陽御子さまのご入学(2)
朝廷談議が終わった後、玲子は北皇としての公務に出かけ、陽御子と時子は皇居内の食堂で昼食を取っていた。昼食を終えて給仕がテーブルから食器を片づけ去って行くのを見届けると、陽御子は時子に向かって手をぐっと差し出す。
「時子ちゃん、わたくしの携帯。」
時子は差し出された手を見つめながら、ふぅとため息をつく。
「陽御子さまも高校生になられるのです、そろそろその呼び方は止めてくださいますか?」
「どうしてですか? かわいいじゃないですか。」
陽御子は微笑を浮かべながら手のひらをクイックイッと動かして携帯を要求する。
時子は「全く、、もう、、」と呟きながらポケットから携帯を取り出し陽御子に手渡した。
陽御子は携帯を受け取ると、ぷにクエを起動し、ギルドメンバーのログインリストを眺め始めた。
「あ、陽菜ちゃんと萌ちゃん、ログインしてます!」
陽御子はいそいそとギルドの掲示板に書き込み始めた。
ひみこ:<お久しぶりです>
すると、すぐに掲示板に返信が書き込まれた。
ひな:<ひみこちゃん、やっほー>
もえ:<この前のギルイベぶりだね!>
陽御子はニマニマと口元を緩める。
ひみこ:<実は陽菜ちゃんと萌ちゃんにサプライズがあるのです>
ひな:<なになにー?>
もえ:<気になるー!>
ひみこ:<わたくしも、アカデミーに入学することになりました!>
ひな:<え、ほんと!>
もえ:<すごーーい!>
時子はニヤけている陽御子を生暖かい目で一瞥すると、横から携帯の画面を覗き込む。
皇族のSNSは通常、皇宮庁の職員によって検閲されるのだが、ぷにクエの掲示板はゲームアプリの中で閉じているため側近である時子が内容を確認しているのだ。
時子が見守る中、陽御子はぷにクエの掲示板に再びメッセージを書き込む。
ひみこ:<わたくしと一緒に、時子ちゃんも入学します!>
ひな:<ときこお姉ちゃんも!?>
もえ:<すごーーい!>
陽御子の書き込みを見て、時子の目が、くわっ、と見開かれた。
「陽御子さま、私のことは削除して下さい!」
「いいじゃないですか、陽菜ちゃんたちには顔を知られてるんだし。」
「ダメです、私が恥ずかしいから!」
我院の要請で時子とSPの島田はアカデミーに編入することになっており、当初は生涯学習コースで社会人に混じって通学する予定であったが、島田が「目の届く場所にいなければ意味がない」と言い張り、高校生として陽御子と同じクラスに入ることになったのだ。
「恥ずかしいから?」
陽御子が聞き返すと時子はうっと声を詰まらせる。
しまった、つい本音が、、、
アラサーの時子は自分が女子高生の恰好をすることに羞恥心を覚えていたのだ。ちなみに島田も時子と同じくらいの年齢であるが、全く意に介していないようだった。
時子は、コホンと咳払いする。
「そのギルドには、一般ユーザーの方もいらっしゃるのでしょう? 危機管理上、私と島田さんのことは極秘でお願いします。」
「しかたないですわね。」
陽御子はしぶしぶと先ほどの掲示板のメッセージを削除する。
ひみこ:<ごめんなさい、さっきのは内緒にして下さい>
ひな:<うんわかった!>
もえ:<秘密にするね!>
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場所は変わって米村の自宅。
ドタドタドタ、、、
騒がしく階段を駆け上る音がした後、米村幸助の部屋の扉が、ばーんと開け放たれる。
「お兄ちゃん、すごい!」(陽菜)
「大ニュース!」(萌)
米村は眠い目を半開きにして突然の乱入者たちを見た。食料生産棟の夜勤シフトだったので昼過ぎまでベッドで眠っていたのだ。
「ん、、、何?」
陽菜と萌は興奮して米村に詰め寄って来た。
「な、なんと!」(陽菜)
「ひみこちゃんが!」(萌)
「アカデミーに!」(陽菜)
「入学するの!」(萌)
米村は目を閉じて、陽菜と萌の言ったことを反芻する。
「ヒミコ、、、アカデミー、、、入学、、、」
数秒の沈黙の後、目を開いて陽菜と萌を見つめた。
「陽御子サマが、アカデミーに入学!?」
「そうだよ、さっきギルドの掲示板で教えてもらった!」
米村はようやく、妹たちの言ったことを理解したらしくベッドから起き上がった。
「まじデスか?」
「マジだよ!」(陽菜)
「マジ!」(萌)
2年前に、ぷにクエのギルドに陽御子を招待してから一度もリアルで会うことはなかったのであるが、まさかアカデミーに入学するとは夢にも思っていなかった。
「時子さんも入学するんだよ。」(陽菜)
「あ、でもこれ内緒ね!」(萌)
「他の人に言っちゃダメって言われてるから。」(陽菜)
米村はジト目で陽菜と萌を見る。
「もう、ボクにしゃべってしまいましたネ。」
「あ!」(陽菜)
