

「当たり前だろ。あいつ、俺への当たりも柔らかくなってきたぞ。ま、不気味なんだけどな。にっこり笑いかけられても」

「もー……そんなこと言うから、シシィちゃんも怒るんですよ」

「でも、意外と仲良いよな。昔に比べて」

「まぁ、殴り合いの喧嘩とかしなくなったからな……」

「そうだった。昔、かなり酷い喧嘩を繰り返していましたよね……」



 私の記憶も戻ったので、三人で思い出話をする。そうこうしている内に、センターの駐車場に着いた。早速、アーノルドがエディを盾にして、そろそろと馬車を降りてゆく。



「大丈夫だって! いないって、ファンの子達も!」

「いいや……いるんだ。雪の日も雨の日にもずうぅっといるんだ……」

「割り切っちゃえば良いのに、まったくもう。お兄様ってば」



 何となくそう呼んでみると、マフラーを頭から被ろうとしていたアーノルドが、銀灰色の瞳を瞠った。でも、次の瞬間、仕方が無いなと言わんばかりに笑う。



「まぁ、いいよ。それで。俺もずっとずっと、そう呼んで欲しかったのかもしれないし」

「……大丈夫? レイラちゃんへの未練、ない?」

「ないない、大丈夫大丈夫。何だかんだ言って俺は、お前らのことが一番大事なんだよ。今回の件でしみじみそう思ってさ、俺……」



 銀髪頭をすっぽりと、赤チェック柄のマフラーで隠しつつ、エディの背中に隠れる。すると黒鳥をただのカモに戻していたジルが、それを見て笑った。



「まぁ、でも、大泣きしてましたよね? 坊ちゃんは。あの時」

「ジル、お前な……」

「えっ? 大泣きって、レイラちゃんに振られた時? 婚約解消した時の話?」

「エディ、気遣いって言葉知ってるか……?」

「まあまあ、ほら? 遅刻しちゃいますし、行きましょうよ……」

「罰として盾になれ、俺の」

「いや、別に盾にぐらい、いつでもなってやるけどさ……」



 アーノルドがエディを盾にして、黄色い歓声をなるべく聞かないようにしながら、廊下をひたすらに歩く。その後ろ姿を見て、ジルと二人で笑っていた。ああ、でも、良かった。色々と上手くいきそうで。



「レイラちゃーんっ!! 久しぶりーっ!」

「わっ!? エマさん!?」

「俺の婚約者に一体何をするんですか!? 俺の婚約者に!」

「嬉しそうね、エディ君……おはよう」

「あ、おはようございます。ミリーさん」



 紺碧色の制服に着替えて部署に行くと、エマに飛びつかれた。でも、確かに久しぶりだ。ここ何日間か、風邪で休んでいたし。奥の方でジェラルドが立ち上がって、こちらへとやって来る。



「おい、エマ。お前もお前で妊婦なんだから、もう少し大人しく、」

「「妊婦!?」」

「早くないか? 入籍は?」



 アーノルドの問いかけに、照れ臭さと気まずさが入り混じった顔をする。エマは何も気にせずに、「久しぶりのレイラちゃんっ……!!」と呟いて、私の髪の匂いをふんがふんがと嗅いでいた。



「あー、一応済ませました。こいつの希望で、挙式は春頃にしたいって」

「えっ? 俺とレイラちゃんの式と重なるじゃん……」

「ずらせばいいだろ、エディ。まぁ、おめでとう。当の本人、レイラにべったりだけどな」

「まぁ、慣れているんで……」

「俺は慣れてない!! 奥さんをどうにかしてくださいよ、ジェラルドさん!?」

「無理。噛み付かれる」



 結局、エマと抱き合っている最中、ずっとずっとエディが背後で「俺の婚約者なのにな~、俺の婚約者なのになぁ~……」と恨みがましく呟いていた。まぁ、眷属だし、ドラゴンの血も混じってるし、嫉妬深いのはもう仕方が無い。でも、笑いかけるとすぐに機嫌を直して、嬉しそうに笑っていた。



