温泉発電プロジェクト(2)
第1、第2パーティー合同の臨時委員会の翌日、社会情報庁先端技術研究所の一室でシェンはパーティションで区切られた机の上の端末に向かい、検索でヒットした地熱発電の情報を読み漁っていた
「地熱貯留層に新たに井戸を掘るのは、時間と費用がかかりすぎるから無理そうだな、、、」
シェンはマグカップのコーヒーをすすりながら次の検索結果を閲覧する。
「既にある源泉を使った小規模なバイナリー発電か、これなら何とかなるか?」
マップを表示して天仁町と湖岡町周辺の温泉の位置を確認する。天神町に一つ、湖岡町には三つの温泉があった。
「支部の近くにも温泉があるんだな、あとで孝之さんに聞いてみるか。」
マグカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、後ろから誰かが声を掛けてきた。
「王君、お疲れ様です。」
振り向くと温厚そうな中年の男性が立っていた。上司の牟貝康則だ。
「あ、牟貝さん、お疲れ様です。」
シェンが軽く会釈して挨拶すると、牟貝はモニター画面に映る温泉の写真を見る。
「温泉旅行にでも行くのですか?」
「はい、今度北州に出張するときに寄ろうかと。」
「自給生活協会との共同研究の件ですね。WHCの試作機のβテストは順調に進んでいますか?」
「はい、順調です。200人規模のデータをAIの機械学習に入力しています。」
シェンは協会での活動を秘密裏に行うことが難しくなってきたため、大山に相談したところ「持続可能社会の追求」という名目で社会情報庁と自給生活協会で共同研究をすることにしてはどうかとアドバイスを受けた。シェンはこの共同研究について上司の牟貝に提案すると、今の世の中に必要な素晴らしい研究であるということで承諾された。また国家公務員でも非営利活動法人であれば入会しても問題ないということが分かり、シェンは晴れて自分が自給生活協会の会員であることを公開することができた。
シェンがWHCと共同開発したRMS専用端末は個人認証にPSチップを用いる他に各種センサーで使用者の位置、動き、温度、音、明度等の環境情報を定期的にハッシュ値にして記録している。これにより、協会員がRMSやSISにアクセスする際の認証が強化されている。また各種センサーの情報はAIの機械学習で解析され、RMSのCP加算時に実際に労働した保証として利用されている。RMSによるCP付与のボトルネックになっていた保証人によるチェックが簡略化されることが可能になっていた。
「君の研究は持続可能な社会のモデル事業として政府からも注目されています。頑張ってください。」
「ありがとうございます。」
牟貝が去っていくと、シェンはふうと溜息をつく。シェンは先日、由川から携帯に送られてきたメッセージのことを思い出していた。
<シェン君は、公安に監視されているよ>
シェンは苦笑いする。
まあ、十中八九、牟貝さんが公安関係者だろうな、、、
シェンが自分の端末に不信なアクセス記録が残っているのに気付いたのは、由川から公安のことを知らされる前のことであった。アクセスの元を辿っていくと上司の牟貝の端末に辿り着いた。その端末を調べると警視庁のIPアドレスに頻繁にアクセスした形跡があった。だから由川から公安に監視されていると知らされたときには、そういうことかと納得していた。
俺は枢華共和国からの移民の子孫だからな、そりゃ監視したくもなるだろうよ
シェンは公安に監視されていることを知っても動揺していなかった。実際、高校時代に大山にEFGのウラヌス攻略の裏技を見抜かれた時の方がよほど動揺していた。シェンは大山との出会いで物事の判断にバイアスを持たないように心掛けるようになっていた。公安が自分を監視していることは彼らの立場に立って見れば当然のことでありそれに怒りを覚えることも恐怖を感じることも無意味なのだ。
シェンは空になったマグカップにコーヒーを足すために立ち上がる。
「帰ったら、孝之さんとオンライン会議でもするか。」
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それから一週間後、湖岡町の支部のアパートから徒歩10分の場所にある「紅葉温泉」の宴会場で自給生活協会の慰労会が行われていた。
「えー、皆様の日頃の貢献に感謝して、ここに自給生活協会湖岡町支部の慰労会を開催したいと思います。」
幹事の隆一が、ひな壇でマイクを持って開会の挨拶をしていた。会場は、隆一、孝之、辻の他、清水工務店から会員になった仲間たち、咲さん、遊郭から引っ越してきた遊女たち、遊女に誘われて入会した新規の会員たちで賑わっていた。
「辻君、お疲れさん。」
孝之は隣に座っている辻のグラスにビールを注ぐ。辻は両手でグラスに手を添える。
「ありがとうございます。」
宴会場は畳の大部屋を貸し切りにしていた。ここの温泉のオーナーが自給生活協会の会員になっていたため無料で貸し出してくれたのだ。
咲さんは遊女たちを連れて、温泉のオーナーや新規に加入した男たちにビールを注いで回っていた。
「今日はサクラちゃんとホノカちゃんは来てないんかの?」
温泉のオーナーの年配の男性が咲さんにそう尋ねた。
「ごめんなさい、サクラちゃんもホノカちゃんも出勤中なんです。」
