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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第四章 絡まった糸をみんなで解いて
114/122

9.私達の罪を神に委ねて

 






「あっ、忘れてた。気持ちわる……」



 鏡台の引き出しから、ルドルフが遺したネックレスと手紙が出てきた。本当に気持ち悪い。でも、今の私にはエディさんもいるし。これから一緒にご飯も食べるし。黒髪を下ろして、朝靄のような灰色のワンピースを着たレイラが目を閉じ、そのネックレスを握り締める。



「よし、エディさんに処分して貰うのは怖いから。ハーヴェイおじ様に処理させようっと。あーあ、またおかしなこと言い出したら殴るべきかな……」



 ポケットに手紙とネックレスを突っ込み、部屋を後にする。私が全然口を聞かないからか、怖々と「おーい……? おはよう」だとか「これ買ってきたけど食べる……?」しか言わなくなってきた。それも全部無視してるけど。苛立ちながら廊下を歩いて階段を下りると、ふいにリビングへ続く扉が開いた。エディだった。鮮やかな赤髪を下ろして、白いタートルネックとデニムを着ている。



「レイラちゃーん……? どうしたの、苛立って」

「エディさん! 大丈夫ですよ、エディさんにじゃないから」

「あれかなー、ハーヴェイさんにかなー?」

「そうです! よく分かりましたね」



 抱き付くと、嬉しそうに笑って抱き締め返してくれた。それから離れて、リビングの中に目を向ける。そこにはミトンをつけて、ラザニアを持ったイザベラが佇んでいた。



「レイラ、もうすぐ出来るわよ。あとはスープを温め直すだけだから……ああ、あとそれから、あの人が話をしたいって。ソファーで沈んでるから、行ってあげて?」

「えっ、やだ」

「まぁまぁ、そう言わずに。レイラちゃん……ハーヴェイさんのとこ、行こうよ? ほら」

「よく許せますね、エディさん」

「いや、さっきからずっと泣いてるし……アーノルドもシシィちゃんも完璧無視してるし」

「合っていると思います、それで。正解正解」

「レイラちゃん……」



 イザベラが自分で蒔いた種だと言わんばかりに、ふんと鼻を鳴らして、キッチンの方へと向かう。リビングに入ると、ソファーで本を読んでいたセシリアが私を見て、ぱぁっと顔を輝かせた。その横には、ぐずぐずとうつ伏せになって泣いているハーヴェイがいた。



「お姉様! あの、その……」

「っふ、何だかこうして話すの、久しぶりですね? セシリア様。えーっと、シシィちゃん?」

「えっ!? あの、もし、ももももしかして……!!」

「もうこれからはそう呼ぼうかと思いまして、おわっ!?」

「お姉様っ! 良かった!!」



 近寄ると、喜んで飛びついてきた。本がばさりと床に落ちる。ハーヴェイがそれを拾い上げながら、「俺は……? お父様は!?」と言ってきたが無視する。エディが苦笑して、私の背中に手を添えた。



「うっ、うう~……良かった! 本当に……お姉様!」

「ごめんね、今まで。遅くなっちゃったけど、姉妹になろうね……」

「うぐ! るいせん、涙腺が崩壊しました……うぐ、ふぐ」

「俺は!? レイラ、俺は!?」

「うるさいので黙ってください、ハーヴェイおじ様」

「うっ……日頃の行いが祟ってる……うう」

「だ、大丈夫ですか……?」



 放っておけばいいのに、エディが気遣わしげな声を出して話しかける。誰でもいいから頼りたい気分なのか、エディを手招きして呼び寄せて、服の裾を握り締め、ぐずぐずと泣き出した。苛立つ、私のエディさんなのに。一旦セシリアから離れて、ハーヴェイの手を叩き落とす。



