24.待ちに待った運命の出会い
また場面がゆるりと切り替わる。もう嫌だ、疲れた。その時、誰かが俺の手を握った。ふわりとベルガモットの香りが漂う。アーノルドかな、アーノルドが俺の手を握ってくれているのかな。
「……本気か? エディ。お前、レイラに何も言わないのか!?」
「あーっと、静かにしてくださいよ? ここ、喫茶店だし……」
「……悪かったな」
キャスケットを深く被って、サングラスをかけたアーノルドが座り直す。その隣には、気遣わしげな表情のセシリアもいた。
「エディお兄様……でも」
「まぁ、先の話になるかな……兄上がどうしてもまだ、家にいて欲しいってうるさいから」
「そうだな。お前も戦場から帰ってきたばかりだし……分からないことだらけだろう?」
「そう、今は銀行の使い方とか……買い物の仕方とか。まぁ、一般常識を学んでいる最中? かな」
「思ったよりも酷かったな……まぁ、そうか。無理も無いか」
思ったよりも、俺は何も出来なかった。ハルフォード公爵家にいた頃はキースやサイラス、他の使用人達が全部やってくれたし。銀行で金を引き出すことも、スーパーで食料品を買うのも、飲食店で食事するのも、どこかに電話をかけることも、全部全部、一人では出来なかった。戦場では必要無いことだった。人を殺す力、それだけあればいい。それだけで生きて行ける。
「……レイラちゃん、どうしてますか? その、好きになったって」
「お前が雑用課に来て、レイラがお前のことを好きになったら。まぁ、俺から父上に婚約解消の話を────……」
「好きになったっていうのは本当ですか?」
「エディお兄様……あのですね、」
「いい。うるさい、黙っとけ。シシィ」
「は? 大体、お兄様はずっとずっと分かっていたでしょうに」
「とにかく! ……レイラはまだ俺のものだ。俺の婚約者だ。じゃあな」
「ちょっと待って、アーノルドさん……!!」
俺がその手を掴んで引き止めると、ばっと容赦なく振り払った。深く傷付いたんだ、その時。「もう昔のようにいくとは思うなよ、アンバー」と言われているみたいで。アーノルドが俺を鋭く睨みつけ、吐き捨てる。
「だからあの時、俺と逃げていれば良かったのに。お前さえいなければ、俺はレイラと」
叔父の言葉と重なる。いや、そんなことは言ってなかったけど。でも、穏やかに微笑みながらそう思っていた。「俺さえいなければ」と、そう何度も何度も強く思っていたに違いない。するりと、俺の手から美しい手を引き抜いて、舌打ちをする。
「死ねば良かったのに、戦場で」
「っお兄様! なんてことを!」
「いいんだ……シシィちゃん。本当のことだから。それに、何をどう思うかはアーノルドさんの自由だから」
「俺、お前のそういうところが本当に嫌い。じゃあな、一年間耐えろよ。絶対に絶対に、会わせてやらないからな……!!」
会えない。まだ会えない、彼女に。愛おしい、恋しい、苦しい。でも、気配はぐっと近くなった。ここから、南の方にずっとずっと行けば会える。ああ、それなのに会えない。一体どうしてだろう、味方だと思っていたのに。
成長してすっかり美しくなった彼女の写真を眺め、呟く。
「レイラちゃん……」
「殺せばどうだ? エディ。そうすればお前も解放される……」
「兄上……いい加減にしてください。俺は、俺は」
「でも、俺とキースの気持ちも分かってくれよ。エディ……なぁ?」
「……でも、それでもなぁ……」
サイラスが俺に抱き付いて、肩に顔を埋める。離れている間に色々とあったらしく、随分とやつれていた。目の下にはクマが出来ている。この年になってもまだ、同じ寝台で寝たがるサイラスに嫌気が差していると、キースが俺にこっそり教えてくれた。
「……サイラス様はエディ様がいない間、ずっとずっと眠れなかったんですよ」
「キース……それは」
「だからせめて、一年ぐらいは傍に」
「……はい」
先日のやり取りを思い出し、溜め息を吐く。べたべたと引っ付いてくるサイラスを抱き締め返し、その肩に顎を乗せた。
「ごめん、兄上……ずっとずっと、怖がらせて」
「俺の家族はエディだけなんだよ……分かるだろう?」
「ああ、そうだな……」
