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“魔術雑用課”の三角関係  作者: 桐城シロウ
第一章 彼と彼女の始まり
1/122

プロローグ

小説家になろう初心者でこれが初投稿です、不慣れなおじいちゃん感があります。

 






「……すみません、アーノルドさん。こればっかりは、俺一人だけじゃどうしようもなくって……」



 その申し訳無さそうな声に振り向くと、鮮やかな赤髪と淡い琥珀色の瞳を持った少年がこちらを見つめている。アーノルドの銀髪に銀灰色の瞳とは違って、どこか温かみのある色合いだった。



 ここはエオストール王国の首都リオルネ、その郊外に佇むキャンベル男爵家の屋敷である。長閑な(のどか)田舎町と深い針葉樹の森に囲まれた、キャンベル男爵家の冬はより一層寒くて厳しい。今はまだ冬の半ばだったが、真冬になるとこの辺りは美しい銀世界となる。つい先日も少し早めの大雪が降って、レイラとアンバーの二人は楽しそうに雪遊びをしていた。



 アーノルドが寝室の扉をそっと閉め、真夜中の肌寒い空気に褐色の首筋を震わせつつ、寝台の傍に佇んでいるアンバーの方へと向かった。可哀想に、アンバーはもうすっかり就寝準備を済ませた後だったらしく、見ているこちらが寒くなってきそうな紺色のシャツパジャマ姿だった。



 そんなアーノルドも黒いシャツパジャマ姿で歩いていると、先程まで泣いていた黒髪の少女がふしゅんと、寝台の上で悲しげな溜め息を吐く。



 今ではもう、すっかり落ち着いて眠っているようだったが。あれから数年経っても彼女の傷は深く、俺に出来ることは何も無い。そのことに思いを馳せると、自分がどうしようもない程に無力な存在だという気がしてきて、胸の奥が苦しく詰まってしまう。



「……ああ、可哀想に。大丈夫だよ、レイラちゃん。もうあんな風に怖いことは起きないからね……」



 赤髪の少年が慈しみ深く、優しいばかりの声で呟いてレイラの頬へと手を伸ばす。が、すぐさましまったという顔をして引っ込める。その余計な気遣いに若干苛立ちながらも、両腕を組んで言い放った。



「別に、何だって好きにすればいいだろ? お前らが男女の関係になろうがなるまいが、俺にはどうだっていい話だからな?」



 その言葉にアンバーが穏やかな琥珀色の瞳を揺らして俯き、ふたたびそっと手を伸ばす。苦しそうな表情で眠っているレイラの黒髪を、まるで宝物のように優しく梳かし始める。



「アーノルドさんは何か、大きな勘違いをしているようですが……俺と彼女は別に、そういった関係ではありませんので」



 目の前で鮮やかな赤髪がさらりと揺れた。物憂げな微笑みを浮かべたアンバーは、心底愛おしそうな眼差しでレイラのことを見つめている。



「だから、何も心配する必要が無いと? 相変わらずお優しい性格なことだ、お前は……」



 その言葉に柔らかな苦笑を浮かべて、またレイラのことを愛おしく見つめる。ばちばちと、暖炉の薪が爆ぜて真っ赤な火の粉を散らしていた。今夜はとても寒い。それはまるで、両腕に淋しい何かが縋り付いて来るかのようで。



(この俺が本当に、何も知らないとでも思っているのか……)



 そんな風に、優しいばかりの手でレイラに触れるくせに。そんな風に愛おしくて堪らないとでも、言いたげな瞳で彼女を熱っぽく見つめているくせに。



『アーノルド様、アーノルド様! ほらっ、ねえってば! 一緒に見に行こうよ! 今ね、アンバーが魔術で雪のお馬さんを作ってくれたのよ?』



 愛しい彼女が背中までの黒髪を揺らして笑う。俺の腕を引っ張って、屋敷の廊下を歩くレイラは目に痛いほどの真っ赤なケープコートを羽織っていた。それがあいつの髪色と重なって、目の前で揺れ始める。