「いたっ!? レイラ!? ひ、酷くない!?」

「酷いのはハーヴェイおじ様のポンコツ頭でしょう? なにエディさんに甘えているんですか? まだちゃんと謝ってないでしょう?」

「いや、だって、俺は別に悪くないし……ぐえっ!?」

「殴る。ちょっと一発だけ殴らせて欲しい」

「ちょ、ちょっと待って、レイラちゃん!? やめよっか! それは流石に! ねっ? ねっ?」

「だ、だだだだ大丈夫だから! 俺はもうほら、エディを息子にする気だから!」

「……はい?」



 胸倉を掴んで拳を振り上げていると、涙目でそんなことを言い出した。背後のセシリアが「息子?」と呟く。



「息子……って? えっ? 俺のことを?」

「そうそう、エドモンの提案なんだけどさ。夢でさぁ」

「お父様が……?」



 ぱっと首から手を放すと、ふーと息を吐いて首元を緩めた。仕事から帰ってきたばかりなのか、紺色ストライプのネクタイを締めて、紺色のスーツを着ていた。



「そう、エドモンがさ? この家から離れていくのが嫌なら、レイラとエディを住まわせたらいいって。婿養子にすればいいって」

「婿養子……」

「えっ、やだ。お金もあるんだし、私、エディさんと一緒にマンションかアパートに住みたい。二人だけでのんびり暮らしたい」

「お姉様!? せっかく姉妹になれたのに……」

「えーっ!? じゃあ、結婚許したくないんだけど!?」

「俺は別に……レイラちゃんと一緒ならどこでも」



 振り返ってみると、エディが微妙な顔をして、赤髪頭を掻いていた。何だかちょっとだけショックだ。打ちのめされていると、慌ててエディが手を握ってくる。



「ご、ごめん! 誤解させちゃったよね!? 俺としてもそりゃ、心置きなくイチャイチャ出来るし……二人で暮らしたいよ。でも」

「でも……?」

「俺さ? その……この家にいい思い出が沢山あって」

「いい思い出……? 一体どうしてですか」

「まぁ、私、てっきり辛い記憶ばかりなのかと……」

「うーん……まぁ、辛いっちゃ辛い。でもさ? 初めてだったんだよね。まともな家族の形に触れたのって」



 目を瞠って見つめてみると、エディが柔らかな苦笑を零した。最近、ぐっと雰囲気が柔らかくなった。それに、何だか幸せそうだ。



「俺のさ、父親って本当にクズで……ろくに帰ってこないし、帰ってきたら帰ってきたで、母上とイチャついてばっかだし」

「イチャついて……?」

「うーん、おかしいなぁ。俺の記憶によると、ハルフォード公爵家は何かと揉めていたイメージしかないが」

「そうですね。世間的に見ると……そうなのかもしれません。大抵の人が勘違いしてますけど、実際夫婦仲は良かった。……色々と歪んでいたけど」

「歪んで、ですか」

「お兄様……」



 一斉に見つめられ、また困ったように笑う。でも、そんな顔が好きだった。こちらをなだめるような、穏やかな表情が好きだった。淡い琥珀色の瞳が細められ、優しく蕩ける。さらりと、エディが私の黒髪を梳かしていった。



「そう、歪んでた。ここへ来て初めて俺は、家族の形を知ったんだと思う。みんなで賑やかにご飯食べてさ? イザベラおばさんもハーヴェイさんも浮気とかしてなくて。普通に喋ってて」