でも、どう接したらいいのかよく分からなくて。よそよそしい態度を取ってしまった。今でもそうだ、どうしていいのかよく分からない。双子なのに、こんなにも遠い。あれかな、俺はまともに家族を手に出来ない運命にあるのかな。
「エディ、お前。夜会にぐらい付いて来いよ……」
「いっ、いやだ……レイラちゃん以外の女性と話してても楽しくないし……」
「あのな? お前、全然女慣れしてないだろ。そんなんじゃ嫌われるぞ、すぐに」
「き、嫌われる……!?」
「コミュニケーション能力も低い、うまく笑えない、気も利かない。女性は厳しいからな……イケメンでもは? 無理。顔が良いだけかよの一言で終わりだぞ……?」
「そっ、そんな……!!」
兄上の言葉に衝撃を受けた。ん? でもちょっと待て、俺、そんなにショックだったの……? 呪いに出てくるぐらいに? それからというものの、頻繁に夜会やお茶会に出て女性と話すようにした。
高価なシャンプーやリンスを買って、入念に髪のお手入れをして、髭も剃って肌の手入れもして、爪も短く切って、筋トレも引き続きして、爽やかな香りのコロンも買ってほんのりと付けて、女性と食事に行ってデートもした。
(あれ? 無意味だったな、全部……結局、初デートは鶏糞付きだったし。清潔感も雰囲気も何もねぇよ……)
女好きの兄上から色々と学び、その日に向けて動いた。ハーヴェイは結局、「会うくらいなら殺さない」と苦虫を噛み潰したような顔で言ってきた。結婚、考えるって言ってたのはなに……?
「は? 初対面の振りってお前……」
「いや、だって驚かせちゃうじゃん!? ばれるじゃん、それだとさ!?」
「いや、でも、お前。本当に話す気は」
「ないって、だから!」
「エディお兄様。それはちょっと、私としても看過出来ない事態なのですが……?」
「えっ!? そんな深刻そうな顔で言うこと……!?」
「言うことです! 本当に本当に、何も言わないでお姉様にプロポーズするおつもりですか……!?」
ハルフォード公爵家の応接室にて、クッキーをぼりぼり食いながら義妹を見つめる。その隣に座ったアーノルドが、「おい、クッキーを貪り食うなよ。この状況で……」と言って顔を顰めた。ごくんと甘いクッキーを飲み干し、言葉を選ぶ。
「俺……その、一生言うつもりはなくて」
「はっ!? えっ!?」
「反対です、反対!」
「だって、知るとその……今のお前みたいになっちゃうし。罪悪感や義務感で結婚して欲しくないし、俺……」
「痛いところを突いてくるな、お前は……」
アーノルドが低く呻いて、クッキーを手に取った。本当は言ってしまいたい、でも。
「それに俺は覚えてるし。その、約束をさ……帰ってきたらプロポーズするよって言ったんだよ、レイラちゃんに」
「だからってな……お前、警戒されるだけだぞ……? 初対面なんだぞ? 本当に分かってるか? なぁ?」
「分かってるって……本当にマジで放っておいて欲しい。頼むからさ……」
「は? そんな言い草はないだろ、お前。大体な? 俺やシシィが協力しても、ある程度限界はあってそこをお前はちゃんと理解してない────……」
ハルフォード公爵家で何度か打ち合わせて、面接日を決めた。当日、紫色のネクタイを締めて黒いスーツを着た俺を見て、ガイルが顔を顰める。
「おい、お前な……チンピラじゃないんだから」
「えっ!? いや、だってレイラちゃんの髪色と目の色だし! 絶対絶対、これにする!!」
あれ、あんまり辛くない記憶ばっかりだな。もしかして、もうすぐで呪いが解けるんだろうか。眠る俺の頭上で誰かが動いて、話しているような気がする。
こつこつと、ノック音が響く。彼女だ、ようやく来た。気配が濃い。扉一枚隔てた向こうで、緊張と諦観が入り混じった気持ちで佇んでいる。どうしたんだろう、大丈夫だよ。俺はここにいるよ。これからは俺がずっとずっと君の傍にいるよ。
君は全部、何もかもを忘れてしまったけど。あの雪の日に命令したことも、俺を好きだと言ってくれたことも、一緒にクッキーを焼いて食べたことも。
『わっ!? レイラちゃん!?』
『見てよ、アンバー! 外に雪が積もっているの! ねぇ、一緒に見に行かない!?』
