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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第三章 全ての秘密が明かされる時
102/122

番外編 ブライアン・ハルフォード 死へと向かう出会い

 





 時が止まったと思ったんだ、彼女を見た瞬間に。



 会う前に写真を見てはいたが、想像以上だった。緩やかに流れ落ちる赤髪は、夏の夕暮れ時の空を映し出したかのよう。こちらを見つめる淡い琥珀色瞳は聡明で、俺だけを捉えている。その華奢な肩や腕を覆っているのは、エメラルドグリーンのシフォン素材で、白い肌が透けて見えていた。金銀刺繍が施された胸元に、きゅっとくびれたウエストには、赤いベルトが巻かれている。それにも、金色の草花柄刺繍が施されていた。



 薄い耳たぶに付けた、金色のイヤリングを揺らして、彼女がこちらにやって来る。まばたきも忘れて見入る俺に近付き、彼女がゆったりと微笑んだ。笑うと、目が細くなって随分と可愛らしい。



「貴方がブライアン様? 初めまして、シンシアです」

「あ、ああ……どうも初めまして。ブライアン・ハルフォードです……」



 王宮の大広間にて、彼女が親しげに挨拶をしてくる。格式ばった挨拶も何もせずに、まるで一国の王女では無いかのように。それから口元に手を当てて「あっ、忘れてた」と呟き、ドレスの裾をそっと摘まんで、カテーシーをした。一応しておくかと言わんばかりのカテーシーに、笑みが浮かび上がる。



 礼儀作法だの何だのは堅苦しくて苦手で、ドレスもダンスも好まない。ルートルードのおてんば姫。暖かい島国の陽気な姫君。



 そんな彼女が淡い琥珀色の瞳をきらきらと輝かせ、いきなりぐっと距離を詰めてきた。思わずたじろいで、後ろへと下がる。その動きに合わせて、グラスの中の酒が揺らいだ。彼女が何も気にせずにまた、俺との距離を詰めてくる。ふわりと、スパイシーで蠱惑(こわく)的な香りが漂う。その香りと、慣れない酒の匂いで頭がくらくらしてしまった。



「まぁ、写真で見るよりも素敵ね? そりゃあ、ご婦人方が放っておかない筈だわ。ねえ、貴方。高級娼婦や貴族のお姫様達を侍らせて、歓楽街に遊びに行ったとか何とか聞くけど本当?」

「シンシア様! だからあれほど私は……!!」

「まぁ、うるさい。あちらのバルコニーに行きましょ、ブライアン様。彼女はね、私の乳母で侍女頭なの。この王宮では誰よりも偉そうで、お兄様だって頭が上がらないの。ああ、ごめんなさいね? きっとこちらの王宮と、エオストールの王宮では何もかもが違う……」



 彼女がぐいっと、俺の腕を引っ張る。どうしていいのかよく分からずに振り返れば、年老いた外交官は「頑張れ!」とでも言うかのように、無言で頷くばかりで。そんな、無責任じゃないか? 一体どうすればいいんだろう。ひそひそと囁き合う人々の間を通り抜け、彼女の赤髪を目で追う。美しい、触れたい。



(そうか、彼女が俺の妻になるのか……)



 考えただけで心が踊った。ろくに話してもいないくせに、彼女といると、どんなことでも楽しく感じるような気がした。湖でも浜辺でも何でもいい、彼女と二人きりで過ごしたい。ピクニックをして過ごしたい。そんなことを思わせるような笑顔と、夏の陽気さを纏っていた。



「はぁ、ここでいいわ。も~、ドレスも息苦しい! ねぇ、Tシャツとデニムで過ごす夜もいいとは思わない? みんな、ドレスや燕尾服なんか脱ぎ捨ててそうするべきなのよ。ただでさえ、今夜は暑くてじめじめするのに」

「姫君らしからぬ発言ですね、シンシア様」



 そう笑ってからかうと、夜の闇に浸されたバルコニーにて、彼女がこちらを振り返った。淡い琥珀色の瞳を煌かせ、ひょいと肩を竦める。



「ごめんなさい、ブライアン様。私にお姫様を求めるのなら、そうね? 誰かなよっとした、病的なまでに肌が白いお姫様とでも結婚すべきだわ。ああ、でも、政略結婚よね? そんな方を愛人になさったらいいわ。私、何も気にしないもの」

