陽御子さまのご入学
この作品に登場する国、人物、団体等は全て架空であり現実と関係ありません。
和皇国北州の州都である北央市の市街地から少し外れた場所に濠で囲まれた静かな佇まいの木造建築物がある。北皇宮の皇居である。皇居の中の一室、簡素な和室の部屋で円形の座卓を囲んで四人の大人が座っていた。
北州知事の鈴置政人とその秘書、忠中、そして和皇国の三皇の一人、北皇であり陽御子の母、玲子と側近の臥院時郎である。
皇宮では定期的に朝廷談議というお茶会が開催され、国や州の首長と皇が「世間話」をする。その話題は天気の挨拶から始まり、お互いの趣味、国内外の時事など多岐にわたる。和皇国は立憲君主制であるが、北皇、南皇、本皇の三皇は単なる象徴ではなく国会や州議会の決議に対して良心的な国民の代表として「意見」を述べることができる。鈴置知事は州議会の議題について北皇にあらかじめ概略を説明するために訪れていたのだ。
朝廷談議も終わりにさしかかり、知事は手に持った湯呑みから茶を一口すすると、部屋の隅に座っている玲子の娘、陽御子に目を向けた。経験を積ませるために15歳になると皇女も朝廷談義の場に参加する習わしとなっていた。もっとも陽御子はただ聞いているだけでまだ意見を述べることはない。たまに話しかけられることがあっても何気ない日常会話であることが多かった。
知事は陽御子に微笑みながら話しかけてきた。
「陽御子さまも来年から高校生になられるのですね、学校はもうお決まりになったのですか?」
陽御子はゆっくりと頷いて穏やかに答えた。
「ええ、天仁町の自給生活協会附属アカデミーに入学することにしましたの。」
「なんと、これはまた思い切った選択をなされましたな。」
皇女は生まれてから15歳までは国が選んだ専任の教師の元で教育を受ける。義務教育期間終了後は皇室御用達の高校や大学に入学することが多いのだが、本人の強い希望があれば一般の学校に入学することも認められている。
玲子は陽御子に代わって知事に理由を説明した。
「2年前に自給生活協会を視察して以来、陽御子は持続可能社会の研究に興味を持つようになりましてね、附属アカデミーの進学は本人のたっての希望ですわ。」
知事は玲子の言葉に、なるほどと頷く。
「自給生活協会附属アカデミーですが、学校法人の認可申請書類を見たことがあります。小中高大学の一般コースに加え、生涯学習コースという誰でも受けられる講座もあるみたいですね。協会の会員であれば学費は全額無料とのことです。」
アカデミーという名称は大山の発案で、協会員であれば老若男女だれでも自由に教育を受けられるように年齢制限を設けていない。国のカリキュラムに沿った一般コースの他に、社会人や主婦が受講できる生涯学習コースがあった。
「わたくしも募集要綱を見たのですがそのようですわね。鈴置さまは自給生活協会の会員規定もご覧になりましたか?」
玲子の問いに知事は頷いた。州知事として認可を出すときに資料として目を通していたのだ。
「ええ、彼らは資源管理システムというもので、会員にCPという貢献値とQPという資質値を付与し住居や衣料、食料などの配分を決めているようです。学生は学習することで本人の資質が向上することからQPが加算されるようですね。陛下も彼らの会員規定をお読みになったのですか?」
「もちろんです、資源管理システムというのは非常に興味深い試みだと思います。労働に対する対価をコミュニティの持続可能性に関連付けているのです。附属アカデミーには課外活動にボランティアコースがあって学生も労働によってコミュニティに貢献できるそうですわ。」
玲子はそう言うと、陽御子を見て、「そうでしたわね?」と尋ねる。
「ええ、お母さま、わたくしは、アカデミーでいろんなボランティアを体験するつもりです。」
陽御子が目を輝かせながらそう言うと、玲子は彼女を優しく見つめた。
「あなたの働きたいという意思をわたくしは尊重します。わたくしたち皇族は国民の血税に支えられて生きているのです。国民と共に労働するという貴重な体験は皇族の一員として有意義なものになるでしょう。」