『俺はアーノルドさんみたいに魔術調整が上手くないから、歪な馬の形になってしまったんですけど……』



 アンバーが頬を掻いて、照れ臭そうな微笑みを浮かべていた。その分厚いダッフルコートはどこまでも黒かった。たったそれだけの、たったそれだけのことだ、本当に。赤髪の少年と黒髪の少女が、赤いコートと黒いコートを着ているだけの。何もどこもおかしくなんてない、いわば何の変哲もない光景だろう。



 たったそれだけのことだ、ほんとうに。



『レイラちゃん、ほら、そこの階段は滑りやすいから気をつけて……』

『ありがとう、アンバー。でもね、私は一人でも歩けるから大丈夫よ?』



 差し出された手をやんわりと微笑みながら断って、レイラが紫水晶のような瞳で見上げてきた。彼女の視線を辿ってアンバーもこちらを見上げ、申し訳無さそうに頭を下げる。



 一番腹立たしいのは、この二人がやたらと俺に気を遣ってくること。何でも二人で好きなようにすればいいのに、どこへ行くのも何をするのも俺を誘ってくる。邪魔者は俺だ。目の前の二人の関係性において、俺は邪魔な存在でしかない。



 自分を奮い立たせるように深く息を吸い込んで、なんにも気にしてなんかいないような仏頂面を装って。所々に雪が降り積もっている白い階段の途中で、ぴたりと足を止めた。



 雪が降っていた、ちらほらと。アーノルドの鈍く煌く、刃物のような鋭い銀髪にまた小さな雪の結晶が張り付いて、その身を一瞬で溶かしてゆく。吐く息も見える景色も白い。その雪景色の中で、少年の赤髪が目に痛くて仕方が無かった。



『……なんで俺が、こんなクソ寒い日にわざわざ外に出なきゃいけないんだよ。お前らが二人で勝手に行ってくればそれでいいだろ。いいじゃんか、別にそれで……』



 数段下がったその先で、アンバーとレイラが戸惑ったように顔を見合わせてから、説得するような眼差しで見上げてくる。



『でもアーノルド様は最近ずっと、自分の部屋に引きこもってばかりでしょう? たまには外にも出ないと……』

『そうですよ、レイラちゃんの言う通りですよ? それに俺も、たまにはアーノルドさんと話したくって……』



 そんなのは嘘だ。嘘でないのなら嘘臭い建前か、それとも一応は、レイラの婚約者である俺への反吐が出るような気遣いか。それとも単純に、俺への純粋な好意なのか。それについてはあんまり考えたくなかった。この二人のどちらかを悪者にする方が、ずっとずっと心に優しい。



 子犬のような顔で見上げてくる二人を見て、ぐっと手を握り締める。恨めたらいいのに、お前達を。でも、恨めない。俺が恨むことさえ許してくれないのか、お前達は。



 俺だって二人が大事だよ。それでも結局は、俺がいつか邪魔な存在になるんだろう? そんなのは知ってる、知っているよ。わざわざお前らなんかの口から聞かなくても、とてもよく理解しているよ。



 それはとても、胸が痛い程に。



『……なぁ、そっくりさん? あいつらはどうして、あんな木の下でわざわざ握手を交わしているんだろうな……』



 キャンベル男爵家の古い図書室で本を片手に佇み、窓の外を見つめる。誰もいない枯れかけた木の下で、二人がにこにこと笑いつつ握手を交わしていた。アーノルドと魔力供給契約を交わしている、銀等級人外者“似姿現し”のそっくりさんが、レイラと全く同じ姿形で嗤う。それはほんの少しだけ、虫の羽が擦れる音と似ていた。



『それは君への配慮だろうに、アーノルド様? だって彼女はお義理とは言えども、君の婚約者なんだろう? ああして彼と夜を過ごす事も無く、昼間の健全な握手で我慢しているんだよ……』



 そんな唐突な言葉に、本を落としそうになった。こいつは今、何と言った? レイラが、アンバーとそんなことを願って望んでいるだって?