遊女たちの中でも抜群の容姿の良さと性サービスのテクニックを持つサクラと、かわいらしい見た目に癒し系のホノカは、客たちの間で一二を争う人気者であった。本人たちは慰労会に出たがっていたが、店からの出勤要請を断れなかったらしい。
「サクラってよく体もつよねー、ここんとこ連勤じゃん。」
咲さんの話を後ろで聞いていたクルミは、隣のツバキにそっと囁く。
「サクラは体調管理もばっちりだし、サービスに手を抜かないから人気があるんだよ。」
とツバキは肩をすくめながら囁き返した。すると後ろにいたカエデもそっと囁く。
「ホノカもすごいよね、男がして欲しいことを無自覚でやってるから客が本気で恋しちゃうみたい。」
ツバキは、うんうん、と頷くと、
「ホノカは、スミレさんタイプだよね、母性が強いっていうか、たぶん天然なんだろうけど。」
と元スミレの源氏名を持っていた咲さんの名前を出しながら囁いた。
そうこうしているうちに隆一の挨拶も終わり、乾杯が始まった。
「えー、それでは、皆様、お手元の飲み物をお取りください。」
皆が手元のビールやウーロン茶を持って隆一に注目する。
「それでは、湖岡町支部発展の立役者、辻君に乾杯の音頭を取って頂きます。辻ッチ、よろしく!」
隆一は辻にマイクを渡すと、ビッと親指を立てる。
「え!? 僕? 孝之さんの方がいいんじゃないですか?」
マイクを渡され戸惑う辻。
「辻君、支部がこんだけ発展したんも、辻君の努力あってこそや。工務店の人たちも、遊郭の女の子たちも、そして女の子に誘われて入会した人たちも、そのことは分かっとるんや。自信もってな?」
僕の努力? 製薬会社でバイトしたこと? 支部のアパートの改修を手伝ったこと? そんな単純労働誰でもできるのに、、、
辻はそんなことを考えながらマイクを持ってゆっくりと立ち上がり宴会場を見渡す。
一緒にアパートを改修した工務店の男たち、遊郭の女の子たちと用心棒の二人の男、新しく入会した会員の男たち、皆が辻に注目していた。
何か気の利いたことを言わないと、、、
辻は大勢の人を前にして、ふと父親の言葉を思い浮かべた。
永周、人の世は儚い、儚いからこそ生きていることに感謝せねばならん
辻の父親は彼にいくつもの法説を説いた。僧侶の法説も代々受け継がれてきたテンプレートがある。その代ごとに体験を元にアレンジされたものもある。辻はその中のいくつかを頭の中で思い描いていた。しかし、結局そのどれも口にするのは躊躇われた。自分は僧侶の道を選ばなかったのだ。
「僕の実家はお寺で、僕は将来住職になると思っていました。でもいくつかの巡り合わせがあり、住職の道を捨て、この自給生活協会で過ごしています。僕はそんなに立派な人間じゃありません。中途半端で何の取柄もない人間です。」
辻は図らずもそんな風に語り始めた。
「僕は湖岡町に来て一人の女性に出会いました。僕はその女性を助けたかった、ただそれだけなんです。全くもって個人的な動機で皆さんに誇れるような立派なものではないです。」
僕はいったい何を口にしているんだ、乾杯の音頭なのに、、、
辻の話を聞いて男たちは何と反応して良いのかわからない困った表情をしており、遊女たちは声をひそめて囁きあっていた。
辻はそんな宴会場の微妙な雰囲気を見てとにかく場を和ませようとする。
「あ、あはははは、いやー、すみません、とにかく、僕は大した人間ではないけど、これからも自給生活協会のために頑張って貢献したいと思います!」
そんな風に陽気にふるまうと、手に持ったグラスを高く掲げた。
「というわけで、自給生活協会の発展と皆様の健勝とご多幸をお祈りしまして、乾杯!!」
「乾杯!!」「乾杯!!」
会場の皆が乾杯を唱和すると、ぽつぽつと拍手が起こった。
辻は恥ずかしさで赤面しながら隆一にマイクを戻す。
「グダグダの乾杯の音頭ですみません、、、」
隆一はマイクを受け取ると、
「いや、そうでもないぜ、見ろよ?」
と言って辻に目配せをする。見るとアパートの改修で一緒に働いた男がビール瓶を持って辻の所に来ていた。
「辻君、ぶっ倒れるまで頑張ったもんな、お疲れさん。」
「あ、ありがとうございます!」
辻は手に持ったビールを飲んで空にすると両手を添えて差し出す。男は辻のグラスにビールを注ぐと、
「これからも、よろしくな!」
と言って辻の肩をポンと叩く。
「はい!」
すると、男の後ろに控えていた屈強な体格の人物がぬっと前に出てきた。遊女たちの用心棒をしている澤田だ。
「これはサクラからだ、お前によろしくと言っていた。」
と言い、辻に遊郭の店のクーポン券を渡した。
「店の分は無料になるからRMSで予約するといい。」
澤田はそう言うと、隣の隆一にコクっと礼をして去っていった。
「ありがとうございます!」
辻は去り行く澤田の後ろ姿に礼をする。
そんな感じで辻の元には次々と励ましの言葉を掛ける男たちが訪れた。
「これで分かったやろ? 辻君は支部のみんなに認めてもろうとるんやで?」
孝之の言葉に、
「はい、何だか自信がわいてきました、ありがとうございます!」
しばらくして、辻の所に度のきつそうな分厚い眼鏡をかけた人の良さそうな中年の男がやってきた。
「辻さん、初めまして、私、山村と申します。」
その男は名刺を取り出すと辻に渡す。
<三友重工湖岡製作所 技術部長 山村敏夫>
と書いてあった。
ぶ、部長!?
