大山邸にて
土曜日の午前中、快晴。
天仁町駅からバスで30分くらい走ると、周囲に畑や田んぼが広がり、建物が疎らになってくる。
しばらくして、見通しの良い道路の先に、2階建の洋館が見えてきた。
「たぶん、あそこです!」
辻が携帯のマップアプリを見ながら指さす。
「大山先生、こんな辺境の地に住んどったんやね。」
優子はバスの窓から外を眺めながら呟く。
「由川君が言ってたけど、大山先生、この辺一帯の地主らしいです。」
辻が答えると、携帯ゲームをしていた米村がチラッと窓の外に視線を移す。
3人は大山の家の近くの小さな停留所でバスを降りる。時刻表を見ると1日に4本しか通っていない。彼らは帰りのバスの時刻を確認すると大山の家まで歩いていく。
「いい天気やね~」
空を見上げるとジャガイモ畑の上でトンビが鳴きながら周回していた。
民家の横を数軒ほど通った後、目指す洋館にたどり着いた。
大山邸は、敷地が800平方メートルくらい、塀で囲われた2階建ての古風な洋風の建物だった。
金属の格子状の門を通して中を覗くと家の側面には、屋根に届く高さの直径が2メートルくらいの円柱状のタンクが4つ建っていた。
「なんやろ、あれ。」
優子が手のひらを額にかざしながらタンクを指さす。
「穀物とか入れるサイロみたいデスね。」
米村はそう答えながら、ふとした違和感を覚えた。だがそれが何なのかは分からなかった。
門は閉まっており「TAIZEN OYAMA」の表札があった。
優子は表札の脇にあるモニターカメラ付きの呼び鈴を押してみた。
「由川君の携帯に、着いたってメッセージ送りました。」
辻が横で声を掛ける。
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大山が居間で寛いでいると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
「来たか。」
新聞から目を上げ、大山が呟く。
「みたいですね。僕が出ます。」
辻からのメッセージを携帯で見た由川は、そう言って立ち上がった。
壁にあるドアフォンのモニタに向かうと、画面には、優子、米村、辻が3人揃って並んで映っていた。
「おミヤさん?」
モニター越しに優子を呼ぶ。
「あ、よっしー、おはよう、おじゃましてもええかな?」
「うん、ちょっと待ってて、すぐに開けるから。」
由川は、居間を出ると廊下を渡って、玄関に向かい、ドアを開けた。
門の向こうで、優子たちが手を振っている。
由川は、サンダルを履いて、門へ向かい歩いていくと、内側から錠を開けた。
「迷わずに来れたね。」
「携帯の地図見て来たけど、目立った洋風の建物だったからすぐに分かった。」
と辻。手には手土産のワインの袋を下げている。
横に立つ米村は、ジュースとお菓子の袋を持っていた。
「それよか、あの家の横のタンクみたいたなの、何なん?」
優子が、さっそく疑問をぶつける。
「あー、あれは、圧縮空気タンクだよ。」
「???」
理解できてない3人の顔を見て、由川は説明を続ける。
「屋根の上にソーラーパネルがあって、余剰電力を圧縮空気にして貯めこむんだ。」
米村はピンときたという顔をした。
「その圧縮した空気を使って夜間に発電機を回わすんデスね?」
「その通り。」
由川が答えると、米村はそこで初めて違和感の正体が何なのか気付いた。
この家には電線が通っていないのだ。
「電線が通ってないデスね。電力は全部自給デスか?」
「うん、よく気付いたね。先生から聞いた話だけど20年前の、、、」
「震災があった後に付けた。」
「うわっ!!」
由川がびっくりして後ろを振り向くと大山が立っていた。
「よく来たな。中に入りなさい。」
大山はそう言うと踵を反して、ずんずんと玄関に向かって歩いて行く。
由川は慌てて、
「あ、じゃぁ、立ち話もなんだし、中に入って。」
と大山に付いて行く。3人も急いでその後を追った。
玄関に着いて、大山が振り向くと、ようやく3人が挨拶を始める。
「大山先生、お久しぶりです。」(優子)
「お久しぶりです。」(辻)
「お久しぶりデス。」(米村)