「はい、お母さま。」
そんな二人を、側近の我院時郎は黙って静かに見つめていた。
鈴置知事は、玲子と陽御子のやりとりに、
「陽御子さまも、ご立派になれましたな、、、ですが、、、」
と言い、少し顔を曇らせた。
「陛下、実は私は妙な噂を耳にしまして、何でも自給生活協会の会員の中には、その、、、」
と言いかけ、言葉を選ぶために一呼吸する。
「その、、、陽御子さまには少々不釣り合いな者たちがいるようなのです。」
玲子は落ち着いた声で尋ねた。
「不釣り合いな者たちとおっしゃいますと?」
知事は戸惑いながらもこう述べた。
「それが、その、、、遊郭で働く女性や、元反社会的勢力の連中がいるというのです。」
玲子は知事の言葉に静かに頷いた。
「そのことは、わたくしも承知しておりますわ。」
そして我院の方に振り向いた。
「我院、報告していただけますか?」
それまで黙っていた我院は、玲子に一礼すると、朝廷談義の場で初めて口を開いた。
「その問題に関しましては、自給生活協会の中に内偵を入れて調査済みです。」
知事は興味深げな顔をして我院の方に向くと尋ねた。
「内偵といいますと?」
知事の問いに、我院は玲子を見て伺いを立てる。
玲子が静かに頷くのを見て我院は知事に向き直った。
「詳しくはこの場で述べることはできませんが、数年前から自給生活協会はある機関の監視対象となっています。内偵というのはその機関から派遣された者のことです。調査の結果、安全に関しては問題ないと報告を受けております。」
「なるほど、ある『機関』ですか。」
知事はあえてその機関が何なのかを聞こうとはせずに玲子の方を向く。
「陛下、既に自給生活協会の安全性について調査済みなのであれば、私の危惧は余計でしたかな?」
「いえ、鈴置さまのご配慮、感謝いたします。」
「陽御子さまにはこのことを?」
「この子がアカデミーの入学を決めた時に伝えてあります。」
すると陽御子は、すっと手を上げて、
「わたくしの意見を述べてもよろしいでしょうか?」
と言いながらその場の皆を見回した。
知事は陽御子が自ら発言を求めたことを意外に思い、彼女の顔を見た。緊張しているのか、唇が微かに震えている。そんな陽御子を知事は温かい目で見ると、玲子に向き直った。
「陛下、陽御子さまのご意見、拝聴いたしましょう。」
玲子は微笑んで、
「もちろんですわ。」
と了承する。
陽御子は上げた手をすっと降ろすと語り始めた。
「わたくしは、2年前に自給生活協会に視察に行ったときに、会員の方たちと触れ合う機会がありました。彼らはわたくしが皇族であることが分かっても、まるで昔からの友達かのように接してくれました。わたくしはそれが嬉しかった。」
玲子は陽御子がなぜそのような気持ちになったか察することができた。自分も幼い頃周りから畏怖されて寂しい思いをした経験があったからだ。陽御子が普段の生活で本音で話せるのは常に傍にいる専属世話係の時子とSPの島田くらいなのだ。
陽御子は一呼吸置き、緊張した面持ちで話を続けた。
「わたくしは自給生活協会の会員の方たちの中に、、ゆ、遊女の方たちや、元反社会的勢力の者たちがいることを、お母さまから聞きました。」
玲子は陽御子を真っすぐ見つめて尋ねた。
「あなたは、遊女がどのような職業なのか理解していますか?」
「はい、遊女は男性の方に性的なサービスをする職業です。和皇国政府は性病の管理、性犯罪の抑制という名目で遊郭を公認しています。しかし遊女の中には経済的に困窮してやむを得ずその職業につく者が多く社会的にも負い目を感じているのです。」
「そうですね。」
「自給生活協会では遊女を正当な職業として認めています。彼女たちは他の会員たちと同様にコミュニティに寄与しているのです。わたくしは、彼女たちが負い目を感じることなく生き生きと働いていることは素晴らしいことだと思います。」
知事は陽御子の意見に感心すると言葉を挟んだ。