『……レイラはまだ、十三歳だぞ?』



 冬の冷たい硝子窓へと指を添えて、ごくりと唾を飲み込む。後ろを振り返ると、深い薔薇色のワンピースを着たレイラが佇んでいた。いや、そっくりさんだ。何度見ても慣れない。



『そうだね、確かに君の言う通りだよ? ……でもね』



 そっくりさんがレイラと同じ顔を歪ませて、ぽぽんと白い煙を上げ始める。白い煙が晴れると、そこには鮮やかな赤髪の少年が立っていた。レイラの姿から、アンバーの姿に変身した“似姿現し”がこちらを見て愉快そうに嗤う。



『彼は十七歳で、生殖の知識を立派に蓄えている一人の男だろうに……そう、正しく十八歳の君と同じようにね?』



 そっくりさんが鮮やかな赤髪を掻き上げ、顎先をぐっと妖艶に逸らして告げる。まるで商売女のような妖しい笑みを浮かべていた。



『それにレイラは、もう股から子供を捻り出せる少女なんだろう? その証の瞬間を君は、去年の夏の夕暮れ時に立ち会って、その血を拭いて……』

『っやめろ!! それ以上は何も言うな、今すぐに黙れ! その目障りな姿形を今後一切禁じる、二度とあいつの姿形を取るな!!』



 咄嗟に声を荒げて、勢い良く手に持っていた本を投げつける。ばらばらと、無残にページがめくれて絨毯の上で弾んだ。



『勿論だよ。君はそっくりさんの大事で大好きな、愛おしい主だからね? ……ああ、でも』



 人智を超えた古くおぞましい隣人にとっては、気にかけるようなことでも何でもなかったらしい。そっくりさんがゆうゆうと本を拾い上げ、ふぅっと息を吹きかけてその埃を取り除く。



『君は、本当は何が一番嫌なんだい? あの可愛い可愛いレイラに恋をしているようには見えないんだけどなぁ……』



 珍しく心配そうな顔のそっくりさんは、まだあいつと同じ顔をしていた。



(なに? 何が一番嫌だって? それは勿論、あいつの……)



 そこまでを考えかけてから、ふと、自分が何に苛立ってたのかがよく分からなくなる。今まで大事に大事に育ててきた、実の妹のような存在のレイラを取り戻したいのか。それとも俺は、彼女を一人の女性として愛しているのか。そのどれもがあまり、腑に落ちるような回答では無くて黙り込む。



 心配そうな顔で見つめてくるそっくりさんに、何の言葉も返せなかった。










「……さん、アーノルドさん? あの、眠たいのなら寝台で眠った方が……」



 その言葉にはっと目が覚める。見ると、心配そうな表情のアンバーがこちらを覗き込んでいた。どうやらいつの間にか、カウチソファーでうたた寝をしていたらしい。額の汗を拭って、アンバーを見上げる。



「……ああ。でも、俺の寝台はレイラが使っているだろ?」



 何故かアンバーが動揺して、淡い琥珀色の瞳を彷徨わせた。



「っれ、レイラちゃんとアーノルドさんは、仮にもこん、婚約者同士なんですから、一緒の寝台で眠ったらいいとおもいます……!!」



 アンバーの情けない表情を見て笑う。悲しそうに下がった眉毛がレイラの泣きべそ顔と重なって、ようやく自分が何に苛立ってたのかを理解する。



(ああ、そうだ。この二人はよく似ていて。アンバーのことも俺は気に入っていて……)



 だからこそ、レイラを奪われて腹が立つのにどうしても憎みきれなくてもどかしい。それにレイラは、頭のおかしな父親が勝手に決めたとは言えども俺の婚約者だ。俺のものなのにと、そんな嫉妬心に苛まれてしまう。



 だけど、それは家族のような愛情でしかない。でも、そんな人の意思をまるっと無視して、あの頭のおかしな糞親父はレイラと俺の婚約を決めてしまったのだ。



 大切な友人と妹のような婚約者の幸せを、この俺が阻害している。だから俺は、酷くもどかしくて腹が立つのだ。この大事な大事な可愛いレイラを、手放してやれないことがこんなにももどかしい。