「そういやお前、来たばっかの時……変な質問ばっかりしてきたな」

「懐かしいな。あの頃のお前は、父上にも俺にも妙なことばかりを聞いてきた」

「アーノルドさん」

「アーノルド様」



 アーノルドがエプロンを脱ぎつつ、こちらを見て笑う。きっと、スープを温め終えたのだろう。奥のキッチンでは、イザベラがお皿に何かを盛っていた。



「ハーヴェイおじさんは愛人のところに行かないんですか? とか。家族が揃うまで何でご飯を食べちゃいけないんですか? とか。色々聞いてきたなぁ」

「そうそう、俺がイザベラに疑いの目を向けられたりして……」

「……あったあった。レイラちゃんはもう、覚えてないけど」

「エディさん、あの」

「あっ、そうだ。忘れてた。レイラとエディがこの家に住んでくれるのなら、結婚も許すし、記憶も元に戻してあげるけど?」



 ふふんと偉そうな顔のハーヴェイに苛立って、私が無言でがっと胸倉を締め上げると、慌ててエディとアーノルドが止めに入ってくる。



「レイラちゃん、待とう!? ちょっと落ち着こう!?」

「ほら、レイラ!? 苛立つのはよく分かるが、話が進まないからな!?」

「もーっ! 何で止めるんですか!? 私だって一発ぐらい殴りたいのに!」

「やめて!? 俺、泣いちゃう! お父様泣いちゃうからぁ!」



 二人に説得され、渋々諦めて解放する。ハーヴェイがまた溜め息を吐いて、ネクタイを緩め出した。



「それでだ……俺はとりあえず、レイラが離れていかなきゃそれでいいんだよ。どこの誰と結婚しようが、」

「は? 父上?」

「お父様? 今のって」

「えっ? あ、うん……? そりゃ、とんでもないクズ男だったら嫌だけどさ? でも、エディ君ならレイラのことを大事にしてくれそうだし、ぐえっ!?」

「俺の今までの苦労を返せよ!? 最初からそう言えばいいじゃん、この綿毛ポンポン頭が!!」

「わーっ!? ちょ、もう一回殴られるのは勘弁、」

「お兄様! 次は私で!」

「シシィちゃん!? うそーん!!」

「殴ってやるべきですよ、そんなやつ!」

「落ち着こう!? ちょっ、落ち着こう!?」



 ハーヴェイを殴ろうとしているアーノルドを見て、エディが止めに入る。アーノルドがぱっと手を放し、エディに向き直った。



「おい、許せるのかよ!? お前は! 散々あんな目に遭ってきて!!」

「いや、お前が怒ってると怒れないじゃん? もういいかなって……」

「お前がよくても俺はよくない!! もう一回殴る! ぶん殴ってやる!!」

「わーっ!? ごめんごめん、助けて!? エディ君、助けて!?」

「落ち着こう、一旦! 本当落ち着こう!?」



 数分後、ぜいぜいと息を荒げて俯く。ハーヴェイはすっかり疲れてしまったのか、ソファーに座って項垂れていた。エディがアーノルドの背中を擦りつつ、話しかける。



「それで? 記憶を元に戻すって本当ですか?」

「ああ……お前がちゃんと俺のことをパパと呼んで、父親にするのならな。あと住んで。ここに」

「あっ、はい。じゃあ、パパって呼びますね」

「複雑な気持ちになるの、俺だけか……?」

「安心してください、私もですよ。アーノルド様……」

「お兄様は本当にそれでよろしいので……?」

「兄妹揃って、非難がましい目で見てくるなぁ……」



 そっか、兄妹。エディの言葉に驚いて、アーノルドを見てみると、溜め息を吐きながら首の裏を掻く。



「あー、まぁ……お前がいいのならそれでいいんだけどさ? 俺は」

「うん、別に。あと……そうだな。あんな風になってしまって悲しかったから。一時期は父親代わりにしていたし、むしろちょっと嬉しいぐらいで、おわ!?」

「息子よー!! 息子たんよー!!」

「うわ、こわ、きもっ……」

「れ、レイラちゃん……」

「分かりますわ、お姉様。その気持ち……なんだかんだいってお父様は頭がおかしいのよ。ネジが何本か外れてる」

「同意。はーあ、疲れた……俺の苦労を返してくれよ、本当に。今まで散々悩んできたのに……」



 アーノルドが深い溜め息を吐き終えた頃、イザベラがやって来て宣言する。



「さっ! ご飯食べるわよ? みんな」

「「はーい」」

「やった! 楽しみ~。久々ですね、こうやっておばさん達と食べるの」

「よし! エディ君は俺の隣でご飯食べるか! なっ? なっ?」

「父上……」

「ハーヴェイおじ様って、本当気持ち悪いですよね……」

「レイラちゃん、ほら」



 エディが苦笑して肩に手を回し、抱き寄せてくれたので、にっこり笑って見上げる。



「じゃあ、まぁ、許してあげないこともないですよ。ハーヴェイおじ様」

「あっ……本当に許してくれた訳じゃないんだな、レイラ」

「それは都合が良すぎるんじゃなくて? あなた」

「……イザベラたんも怒ってる」

「さっ、飯食うか。頼むからエディ、あまり俺の目の前でイチャつくなよ」

「えっ? まだ引き摺ってんの? 何で?」

「おい……」



 わいわいと喋りつつ、テーブルにつく。今日はイザベラとアーノルドが一緒に作った、クスクスとレタスのサラダに、ほろほろの牛肉と沢山の豆が入ったグヤーシュ、バケットに鰯とフェンネルのオーブン焼き、豚挽肉とチーズのラザニア、フライドポテトだった。テーブルに山盛り乗せられたそれを見て、隣のエディが呟く。



「俺の好きなものばっかだ……と言うか、この量って」

「お前、食うだろ。だから。まぁ、人数も多いしな……」

「美味しそう~。アーノルド様もアーノルド様で、よくエディさんのことを甘やかしてますよね」

「いや、別にそんなことは」

「イザベラたん……」

「いつまで泣いてるの、まったくもう。早く食べちゃいなさいな」

「お姉様にちゃんと謝ったらどうですか? まぁ、私だったら一生許しませんけど」

「うっ、うう……俺の味方がいない!! 悲ぴい!」



 角切りにした苺が入ったサイダーを飲んで、ちょっと贅沢な夕食を食べる。ラザニアを口に入れた瞬間、じゅわっと肉の旨みが弾けた。美味しい。このチーズの焦げ目も堪らない。しっかり味わって食べていると、向かいに座ったアーノルドがこちらを見ていた。不思議な思いでその銀灰色の瞳を眺めていると、顔を綻ばせてふっと笑う。



