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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第四章 絡まった糸をみんなで解いて
107/122

2.いや、最初からずっと振ってますけど?

 





「あのね、レイラちゃん? エディ君が今朝からずっと落ち込んでるんだけど、とうとう振ったの……?」

「いや、最初からずっと振ってますけど? ミリーさん?」



 ミリーが「あら」と呟いて、蜂蜜色の瞳を瞠る。彼女は面倒見が良いので、放っておけなかったのだろう。いつも何かと問題を起こす王子様のジーンは、風邪で休んでるし。何故かエマも休んでいるし。見下ろしてみると、エディがデスクに突っ伏して、落ち込んでいた。わ、分かりやすい……。あからさまに落ち込んでいる。よく見てみると、赤髪もぱさついていて艶が無いし。



「あ、あの~……エディさん? お昼ご飯の時間ですけど?」

「食欲無い……つらい」

「エディ君、サンドイッチでも買ってきてあげようか?」

「レイラちゃんがあーんしてくれるのなら、食べます……」

「エディさん……」

「なぁ、あれどう思う? マーカス」

「アーノルド様の勝ち確定的な?」



 少し離れたデスクで、バケットサンドを食べているトムとマーカスが顔を寄せ合って、ひそひそと話していた。向かいの席に座ったライとアランも、心配そうな顔でエディを見つめ、それから何故か、懇願するような眼差しで私を見上げてくる。い、いたたまれない……。



「えーっと、エディさん? 私と一緒にお昼ご飯、食べに行きませんか?」

「ごめんね、レイラちゃん。俺があんまりにもぐじぐじ、うだうだ言うから、大好きなアーノルドと一緒に、お昼ご飯を食べに行けなくなっちゃったんだよね? ごめんね、本当に……」

「いや、あの……」



 あれから、アーノルド様は顔も合わせてくれないし。このことについて、相談しようと思っているんだけどな……。協力して貰えないかもしれない、どうしよう。エディの弱った姿を見て、胸を痛めていると、ゆっくりとこちらを振り返る。目の下にはクマが出来ていた。虚ろな淡い琥珀色に見つめられ、どきりとしてしまう。



「レイラちゃん……もしかして」

「ご、ご飯! 食べに行きませんか!? ほらっ、皆さんも心配してますよ? 立ち上がって!?」

「えっ、あの、レイラちゃん?」



 だ、駄目だ、駄目だ。ときめいたら駄目だ、伝わってしまう! エディの片腕を引っ張りつつ、焦る。



(えーっと、鬱陶しい、鬱陶しい! そうだ、ハーヴェイおじ様への怒りをエディさんにぶつけよう! そうしよう!! ああ、もう本当にあの人はいつまで経っても子供だし、私とエディさんの邪魔ばっかりするし! 鬱陶しいな~、邪魔だな~! ルドルフさんも気持ち悪かったなぁ~! あの髪の毛も処分に困るし!)



 必死にハーヴェイとルドルフを思い浮かべて、鬱陶しいなと心の中で唱えていると、後ろにいたエディがべそべそと泣いて「ごめんね、レイラちゃん。苛立たせちゃってごめんね……」と言い始める。すごい、この苛立ちが伝わってる……。



(でも、誰に向けてかは分からないんだな……)



 ちらりと見てみると、ぐすんと鼻を鳴らして、目元の涙を拭っていた。あっ、可愛い。何をしていても素敵に見えてしまう……。あっ、駄目だ。ちゃんと平静を保たないと。胸きゅんしている場合じゃない、私。



 ふと、それまで腕を引っ張られていたエディが、こちらを見上げて、不思議そうな顔をする。あ、駄目だ。ときめく。全部ばれてしまいそうだ、私が隠していること全部。思わず立ち止まると、腕を伸ばして、ぎゅっと手を握ってきた。やめて欲しい、手のひらを通じてばれてしまいそう。好きだってこと。