「……それは本当にいいと、そう思っての発言なのか?」

「もっ、もちろんですよ、俺はそれで、ほんとうにいいと、そう、そう思って」



 あわあわと胸の前で両手を振った後、がっくりと項垂れてしまった。やはりそんな所も、可愛いレイラとよく似ているような気がする。



「っふ、そんなことちっとも思ってなんかいないくせに。あまり無理をするなよ?」

「だってアーノルドさんは仮にとは言えども、レイラちゃんの婚約者でしょう? そんな風に俺がその、やめて欲しいと、そう言える立場に無いのでそれで……」



 自分で話していながらも悲しくなってしまったのか、もう一度がっくりと項垂れてしまった。



(見ていると本当に面白いな、こいつは)



 少しだけからかってやろうとほくそ笑み、足を組み直す。



「……アンバー? お前は先程からやたらと、仮の婚約者だと強調しているようだが。一体全体、何を根拠にそう言っているんだよ?」

「えっ!? アーノルドさんって、もしかしてロリコンだったんですか!?」

「本当にやかましいな、お前は!! 俺が言いたいのはそうじゃなくって、俺とレイラがちゃんとした婚約者だってことだよ!」



 ひゅっと絶句して息を飲み込み、アンバーが呆然とした表情を浮かべている。ようやく満ち足りた気持ちになって、にっこりと微笑みかけてやった。



(ああ、これだから堪らないな。レイラもアンバーもどうにも二人して、こちらの嗜虐心を煽ってくるもんだから、もっともっと違う表情が見たくなってしまう……)



 愉悦に歪んだ口元を隠す。二人のことを大事に思ってはいるものの、時折こうして猫が鋭い爪の先で、ネズミの柔らかい腹を捏ねくり回してやるかのように、散々に嬲って(なぶ)やりたくなる。



「でっ、でもそれはあの人が、ハーヴェイおじさんが勝手に決めた婚約ですよね!? それに何よりも、アーノルドさんは以前、レイラちゃんのことなんか別に好きじゃないって……」

「さぁ、そんなことを言った覚えはとんと無いな。生憎と俺はかなりの気分屋なんだよ。もしも今は別にそうじゃないって言ったら、お前はどうする? アンバー?」



 しれっとこちらが口にした真っ赤な嘘を信じてしまったのか、淡い琥珀色の瞳に涙を滲ませていた。こんなにも騙されやすくて、この先ちゃんと生きて行けるのかと少しだけ不安に思ってしまう。



「……確かにこの婚約は、俺の父上が勝手に決めたことだ。だからこそ、俺がレイラのことを好きであろうとなかろうと、決して揺るぎはしないものだぞ?」

「っそれは、確かにそうかもしれませんが……そもそもの話、どうしてハーヴェイおじさんがレイラちゃんを引き取ったんですか? 普通は親族が引き取るものですよね?」



 アンバーが前のめり気味に訊ねてきたところ、先程から繰り返される名前に反応してしまったのか、寝台で眠っている筈のレイラがむにゃむにゃと何かを言い始める。アンバーが驚いたように体を揺らして、ぴたりとその動きを止めた。



 背後を振り返ってみたが、ほんの僅かに寝台の白いシーツや黒髪らしきものが見えるだけで、後は何も見えやしなかった。



「っと、しまったな……この話はもう少し、そうだな。防音魔術でも張っておくか」

「すみません、つい、声が大きくなってしまって……」



 ひゅるりと褐色の指先に魔力の光を纏わせつつ、立ち上がる。蝋燭の小さな明かりのような、深海の底からぼんやりと浮かび上がってくるかのような、淡い魔力の光はいつだって酷く美しい。それが人の命の源なのだと、幼い頃からよく言い聞かされてきたそれは月光のような銀色を纏って、指先でこうこうと輝いていた。



 幼い頃の彼女が俺の腕にしがみついて「月の光みたいできれい」と、紫色の瞳をきらきらと輝かせて呟いていたのをふと思い出す。



 ああ。ただひたすらに愛おしいと、心底そう思う。恋愛感情でも何でもないけど、ただただひたすらに愛おしい。だからこのアンバーが気に食わないんだ、俺は。今まで可愛い可愛い、レイラを守って慈しんできたのはこの俺なのに。



 今日みたいに悪夢を見て泣いてしまった夜にだって、俺が優しく寝台で寝かしつけてきたのに。どうして俺じゃなくて、この男を頼るんだろう? 今までずっとずっと、レイラは俺だけを見つめていてくれたのに!