「義兄さーん、食べよう。食べよう。一緒に昼飯~」

「その呼ばれ方、落ち着かないな……てか、お前らだけで食べてきたらいいじゃん」

「外、吹雪いてるしさ~。たまには一緒に食堂で食べようぜ。なー、なー」

「食堂はやだ。囲まれる」

「じゃあ私達、アーノルド様の分も買ってきますよ。何がいいですか?」



 アーノルドが困ったように笑ってから、「揚げ物以外で」と呟く。流石にそれだけじゃ分からないなと思っていると、エディが身を乗り出して、「チキンか? サンドイッチか? それともパスタか? 一体どれだ!?」と質問責めし出した。



「いやぁ~、義兄さんも義兄さんで、ちゃんと言ってくれたらいいのになぁ~」

「私、まだその呼び方に慣れてないんですけど……」

「えっ? そう? 俺はもう慣れたよ。あっ、パパから電話だ。何だろ」

(色々と早くてついていけないな……)



 ぺるるると、エディのポケットにあった魔術手帳が鳴り出す。それを出して開いて、「もしもし? どうしました?」と聞いていた。耳を澄ませてみると、ただの愚痴と新しい息子への愛の言葉だった。私が悪いのかな……? 本当についていけない。



「あー、はいはい……それは大変でしたね。うん、うん。今日? 今日は帰って食べるつもりです。やった! ミートパイ! レイラちゃん、今日パパがミートパイ買ってきてくれるって。ほら、あそこの。公園の横にある店の」

「ああ……やった」

「全然わくわくしてる感が無いね……? まぁ、いいや。ん? 大丈夫です。どちらかと言えば引いています。もうパパに怒ってる訳じゃないと思いますけど……」

「もしかして、貢ぎ物のミートパイ……?」

「っふ、そうみたい。あー、うん。大丈夫ですよ。俺? 俺は別に。はーい、それじゃあまたあとで。はい、頑張って。えっ? いや、それはちょっとハードルが高いな……」



 何を頼まれたのか、メモ帳サイズの手帳を耳に当てながら、渋い顔つきとなる。はらはらしながら見守っていると、エディが深く息を吸い込んで、「ありがとう! 俺も好きだよ、パパ」と言っていた。あの人はまったくもう……。



(自分がしたこと、忘れてない? エディさんに叔父さん夫婦を殺させて、戦場から帰ってきたあとも色々として……)



 エディがげっそりした顔で溜め息を吐き、手帳をぱたんと閉じて電話を切る。



「あー……流石の俺も愛してるとは言えないよ。練習しなきゃな……」

「いいんですよ、別に! そんなことしなくても! というかエディさん、本当に大丈夫ですか? トラウマは?」

「いや、人って幸せになったら恨みも消えていくもんなんだよ……それに、叔父上にも許して貰えたし」

「……ああ、言ってましたね。そういえば」

「うん。だからいいよ、別に。もうレイラちゃんもいるしね」



 嬉しそうに笑って、私の手を握り締めてきた。もうこの手を振り解かなくてもいい。きっと、良からぬ噂を流している人達もいるんだろうけど。でも、エディが全部追い払ってくれるし、また私が誘拐されないよう、そっくりさんも影に潜んでくれているし。ぎゅっと、その手を握り返す。そうだ、取り戻そう。全てを。欠け落ちた時間を埋めるかのように、見つめ合って笑っていた。



「……お昼ご飯、何食べますか? エディさん」

「何にしようっかな~、寒いし腹減ってきたな~」

「っふ、寒くても暑くてもお腹減ってるくせに」

「だね! 燃費悪い、俺。基本的に」



 食堂に行って、メニューを選んで頼んで。新しい日常にはまだ慣れていないけど、それも今だけのような気がする。きっとすぐに慣れていく。ふと、サンドイッチを食べていたジルがこちらを向いた。