「和皇国が諸外国にくらべ性犯罪が少ないのは遊郭があったからだと言われています。ですが遊女たちの社会的地位は低いのが実情です。自給生活協会が遊女を他の職業と同等に扱うのは評価すべき点ではあるでしょう。」
玲子は知事の感想に頷くと、陽御子に尋ねた。
「あなたは、反社会的勢力の者たちについてはどう思いますか?」
「彼らは法を破り社会の秩序を乱す者たちです。しかし中にはやむ得ない事情で組織に入った者もいると思います。そういった者を救う法が和皇国にはありません。組織から抜けたとしても普通の仕事に就くことは難しく再び犯罪に手を染めるのです。」
「自給生活協会が彼らを救う受け皿になれると思いますか?」
「望まぬ形で反社会的勢力に属していた者は救えると思います。」
「それでは、全ての反社会的勢力の者たちを更生させることができると思いますか?」
「難しいと思います。」
「なぜですか?」
「自ら望んで悪いことをする人たちがいるからです。」
陽御子の言葉に知事は内心ほっとしていた。彼女が理想を述べることなく現実を正しく理解した発言をしたからだ。
玲子は大きく頷くと陽御子の発言に対して自分の意見を補足した。
「人が何に価値を見出すかは主観的なものです。わたくしたちが悪いと思っていることを彼らが悪いと思っているとは限りません、むしろ悪いことが格好良いことだと思っているかもしれません。彼らはわたくしたちとは異なった価値観で自身を肯定しているのですから罪悪感に苛まれることもないでしょう。」
陽御子と玲子の問答に知事も加わった。
「和皇国には歴史的に任侠道というのがあって、理不尽な権力から庶民を守り仁義を尊ぶ集団がいました。世の中にはそういったものを題材とした書物や映像作品が多くあります。しかし弱き者を助けるため戦うことが、いつの間にか弱き者から搾取する行為へと変わってしまいました。彼らは、賭博、麻薬、詐欺、闇金といった反社会的な活動で資金を得ています。例え彼らの中に未だに任侠の精神を重んじる者がいたとしても、生きる糧が違法な手段である以上、我々は一般市民を守るために彼らを排除せねばなりません。」
知事の言葉に、秘書の只中がポツリと呟いた。
「世の中の子供たちは海賊や泥棒を主人公としたアニメを楽しそうに見ていますが、私たちはある意味、反社会的なものを承認しながら排除するという矛盾したことをしているのかもしれませんね。」
秘書の言葉に知事は苦笑いする。
「只中君の言う通りかもな。」
そんな知事と秘書のやりとりに陽御子が頬を膨らませて睨んだ。
「アニメは悪くありませんわ、努力の大切さ、仲間を思いやる心を教えてくれます。」
知事はそれを聞いて思わず破顔した。
「はっはっは、皆、陽御子さまのような正しい心であればよいのでしょうな。」
玲子も微笑んだ。
「同じものを見ても、人によって捉え方が変わってきます、表現の自由とは難しいものですね。」
話が一段落すると、知事は湯呑を取って茶を一口啜り、我院の方を向いた。
「自給生活協会の安全は問題ないとおっしゃいましたが、陽御子さまに何かあるといけません、護衛はどのようになさるのでしょう?」
我院は知事に一礼すると、
「それについては、専属世話係の時子とSPの島田をアカデミーに編入させる手続きをしています。」
と言い、陽御子の隣に座っている時子を見た。
時子は玲子に深々と頭を下げる。
「陽御子さまの学園生活でのお世話はわたくしにお任せ下さい。」
時子の言葉の後に、障子の向こう側の大きな人影がゆっくりと動いて頭を下げる動作をした。
「命に代えても陽御子さまをお守りいたします。」
SPの島田だ。
玲子は頷くと二人に声をかけた。
「時子さん、島田さん、陽御子のこと、よろしくお願いいたします。」
ちょうどその時、部屋の壁掛け時計が、ポーンと鳴り、お昼を告げた。
知事は、秘書に目配せをすると、
「時間になりましたね、それでは我々はこれにて退席させていただきます。」
と言って立ち上がった。玲子は二人に軽く頭を下げる。