 胸が苦しい、淋しい、腹立たしい、そんな感情の渦巻きをそっと打ち消した。冷静にならないと、魔術は使えないから。その魔力の熱が冷める前に、国家魔術師の従者から教わった術語を思い出して組み立てる。



 今から約四十年ほど前は、誰もが自由に魔術を使っていたものだが、そのせいで悲惨な事件や魔術事故、高価な魔術書の窃盗や密輸が多発し、世界的な魔術犯罪が相次いで発生したのだ。



 それからはというものの、エオストール王国も他の先進国に倣って、魔術に関する制限を次々と増やしていったのである。こうして今やどこの国でも魔術は厳しく制限され、魔術を行使する際に唱える術語は口にしてはいけない決まりになった。そして貴重な術語が記された魔術書は、国が認めた国家魔術師しか所持、または売買してはいけないことになったのだ。



 その国家資格がなければ人に魔術を教えることも、魔術を使うことも出来ない。しかし世界的に魔術が制限された後、魔術の恩恵を受け取れるのはごくごく一部の上流階級のみという、現実に意義を唱えた「魔術解放運動」が勃発。



 元々魔術書を買って学び、魔術師になれるのは金持ちか貴族のみで。それに拍車がかかったのだ。それからというものの、今ではどこの国も福祉の一環として「魔術トラブル対応総合センター」を各都市に設置している。



 魔術に関する社会問題はまだまだ残ってはいるものの、表面上は誰もが現在に納得して暮らしていた。そんな魔術問題に思いを馳せていると、ぴきんと水面に張った氷が割れてゆくかのような、そんな魔術の成就音が響き渡る。空間に作用する魔術を行使した時のみ、この成就音が高く鳴り響く。