「そんな、つれないな。会ったばかりなのに?」

「女好きだとは聞いているから、最初から諦めてるの。だって、貴方みたいな色男は、誰か一人の女性を大切になんか出来ないでしょう? ああ、いいのよ。生まれつきなんだろうから。だって、あのお兄様だって、自分は浮気してないだの何だのと言い張るけど、どこぞの未亡人となーんてそんな噂が立ったんだから、」

「シンシア様、好きです。一目惚れをしました」



 彼女の流れるようなお喋りを止めたくて。いや、素直に好意を示したら、どんな顔をするんだろうと思って言ってみたんだ。



 彼女が淡い琥珀色の瞳を瞠って、俺を凝視する。喜びで体を震えそうになった。やっと俺のことを見てくれた、興味を持ってくれた。今、彼女は俺のことだけを見ている。誰のことも見ていない、その瞳に俺だけを映している。



 彼女の柔らかなくちびるが震えて、か細い声が滑り落ちる。



「本気? それとも冗談? ねぇ、嘘でしょう?」

「嘘じゃありませんよ、本当です」

「じゃあ、昨日も似たような台詞をどこぞの美女に言ってみたとか?」

「俺は昨日、この王宮に着いたばかりなんですが……?」

「まぁ、分からないわよ。だって、私の侍女達もどんな方かしら、お写真では素敵でしたねって色めき立っていたもの。あ、ねえ? 知ってる? 侍女の中でも性格の悪い子は、」

「侍女の話じゃなくて……その、俺は貴女の気持ちが知りたいんですが?」

「貴方に渡せるような気持ちは存在しないわ。だって、さっき会ったばかりですもの」

「いや、それはそうなんですが……」



 彼女は微塵も動揺しなかった。そのことに少しだけがっかりしながらも、このおてんば姫が簡単に、顔を赤くしなかったことに気を良くしていた。南国の空を飛ぶ、極彩色の鳥をどう撃とうか考えるような。そんな高揚感に駆られて一歩、彼女に近付く。流石に少しだけ怯えて、後退った。



「好きです、シンシア様。これからは俺が貴女の婚約者ですよね?」

「流石だわ、ブライアン様。手が早い……」

「まだ何もしていませんよ。ああ、綺麗な手だな……」



 彼女の手を掬い上げて、その白い指先に口付けると、ぼんっと顔が赤くなった。意外な反応だった。彼女が眉を顰め、気まずそうな顔でもごもごと口を動かす。



「ああ、嫌だ。背中がむず痒いわ、ブライアン様。どうしてそんな小っ恥ずかしいことがさらりと出来ちゃうの? 王子様みたい。軽薄で女好きな」

「最後のそれは悪口ですよね? 俺への」

「あら、どうしましょう。両国の関係にヒビが入ってしまうわ。私が、貴方を女好きの王子様と言ったばかりに」

「大丈夫。今夜のことは誰にも言いませんから……」



 わざとらしく目を細めて、彼女の腰に手を回すと、びっくりした顔をして逃げていった。人間を見つけたウサギみたいに飛び跳ね、目を見開き、後ろにある手摺りを掴む。息を荒げて、その胸を上下させていた。しまったな、がっつき過ぎたか。



「……ねぇ、私」

「はい、何でしょう? シンシア様」

「今までいくつか縁談も来たんだけど」

「はい」

「全部潰してきたのよね……」

「全部潰してきたんですか……」



 しばし、沈黙が落ちる。どちらが先に笑ったかなんて、そんなことは分からないけど、とにかく二人で笑い合った。ひとしきり笑い終えた後、彼女がバルコニーの手摺りから離れて、俺の下にやって来る。そんなことだけで胸が高鳴ってしまう。待ち焦がれていた、彼女に触れられるのを。



 彼女が淡い琥珀色の瞳に好奇心を湛えて、俺のことをじっと見上げる。



「ねぇ」

「はい」

「好きって本当?」

「本当です、シンシア様。あの、貴女さえ良ければ」

「なぁに? まだ、貴方の部屋に行くつもりなんてないけど?」

「俺と一曲、踊ってくれませんか? 周囲の男を威嚇しておきたい」

「威嚇……大丈夫よ、誰も私に言い寄ってなんかこないから」

「本当に?」



 彼女が幼い子供のように、淡い琥珀色の瞳を瞠ってから、淋しそうに微笑んだ。それまで少女のように、無邪気な雰囲気だったのに、あっという間に大人の色気を身に纏う。何となく、好きな男がいるんだろうなと思った。嫉妬に駆られて、彼女に手を差し出す。