「あっ、そうだ。どうするんですか? 指輪とか、挙式とか新婚旅行とか」

「「新婚旅行……」」

「おい、考えてなかったのかよ……俺がいくつか提案してやろうか?」

「うーん……そうだね。お義兄さんに全部決めて貰おうっかな!」

「ちょっと待って、それは流石にやだ……」

「春に式を挙げるのなら、そうだな……白いブーゲンビリアが圧巻のドルテ島。でも、お前ら食うしな。春のミエレ島もいいぞ、綺麗で」

「そういえば行ってましたね、ジルさんと二人で」

「何で二人で? 家族みんなで行かなかったの?」

「坊ちゃん、反抗期だったんですよ」

「あ~、なるほど」

「やめろよ、こっちを見るなよ……」



 サーモンとチーズの生パスタを食べていると、アーノルドが深く溜め息を吐いて、スープのクルトンを掬い上げた。隣でエディがハーブティーを飲みつつ、じっとアーノルドのことを凝視する。



「じゃあ、ミエレ島にしようかな……どう? レイラちゃん。それでいい?」

「あっ、はい。もういいかな、それで」

「お前らな……自分達でちゃんと決めろよ。不安になるな」

「甘いもの好きだし。俺は別にこだわりないし」

「私も~」

「……」

「まぁまぁ、本人達がいいって言ってるんですから……」

「別に何も言ってねぇよ、俺は」



 エディがもふもふと、葡萄パンを食べながら笑う。アーノルドが気まずそうな顔をして、ローストビーフを食べていた。多分、これからもこんな風に続いていくんだろうな。



「あっ、そうだ。これ……その、エドモンから」

「えっ!?」



 夕食後、リビングのソファーで寛いでいると、おもむろに黄ばんだ封筒を渡された。そこには懐かしい字で“大人になったレイラへ”と書かれている。深い葡萄酒色のベロアワンピースを着たレイラが、声も出せずに、ただひたすらそれを見つめていると、黒いタートルネックを着たエディが代わりに聞いた。



「どうして今更これを? いや、エドモンさんはレイラちゃんへ手紙を遺していたんですか?」

「そう、元々エドモンは重たい魔力障がいのせいで……長生きは出来ないと言われていて。あの事故で死ぬ数ヶ月前、実は余命宣告をされていたんだ」

「えっ!? 私、そんなこと一度も聞いてない……」

「エドモンから口止めされていたからな」



 いや、もっと早く言って欲しかった……。混乱して、立ってチーズケーキを食べているハーヴェイを見てみると、「ん?」と言って、またケーキを頬張り始める。きっと今、私の気持ちを何も理解していない。



「パパ、レイラちゃんもそれを早く聞いていれば、その、殺してしまったとかそんな罪悪感も薄れて……」

「いやぁ~……エドモンに口止めされていたからな、俺」

「ごめんなさいね、レイラ。いつもこの人はこうなのよ……」



 かたんと、イザベラが紅茶の入ったティーカップとチーズケーキをテーブルに置いて、溜め息を吐く。それから、振り返って「ちゃんと座って食べて!」と怒っていた。隣に座ったエディが、フォークを持ったまま話しかけてくる。



「レイラちゃん、開けてみたらどう?」

「あっ……じゃあ、一人で見てこようかな? でも」

「俺がいた方がいいかな……じゃあ、ご馳走様でした。あの、お皿も」

「いいのよ、気にしないで。あなたはもう私の息子なんだし」

「ありがとうございます……」

「あの、お父様」

「ん?」



 しょぼくれて、向かいの肘掛け椅子に座っていたハーヴェイが、フォークを片手にこちらを見つめる。



「どうして今、これを……? 大人になった私に渡すよう、そう言ってたんじゃ」

「……お前が俺のことをその、お父様って呼んでくれたら渡そうと思っていてな」

「まさかのそんな、くだらない理由でずっと隠していたんですか……?」

「くっ、くだらなくなんかないもん……!!」

「れ、レイラちゃん……」



 すうすうとうたた寝をしているアーノルドに、「じゃあ、おやすみなさい」と声をかけてから立ち上がる。エディがそっと、毛布をかけてあげていた。やっぱり仲が良い。



「じゃあ、行こっか。おやすみなさい、お義母さん、パパ」

「ほーい、おやすみー」

「おやすみ、レイラ。またあとで、出来ればシシィにも言ってあげてー」

「はーい、分かりました。お母様、お父様、おやすみなさい」



 封筒を握り締めつつ、エディと黙って廊下を歩く。何だろう? 最近、怖い手紙しか受け取っていなかったから新鮮だ。少なくとも、ぎょっとするようなことは書かれていないだろう。ふとエディを見てみると、廊下の絵画を見上げていた。淡い琥珀色の瞳を細めて、しみじみと眺めている。