 ふっと淡い銀色の光を掻き消して、カウチソファーへと座り直す。



「はー……アーノルドさんは本当に、魔術の天才ですよね……」

「お前はいちいち大袈裟なんだよ。ほら、さっきの続きを聞かせてやるから、アホ面を晒してないでここに座れよ」

「あっ、はい。隣にじゃあ、ちょっと失礼して……」



 ソファーの座面を軽く叩くと、大人しく隣に腰掛けた。その品が良い所作を見て、胸がざわつく。



「それでその、どうしてレイラちゃんは養女として引き取られたんですか?」



 おずおずと、こちらを覗き込んできた淡い琥珀色の瞳が、暖炉の赤い炎を映して輝いている。何となく居心地が悪くなって、正面の暖炉へ視線を移した。



「……お前は、レイラからある程度話を聞いているな?」

「はい、アーノルドさん。とは言ってもたぶん、全部じゃないと思います……肝心なところは教えて貰えなくて」



 隣で淋しそうに呟いたアンバーを見て、歪んだ優越感を抱く。流石にレイラもそこまで話していないのか。鼻で笑って、ぐぅっと体を伸ばして背もたれへと寄りかかった。



「それはそうだろうな……話を進めるがあの事件の後で、レイラを引き取って育てたいと言い出したのは、レイラの叔母である、ダーリントン侯爵夫人だ」

「まぁ、普通はそうですよね? だって、レイラちゃんは天使のように可愛いし」

「突然、妙な惚気を挟んでくるな! ……それでレイラは、あの魔力障がいを持っているだろ? それもあって、俺の父上はレイラを強引に引き取ったんだ」

「確かハーヴェイおじさんは、一等級国家魔術師でしたっけ? その方が安心ですもんね……」



 ばちちっと暖炉の薪が乾いた音を立てて、それを聞いたアンバーが琥珀色の瞳を瞠っている。この頃になると二人とも、お行儀良く座っていることに飽きて膝を抱えていた。



「……それが一番の理由だろうが、あの日の事件で一体、何人の人間が死んだと思う?」

「じゅ、じゅうにんとかですかね……?」



 まさかそんな言葉が返ってくるとは。ふっと鼻を鳴らして馬鹿にすると、たちまち赤い顔になる。



「お前みたいな性格の人間が沢山いたら、この国はもっと平和だったかもしれないな?」

「いっ、いいから、もったいぶってないで、早く教えて下さいよ…!!」



 ふんと鼻を鳴らし、肩を掴んできた手を振り払う。



「あの事件の日に亡くなったのは、レイラの両親も含めて二十八人だった」

「にじゅう、はちにんですか、それは……」

「ああ、原形を留めていた分だけの人数な? もしかするとあの屋敷に飛び散っていた、歯やら爪やら、手足の指やらを集めて数えればもう少し、」

「うっぷ、それ以上はもうやめてください、想像しただけで気分が悪くなってきたので……」

「お前はな、本当に……そんなので大丈夫かよ? 今は特に、隣国との戦争中だってのに」

「いいんです、どうせ軍に志願したりしないし……それに、俺はこの髪色なので」



 隣国出身の証である、鮮やかな赤髪の毛先を摘まんで笑う。それはどこか淋しそうな微笑みで、気まずくなってしまった。



「……俺はお前の髪色なんて、まったく気にしてないからな?」



 静かな励ましの言葉に対して、アンバーが嬉しそうに微笑み、こくりと素直に頷いている。ばちばちとまた、真っ赤な炎が燃え上がって、冬の冷たい夜をその熱で溶かしてゆく。



「それで実際は、彼女の魔力障がいとその事件だけが強引に引き取った理由なんですか? だって、ハーヴェイおじさんの方が、ダーリントン侯爵よりも爵位は下なんでしょう? いくらレイラちゃんが亡き友人の娘だとしても、ちょっと出しゃばり過ぎなのではないかと……」

「お前もお前で案外、鋭いうえに容赦がちっとも無いな……それは亡きハミルトン子爵が、レイラの父親が親友だったからだよ」



 その言葉に目を丸くして、アンバーが問いかけてくる。



「親友? ハーヴェイおじさんが、レイラちゃんのお父さんとですか?」

「そうだ、それも寄宿学校時代からのだ……あの人は、エドモンさんはいつだって父上にとんでもなく優しかった……頭のおかしい父上の、唯一の理解者だったんだよ」



 あの人だけだった、滅茶苦茶な父上を完璧に制御できていたのは。剣よりも扇の方が似合うと謳われていた、華奢で儚げな女性にしか見えない、ハミルトン子爵。彼だけが最期の最期まで、父上のよき理解者だった。



 とても不幸なことに、レイラはその儚げな父親によく似ている。あの人が土の下から蘇ったかのようで、見ていると胸が苦しくなるのだ。いつも。



「父上は、絶対にレイラを一生手放したりなんかしないと思う……何が何でも実の息子である俺とレイラを結婚させて、一生手元に置いておくつもりだよ、あれは……」



 自分の両膝に額を押し付けて、そのまま塞ぎ込んでしまう。自分の無力さがどうしようもなく呪わしかった。大事な大事なレイラとアンバーの二人は、自分が婚約者として存在しているせいで、いつまでたっても友人同士のままだ。あの冬の寂れた庭先でにこにこと笑って、仲良く握手を交わしていた二人が目に浮かんでくる。



 頭のおかしい狂人に、唯一の理解者だった亡き親友。その亡き親友の娘であるレイラ。父上は決して、彼女を手放しなんかはしないだろう。なにせ、親友の忘れ形見なのだ。父上がハミルトン子爵に向けていた執着はそのまま、生き写しであるレイラへと傾きつつある。