「踊ってください、俺と。貴女は、気に入らない相手とは絶対に踊らないそうですね?」

「そうなの。私、舞踏会もお高く止まった人も大嫌い。雰囲気をぶち壊してやりたくなるの、思いっきりね」

「そんな舞踏会も楽しそうだけど、俺は……そうだな、貴女とは楽しく踊りたいな」

「あら、意外と素直ね。でも、貴方とだったら私も楽しく踊りたい!」

「わっ!?」

「行きましょう、大広間へ。みんなきっと、貴方と私を待っているわ」



 彼女が満面の笑顔で俺の手を引き、ざわつく人々に向かって「大丈夫よ、二人でとっても楽しくお喋りをしていただけだから」と高らかに告げ、もう一度俺を振り返って、極上の笑みを浮かべる。



「私、気に入ったわ。貴方のことが。踊りましょう、私と一緒に」

「シンシア様!」



 どこかで、失神しそうな侍女頭の悲鳴が上がった。それと同時に、周囲から忍び笑いが聞こえてくる。ふと気になって、向こうを見てみると、グラスを片手に国王が笑っていた。彼女と同じ赤い髪をした王が俺を見て、ぱちんと片目をつむる。随分とお茶目な国王だな。そのウインクに苦笑を返し、改めて彼女を見つめる。



「シンシア様に、気に入って頂けて光栄です。ありがとうございます」

「ふふ、いい子ちゃんぶってる。さぁ、踊りましょうか! 足を踏んでしまったらごめんなさい。私ね、ダンスは壊滅的なの。操り人形みたいって、そう言われたこともあるのよ。小さい子供にね?」

「それは楽しみだ。でも、大丈夫。貴女はきっと、くしゃみをしていても転んでいても可愛いだろうから。もちろん、俺の足を踏んでいてもね?」

「すごいわ……一体どこから出てくるの? そんな台詞。流石は女好き……」

「あれ、知りません? 綺麗な女性を前にするとね、どんな男でも歯の浮いたことを言ってしまうんです。こんな風にね、ほら」



 踊っている間中、ずっと彼女はくすくすと笑っていた。俺も笑って、彼女をリードする。奏でられる深い音楽のリズムに乗ってステップを踏み、時に彼女に足を踏まれながらも、無事に踊り終えることが出来た。



 今でもあの日のことを夢に見る。初めて会って、惹かれて、心を奪われた時のことを。



「ああ、会いたいなぁ……」

「またその話なの? ブライアン」



 母が低く笑い、鏡を見て化粧直しをする。忙しいとは分かっていたが、どうしても話す時間が欲しかった。母は今回の件に関して、「お前に任せる」と言ったきりで無関心だ。特に不満がある訳じゃない。去年亡くなった父にも、母にもそれなりに可愛がって貰ったと思う。でも。



(ああ、窮屈だ……エオストール王国が。彼女に会いに行きたい……)



 電話もしているが、彼女はすぐに切ってしまう。訳を聞くと「だって、直接会って話す方が楽しいでしょう?」と返されてしまった。まさか、他の男と会っているのか? いや、多分、俺に興味が無いんだ。彼女にとって、俺はただの政略結婚相手で、女好きで軽薄な王子様。くすりと笑って、自分の口元を押さえる。



 ああ、早く会いに行きたいな。彼女に。それまでは楽しかった、煌びやかな夜会もお茶会もつまらない。この国には俺の足を踏んで、ふてぶてしく笑い「あら、ごめんなさい。やっぱり駄目ね、きちんと練習しないとね」と言って、謝ってくる女性なんて存在しない。