朝、彼女が俺の寝台に飛び込んで、座って、嬉しそうな顔で弾む。すぐさまパジャマを脱いで、着替えて、コートを掴んで外に出た。ああ、楽しいね。レイラちゃん。楽しいね。だからずっとずっと、続いて欲しかったのに。この日々が。続いてくれなかった。俺は沢山の人を殺して、自分の国を滅ぼした。
「……結婚祝いに、私達の首しかやれんとはな」
「エディ、覚悟なさい」
「それでもお前は人間なのか、“火炎の悪魔”」
「死ねば良かったのに、お前が」
「エディ様、一緒に逃げましょう。私達と────……」
「エディ様、一体どうしてこんな、こんなことを……!!」
今までの記憶やぶつけられた言葉が、どっと再生される。ああ、嫌だ。覚めて欲しくないのかも、疲れた。もう嫌だ、何もかも。レイラちゃん、レイラちゃん。彼女が扉を開けて、深い紫色の瞳を瞠った。感動で泣きそうになった。ようやく来たんだ、ここまで。
ああ、懐かしいな。雪に囲まれた屋敷の中で、君と暮らしたのは本当に楽しかったよ。君は何も覚えてなんかいないけどね。全部全部、何もかも。
「本当にちょっと待って、誰か助け────……」
「レイラちゃん、君のことが好きだ! 俺と結婚してくれ!!」
ああ、ようやくこの時を迎えることが出来た。彼女が驚いて「は、はいっ!?」と叫ぶ。だよね、だって君は何も覚えてなんかいないんだから。でも、俺は何度だってプロポーズをするよ。君が覚えていなくても何でも。ああ、レイラちゃん。レイラちゃん。
愛しい、恋しい。レイラちゃん。
「あーっ、もうっ! 鬱陶しい! 毎朝毎朝、プロポーズしに来ないでくださいよ!?」
「ごめん、レイラちゃん。でも俺は、」
「エディさんみたいな変態とは絶対に絶対に、結婚したくありません……私はアーノルド様と結婚します」
「えっ!? 何で!? 俺は!? 俺とは!?」
「しません、絶対に!」
笑って受け流していたけど、本当はずっとずっと辛かった。ぶつけられる言葉、その一つ一つに泣きたくなった。でも、笑った。努めて明るく笑った。でないと、彼女に嫌われてしまうような気がしたから。めそめそと泣く男はモテないと、兄上からもそう聞いていたから。
(……ああ、嫉妬かな。あれは)
ドレス姿の彼女が憤慨して、階段を駆け上がってゆく。多数の女性に囲まれながらも、その姿を見守っていた。ああやって嫉妬してくれるくせに、ちっとも俺のことを好きになってくれない。本気で鬱陶しいと思っている時もあった。彼女の苛立ちも全部全部、流れ込んできて。
それを知る度、心が砕け散りそうになった。でも、彼女は罪悪感で身動きが取れなくなっている。じゃあ、そこからだ。まずは彼女の、心の傷を癒さないとな────……。
「……ん、レイラ、ちゃん?」
「エディ! 良かった! 目が覚めたか……」
「ここ、は?」
「俺の家だ。屋敷にいる……ああ、とりあえずレイラとシシィを呼んでこないとな。随分と心配していたから……」
気が動転した様子で、ばたばたと離れてゆく。ぼんやりと白い天井を眺めていたら、ぬっと、心配そうな顔のキースとガイルが現れた。二人とも、額に汗を掻いている。
「エディ坊ちゃん……大丈夫ですか? 分かりますか?」
「おい、エディ坊や。今は夜の九時半で……分かるか? デートの後、あの糞女から呪いを受けて」
「ああ……まだ、そんな時間なんだ? しまったな……どうしよう、話す気力が無いな。今日話すって、レイラちゃんとそう約束したのにな……」
「いい。とりあえず休め……辛かっただろう?」
「坊ちゃん、今、お水を……」
とりあえず、その手を借りて冷たい水を飲む。喉も舌もからからだった。腕が重い、熱っぽい。だるい。霞む視界の中で、キースが心配そうな顔をしていた。
「レイラ、レイラちゃんは……?」
「今、アーノルド様が呼びに行っています。それよりもほら、もう少しだけお水を……」
「チョコ買ってきたぞ。食っとけ、これでも。ほら」
「んぐ……腹へっへはら、ありやほう……」
放心状態で、暖炉の真っ赤な炎を眺めていた。セシリアが去った後の部屋は、静かで薄暗い。エディは今頃、どうしているんだろう。
(私……エディさんに、とんでもないことを)
