大山邸にて(2)
お金はなぜ必要なのか?
由川と優子が居間に戻った時に、辻が唐突にそんな質問をした。
優子は、持ってきたおつまみをテーブルに並べると、
「必要もなんも、お金ないとなーんもできへんやろ。」
と何を馬鹿なことをという感じで肩をすくめた。
商いが盛んな南州出身の優子は「もうかってまっか?」が日常の挨拶になっている環境で育ったので、お金は空気のように在って当たり前のものなのであった。
そんな優子を尻目に、由川はワインをテーブルに置くと、大山の方を見た。
「もしかして、その質問、先生がしたんですか?」
「そうだ。」
由川は納得がいった。これは先生の頓智問答だ。前にもこんなことがあったような、、、
そう、なぜ人を殺してはいけないか、だ。
あのとき、先生は最後に何と言っていたか、、、
確か、未来の、、、そうだ、未来の保証だ。
由川は大山にこう言った。
「お金が必要なのは、未来の保証のため、ですか?」
由川の言葉を聞いて、大山はふむと頷く。
「その通りだ。」
辻は、由川が答えを言い当てたことに驚くと同時に、その答えの意味が何なのかを考えていた。
お金があれば、物であれサービスであれ有形無形にかかわらず、ほとんど何でも手に入れることができる。つまり、それがその人の未来を保証するということなのだろうか?
辻が思案している横で、由川がワインをオープナーで開けていた。
スポン、といい音がして、コルク栓が抜ける。
「先生、どうぞ。」
「うむ。」
由川は大山のグラスにワインを注ぎながら、辻に種明かしをした。
「実は先生には、前にも変な質問を受けたことがあって、そのときに結論として、全ての人間活動は唯一の原則、未来の保証によって動機付けられるって話があったんだ。だから、今回の質問の答えも、それかなって。」
「前に受けた変な質問って何ですか?」
と、辻が尋ねる。
「人殺しはなぜいけないのか、だったかな?」
「うっわ~」
横で聞いていた優子が若干引き気味に顔をひきつらせた。そして辻に代わって疑問をぶつけた。
「せやけど、その質問の答えが何で、未来の保証になんねん?」
「自由に人を殺せる社会の中で生きていたら、どんな気分?」
「そんなん、夜も落ち落ち寝られへんわ。」
「だよね。だから、人を殺してはいけないというルールを作った。将来自分が殺されないという保証を得るためにね。」
「それが、未来の保証?」
「そう、この問答の本質は、生命活動の根源、種の保存にあるんだ。」
そう言って、由川は大山の方を向いて自分の解釈が正しいのか確かめた。
「概ね由川の言ったことで合っている。」
そう言うと大山はグラスを静かに傾けワインを口に流し込む。
その答えを聞いて優子は溜息をついた。
そんな優子に大山はグラスを渡しワインを注いだ。
「君も飲みたまえ。」
「あ、ありがとうございます。」
優子は大山が注いだワインをグビッと一口で飲み干した。
あ、やばい、おミヤさんにワインはやばい。
由川、米村、辻の3人が固唾を飲んで見守る。
3分後、、、
「んで、お金が必要なんも、究極的にはその未来の保証いうか種の保存が理由というわけなん?」
「そうだ。貨幣というものは、未来の保証という必要条件を満たす十分条件にすぎん。」
「は~、先生もしちめんどくさいこと考えよんなぁ。」
案の定、酔っぱらって気が大きくなった優子は、大山にタメ口上等で話していた。
そんな優子を相手にしながら、大山の方は、むしろ楽しそうに受け答えをしている。
「君たちも飲むかね?」
「あ、はい、いただきます。」
辻と由川はそれぞれ、グラスを持つと、大山にワインを注いでもらう。
「ボクは飲めないのでジュースでいいデス。」
米村は自分のグラスにジュースを注ぐと、先ほどの大山の発言の中で浮かんだ疑問を聞いてみた。
「貨幣が十分条件ということは、貨幣以外にも未来を保障する手段があるということデスか?」
「ほう、いい質問だな。」
大山は、機嫌よくグラスに残ったワインを飲み干す。
「ところで、貨幣の役割とは何かね?」
米村の質問に別の質問で返す大山。米村は黙ってしばらく考え込む。
大山が他の3人の教え子たちを見渡すと、優子が、はいっ、と手を上げた。
「大学の授業の受け売りやけど、価値の尺度、価値の媒介、価値の貯蔵、責務の決済、やったかな?」
価値の尺度とは、りんご1つが100円というようにその物の価値(価格)を測ること。
価値の媒介とは、100円を媒介にして、りんごを得ることができること。
価値の貯蔵とは、100円を、将来りんごと交換できるように貯蔵(貯金)しておくこと。
責務の決済とは、りんごを盗んだ者に、100円の責務(罰金)を課すこと。
ちなみに税金は、公益を享受する替わりに支払う責務の決済にあたる。
由川、米村、辻は、「おー」と感心して優子のことを見た。
「ふふーん、いちお、これでも経済学部やったし。」
優子の答えに大山は、うむと頷く。
「貨幣の機能をリストアップするとそうなるな。だが一言で言うならば、、、」
そう言って、グラスに自分でワインを注ぐ。
「数値化された価値を媒介する変数だ。」
大山は上着のポケットからペンとメモ用紙を取り出すとテーブルに置いて書き始めた。
「ここに、りんごとメロンがある。物々交換したときの交換レートはりんご5個に対し、メロン2個だった。りんごをX、メロンをYとすると、」
5 X = 2 Y
「という式が成り立つ。ここで媒介変数 Aを用いると、この関係式は」
X = 2 A
Y = 5 A
「という連立方程式で書き表せる。Aを基準としたりんごの価値の尺度は2、メロンの価値の尺度は5ということになる。」
そこで由川が付け加える。