3人がペコリとお辞儀をする。
「ああ、久しぶりだな。元気にしてたか?」
大山は、懐かしむような優しい目をして3人を迎え入れた。
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廊下を渡って居間に着くと、辻は持っていたワインを大山に渡した。
「これ、つまらないものですけど、先生がワインが好きだとお聞きしたので。」
「ほう、それは気が利くな、貰っておく。」
居間は20畳くらいの広さで絨毯が敷いてあり中央のテーブルを囲んでソファが並んでいた。
壁に設置された暖炉が赤い火を灯しており部屋全体が暖かくなっている。
「まあ、座りなさい。」
大山が着席を促すと、3人は大山と対面の4人掛けのソファに座る。
「先生の家は電力が完全自給なんデスね。」
米村は先ほど由川から聞いた話が気になったので尋ねてみた。
「ああ、20年前の震災の時、暫く停電が続いて不便だったからな。業者に頼んで付けてもらった。」
「あの圧縮空気タンクって、どんくらいの電力を保存できるんですか?」
優子も気になっていたので聞いてみた。
「20kWhだ。太陽が出なくても3日は持つ。」
「もしかして、水道も自給だったりするんですか?」
辻も興味津々で尋ねる。
「貯水タンクに雨水と井戸水を貯めてフィルターで濾過し風呂とトイレに使っている。飲料水はミネラルウォーターだがな。」
「それも震災の後につけたんですか?」
「そうだ。」
辻の質問に答えると、大山は、突如、話題を切り替えた。
「ときに、君たちはまだあのゲームをやってるのかね?」
科学部でやっていた、EFG (エターナル・ファンタジー・グローバル)のことである。
「EFGは、ボクらが大学に入った時にサービス終了したので、今はやってないデス。」
米村が答える。
「そうか、終わったのか、残念だな。」
本当に残念そうな様子である。
大山は基本的に自分ではプレイせずに後ろで見ながら指示を出す役割だったのだが、それでも高難度のクエストをクリアした時は満足そうにしていたものであった。
あ、もしかして今日久しぶりにEFGのプレイを見てみたかったんデスかね、、、
米村は大山がそんなふうに考えていることを想像して内心で微笑んだ。
「米村は確か北央大の工学部に入ったんだったな。その後どうしてた?」
「大学院で自動制御技術の研究をしてました。今は農技研の研究員に就職して農産物の自動生産みたいなことをやってマス。」
「なるほど、それは面白そうだな。」
大山は頷くと、今度は優子の方を見た。
「三宅は経済学部だったな、その後はどうなんだ?」
「うちは北央銀行受けたんやけど内定取れへんかったから、今は兄の診療所で医療事務やってます。」
優子は、てへっと笑いながら、内心、大山に感心していた。
うちらが高校を卒業して何年も経つのに、まだ進路先を覚えてくれてるんやななぁ。
「そうか。ここ最近、新卒は就職難だったからな。」
大山は厳めしく頷く。そして最後に辻の方を向く。
「辻は福祉大の哲学科だったな、その後はどうだ?」
「僕は大学院に入りたかったんですが、父に反対されて、、、今は実家の寺で修行中です、、、」
辻が少しバツが悪そうに答える。
「辻、住職の仕事は地域社会に貢献するものだ。胸を張りなさい。」
「はいっ!」
そうこうしているうちに、由川がお盆にグラスとおつまみを乗せてやって来た。
今日は家政婦の清水さんがお休みなので由川が台所から持って来たのである。
「先生、辻君が持ってきたワイン開けますか?」
由川が尋ねると、
「いや、これは冷蔵庫で冷やしておいてくれ。」
そう言って由川にワインを渡す。
「確か清水さんが買ってきたやつが冷蔵庫に入れてあったはずだ、持ってきてくれるか?」
「わかりました。」
由川がワインを受け取って台所に向かおうとすると、
「うちも手伝おっか?」
と優子が立ち上がった。
「あ、大丈夫だよ、このワインを台所に持ってって別のを取って来るだけだから。」
由川がそのまま去ろうとすると優子は、すすすっと歩み寄ってきて、
(先生んとこの台所、見たいねん、連れてってや?)