会社の役職についている人物が協会員になったのは初めてだった。辻はこれまで社会人として名刺の受け渡しをした経験などないので、思わず緊張してしまう。
「ぶ、部長さん、よろしくお願いいたします。」
「いえ、そんなに改まらなくても、部長とか関係ないですから気軽に接して下さい。」
山村はニコニコしながらそう言った。
何だかこの人親近感わくなぁ
辻は山村に自分と似た何かを感じるのだった。
「部長さん、あ、山村さんはどうして自給生活協会に入ったんですか?」
山村は照れて頭を掻きながら、
「実は私は遊郭のサクラちゃんのファンでね、彼女に誘われて自給生活協会に入会したんですよ。」
と言う。辻はそんな山村の告白に自分も遊郭に行ったことについて話した方が良いのではと思った。
「僕も遊郭に行ったことがあるんですが、そのとき会った子を助けたくて遊郭の女性を自給生活協会に入れてもらうように頼んだんです。でも結局その子は自力で遊郭を卒業して僕の助けなんか必要なかったんですけどね、、」
辻は照れて頭を掻きながら、はははと笑う。
「乾杯の挨拶のときにおっしゃってた女性のことですね。遊郭を無事に卒業されたその方のことを思えば喜ぶべきですが会えない寂しさもあって複雑なのではないですか?」
山村の言葉で辻は自分の心のモヤモヤが何なのか分かった気がした。
本多さんは僕に好きにならないでと言ったけど僕は彼女のことが好きだったんだな
辻は早苗が客からストーカーされていたことを思い出していた。
たぶん、僕はもう彼女と会わない方がいいんだ、彼女のためにも、僕のためにも
そんな風に感慨にふけっていると、辻の元にもう一人、人の好さそうな年配の男性がやってきた。温泉のオーナーで最近自給生活協会に入会した古河義彦だ。
「辻君のおかげで遊郭の女の子たちと仲良くなれて嬉しいわい。」
そう言って辻のグラスにビールを注ぐ。
「あ、古河さんありがとうございます。」
古河とは今回の慰労会の打合せで何度か会ったことがあり面識があった。
「そちらの御方、辻君と話しているところ聞いとったんじゃが、サクラちゃんのファンとか、なかなかお目が高い、ふぉっふぉっふぉ。」
古河は山村にそう話しかける。
「いやー、私みたいなおじさんに良くしてくれるサクラちゃんは天使ですよ、ははははは。」
「サクラちゃんもいいが、わしの本命はホノカちゃんじゃな、あの子のおかげで青春時代に戻った思いじゃ、ふぉーふぉっふぉ。」
「ほんとに、これも辻さんが彼女たちを自給生活協会に誘ってくれたおかげですね。」
「そうじゃとも、遊郭の女の子とこれだけ仲良くなれたのは辻君のおかげじゃ!」
辻は二人のおじさんに挟まれてニコニコしながらビールを飲んでいた。
そんな様子を横で見ていた孝之は、
「なんや、辻君、おじさんたちにえらい人気やな。」
と隆一にひそひそ声で話しかける。
「うーむ、辻ッチ接待ウハウハ作戦がこんな形になるとはな、、、」
おじさんたちと談笑する辻を見ながら隆一はそう呟いた。
「まあ、これで辻君が元気になればええんやけど。」
と孝之。すると、隆一は、
「こうなったら、あの手を使うしかないか。」
と腕を組む。
「ん? 隆一君、まだなんか企んどんの?」
孝之がそう尋ねると、隆一はRMS専用端末を取り出し露天風呂の予約を始めた。そして咲さんにメッセージを送る。
<咲、プランBの実行に移る>
そして咲さんの方を向いて何やら目配せをする。
<わかったよ、隆ちゃん!>
咲さんからメッセージの返信があり、隆一はニヤリと微笑んだ。
温泉イベントまだ続きます。