「あの……エディさん?」

「ああ、ごめん。どうしたの?」

「これ……何が書いてあるんだろうと思って」

「んー……何だろうね。でもきっと、父親としての言葉しか並んでないよ。羨ましいな、そういうの」



 そっか、エディさんのお父様は殺されてしまったから。遺書とか遺されていないのかもしれない。そんな考えを読み取ったのか、エディが困ったように笑う。



「一応、遺書もあったんだけどさ……ああ、この人はどこまでも子供だったんだなぁって。少なくとも、俺の父親じゃなかったんだなぁって。そう思わせるような言葉ばっかり並んでいてさ。がっかりしたのをよく覚えてるよ」

「……それは腹が立ちますね」

「うん、そうだね。イラっとしたかなぁ~」



 疲れたように笑って、両腕をぐーんと伸ばす。辺りは静かだった。廊下の窓には雪と暗闇だけが映ってる。



「私は良いお母さんになりたいな……」

「っぶ、え!? ちょ、今、気管に入った……!!」

「えっ!? 噎せるような要素、ありましたか!?」



 エディがげふげふと咳き込む。あれ? どうしたんだろう、本当に……。背中を曲げてお腹を押さえながら、「はー、焦ったぁ」と呟く。



「いや……うん。俺も良い父親になりたいなぁ」

「大丈夫ですよ、エディさんならきっとなれますよ」

「……レイラちゃん、そういうとこだよ。俺、ずっとそういう部分に苦しめられてきたんだよ」

「えっ!? 一体何の話!?」



 二人で廊下を歩いて、ひとまずエディの部屋に入る。エディが暖炉に火を入れてくれている間、待ち切れなくなって立ったまま、その封筒を破く。



 大人になったレイラへ


 この手紙を読んでいるお前は、もしかしたら俺を殺してしまった後なのかもしれない。ハーヴェイや叔父さんにも散々止められていたのに、俺の我が儘に巻き込んでしまってごめん。



「お父様……」

「あれ? もう読んでるの? きっと辛くなるから、こっちで座って読んだ方がいいよー」

「はーい……それもそうですね」



 エディがぽんぽんと、カウチソファーの座面を叩いて呼んでくれた。その隣に腰かけると、すかさず毛布を膝にかけてくれる。「ありがとうございます」と言いつつ、もう一度手紙に目を落とす。



 そんな予想をしながら書くのも、何だか虚しいことだけど。まぁ、仕方ない。俺はどうしても、メルーディスと二人で自分の子供を育てたかったんだ。誰の手も借りずにね。



 そこには魔力障がいを持って生まれたせいで、叔父であるジョージに預けられたこと。それが淋しくて仕方なかったこと、実の両親にはもう健常な子供が生まれていて、自分は用済みなんだと打ちのめされたこと。だから、自分の子供にはそんな思いをさせたくなくて、私を夫婦二人だけで育てたかったこと。普通の人のように、私を育てたかったと。



 そんなわだかまりや、メルーディスの複雑な生い立ち、ハーヴェイとの関わり、残された自分の人生について、長々と書き綴ってあった。手紙を読み進めていくにつれ、熱い涙が滲み出てくる。深く息を吸い込めば、いつも使っているコロンの香りが漂ってくるような気がした。



 ……最後に、もう一度だけ。俺の我が儘に巻き込んでしまってごめんよ、レイラ。でも、気にすることは無い。長年、子供が出来なくて。メルーディスも一時期は自殺を考えたほど、追い詰められてしまって。俺がずっとずっと、それこそ学生の時から、子供が欲しいと言っていたから。


 だから、妊娠したかもしれないとそう思い始めた時、二人で期待し過ぎないようにしようねって話し合ったんだ。これでだめなら養子を迎えようとも。でも、結果は喜ばしいものだった。お前がいてくれた。俺もメルーディスも泣き崩れたよ。みんなが喜んでいたよ、ハーヴェイもイザベラも、ジョージ叔父さんも、その妻であるフィーフィーも。