「Aの実体を保存に適した金属などにすると、価値の貯蔵が可能となるわけですね。」
大山は頷く。
「そうだ。実際、初期の貨幣は、金や銀の貴金属が使用されていた。現在では、紙幣や、証券、電子的な仮想マネーも貨幣の役割をしている。」
そこで、おつまみを食べながら話を聞いていた米村が、口を開いた。
「貨幣の役割はなんとなく分かったんデスが、貨幣以外にも未来を保障する手段があるのか、という疑問の方は?」
米村のその質問に、大山は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、そう慌てるな。実は貨幣には欠点がある。」
「欠点、、、それは何デスか?」
米村が聞き返し、他の3人が大山を注目する。
「利益を得られるということだ。」
「は?」「え?」「へ?」「!?」
全員、一瞬、口をポカンと空けて固まっていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大山の発言、貨幣の欠点が利益を得られるということ、それを聞いて、優子が黙っていなかった。
「いやいやいや、訳わからんで、利益を得られるんは、欠点やのうて利点やろ?」
「なぜそう思う?」
「そんなん、利益を得られるゆうことは、お金が増えるゆうことやろ?そのお金で食べもん買ったり服買ったり出きるんやろ?それこそ先生の言う未来の保証やん?」
「なるほど。ところで、その利益というのはどこから来るのだ?」
「またしちめんどくさいことを、、、」
と言いながら優子は腕を組む。
「う~ん、まあ、安く買って高く売る、その差額が利益になるんちゃう?」
優子の答えに、大山がさらに質問する。
「なぜ同じ価値の物が安くなったり高くなったりするのだ?」
「それは、、、」
優子が言葉を詰まらせると、はいっ、と辻が手を上げた。
「需要と供給の関係です!需要に対して供給が少なかったら価格が高くなっても買おうとします。逆に、供給に対して需要が少なかったら価格を低くしても売ろうとします。だから同じ物でも安くなったり高くなったりします!」
「永ちゃん、ナイスフォロー」
優子がウィンクすると、辻は満足そうにして眼鏡をキランと輝かせる。
「市場メカニズムというやつだな。」
大山が答える。
「そうそう、それや、えーと、何やったけ? なんちゃら均衡とか、なんちゃら効率とか、、、」
優子が曖昧な記憶を探っていると、辻が、はっとした表情をして声を上げた。
「あっ、僕、分かっちゃいました! あれですよね、転売問題ですよね! コンサートのチケットとか、新作のゲームソフトとかを買い占めて、高い値段で売りさばくやつです! そういうことがあるから利益が欠点だと、先生はそう言いたいんですよね?」
「それも欠点の具体例の一つではあるな。」
大山が頷く。
「他にもあるんですか?」
「例えば高利貸しだ。金を貸して法外な利子をつけて返させる。」
すると、由川が、はい、と手を上げた。
「利子は、適正な金利になるように法律で規制されているはずです。」
「それでも本当に金に困っている者は利子が高かろうと借りる。そういう者がいる限り高利貸しはなくならん。法の規制があってもな。」
大山は、そう言って由川を見た。
「そもそも利子というのは、借りた金を元に事業を起こし利益を得ることを前提に考えられたものだが、その理屈で言えば、事業が失敗したなら返済する金は少なくするべきだ。しかし、失敗しようが成功しようが関係なくプラスの利子を払わなければならない。」
「でも利子がマイナスになるかもしれないのなら、誰もお金を貸さないですよね。」
「それでいい。誰も金を貸さなければ、借金もなくなる。」
「また、無茶苦茶な、、、」
由川が、なかば呆れたように大山を見る。
「そもそも利益に関する問題は根が深いのだ。1000年前にアメリア王国の商人が、植民地でほぼ無価値だった胡椒を、本国で香辛料として高く売りさばき莫大な利益を得た。そして、物の価値を需要と供給で変動させるという行為が常識として定着した。」
そういうと、大山は一息ついて、ワインを口に流し込む。
「物の価値を変えることは許されることなのか? 君たちの言葉で言えば、チートではないのか?」
由川は、うーん、と唸った。
チート、、、確かにそう言われてみればそうかもしれないけど、、、
でも、今の社会は、利益の追求を原動力にして発展してきたのも事実なのだ。
「大山先生の話を聞いて、高校の社会の授業で習ったことを思い出したんですけど、、、」
と、今度は辻が切り出した。
「50年前、ルスラン王国が、革命によってルスラン社会主義共和国になったのって、財産を共有して利益を追及しない社会にしようとしていたんですよね。」
ルスラン社会主義共和国は、社会主義国家として50年間続いたが、密告を基にした厳しい情報管理と、土地の共有を拒む農村部への迫害などで、国内からも国外からも不満が続き、結局、政権交代で、ルスラン連邦になって、自由市場経済の道へ逆戻りしていた。
「彼らの理想は正しかった。だが、やり方が間違っていた。」
大山はそう言って、目を閉じ、腕を組んだ。
「あのー」
皆の話を黙って聞きながらポテトチップスを食べていた米村が手を上げた。
「結局、貨幣の代わりに未来を保証する手段って存在するんデスか?」
大山は、目を開き、組んだ腕を解いて、米村を見た。
「ああ、回り道しすぎたな。」
そして、皆を見渡した。
「結論から言おう。貨幣がなくても未来の保証は保てる。今からそれを説明する。」
大山は不敵な笑みを浮かべると、こう言った。
「君たちには、ちょっとしたゲームをして貰いたい。これは如何にして金を使わずに生きて行けるか、そういったゲームだ。」