「ええ、お勤めご苦労様でした。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝廷談義が終わったあと、鈴置知事は秘書の運転する車で州の庁舎に向かっていた。
「自給生活協会か、、実は私の親戚の子供もそこの会員になっているのだよ。」
秘書は知事が漏らした声に反応してバックミラーでチラリと後ろを見る。
「そうなんですか?」
「ああ、就職氷河期を経験した若者は金を使わないライフスタイルに惹かれるのだろうな。」
知事が窓の外を眺めながらそんな風に言うのを見て、秘書は、そんなもんなんですかねぇ、と呟き、それから、ふと疑問を思い浮べて知事に尋ねてきた。
「ところで、自給生活協会のアカデミーですが、教員も会員になるのでしょうか?」
「規約では教員も会員になる必要があるようだ。会長の大山氏は元々高校の教員だったらしいが、彼も免許を再取得して講師になっている。」
「教員の報酬はどうなるんですかね?」
「他の会員と同じだよ。資源管理システムで貢献値と資質値が付与され、レベルに応じて協会が保有する住居、衣料、食料が供給されることになっている。」
「教員に賃金が払われないということなのでしょうか? 労働基準法に抵触するのでは?」
「その辺はうまくやっているみたいだ。」
「と、いいますと?」
「法に準じて教員に給与が支払われるが、その半分は福利厚生で控除され、残りの半分は協会の管理するシステムに預けられるという名目になっている。」
「協会が管理するシステムとは?」
「何でも、ソーシャルインターフェースシステムというもので、会員が金を使うときはそのシステムを通す決まりになっているらしい。税金の支払いも自動的にそのシステムが行っている。会社の経理が源泉徴収するようなものだな。」
ソーシャルインターフェースシステム(SIS)は貨幣を使わないコミュニティと貨幣を使う一般社会の橋渡しをするという意味で名付けられている。会員が協会の外部と物を売買するときはSISを通して行う。また各種税金についてはAIが国税庁や町税事務所のサイトから税法を取得し、自動的に納税する仕組みになっている。
「はあ、、、」
秘書が当惑していると、知事はさらに続けた。
「教員だけではないぞ、天仁町の町役場の職員、ゴミ収集員、図書館の司書も自給生活協会の会員になっているそうだ。」
秘書はなるほどと頷くと、
「それにしても協会のシステムに預けられた金は本当に戻ってくるのですかね? 」
と訝し気な顔をする。
「会員規約によると、協会を退会するときに全て引き出すことが可能になるそうだ。」
「退会しないまま亡くなったらどうなるんですか?」
「システムが相続税を自動的に計算して納税し、残りは配偶者や子供などに割り当てられるそうだ。」
秘書は、へぇぇ、と軽く驚きの声を上げる。
「これはまた、金を使わない連中が、模範的な納税者になっているというわけですね。」
秘書の言葉に、知事は声を出して笑った。
「はっはっは、全く逆説的だな、まあ、彼らにしてみれば税金が支払われたところで貢献値や資質値には関与しないのだから気にもしないのだろうな。」
車が交差点に差し掛かり、秘書は右折させるためにウィンカーを点滅させた。
秘書との雑談が途切れると鈴置知事は再び窓から外を眺め物思いに耽る。
一般的に人々は税金を払うことを理不尽に思っている。自分たちが働いて得た金を搾取されていると感じるからだ。公益を平等に再分配するためには国や地方自治体が徴税することは必要なことなのだが、人々が納税という行為に対して持つ負の感情はどうにもならないのだ。もし大山という男がこの問題を解決するために自給生活協会を作ったのなら、彼は先見の明があるのかもしれない。
車は北央市の市街地に入り、窓から証券取引所のビルが見えてきた。
まあ、グローバルな市場経済の中では自給生活協会も大海に浮かぶ小さな小舟といったところだろう。もし彼らが金のない世界を広げようとしているのだとしたら、巨大な資本を元にマネーゲームをしている連中の手によって潰されてしまうかもな。
知事は通り過ぎるビルをぼんやりと見上げながらそう思うのだった。