 そうだ、フィーフィーさん。また会いに来るわねと、そう言ってくれたけど。次はいつ会えるんだろう? お父様やジョージ大叔父さんについて聞きたい。涙ぐんでいると、エディが背中を優しく擦ってくれた。



「大丈夫? レイラちゃん」

「はい……ありがとうございます。エディさん」

「それ……その、良ければだけど。あとで俺も読んでみてもいい?」

「はい、もちろんいいですよ。はー……うん、何か色々とすっきりしたかも」



 どうして頑なに、ハーヴェイの助けを拒んでいたのか。その全部が分かってすっきりした。手紙の最後は私への愛の言葉で締めくくられ、三歳ぐらいの私と二人が映っている、フォトフレームが入っていた。



「あっ、これ……」

「多分、動画だよね? 動くやつ……」



 エディと二人でスイッチを押してみると、それまで静止画だった小さい私と両親が動き出した。声も聞こえてくる。



『撮れてるかなぁ? これ』

『撮れてるわよ、きっと。ほら、レイラー? おいで、お膝に』

『なぁに? これー』

『映ってるの、これ。ほらほら~』

『これを見る時、一人で泣いてないといいけどなぁ。大丈夫か? レイラ。お前の傍には誰かちゃんといてくれているか?』



 その心配そうな顔のお父様を見て、一気に涙が溢れ出して止まらなくなった。エディが泣く私を抱き寄せ、「大丈夫、エドモンさん。俺が傍にいますよ」と呟いてくれる。



『ケーキ! ケーキはー?』

『あとでね、それは。ほら……何て言ったらいいのかなぁ? レイラ、元気? ちゃんとご飯も食べてる?』

『メルーディス、俺が死んだら自分も死ぬつもりで話すなよ……』

『だってそのつもりだもの。一人じゃ生きていけないもん……』



 お母様が拗ねたように呟いて、小さな私を抱き締める。ああ、そうだった。手紙に書いてあった。お母様もお母様で、トラウマがあってお父様から離れられないんだって。歪な両親でごめんと、そう書いてあったな。



『朝から何も食べてません!』

『嘘吐け、レイラ! さっきもパン、三つぐらい勝手に食べただろー?』

『もー……外にも出てないのに、急にそんなことを言い出すんだから』

『今、お前は反抗期でな。ずぅっと外に出たいって騒いでるよ。本当にごめん、レイラ。当たり前のことをさせてやれなくて……』



 薄っすらと涙を浮かべて、三人でソファーに座って、そんなことを言い出す。見ていられなくなって顔を背けていると、エディが一旦止めてくれた。



「……またいつでも見たらいいよ、レイラちゃん。今日は寝ようか、もう」

「はい……!!」

「大丈夫大丈夫、また一緒に見ようね。辛くなければだけど」



 エディがゆっくりと背中を擦ってくれた。赤々と、暖炉の火が燃え盛っている。外では雪が降っていた。でも、心は安らかだった。



「私……私」

「うん、どうしたの? レイラちゃん」

「これから、エディさんと一緒に沢山の楽しいことをします……!!」

「うん、しようね……新婚旅行だって何回も行こう。アーノルドともシシィちゃんとも、色んなところに遊びに行って」

「ふぁい……おやすみ、しに行きます……」

「うん、行こっか。俺が泣かせたんじゃないかって、そう疑われなきゃいいけどなぁ」

「っふ、きっと大丈夫ですよ……」



 涙を拭いながら見上げてみると、ふっと淡い琥珀色の瞳を瞠って、またいつものように優しくキスをしてくれた。額にだったけど。



「……不満そう。可愛い」

「ちょっとぐらい、その、イチャイチャしたあとに行こうかな……?」

「それ賛成。愛してるよ、レイラちゃん。はー、可愛い……歩いて動く至宝」

「歩いて動く至宝……」

「……この温度差も消えて無くなるといいなぁ。あっ、そうだ。また一緒に写真を沢山撮ろうね。コレクションしたい。壁にいっぱい貼りたい」

「……」

「へ、返事は……!? してくれないの!? ねぇ!? レイラちゃん!?」




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