「だいぶお前ら、表情が柔らかくなってきたな。似てるし」

「「えっ!?」」

「ふふ、揃った」



 二人で顔を見合わせる。エディがもぐもぐと頬を動かして、私のことを見つめていた。ハーヴェイはまだぐずぐずと泣いていて、イザベラに呆れられながらも、必死に食べている。



「似てる? 俺達ってそんなに」

「似てる。まぁ、元々ちょっと似てた」

「分かるわ、それ。お姉様とエディ様は運命の鎖で繫がっていて、」

「ちょっと怖いからやめて欲しいです、それ。シシィちゃん……」

「何で怖いの? 俺のこと本当に好き?」

「まだ聞くのかよ、そうやってさ……」



 とうとう仲間外れが悲しくなったのか、ハーヴェイがごくりとパンを飲み干して話しかけてきた。



「ほら、これが終わったあと、記憶を元に戻してあげるけど!?」

「あっ、忘れてた」

「エディ、お前な……」

「私……ええっと、精神への影響は?」

「無い。パパ上がそんなミスをすると思うか?」

「……それもそうでしたね」

「レイラがまだ俺に冷たいんだけど……?」

「自分で何とかしなさい。こっちを見ないで頂戴、もう」



 イザベラに軽くあしらわれ、まためそめそと泣きつつ、パンにバターを塗って頬張る。エディが心配なのか、こちらをちらちらと見てきた。まったくもう、あんな目に遭ったのに。



「エディさんは許せるんですか? ハーヴェイおじ様のことを」

「レイラちゃんと結婚出来るなら、もう何でもいいかな……疲れた」

「まぁ、何年もごたごたやってたしな……」

「あんまりその、悪いとは思ってないけどごめん……」

「ハーヴェイおじ様?」

「だ、だって嘘吐けないし、俺……」

「悪いと思ってないからだめなのよ、お父様は」

「本当にね、シシィの言う通りだわ」



 娘と妻に批判され、ハーヴェイがふるふると震え始める。エディがもぐもぐと咀嚼してから、飲み込んで口を開いた。



「まぁ、いいですよ。別に……もう終わった話だし」

「エディさん……」

「エディ、殴っとくか? 一発ぐらい」

「いや、それもいいかな……結婚の反対さえしなければもういいよ、それで」

「しない! しないと誓おう!! というかもう、エディは息子だからな。何か困ったことがあれば俺を頼るといい。余計なことをしてくるやつがいれば、代わりにパパ上が殺してあげよう。ただし、離れるのは禁止な? ちゃんとパパって呼ぶこと!」

「はい、パパ。分かりました」

「お前の適応能力、どんだけ高いんだよ……」

「エディさんって本当、そういうところがありますよね……」



 微妙な空気が漂ったところで、イザベラがこほんと咳払いをする。



「まぁ、良かったじゃないの。エディ君、本当にごめんなさいね。ハーヴェイが色々と……」

「いえ、おばさんのせいじゃありませんし。あっ、でも、お義母さんか。もう」

「そうね、存分に頼って甘えて頂戴。……貴方にはもう、お母様もいないんだし」

「ですね……でも、いざべ、お義母さんの方がよっぽど母親らしい」

「エディ」



 アーノルドがどうしたらいいのかよく分からないといった様子で、ただ淋しく呟く。エディは黙々とサラダを食べていた。そうだ、私、全然何も知らないや……。



「エディさん」

「ん? どうしたの、レイラちゃん? 何かごめんね、しんみりしちゃって」

「いえ、あの、今度また、ご家族の話を聞かせてくださいね? あっ、辛くなければですけど」

「それは全然大丈夫だよ~、昔の話だしね。もう。それに従兄弟も沢山いるしさ」

「「従兄弟……」」

「そういえばいたなぁ、従兄弟」

「何度かお会いしたことあるわね、夜会で」

「私も~、お母様と一緒に」

「えっ」

「俺、全部欠席してるしな……知らなかった。エディの従兄弟か」



 詳しく聞いてみると、ハルフォード公爵家の前当主、つまりは父親の弟の子供が沢山いるらしく。エディが呑気にフライドポテトを摘まみながら、「みんな仲良いよ~。八人いるんだ。戦争のこととか深く聞いてこないし、楽」と話し出す。