「……レイラちゃん、あのさ?」

「なっ、何ですか!? あと、手を放して欲しいんですけど?」

「もう一度聞くけど、俺のこと好き?」

「好きじゃないです。気のせいでした、私の。勘違いでした、全部」



 ああ、頬が熱くなってしまう。嘘発見器が無くて良かった、ばれてしまう。エディの手を振り解いて、前を向いてひたすらに歩く。駄目だ、手を握られたからか落ち着かない。もう一度、手を繋ぎたい。ばくばくする胸元を押さえて、廊下を歩いていると、後ろの方から「待って、レイラちゃん!」と言って追いかけてきた。



「待って、レイラちゃん! お願い……」

「何ですか? 昨日話したことが全部ですよ。エディさんとは結婚出来ません!」

「嘘だ、そんなに顔も赤いのに」

「これは慣れていないからです。やめてください、鬱陶しい!」



 エディがまた手を握って、私を振り向かせる。真剣さと心配が入り混じった顔で、じっと見つめてきた。やめて、やめて欲しい。泣いてしまいそうだから、本当に。ちゃんと生きていて欲しいのに、すぐ「死にたい」とか言うし。エディがまた、低く「レイラちゃん」と私の名前を呼ぶ。おそるおそる顔を見てみると、苦しそうに微笑んだ。



「本当に? レイラちゃん。今までのも全部全部、嘘だった?」

「嘘じゃないけど。でも、アンバー……」

「レイラちゃん、ごめん。時間が欲しい。俺と会ってくれない? 帰りに。話がしたいんだ、君と」

「嫌です、絶対に嫌」

「レイラちゃん」



 駄目だ、ちゃんと拒絶しないと。心から嫌がらないと伝わらない。その手を思いっきり振り解いて、睨みつけてやると、呆然と淡い琥珀色の瞳を瞠っていた。でも、大丈夫。罪悪感も押し殺そう、大丈夫。私なら出来る、エディさんをちゃんと守れる。



「しつこい人は嫌いです。もうお願い、やめて」

「レイラちゃん、俺。色んなことをしてきたよ、君のために。沢山、取り返しのつかないことに……」

「頼んでいません。そもそもの話、覚えてなんかいません。私の穏やかな生活を壊さないで、エディさん。分かるでしょう? 私はもう、穏やかに生きて行きたいんです。お願い、やめて……」

「……ガイル、落ち着け」

「だが、エディ坊や」

「影から出てくるな。頼むからさ」



 低く唸ったガイルに向かって、穏やかな声でたしなめる。でも、どことなく鋭い。器用だな、本当に。そんなところにも惹かれた気がする。ぼんやりとそのやり取りを見つめていると、ふと、こちらを向いて笑った。



「じゃあとりあえず、ご飯を食べに行こうか。俺、君から離れていると、苦しくて苦しくて仕方が無いんだよね。いっそ、離れられたら楽だったんだけど」
















『逃げません。すみません……せっかく、来て頂いたのに。ここまで』



 エディが赤髪頭を下げ、俺に謝る。何でだよ、どうしてだよ。いや、分かっていた。エディが俺と来ないのも、俺が何も出来ないのも。



『すみません、ここまで……せっかく俺を心配して追いかけてきてくれたのに、』

『っうるせぇよ、バーカバーカ! お前の心配なんかするかよ、戦場でも何でも行って死んじまえ!! じゃあな!』



 あんなこと言うんじゃなかった。家に帰ってから、泣いた。ジルがただ静かに「分かってくれていますよ、アンバー君は」と呟いて、俺の背中を擦ってくれた。無力だ。こんなにも無力だ。何も出来ない、俺は。何も出来ない。



『なぁ、ジル。エディが死んだらどうしよう? 俺のせいだ。俺の……父上のことも、止められなかったし……』

『坊ちゃんのせいじゃありませんよ、大丈夫です。きっときっと、死なないから……』



 どうしてエディもレイラも、そんなことが信じられるんだろう。俺は怖くて怖くて仕方が無いのに、二人は戦場へと向かうその日まで、穏やかに微笑み合って過ごしていた。繰り返される「大丈夫だよ、死なないよ」という言葉と、「生きて帰ってくるね、レイラちゃん」という言葉。何故、信じられる? 俺は怖くて怖くて、仕方が無いのに。