「しまった!」(萌)
陽菜と萌は、あわわわっと慌てて口に手を当てる。
米村はベッドから立ち上がると陽菜と萌の肩にそっと両手をのせた。二人とも背が伸びて以前は頭だった位置が今は肩になっていた。
「全く、仕方がないナ、陽菜たちはアカデミーの入学手続きはもう済んだんデスか?」
「うん、バッチリ!」(陽菜)
「寮の部屋も予約してあるよ!」(萌)
萌は、RMS専用端末を取り出すとAI (Resource Manager:通称リーム)に呼びかける。
「リーム、アカデミーの寮、あたしとひなちゃんの部屋の番号は?」
<あなたと米村陽菜は、アカデミーR2生活棟の二人部屋、217号室が割り当てられています>
「リーム、ひみこちゃんもアカデミーの寮を予約してる?」(陽菜)
<確認、あなたの音声記録から「ひみこちゃん」が北皇宮陽御子殿下と推測します>
「リーム、あってるよ。」(陽菜)
<プライバシー制限のため、その質問にはお答えできません>
「やっぱり、だめかぁ」(陽菜)
「残念」(萌)
陽菜と萌はがっかりとした様子でうなだれる。
そんな二人に米村は優しく声をかける。
「ぷにクエの掲示板で聞いテみれば?」
「聞いたんだけど、時子お姉ちゃんから教えちゃダメだって言われたみたい。」(陽菜)
「アカデミーで会ったときに直接聞けばいいデスよ。」
米村がそう言うと妹たちは気を取り直して笑顔になる。
「うん、そうだね!」(陽菜)
「会えるの楽しみ!」(萌)
陽菜と萌は陽御子との再会に期待を膨らませるのであった。
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場所は変わって大山邸の居間。
「由川、天仁町の会員数はどのくらいになった?」
大山は、オンライン会議の画面に映る運営委員の面々に見守られながら、横に座っている由川に尋ねた。
「現在、天仁町に住民登録している協会員は3973人で、町の人口の3割に達しています。」
大山がアカデミーの建設を発案したのは、老朽化していた天仁町の学校の校舎が町の予算の関係で修復されていないと知ったことが発端であった。当初は自給生活協会で校舎の修復工事を委託業務として受ける計画であったが、いっそのこと新しい学校を作ろうと話が膨らみ、アカデミーの創立となった。アカデミーの校舎の建設によって、建設スキルを持った会員、資材の運搬スキルを持った会員、労働者や学生の食事を用意する調理スキルを持った会員が次々と入会した。アカデミーの施設の電力は太陽光発電、ごみ焼却場に設置されたスターリングエンジンによる温度差発電、余剰電力を調整する圧縮空気発電により供給された。アカデミーの学費、寮費、給食費は、義務教育期間を終えた後でも全て無料であったので、天仁町の外から入学を希望する学生が殺到した。実際、初年度に入学する約1000名の生徒のうち殆どが天仁町の外部から来ていた。
「町議会に提出していた議案はどうなっている?」
現在、町議会の議員のうち2名が自給生活協会の会員とその親族関係者になっており、大山は
会員となった議員を通じてある議案を議会に提出していたのだ。
大山の問いに由川は手に持ったメモを眺めながら答える。
「公務員の仕事を外部業者に委託して歳出を減らし住民税を下げる案についてですが、先日可決されました。」
外部業者とは実質的に自給生活協会のことである。他の民間業者では入札価格で太刀打ちできないからだ。
「すごいやん!これでもっと会員さん増えるんちゃう?」
由川の答えに優子が称賛の声を上げると、大山はうむと頷いた。
「あとは自給生活協会の土地や建物を町に譲渡する案が承認されれば協会は天仁町の公的機関の一部となる。」
孝之が感極まった感じで続けた。
「いよいよ第2フェイズ始動っちゅうわけやなぁ、せやけど、こんだけぎょうさん会員さん増えたら端末が足りんようになるんちゃう?」
「それについては、シェンに任せてある、シェン?」
大山は、オンラインのシェンに呼びかける。
「はい、RMS端末は現在、生体認証が強化された第2世代のものが主流となっており、予備を含めて5000台あります。」
RMS端末は、シェンが社会情報庁の先端技術研究所で発案した「持続可能な社会の追求」の研究費を使って自給生活協会と共同開発したものだ。端末のハードについては、WHC(和皇高速通信)も開発に協力していた。第2世代の端末は、AIの音声インターフェースであるREMが標準で搭載されていた。
「第1世代の200台については、減価償却期間があと2年の残っており、レベル1の新規会員に再配布しています。」
「うむ、第3世代の端末の開発の方は?」
第3世代の端末は、第2世代の端末をベースに自給生活協会が保有する資源と施設だけで製作する予定であった。