 あの目を閉じれば今でも浮かぶ、鮮やかな青空と海が恋しくて仕方がなかった。スパイスの香りが漂う白い街並みも、美しいモザイクタイルも。



「……俺、彼女に会ってきます」

「何ですって? 先々週、行って帰ってきたばかりでしょう? それに普通のお家のお嬢さんじゃあるまいし、」

「駄目なんです、母上……分かっているでしょう? 俺の性格は。もう我慢がならない、荷物を纏めて彼女に会いに行ってきます……」

「ブライアン……貴方ね」



 今は亡き父と母は典型的な、どこにでもいる夫婦だった。お互いに遊んだりはしているが、派手に遊ばず、結婚記念日や祝祭は一緒に過ごす。淡々としていて、夫婦と言うよりかは上司と部下のようだった。そのことを今になって、苦々しく思う。彼女となら、そんな夫婦にならずに済むんじゃないか。



 春にはピクニックに行って、夏には海に行って。街に行って、ジェラートを食べたりなんかして。そうやって楽しく暮らせるんじゃないのか。それに、張り付けたような薄い笑みの人々に囲まれていても、彼女が傍にいてくれるのなら、疲弊しないような気がする。



「本気なんですか? ブライアン様……」

「ああ、本気だとも。大丈夫、あちらもあちらで是非おいでくださいと、そう言ってくださったから……」

「いや、そりゃあ、来るなとは言いませんよ……」



 従者のお小言に耳を塞いで、船に乗ってルートルードへ向かう。彼女に会いたい、彼女に会いたい。来年、挙式予定だが待ちきれない。早く会いたい、彼女に。



(良かった、あちらの国王も乗り気で……溺愛しているとの噂だったが。まぁ、俺に好意的で助かった)



 電話では「妹には内緒にしておくから、来週来たらいい」と、そう言ってくれた。こちらが「お忙しいでしょうから、この辺で」と言っているのに、「いや、それがだな……」と言って、延々と自分の話をするような人だった。それなのに、ちっとも人を不快にさせない。数々の失敗談や狩りでの出来事、ゴシップから貴族の愚痴まで、どんな話も興味深くて面白かった。



「うーん……あの人と酒を飲んだら楽しいんだろうなぁ。晩餐とかじゃなくて、一対一で」



 船の客室にて、寛ぎながらも彼女に思いを馳せる。驚くだろうか、俺が突然王宮に現れたら。ああ、服はどうしようかな。何を着ていこうかな……。



 それなのに、彼女は他の男に笑いかけていた。旅行鞄を持って、王宮の庭を歩く。出迎えてくれた国王が笑って俺の肩を叩き、「シンシアなら今、庭に出ているから。会いに行くといい、きっと驚くし喜ぶ」と言ってくれたので、護衛数名を連れて向かった。流石に、一人にはして貰えなかった。



「あ、ロード・ハルフォード。あちらに姫様が……」

「え? ああ、本当だ! いた……」



 名も知らぬ、柔らかな白い花を咲かせた木の下で、彼女がころころと笑っている。鮮やかな赤髪が、陽の光に透けて美しい。舞踏会の時とは違って、アイボリーのシンプルなドレスを着ていた。くすくすと甘ったるく笑いつつ、器用に花冠を作ってゆく。



 目を細め、そんな彼女を見つめているのは、赤と黒の軍服に身を包んだ男だった。護衛なのか、その腰には剣を下げている。何も言えなかった。何も考えられずに、亡霊のようにふらふらと歩いて、彼女の下へ向かう。



「ねぇ、キース? あのね、私ね……」

「シンシア様。……お久しぶりです、俺です」

「えっ!? ……いやだ、私ったら。亡霊でも見ているのかしら?」

「いいえ、生きていますよ。俺は……シンシア様」

「これはこれは……ブライアン様。お嬢様に会いにいらしたのですね」

「お嬢様……?」



 訝しく思って聞き返すと、気まずそうな顔をして「申し訳ありません、失言でした」と言って一礼をし、黙って下がってゆく。こちらの会話が聞こえないくらい、下がったキースを見て、彼女が笑った。



「っふふ、ごめんなさい。あのね? 私がお姫様にうんざりしていた時にね、お嬢様って呼んでってお願いしたの。普段なら、あんな風に呼ばないんだけど……」

「ああ、なるほど……二人きりの時は、そう呼ぶ? 貴女のことを?」

「いやだ、貴方まで疑うの? 大丈夫、キースはただの護衛だから。昔からね、私の面倒を見てくれているの……」



 じゃあ、王宮では噂になっているのか。ああ、国王が乗り気だった理由が、少し分かってしまいそうで嫌だ。あの男は彼女のことが好きなのか。俺を見た時の目が、ほんの少しだけ鋭い。ああ、嫌だな。会ったばかりだけど、俺もお前のことが嫌いだよ。キース。