「八人か……多いな」

「ん、だから距離取ってくるやつもまぁ、いるにはいるけど。上の何人かは俺に優しいかなぁ~。街歩いててもたまーに兄妹だって間違われるくらい、顔も似てるし」

「へー……会ってみたい」

「もちろんいいよ。叔父さんにも常々、結婚相手は連れて来いって言われてるしさ~」

「あっ、そうだ。サイラス様が私のお兄さんになるのか……嫌だな、何か」

「大丈夫、きつく言い含めておいたから」

「エディのきつくって……意外ときつそうだな。目が物騒になってる」

「えっ? なってた?」

「なってた、なってた」



 和やかに喋りつつ夕食を食べ終えて、デザートのガトーショコラを食べる。どっしりした生地を楽しみながら、生クリームを掬い上げていると、ふっとルドルフのことを思い出した。



「あっ! そうだ!!」

「えっ? どうしたの、レイラちゃん」

「何だ?」

「ルドルフの……ああ、まぁ、いっか。呼び捨てで。ルドルフが送ってきた呪いの手紙というものがありまして」

「何? 呪いの手紙だと?」



 それまでイザベラにケーキをあーんして貰っていたハーヴェイが、途端に鋭い目つきとなる。でも、口の端には生クリームがついていた。



「聞き捨てならないな。大丈夫か?」

「大丈夫です。でもこれ、人外者に解呪して貰った方がいいって。何か捨てると呪いが新たに発動するらしく、」

「見せて、レイラちゃん」

「あっ、エディさん? 危ないからおじ様に任せた方が……」



 取り出した手紙をぱっと奪い取って、険しい目で眺め回す。はらはらして見守っていると、エディが「ガイル」とだけ呟いた。



「ほい、燃やすのか? これ。任せろ」

「ああ、でもその前に手紙の内容を確かめた方が……」

「いや、気持ち悪いから読まない方がいいですよ!?」

「どれ。死んだルドルフに苦情を言うためにも、見せて貰おうか」

「おっ。……この頭のイカれた野郎が。魔術の腕だけは一級品だなぁ、おい」



 ハーヴェイがしゅるりと銀色の煙を出して、ガイルの手からそれを奪い取った。そして、優雅な所作で紙を取り出して読み進めてゆく。その瞬間、背筋に汗が伝った。どうしよう? 



(絶対に怒るに決まってる……反応を見るのが怖いな)



 澄ました顔で隅から隅まで読み終えたあと、「まったく」と言って苦笑し、頭を横に振った。そして、その手紙を両手で掴む。



「あいつだけはこの手で殺しておくべきだったな、ルドルフ・バーンズ。墓を掘り起こして遺体でも燃やしてやるべきか」



 そのまま、びりびりと勢い良く破り出した。ぬっと銀色の手が、ハーヴェイの肩を掴んで、ダイアナがひょこりと顔を出す。



「だめじゃない、ハーヴェイ。呪われてしまうわ」

「お前のことだからもう解呪し始めているだろう、ダイアナ。お前にとって俺は、なくてはならない存在だからな」

「そういう傲慢なところ、好きよ。ふふっ」



 ダイアナが指を持ち上げると、そこから銀色の光が零れ落ちた。大小様々な紙片が銀色の光に包まれ、しゅわりと溶けてゆく。その幻想的な光景を呆気に取られて見つめていると、ふいにハーヴェイがこちらを見て、にっこりと微笑んだ。



「それで? 手紙にあったネックレスとやらは? レイラ」

「あっ……これです、ハーヴェイおじ様」

「待って、ここは流石に俺が。いいですか? パパ」

「もちろん構わないとも、我が息子よ」

「……」

「レイラちゃん、貸して? ガイル、頼めるか? もし呪いがかかっていたら厄介だ」

「ああ、だな。まったく、悪趣味なもんだぜ……」



 エディの手からネックレスを受け取り、燃やそうとする。髪の毛の束もあったことを思い出して、「待って! ガイルさん」と呼びかけると、無言で眉毛を持ち上げた。



「これも……これもお願いします。私の髪の毛とあいつの髪の毛」

「レイラちゃん、君の髪の毛は俺が大切に保管して……」

「お願いします! まとめて全部燃やしちゃってください!!」

「……エディ坊や、髪の収集はやめておこうな。不潔だし、嫌われるぞ?」

「うっ……我慢しようかな、じゃあ」

「お前な……」



 アーノルドが呆れて呟いた瞬間、ぼうっと音を立てて燃え始める。ああ、これで終わった。全部全部、苦しいことは終わった。そんな気がした。はらはらと、黒い欠片が辺りに舞って消えてゆく。