 可哀想に、彼女は狂人の檻から一生逃がしてもらえない。じぶんの、無力さがどうしようもなく呪わしかった。それはとても。



「それでも俺は、レイラちゃんを諦めるつもりはありませんから! それにアーノルドさんの実の妹であるセシリア嬢だって、俺の恋を応援してくれているんです!」

「いや、あいつはただ単に、俺への嫌がらせも兼ねてお前を応援しているだけだから……」



 ぐっと、アンバーが拳を握り締めて誓う。それを見て思わず呆れてしまった。



「それでも大丈夫です、俺にとっては心強い味方なんで! そうだ、明日もレイラちゃんとセシリア嬢とパン作りをするんですけど、アーノルドさんも一緒にどうですか?」

「お前らは本当に仲が良いよな……俺は別にいい、遠慮しておく」



 首を横に振って断ると、アンバーが信じられないとでも言いたげな表情で振り返る。



「えっ、どうしてですか!? 俺としては温度調整魔術が得意なアーノルドさんがいてくれると、何かと助かるんですが……」

「さてはお前、俺をパンの発酵に利用するつもりだな? 絶対に嫌だ、そんなもん断固拒否だ、拒否!」

「そんなっ!? アーノルドさんには、レイラちゃんに美味しい焼き立てのパンを食べさせてあげようって気持ちが存在しないんですか!?」

「今すぐ俺の寝室から出て行け! さっさとクソでも何でもして寝ろ、おやすみ!」

「もがっ!?」



 カウチソファーに置いてあったクッションを押し付けてやると、むがむがと、不満そうに腕を振り回していた。



「ぷはっ! もしかしてアーノルドさんは、レイラちゃんと同じ寝台で眠るつもりですか!?」

「お前は本当に面倒臭いな……そんなに心配なら、お前も一緒に眠ればいいだろ?」

「へっ!? おっ、俺も一緒にですか!? レイラちゃんと!?」

「妙な真似をしたら、即刻叩き出すからそのつもりでいろ! そら、このクッションでも枕にしておけ!」

「わっ、あの、それはちょっと、流石にまずいのでは……?」



 アンバーがクッションを受け取って、その両腕にぎゅっと抱えている。戸惑うアンバーを無視してカウチソファーから腰を上げ、両腕を組みつつ足元の影に目を凝らした。



「そっくりさんはいるか? 少しだけ頼みたいことがあるんだが?」

「はい、はぁーい! そっくりさんはいつだって! 君の大事な影に潜んでいるよ? なにかご用事なのかな?」



 幼い子供のような甘い声が響いた後、ずるりと、白い手が影の淵を掴んでレイラと同じ顔のそっくりさんが現れる。そっくりさんは自分の姿形を持っていないらしく、お気に入りの人間を真似る習性があるので、常にレイラの姿形で過ごしていた。



「俺の部屋に……俺がいつも季節物を収納している部屋があるだろ? そこにいくつか虫除け術籠があるから、その中から羊毛竜の毛布と綿花蜘蛛のシーツを一枚と、あとそれから、こいつの部屋からいくつか明日の着替え用に、長袖のシャツとズボンに靴下、ついでに寝台からこいつの枕を取ってきてやってくれ」

「ア、アーノルドさん……!?」



 慌てふためくアンバーを無視して、そっくりさんがこちらを見上げてくる。



「はいはぁい、全く。そっくりさんの人外者使いが荒いんだから、まったくもう! それでも君は大事な主だから、言うこと聞いてあげるけどねー……」

「悪いな、そっくりさん。よろしく頼んだぞ? あとそれから取り出した毛布とシーツにダニよけと、軽く洗濯魔術をかけて持ってきてくれないか?」

「うーん? ひとに災いを成すのが生きがいな銀等級のそっくりさんに、そんなことをお願いするのは君くらいなものだよ……それじゃあ、早速行ってきてあげるね?」

「ああ、よろしく頼んだ。あとそれから、虫除け術籠はしっかり蓋を閉めてきてくれよ?」



 立て続けの要求に流石の“似姿現し”も嫌気が差してしまったのか、足元でうげっと顔を顰め、赤い舌をべろべろと震わせた後、緩やかな黒髪を翻してちゃぷんと沈んでゆく。そのおぞましい気配が消えたのを見計らって、アンバーが怖々とした様子で話しかけてきた。