と囁く。
あー、そういうことね、、、
「じゃぁ、おつまみ、もう少し作ってもらおっかな、、、」
「お安い御用や!」
そんな様子を見ながら大山は、
「ほう、二人は仲が良いのだな。」
と呟く。
「いえ、たぶん三宅さんは先生の家の台所を覗いてみたいだけだと思います。」
辻が的確に指摘するのだった。
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廊下を渡って台所に行く途中、優子は由川の後ろについて行きながらキョロキョロと周りを見渡していた。床はローズウッドの無垢のフローリングで、壁は一面に乳白色のクロスが張られており、絵画やオブジェの類は飾っていなかった。天井は間接照明の淡い光がセンサーで灯るようになっていた。
台所に着くと、由川は持っていたワインを冷蔵庫に入れ、清水さんが入れておいたワイン、チーズ、生ハムを取り出した。
「なんや、思ったより普通やな~」
優子が若干期待外れという感じで台所を見渡した。
大きめの冷蔵庫、食器棚、流し台に、オーブンとコンロ、部屋の中央には調理台のテーブル。
「なんか、こう、ボタンを押したらバーンて出てくるみたいなん、ないん?」
「いや、そういうのはないけど、、、」
優子は食器棚の横にある扉の前に立つと、
「ここ開けてもええ?」
と言いながら由川を見る。
「ああ、そこは食糧庫だよ、見てもいいよ。」
優子が扉を開けるとセンサーでライトが灯った。
中には缶詰や、乾パン、ミネラルウォーターなどの保存食が、棚一杯に並んでいた。
「へー、ぎょうさんあんなぁ、こんだけあったら半年は持つんやない?」
「うん、消費期限が切れそうなものは朝ごはんとかお昼の弁当にしているけどね。」
由川はそう言いながら棚から皿を取り出しビスケットを並べて、その上に生ハムとチーズを置いていく。
「あ、うち、やるよ?」
優子は食糧庫の扉を閉めると、由川に代わっておつまみを皿に並べ始めた。
由川はやることがなくなったので横でそれを見ている。
よく考えると、おミヤさんと二人きりになること高校の部活でもあんまりなかったな。
そう考えると急に横にいる優子のことを意識してしまう。
何か話題考えなきゃ。
「おミヤさんのところは、お兄さんと二人暮らしなんだよね。」
「そうやけど?」
「ご両親とかはどうしてるの?」
「南州の実家におるよ。うちんとこは完全放任主義やからな。お兄がはよ独立したい言うて出てったときにうちもついて来てそれっきりや。」
優子の親が南州で病院を経営していたとは聞いていたが、彼女と兄が北州まで来たのは何か事情でもあったのだろうか? あまり深入りしてもいけないかと思い由川が黙ってしまうと、
「よっしーとこは、おばさん元気しとるん?」
と優子が由川の伯母の清水さんのことを尋ねた。
「あぁ、悦子おばさんなら元気だよ。今日はいないけど先生の家で家政婦やっているんだ。」
「えっ、そうやったんや。」
由川の母親は、彼がまだ幼いころ震災の被害にあって亡くなり、父親は心労のため自殺未遂をしてしばらく寝たきり状態が続き由川が高校生のときに亡くなっていた。
優子は高校1年の夏にあった由川の父親の葬儀のことを思い出した。
喪主であった由川は、伯母の清水さんの助けを借りながら無表情に淡々と葬儀の進行を務めていた。
「よっしー、おばさんとこの養子にならんかったんは、なんでなん?」
当時は聞き辛かったことだが、時間が経過したこともあり、疑問だったので聞いてみた。