「ブライアン様? ねぇ、ここまでどうやって来たの? びっくりしちゃったわ……あ、分かった! お兄様が貴方に無茶を言ったんでしょう? あの人はね、本当にそんなことが好きで、」

「俺が無茶を言ったんです。貴女に会いたくて」

「……そう。ありがとう、嬉しいわ。会いにきてくれて」



 誰がどう聞いても、嘘に聞こえる言葉だった。胸の奥に空洞が生まれる。あれ、おかしいな。彼女に会えたら、この閉塞感も吹っ飛ぶと思ったのに。何故だろう、より息苦しくなったような気がする。彼女が明るく笑って、俺の腕を引いた。



「案内するわ、お庭。あっ、その前に……重たそうな鞄ね? 私が持ってあげましょうか?」

「えっ!? いえ、そんなことを貴女にさせる訳には、」

「別にいいじゃない、ちょっとぐらい。たまにはこういうこともしてみたいのよ。今日はせっかく来てくれたんだし、貴方をエスコートしてあげるわ」

「シンシア様……あの、俺の評判が最悪なことになりそうなので、」

「大丈夫。誰も私のことを、か弱いお姫様だなんて思っちゃいないから。まーた姫様がやってるよ、だなんて苦笑されて終わりだわ。良かったわね」

「シンシア様……」



 彼女を前にすると、何も言葉が出てこない。キースのこと、この婚約のこと。色んなことが聞きたいのに、胸の奥が詰まって何も話せなかった。だけど彼女はそれで構わなかったらしく、ひたすら色んなことを楽しく喋っていた。



「あら、ごめんなさい。私ったらつい……人の話を聞くことも大事なのに」

「いえ……聞いていて楽しいですよ、貴女のお喋りは」



 そう返すと、にっこりと満足げに笑う。腹が満ちた、猫のような笑顔だった。



「良かったわ、貴方が口数の少ない男性で」

「ん~……普段はそうでもないんですけどねぇ。貴女の話を聞いているのが楽しいから、それで」

「良かった! あっ、ねぇ。怖い話でもして差し上げましょうか? 実はね、二百年前の大戦で……」



 彼女と廊下に飾られている美術品の数々を見ながら、歩いて喋る。後方には、護衛とさっきのキースが佇んでいた。思わず、見せ付けたくなって彼女の手を握る。



「わっ……ブライアン様?」

「駄目ですか? 手を握っちゃ」

「別に……別にいいけど。でも」

「でも? どうしたんですか?」



 彼女が赤い顔をして、もごもごと何かを言い出す。何だか、わんぱくな子供が照れ臭そうにしているみたいで可愛い。微笑ましくて、ついつい笑ってしまう。



「いいのに、そんなに、必死に私のご機嫌取りをしなくても……」

「好きなんです、シンシア様のことが。だから待ちきれずに、こうして海を渡ってきてしまった……」

「待って、それ以上近付かないで……」



 赤い耳元に顔を寄せると、嫌がって離れていった。でも、これは照れ隠しだ。ふと気になって、後ろを振り返ってみると、ぞっとするような仄暗い眼差しで俺のことを見ていた。すぐに目を逸らし、足元の床に目を落としたが、分かった。好きなんだ、彼女のことが。



 ぎゅっと、彼女の汗ばんだ手を握り締める。渡すものか、初めて本気で人のことが好きになったんだ。これまでの恋が色褪せて見えるぐらい、好きになったんだ。誰かの社交的な微笑みじゃなくて、彼女のあっけらかんとした笑顔を、ずっとずっと見ていたい。すぐ近くで、隣で。手が繋げる距離で。



「……すみません。俺、余裕が無くて」

「全然、そんな風には見えないけど……?」

「見えませんか。なら、良かった……貴女のこと、もっともっと知りたいです。シンシア様」

「じゃあ、私の部屋にでも行く? アルバムがあるんだけどね、小さい頃の写真が、」

「行きます! 見たい、二歳とか四歳の頃の貴女の写真が!!」

「わぁ、声が大きい……」



 彼女とアルバムを見て、お茶をして、好きな食べ物や将来したいことを話し合った。その日はちょうど建国記念日で、ささやかな晩餐会が開かれるらしく、一旦別れて部屋に戻った。他の王族も来ると聞いていたので、それなりに地味なスーツを選んで着る。悪目立ちしたくはない。