「すごいですね、アーノルドさんは……銀等級の彼らが怖くないんですか?」

「俺は人外者の先祖返りだからな。他の人間といるより、ああいった奴らといる方が落ち着くんだよ」

「へー……何だかそれは、ちょっと生き辛そうですね。普通の俺にはよく分からない感覚ですけど」



 時折アンバーは何もかもを見透かしているかのような琥珀色の瞳で、こちらが知りたくもない事実を突きつけてくる。そんな部分をレイラは恐れたりしないのだろうかと、何となく気になった。



「……俺はレイラを抱えて眠るつもりだが、お前はどうする?」

「かっ、抱えてですか!? 死ぬほど羨ましい、俺もそうやって生きて行きたいです!」

「そういった壮大な次元の話じゃねぇよ、お前の頭には一体何が詰まってるんだ!?」

「それはもちろん、可愛いレイラちゃんへの愛がみっちり沢山詰まっています!」

「うわっ、ものすごく気持ち悪いものが沢山詰まっていそうだな……俺とお前でレイラを挟んで、眠るのでいいか?」



 嫌なことを聞いてしまったなと思って、自分の両腕を擦っていると、アンバーが渋い顔をして首を横に振る。



「いや、それは流石にちょっと……落ち着いて眠れないので、アーノルドさんもなるべくレイラちゃんから離れて眠りつつ、俺の寝相に巻き込まれない程度の距離で、」

「お前はいちいち面倒臭いことを言うな!? もういい、分かった。レイラをなるべく壁際に移動させて、その空いた隙間に俺とお前が、適度に離れて眠ればそれで文句は無いな?」

「はい、それで大丈夫です! ありがとうございます、アーノルドさん!」

「まったく、やれやれ……」

「はいはぁい、我が主のご注文通りの品物だよ? そっくりさんはこれを一体どうすればいいのかな?」



 深く溜め息を吐いたところで、“似姿現し”のそっくりさんがずるりと現れた。想像していた通りの品物を抱えている。



「ああ、意外と早かったな。ありがとう、そっくりさん。それじゃあそれを、眠っているレイラを起こさないように魔術でシーツを交換して、その毛布はここのカウチソファーにでも置いといてくれ」

「ぶぅー……そっくりさんのするべきことじゃないよ、こんなの全く! 人外者使いが残酷なんだから、全くもう……」

「アーノルドさんって本当、生活能力に長けたひとですよね……」

「何だそれは? 別にこれぐらい、出来て当たり前だろうが……」



 世話の焼けることだと、もう一度深い溜め息を吐く。アンバーの着替え一式を畳み直しつつ、何だかんだと言って俺は、二人の面倒を見るのが好きなのかもしれないと思う。困惑した表情のアンバーに明日の着替えだと言って押し付けてやると、しきりに首を傾げていたが、やがて深々と頭を下げる。



 いそいそと嬉しそうに寝台に潜り込んでいるアンバーをぼんやりと見つめていたが、寝る前の歯磨きをしていないことに気が付いて、慌ててそれを止めに入る。非常に面倒臭がるアンバーの首根っこを掴み、ずるずると連行しつつ、この二人がきちんと結ばれるように努力せねばと、密かに決意を固めた。



 翌朝目覚めたレイラはどうして自分の膝の上で、アンバーが腹を出して眠っているのだろうと首を傾げ、それから自分の腰に手を回して眠っているアーノルドを見て、ぱちぱちと紫色の瞳を瞬かせた。



 なかなか起きてこない息子を叩き起こすためにと、寝室へ勇ましくやって来た吊り目のキャンべル男爵夫人がその光景を見て、お説教の雷を落とすのはたった数分後のことである。






完璧趣味で書いています。基本的にこの世界の人外者たちは言葉を正しく使えません。なのでこれから出てくる人外者の台詞は言葉の意味が間違っていたりもするし、何を言っているのかよく分からなかったりもしますが、あえてです。

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