「僕は母さんの事はほとんど覚えてないし、父さんもベッドで寝ている人という思い出しかないけど、、、でも僕が由川じゃなくなったら二人が生きていたことの証明が無くなる気がしたんだ、、、」
うつむきながら話す由川を優子は遠慮がちに見つめた。
「そっか、よっしーはすごいな。ちゃんと考えてたんやな。うちなんか高校んとき何も考えんと生活しとったわ。」
由川は自分のことが凄いと思ったことなどなかった。ただ、優子がそんなふうに言うのは彼を不憫に思ってのことなのだろうし、彼女なりに彼を励ましたいと思ってのことなのだろうけど、もちろんそんなことで由川の気が晴れるわけでもなく、悶々とした空気の中、二人ともおつまみの皿を見つめて数秒が過ぎた。
「先生達を待たせても悪いし、そろそろ行こっか?」
「そやな。」
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由川と優子が台所に行ったあと、米村は大山邸の電力システムについて大山に尋ねていた。
工学部にいたのでそういった技術的なことには興味があったのだ。
「タンクは何MPaまで空気を圧縮できるんデスか?」
「1MPaくらいだな。」
外で見たタンクの大きさからして容積は1つ30立法メートルくらいで、それが4つだから、、、
米村は頭の中で計算した。たしかにそれだと20kWhくらいのエネルギーは蓄えられる。
「太陽光パネルの出力はどのくらいなんデスか?」
「晴天時で8kWくらいだ。」
それだと家で消費する分を差し引いた余剰電力が仮に3kWくらいだったとして、7時間弱でタンクの圧力が1MPaに達することになる。
「タンクの圧力が1MPaを超えたらどうなるんデスか?」
「安全弁からパージされる。もっともそこまで圧力が上がるのは夏場の晴天時、年に数回くらいだな。」
辻はそんな二人の会話に入ることはせずに、米村が持ってきた菓子を皿に分けたりしていた。
すると、大山は突然、辻の方を向いてこう尋ねた。
「辻、金はなぜ必要だと思う?」
あまりに突然のことなので、辻はポカンと口を空けて大山を見た。
さっきまで米村君と圧縮空気タンクの話をしてたよね、、、
米村の方を見ると、彼の方も呆然としてこちらを見ている。
辻はもう一度大山を見て、
「え? えっと、金って、お金のことですか?」
と戸惑いながら聞き返す。
「そうだ、貨幣、キャッシュ、呼び方は何でもよい。なぜ必要だと思う?」
大山は何の脈絡もなく突拍子もない質問をしてくることがある。おそらく大山の頭の中では理路整然とした思考の流れがあるのだろうが、その時間軸が他の者とずれているのかもしれない。大山と一緒に生活をするようになった由川はそのことに慣れていたのだが、辻と米村は心の準備ができていなかったのだ。
「お、お金がないと、生活できないですよね。食べていけないです。」
「食料なら自分で栽培すれば良かろう。」
「いえ、そういうことではなくて、着るものだってお金かかるし、住む所だって家賃とかかかるし。」
「ならば、住居を持ち食料も衣料も十分あれば、金は必要ないということか?」
そんなやりとりを見ていた米村は、ようよく我に返ると話に入ってきた。
「家を所有していても、税金、えっと、固定資産税払いマスよね?」
「ほう、ならば税金を払う必要がなければ金は必要ないということか?」
何なんだ? いったい、先生は何が言いたいんだ?
頭を抱える辻と米村。
そこへ由川と優子がワインとつまみを持って台所から帰ってきた。
辻は救いを求めるように由川達を見てこう尋ねた。
「おミヤさん、由川君、お金って何で必要なんですかね?」
「は?」(優子)
「え?」(由川)