「それについては、湖岡町支部の真田製作所でプロトタイプが完成する予定です。」
真田製作所とは、温泉発電プロジェクトの時に入会した元三友重工の技術者である真田氏が工作スキルを持つ会員を集めて出来た工場である。小さなものでは半導体、大きなものでは温泉発電に使うスターリングエンジンなどを製作していた。ちなみにアカデミーのごみ焼却場に設置される温度差発電用のスターリングエンジンも真田製作所で製造されていた。
「そうか、真田氏にはよろしく言っておいてくれ。」
大山がそう言うと、議長の由川が続けた。
「次の議題はアカデミーの入学式についてです、、、」
辻は、湖岡町のアパートの自室で由川の説明をぼんやりと聞きながら、もの思いに耽っていた。
アカデミーの入学式どうしようかな、、、
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天仁町に春が到来した。天仁駅のホームで電車からぞろぞろと出てくる乗客たち。昨年までは朝の通勤・通学時は天仁町から北央市に向かう乗客ばかりであったが、今年は天仁町にやってくる乗客の方が多いくらいだ。自給生活協会附属アカデミーの入学式の当日であった。
駅の前のロータリーには、「アカデミー行直通」と書かれた看板の横に一風変わった乗り物が停車していた。先頭の牽引車の後ろに5列の4人掛けのベンチシートの客車が3台連結されている。客車は側面が跳ね上げ式で開くようになっており、どこからでも乗車できるようになっていた。ロードトレインと呼ばれるこの乗り物は、真田製作所で製造されたソフトビークルシリーズの一車種である。ソフトビークルは歩行者に当たっても死なない車をめざして設計されている。車の前面は衝撃吸収のクッション素材で覆われており、最高速度は30㎞に制限されている。動力はバッテリーとモーターである。
「アカデミーに行かれる人は、これに乗ってくださーい!」
白潟さゆりがアカデミーの学生と思われる集団を誘導していた。学生誘導員の当番になっていたのだ。左腕に<アカデミー学生誘導員>の緑の腕章をしている。
学生たちは物珍しそうにロードトレインを見ながら乗車していく。席が一杯になると扉を閉じるための警告音が、ピーと鳴った。
「扉が閉まりまーす、10分後に次の便が来ますので慌てなくても大丈夫でーす!」
さゆりが扉の近くにいた女性に注意を促す。するとさゆりの横にいた男も女性に声を掛けた。
「そこのねーちゃん、危ないけえ、下がりんさい。」
すると男に呼ばれた女性は振り向いた。
「あれ? 赤城ちゃん? こんなところで何しよるん?」
遊女のホノカであった。その男は女性がホノカだと気付いて驚く。
「おっ、穂香ちゃんか、そっちこそ何でここにおるん?」
「うち、アカデミー入学するんよ。」
すると、赤城の後ろから声がした。
「赤城さん、当番だったんですか?」
辻だ。
「お、辻のにーちゃんか、ほーで、わし当番じゃけえ。」
赤城はそう言って右腕の緑の腕章を誇らしげに見せた。そんな赤城に、辻の後ろに立っていた女性が声を掛けた。
「今日は、青柳さんと一緒じゃないんですか?」
遊女のサクラだ。背中に模擬刀『雷切・改』をひもで括りつけて立っている。
「おっ、サクラ姐さんも来とったんか、青柳ならアカデミーの入口で由川のにーちゃんと当番しよるで。」
そんな彼らを白潟さゆりが戸惑いながら見つめていた。辻はさゆりの様子に気付くと挨拶をしてきた。
「初めまして、湖岡町支部の辻永周です。そしてそちらが、ホノカさん、こちらがサクラさん、クルミさん、ツバキさん、カエデさんです。皆さん遊郭の咲さんの店で働いていたんですが、このたび、アカデミーの生涯学習コースに入学することになりました。僕も彼女たちの引率係を兼ねてアカデミーに入学します。」
さゆりは、「まぁ!」と手を合わせ、微笑む。
「あなたが、辻さんなんですね! 由川さんからお話はお聞きしています。」
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一方、アカデミーの校門付近。
黒塗りの高級車が停車して、中からアカデミー高等部の制服を着た屈強な男がヌッと出てきた。続いて同じくアカデミーの制服を着た小柄な女性が一人、最後にもう一人アカデミーの制服を着た女性が気恥ずかしそうにキョロキョロと周りを伺いながら降りる。
ざわざわざわ、、、
周囲の学生たちがざわめき始めた。
「おい、あれって、、、」
「陽御子さま?、、、」
小柄の女性は、周りの目を気にするでもなくゆっくりと歩いて校門を通り抜けた。
そして目の前にある、アカデミーの校舎を眩しそうに眺める。
陽菜ちゃん、萌ちゃん、来たよ、会うの楽しみ!