 緊張しつつ向かうと、もう国王が酒を飲んでいた。早い。面食らってしまう。



「おお、来たか! 悪いな、遅かったから先に始めてるぞー?」

「申し訳ない、陛下が自由人で……」



 その他の王族と彼女と、一緒に座って酒を飲んで過ごす。途中、テーブルの下で彼女の手を握り締めると、足を軽く蹴り飛ばされた。なるほど、このお姫様は一筋縄ではいかないらしい。



「どうだ? 私の部屋で飲み直さないか?」

「陛下! 疲れてらっしゃるのに……」

「まぁまぁ、あまり口うるさいことを言わないでくれよ。メリッサ。それに、ブライアン君がいいと言えばいいだろう? なっ? なっ?」

「っぶ、大丈夫ですよ。俺もちょうど、陛下と二人きりで飲みたいなと思っていたところなので」

「よし、飲み直そう! 悪いが、つまみを持ってきてくれないか? 誰か」



 国王の私室に入って、二人きりで飲むとは。さっきよりも緊張してしまったが、大丈夫だった。座り心地の良さそうな肘掛け椅子にゆったりと腰かけ、おもむろに靴を脱いで、靴下も脱ぎだす。



「へ、陛下……!?」

「ああ、悪いな。どうにも靴は窮屈で……」

「えっ……もしかして、かなり酔ってらっしゃる?」

「そうだな。でも、大丈夫。まだ君の顔は判別出来るぞ? 目が二つと鼻が二つ、口が一つあるからな」

「陛下……お水を飲んだ方がよろしいのでは? 俺の鼻は一つですよ、二つもありません。まぁ、大概の人間がそうですが」

「やれやれ。君も私の妻と似たようなことを言う……せっかくの酔いが醒めてしまうじゃないか、なぁ? そんなことよりも、どうだ? あの子とは」



 グラスをぐっと握り締め、揺らぐ酒を見つめる。きっと好かれていない。いや、会ったばかりだが。でも、きっとあの男のことが好きなんだ。無言で座っている俺を見つめ、笑う。



「あの子にね、ドラゴンの血が混じっているんだ……まぁ、私にもだが。先々代の国王、つまり私の祖父がドラゴンを娶った。だからこそ、ルートルードとドラゴンの間では、数多くの契約が結ばれている」

「それは……有事の際に、手助けをするとか?」

「ああ、そうだな。だが、それも今は関係が無い……つまりだ、一度気に入った相手はしつこく愛し続ける。ドラゴンは情に厚く、淋しがり屋で拗ねやすく、スキンシップを好む。一度好きになってしまえば、あとはもう、あの子も君に夢中だよ。浮気なんかもしないだろう、多分ね」

「陛下はしたことがあるんですか? ディケンズ家の未亡人と一時期、何やらいい仲になったとか」

「おっと、耳が早いな……あの子が君に嘘でも吹き込んだのかな?」

「嘘かどうかは、陛下のみぞ知る。ですね?」



 そう言ってみると、腹を抱えて笑った。そうか、一度好きになった相手はどこまでも愛し続けるのか。どうしよう、勝ち目はあるのかな。



 用心深く酒を口に含むと、つんと、鼻を刺すようなアルコールの匂いが漂った。この国の酒はとにかく強い。味や深みをまるで重視していない。それなのに、ふわりとグレープフルーツのような香りだけが、じんわりと舌の上に残る。またもう一度と、口に含みたくなるような酒だった。



(ああ、早く……彼女を連れて帰りたい)



 一刻も早く、あの男から引き離したい。その願いは死ぬまで叶わなかった。どうしてだろう、一体何が悪かったんだろう、俺のどこが悪かったんだろう? でも、会ったばかりのあの頃のように、素直に伝えていれば良かったのに。それが出来なかったのは一体どうしてだろう。



 心のどこかで、そうあることが正しいと気が付いていたのに。



 馬鹿だな、俺も。だからこうして、彼女を失ったんだ。永遠に。







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