 どうしてこうも、無条件に信じられるんだろう。二人とも。



 出発するその日、赤いコートを着たレイラと黒いコートを着たエディが、正面玄関の前で微笑み合う。手と手を取って、名残惜しそうに見つめ合っていた。二人ともこちらを見ない。知ってたけど、俺は邪魔な存在なんだって。



『ねぇ、帰ってきたら私にプロポーズをしてくれる?』

『うん。するよ、レイラちゃん。するよ……』

『ずっとずっと、アンバーのことだけを考えて待っているから。ずっと好きでいるから……』



 レイラが紫色の瞳を伏せて、笑う。綺麗だった。今まで面倒を見てきた女の子は、まるで別人のように美しくなっていて。ちらほらと雪花が舞う中で、しばしその横顔に見惚れる。この頃から少しずつ少しずつ、砂が侵食するみたいに好きになっていって。



 エディが馬車に乗って去って行った後、父上がやって来た。嫌な予感がした。俺の制止も聞かずに、レイラに近付き、白い息を吐き出して問いかける。



『レイラ、諦める気は?』

『無い。ハーヴェイおじ様、お願い、分かって……』

『そうか。なら、仕方ない。記憶を消すしかないな』

『っお姉様! 逃げて!』



 それまで俺の袖口を掴んでいたセシリアが、悲痛な声で叫ぶ。あっと声を出す間も無く、父上がレイラの頭を掴んで、その記憶を消した。雪がちらほらと舞う中で、どさりと体が崩れ落ちる。



『っレイラ! 父上!? 一体何を!?』

『記憶を消した。いや、正確にはじわじわと記憶が壊れてゆく魔術をかけた。一気に消すとな、頭に負担がかかっちゃうからな……』

『そこまで……そこまでして!? レイラ!』

『お姉様! どうしよう、お姉様……!!』



 セシリアと二人でレイラを運んで、寝台に転がす。まだ意識はあった。青白い顔で俺の腕を掴み、「アル兄様」と囁く。



『レイラ、ごめんな? お前、アンバーの、エディのことを忘れて……』

『いいの、大丈夫。絶対絶対私は、また好きになるから。大丈夫……』

『死ぬかもしれない、その前に。エディが。そうだ! 頼む、レイラ! 嘘でもいいから、アンバーを諦めるって、そう言ってくれないか!? そうしたらきっと、父上もこの魔術を解除して、』

『嫌だ! 絶対に諦めない!』

『何で!? エディが死んだ時もお前、忘れてたら悲しめないじゃん!? あんなことがあったのに、他人が死んだで終わるとか、』

『死なないもん! エディは絶対に死なない! いいの、また好きになるから。また絶対絶対、私は好きになるから……!!』

『レイラ! 無茶を言うなよ、お前!』



 セシリアはただただ、「お姉様」と呟いて泣いていた。どうして誰も彼も、そんなことが信じられるんだろう。頼みの綱の母上はきつく目を閉じた後、「無事を祈るしかないわね」と呟くだけだった。ああ、分かっていた。母上も弱い人なんだって。いつ気まぐれな父上が出て行ってしまうか、密かに心配して怯えていた。ああ、俺は無力だ。何も出来ない、無力な存在なんだ。



『……アル兄様? どうしたの?』

『レイラ……忘れたんだろうな、全部。お前は』

『い、一体何を……?』



 何も言えなかった。セシリアも母上も黙ってた。レイラはまた、エディと出会う前の生活に戻る。戦争が始まったことを嘆きつつも、ジルの淑女教育を受けて勉強をして、俺と一緒に屋敷の庭を散歩する。雪がちらほらと舞う中で、レイラがぴたりと足を止めた。紫水晶のような深い瞳が真っ直ぐ、曇天の空を見つめている。