していた。記憶が無くなったからと言って、そんなことをしていいのか。思考が混乱していて落ち着かない。今すぐ部屋に行って、キースやエディに謝りたい。アーノルドに詰め寄りたい。「どうして教えてくれなかったの」と、そう。
(いや、ただの甘えか。それは)
エディは、苦しむ私を見たくなくて黙った。喋らないと、そう決めた。どうしよう? これまで通り、何も知らない振りでもすればいいんだろうか。素知らぬ顔をして、結婚したらいいんだろうか。よく分からない。頭を抱えて意味も無く、「誰か助けて」と呟いたその時、扉がふいに開いた。
「レイラ! エディが今、目を覚まして……」
「アーノルド様! ……全部聞きました。一体どうしてですか!? 教えて、教えて貰えなかった理由は分かるんだけど、でも、でも、私……」
「っあいつ! 話したのかよ、レイラに……!!」
気が付くと、アーノルドに抱き締められていた。どうして涙が出るのか、それすらもよく分からない。まだ頭が混乱している。どうすればいいんだろう、本当に。アーノルドが私の頭に顎を置いて、低く呻く。
「本当は……エディがちゃんと話すべきだったんだけどな」
「アーノルド様が、さい、最初に、教えてくれたら良かったのに……!!」
「無理に決まってんだろ? 無茶を言うなよ、レイラ……」
「っふ、ぐ、ごめ、ごめんなさい。八つ当たりです……」
「いいよ、もう。慣れてるから。別に」
溜め息を吐きながらも、私の背中を優しく擦ってくれる。ああ、駄目だ。甘えてちゃ。ゆっくりと体を離して、その顔を見上げてみると、淋しそうな微笑みを浮かべていた。
「……行ってこい。ごめんな、ずっとずっと俺が意気地なしで」
「ううん……ごめんなさい、アーノルド様。じゃあ、行ってきます……」
「ああ。じゃあな」
部屋の扉を開けて、足を一歩踏み出す。思い出すのは初めて会った、あの時のこと。薄っすらと涙が滲んだ琥珀色の瞳で、こちらを見上げていた。ああ、そうだ。だって私が「プロポーズして」と、そうせがんだんだから。
込み上げた涙を拭い、前を向いて廊下を走る。寒かった。雪が降る前みたいに、空気がきんと冷えている。冷たい手を擦りつつも、走った。早く会いたい、会ってもう一度改めてちゃんと好きだと伝えたい。
今度は私がプロポーズをしたい、貴方に。
(私……私、何も知らずに酷いことばかり言って)
鬱陶しいと言った時もあった。いや、それどころじゃない。二度と私に話しかけないでくださいとか、変態だとか気持ち悪いだとか、ポジティブお化けだとか……。
(あれ? 意外と酷いこと言ってない!? 私!)
ちょっと今まで冷たすぎたんじゃ? そんなことを考えつつ走って、廊下の角を曲がると、誰かにぶつかってしまった。
「あだっ!? い、一体、だれ……!?」
「おわっ!? レイラ!? 危ないぞ~? 廊下は走っちゃ駄目だってあれほど言って」
「……ハーヴェイおじ様」
そうだ、この人が私の記憶を消していたんだ。私のお父様。そう呼びたかったのに、そう呼ぶのをずっとずっと楽しみにしていたのに。ぐっと黙って拳を握り締める私を見て、ハーヴェイが不思議そうな顔をする。仕事にでも行っていたのか、黒いロングコートを羽織っていた。
「レイラ……? 今のでどこか怪我でもして、」
「どうして! ……私の記憶を消したんですか? ハーヴェイおじ様」
「……何だ、とうとうあいつが話したのか?」
それまでの優しい表情をふっと掻き消し、一転、仄暗い眼差しとなる。ああ、嫌だ。知りたくなかった。記憶を消したのが、ハーヴェイおじ様だってことを。脳裏にふと、ルドルフの言葉が蘇る。そうだ、彼は「ハーヴェイが一番の敵だよ」とそう言っていた。
「どうして……どうしてそんなことを? 私、もう、ハーヴェイおじ様のことを本当の、お父様のように思っていたのに……?」
「レイラ、それは」
「っそれなのに……そん、そんなに、お父様そっくりの私を手元に置いておきたいんですか!? もっともっと他に、何かやりようはあったでしょう!? もうやめてください、うんざりです! お父様の代わりにされるのも何もかも! 私はこの家を出て、エディさんと結婚します! もう、もう二度と」