「さ! それじゃあ、レイラの記憶も元に戻しておくか! ケーキも食べ終わったことだしな」

「ハーヴェイおじ様……」



 ハーヴェイが椅子から立ち上がって、こちらへとやって来る。身構えていると、淋しそうに笑った。アーノルドと同じ、銀灰色の瞳が細められる。どうしていいかよく分からずに眺めていると、私の額にとんっと指を当てた。



「……本当はお父様と呼んで欲しいところだが。仕方ない、俺の行いが悪かったせいだな。ごめん、レイラ。お前のことを今まで散々苦しめてきて。でも、今も昔もお前は俺の娘だよ。エドモンの代わりなんかじゃない、愛しているよ。おめでとう、エディとどうか幸せに」



 何故か、じんわりと熱い涙が滲み出てきた。ずっとずっと欲しかった言葉。お父様、私のお父様。口を開いて「お父様」と言いかけた瞬間、術が発動する。金色に光り輝く陣が浮かび上がって、辺りを染めてゆく。もろもろと、意識が崩れ落ちていった。記憶の波に飲み込まれる。



『ねえ、レイラちゃん? 俺さ────……』

『何だよ、アンバーと好きに出かけてろよ。俺は部屋で本を読んでいるから……』

『お姉様! 私はお兄様なんかよりもずっとずっと、』

『レイラちゃんがアーノルドさんの婚約者だってことは分かってるよ、でも』

『淋しいね。でも、死なないから。俺は』

『アンバー、お願い。アンバー……』



 次々と、断片的な記憶が蘇ってくる。そうだ、そうだ。私がずっと追い求め続けてきたのは。どこかが虚しく欠け落ちていたのは。腕を伸ばして、温かいそれにしがみつく。



「アンバー……!! 今まで忘れていてごめんなさい、私、私」

「レイラちゃん!? 良かった、気が付いて。あのね? ここは君の部屋で、」

「アンバー、アンバー。お願い、私の傍にいて。ずっとずっとそう言いたかったの。身勝手でごめんなさい、私……あんな命令をしたのに傍にいて欲しかった、離れて欲しくなかった……!! ずっとのんびり一緒にいたかったの、ごめんなさい……」



 泣いて泣いてしがみつくと、エディが「レイラちゃん」と呟いて私のことを抱き締める。そうだ、ずっとずっと欲しかった。この温もりが。どうしようもなく欠け落ちていたものが、やっと戻ってきて満たされた。気が付けば、寝台の上で泣いて抱き合っていた。



「レイラちゃん、良かった……思い出してくれた? 全部全部?」

「思い出した、ごめん……ごめん、私! でも、生きて帰ってきてくれてありがとう……大好きよ、アンバー。ううん、エディさん……結婚しようね、約束通り」

「うん……うん」



 何も言えずに、エディがただ泣いて私のことを抱き締める。良かった、ほっとした。全部戻ってきた、この手に。足りないものは全てこの手にある、もう大丈夫。



「沢山……本当に沢山の出来事があったけど」

「うん……レイラちゃん」

「幸せになりましょう、もう。それしかない、きっと。私達には」

「そうだね……そうだね、レイラちゃん。幸せになろうか、どれだけ悔やんでも悔やみ足りないけど」

「ですね……」



 そうだ、きっと沢山の罪を犯してきた。でも、いい。多分これが贖罪だから。目尻から一筋の涙が零れ落ちた。辺りは薄暗くて、出会った時のように寒い。あの日、この部屋に転がり込んできたエディのことを思い出す。



「あの時助けたこと、後悔してないよ。私」

「俺もだよ、レイラちゃん……生きたいって願ったこと、もう後悔してない」

「幸せになりましょうね、二人で。これから」

「うん、だね……」



 その夜はようやく恋人らしいことが出来た。朝まで一緒にいた。エディが泣いて何度も何度も、「レイラちゃん」と呟いていた。その熱に身を任せながら、頭の片隅で考える。



(なってもいいよね、幸せに。あとは全部、死んだあと……神様に任せよう、そうしよう……)




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