『……レイラ? どうした』

『分かんない。でも』

『うん』

『淋しい……何だろう? 泣けてきちゃった。分かんない、つらい……悲しい』

『レイラ……大丈夫、大丈夫だよ』



 記憶を失っても、喪失感は残るのか度々泣いた。いきなり泣き出したレイラを抱き寄せ、溜め息を吐く。白く、たなびいて消えていった。それからと言うものの毎日、誰かの姿を探して追いかけて、「どうしちゃったんだろう、よく分からない」と言って泣いた。酷く戸惑っていた。



 そのことを父上に話して責めると、「そうか」と呟いて、また魔術をかけた。姿の見えないエディを探し回って、泣いて、また魔術をかけられて。そんな日々を繰り返して、いつしか何も思わなくなった。新聞に踊る“またしても大活躍、火炎の悪魔”という文字を見ても、その残虐さに眉を顰めるだけになった。



 虚しい思いを噛み締め、黙り込む。そんな日々にも慣れたある日のこと、レイラが俺の寝室にやって来た。戸惑った。でも、その顔は赤い。まさか。



『……ねぇ、これからは名前で呼んでもいい?』

『べ、別にいいけど、レイラ……』



 以前からそんな視線を貰うことはあった。だが、気のせいだと思っていた。レイラは記憶を失くしていてもエディのことが好きで、二人はいつしか結ばれるんだろうと、そう思っていた。いや、そうであってくれと願っていた。それなのに今、ネグリジェ姿のレイラが服の裾を掴んで、俯いている。どうしてだ。吐きそうになった、裏切られたみたいで。それと同時に、今まで湧いてこなかった感情に襲われる。



(そうか。俺がレイラの婚約者なのか……)



 もし、エディが死ねばレイラと結婚出来る。甘えてくるレイラが、可愛くて可愛くて仕方が無かった。照れ臭そうに笑うレイラや、手を繋ぎたがるレイラを見て、駄目だとは理解しつつも惹かれてゆく。エディが死ねば結婚出来るのか。いや、俺はそんなこと思ってない。ちっとも思ってない、思ってない。エディ、生きて帰ってきてくれ。エディ、エディ。



『ああ、じゃあ、また今度その店に……』

『アーノルド様に怒られないかな、大丈夫かな?』



 レイラが日常魔術相談課に就職した頃、うっかりそんな会話を聞いてしまった。エディや、俺に対する裏切りだと思った。陰でひっそりと、他の男と会う約束をしているだなんて。怒って問い詰めてみると、「だってアーノルド様が」と不満を口にする。レイラは可愛いから、よくモテた。他の男が放っておく筈が無い。



 レイラもレイラで、あくまでも一線を越えないようにする俺への不満があって、それに対する当てつけだった。嫉妬させようと思ったんだろう、きっと。



 その辺りから、レイラが嫌がるようなことばかりをあえてした。好きになりたくなくて、好かれたくなくて。あくまでも歪な関係を保っていたら、レイラも俺に惚れることは無いんじゃないか。それとも、自分の欲か。何度手紙を送っても、レイラのことしか言ってこない、エディへの当てつけか。よく分からない。戦場から帰ってきて欲しいのか、そうじゃないのか。



 生きていて欲しいのか、そうじゃないのか。頭がぐちゃぐちゃに混乱した中で、レイラを嬲って楽しんでいた。俺が悪いのか? どうすればいい、一体どうすれば。



「……アーノルド様? ねえ」

「エディ、レイラ」

「ああ、ちょうど良かった。今日このあと、良かったら二人だけで話さないか?」

「お前と話すことは何も無い。じゃ」

「待って、アーノルド様! 私とは!?」

「お前とも無い! とにかく、とにかく話すことは何も無い……!!」



 ああ、分かってるのに。諦めなきゃって。でも、あの言葉が毒のように心を蝕んでくる。



『レイラ、お前は何も分かっちゃいない……アーノルド、よく考えてもみろ。もう朝に起こしに行くことも出来ない、抱き締めることも出来ない。エディとレイラが結婚したら、お前はただの義兄でしかない。見つめることしか出来ないんだ、耐えれるのか? それを。なぁ?』



 耐えれるのか、本当に。駄目だ、答えが出ない。だから、もう少しだけこのままで。このままで。



(ごめん、ごめん。早く……早く諦めないとな、早く)









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