ハーヴェイが手を伸ばしたまま、死にそうな顔で「レイラ」と呟いていた。胸がずきりと痛む。でも、この人のせいだ。全部全部。ドラゴンを殺させたのも、処刑台にエディを立たせたことも。すうと深く息を吸って、言ってはならない言葉を吐き出す。
「もう二度と、ハーヴェイおじ様には会いません!! 大っ嫌い! お父様なんて、絶対に絶対に死んでもそう呼んでやらない!」
「ああ、呪いが成就した気分だな……あれは予言じゃなくて、呪いだったのか。そうか」
「ハーヴェイおじ様? のろ、呪い……?」
ぬっと手がやってきて、私の目元を覆う。嫌だ、まさかそんな。思わずその手を振り払った。この期に及んで、この人はまだこんなことをするのか。
「っやめてください! 記憶を、記憶をまた消そうとしたって」
「レイラ、約束してくれただろう? ああ、これだから嫌なんだ……嘘が吐ける人間は」
「は? 一体何を言って……」
「約束してくれただろう? あの日、この屋敷の庭で。エドモンの代わりに、俺の傍にいてくれるって」
したっけ!? そんな約束。ちっとも覚えてなくて、首を傾げる私を見つめ、自虐的な笑みを浮かべた。
「俺さ、多分あれ、虐待を受けていたんだよね」
「虐待を……? ハーヴェイおじ様、それは」
「いつだったかな、庭の木に吊るされたこともあったな。でもさ、人間は嘘が吐けるんだよな。俺とは違って。だからエドモンはさ、俺に嘘を吐かないって約束してくれたんだよ。でも、死なないってのが嘘だったな。あいつが唯一、吐いた嘘だったな……俺の傍にずっとずっといてやるよって、そう言ってくれてたのになぁ……死んじまった、俺よりも先に」
焦点が合わない、濁った銀灰色の瞳でこちらを見つめてくる。それを見て、反射的に後退った。狂っている、この人は狂っている。どこかの何かが確実におかしい。怯えている私を見て薄く笑い、ゆったりと歩いて、距離を縮めてくる。
「俺は家族に恵まれなかった。レイラ、お前やアーノルドと違って、一人で食事をするのが常だった……考えられるか? 誰もが喜ぶんだ、俺が死んだら。考えられるか? 苦しい時、悲しい時、誰も傍にいてくれない。誰も俺の背中なんか擦ってくれない。味方なんていない。風邪を引いて寝込んだ時だって、一言汚らわしいとだけ言われた。考えたことがあるか? お前は。レイラ……」
「ハーヴェイおじ様……だからって、そんなこと。していい訳が無い……」
「そんなことが言えるのは、お前が恵まれた人間だからだよ。分かるか? 俺には選択肢が無いんだよ。今も昔も、ずっとずっとな? そりゃあ、まともに生きて行けたらそれが一番だ。人に優しく出来たらそれが一番だ。でも、出来ないんだよ。どうしたらいい? 一体どうすればいい……? 俺は」
ハーヴェイが薄く笑って、目に涙を溜めつつ、私の両肩をがっと掴んだ。嫌だ、怖い。やめて欲しい。それなのに声が出なかった。冬の薄暗い廊下にて、ハーヴェイが笑う。
「俺だって分かっているさ、十分理解しているとも。でもな、いつだって制御が出来ないんだ。俺も、お前達みたいに育てられていたらきっと……いいや、でも、そんなことを言っても仕方が無いよな? ああ、でも、ぬくぬくと暮らしてきた人間ほど、偉そうな顔をしてそんなことを言いやがる……!!」
「いっ、痛い! やめて、やめてくださいよ、ハーヴェイおじ様!? ……お願い、もう私を解放してください……」
「無理だ、怖いんだ! 嫌だ!! 昔からずっとずっと! 言ってくれてただろう!? もう、俺には誰もいないのに!? イザベラだってそうだ、明日には俺のことが嫌になって逃げてしまうかもしれない……!! ああ、そうだ。エディが悪いんだ。全部全部、あの“火炎の悪魔”が悪いんだ。そうだ、あいつが全ての原因なんだ」
「ハーヴェイおじ様……? まさか」
ゆっくりと私から手を離し、半ば正気を失った表情で、じっと廊下の奥を見つめた。まるでそこに、エディがいるみたいに。
「よし、殺そう。今から殺しに行こう。なに、大丈夫だ。やつは呪いで弱体化しているみたいだからな……最初からこうすれば良かったんだ、最初から」