効率厨クラブ
和皇国は、北州、本州、南州の三つの島からなる立憲君主制の国家である。
北央市は、北州の中央にあたる都市で、由川の住む天仁町はそこから少し山側に離れた所にあった。
由川は電車を乗り継いで、北央市の駅を降りると、携帯で地図を表示しながら目的の居酒屋に向かって歩く。日は落ち11月半ばの肌寒い空気の中、道行く人々の中にはコートを羽織っている者もいた。由川が居酒屋に着くと、既に他の皆は4人掛けのテーブルに座って飲んでいた。
「遅れてごめん、皆久しぶり。」
由川が声を掛けると、奥の席に座っている女性がこちらに顔を向けた。
「あっ、よっしー、おひさ~。先に始めとるよ。」
陽気な雰囲気で由川に手を振る。スラリとした体形に肩まで届くストレートの黒髪、アンダーリムの眼鏡の奥の大きな瞳、なかなかの美人である。三宅優子、由川の高校の同期で南州出身。北央大学経済学部卒業後、現在は医療事務を務める。北央市のアパートで兄と二人暮らし。独身。
「おミヤさん、久しぶり。」
テーブルを見渡すと、他に青年が2人座っている。
「米村君、辻君も。久しぶり。」
由川が声を掛けると、そのうちの一人が携帯のゲーム画面から、すっと目線を由川に向けた。
「由川君、お久しぶりデス。」
米村幸助、細い体つきで茶髪の美青年。4人の中で唯一眼鏡をしていないが、少しやつれた感じで目の下に隈がある。実家は天仁町の農家。高校卒業後は、北央大学工学部に進み、現在、独立法人農業技術研究所研究員。独身。
もう一人、三宅優子の対面に座っている人の良さそうな顔をした青年が既に顔を真っ赤にさせてこちらに振り向いた。
「由川君、遅いですよ! 米村君、飲めないから、僕ばっかりおミヤさんから飲まされてる!」
辻永周。度のきつそうな眼鏡をかけた人の良さそうな青年。黒髪の短髪で顔つきは素朴な感じの地味な印象である。北央福祉大学哲学科卒業。天仁町にある実家の寺を継ぐか悩み中の住職見習い。独身。
「ああ、ごめん、電車一本乗り遅れてしまって。」
由川はそう言って辻の隣に座る。
「よっしー、飲み物は何飲むん?」
「あ、僕はとりあえずビールで。」
優子は由川から飲み物を聞くと、
「永ちゃん、よろ。」
と通路側に座っている辻に、ニコっと微笑む。
「何で僕が、、、」
「幹事席やもんなぁ。」
なんとなく二人の力関係がわかるやりとりの後、しかたなく辻が店員を呼ぼうとすると、
「あ、いいよ、僕が頼むから。」
そう言って同じく通路側の由川が、近くの店員に声を掛ける。
「すみません、グラスひとつと、生ビール、ジョッキでひとつ下さい。」
由川は、注文し終えると、対面の米村を眺める。
「米村君、今は何のゲームやってるの?」
「レンクロ。今レイドイベント中。」
レイン・クロニクル。携帯のオンラインRPGだ。
「レンクロまだサービス続いていたのか。」
由川達が高校のときに始まってから8年近く続いている。
高校時代は、4人でよくゲームをしていたのだ。
「うちも、まだやってんねん。ネムほどガチやないけど。」
ネムと呼ばれた米村は、優子の方をちらりと見ると、フッと口元をゆがめる。
「おミヤサン、推しキャラのガチャで爆死したんデスよね。」
優子はトホホという感じで、天を仰ぐ。
「う~、まだ傷が癒えてないねん。」
そんな彼女を見て、溜飲を下げた感じの辻は、
「僕は受験のときに一時中断して、大学で少しやってたけど、もうやめたよ。」
と、まだそんなことやってんの的な目で、米村と優子を見る。
すると米村は、ゲーム画面から目を離さず平然とした感じで、
「辻クン、ロリの推しキャラが産廃になったから。」
とポツリと言う。
「くぅぅ、インフレの波について行けなかった!って、エイミーは見た目幼いけど設定上は、23歳だから! 僕はロリコンじゃないぞ!」
思わずノリ突っ込みをしてしまう辻に、米村は、
「辻クン、ウ・ソ・ツ・キ。」
と言って揶揄い、由川と優子が爆笑する。
ああ、懐かしいな、この感じ、今日は来てよかった。
由川は3人を見渡しながら、暖かい気持ちが込み上げてくるのを感じていた。
そこへ店員が生ビールを持って来た。優子がジョッキのビールを由川のグラスに注ぐと、
「ほな、全員揃ったところで、乾杯行こっか?」
と自分は手に持った梅チューハイを掲げる。
米村はゲーム画面を閉じるとウーロン茶のグラスを持ち、辻と由川は生ビールのグラスを掲げた。
「北央高校、科学部、同期の再会を祝して!」
「かんぱ~い!」(優子)
「乾杯。」(由川)
「乾杯!」(辻)
「カンパイ」(米村)
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夕刻時、大山が書斎で本を読んでいると、玄関の呼び鈴が鳴った。
家政婦の清水さんが、夕食を作るために訪問してきたのだ。
「旦那様、お昼はお食べになりました?」
「ああ、温めて食べたよ。いつもありがとう。由川だが、高校の友人と外で食事をするそうだ。」
お昼のことを申し訳なくも思っていたのか、大山はわざわざ玄関まで迎えに来た。
「ええ、私にも連絡ありました。今日はシチューにしますね。」
「ああ、シチューか、それは楽しみだ。」
大山の好物らしい。
「ワインはまだ、残ってたかな?」
清水さんは、買い物かごからワインの瓶を取り出す。
「今朝、一本なくなったので、買い足しておきました。」
「それは助かる。」
大山のワイン好きを知っている清水さんは、ストックがなくならないようにいつも気を配っているのだ。
彼女が家政婦の仕事を始めた当初は、不愛想な大山に戸惑いもしていたが、最近では扱い方が分かってきたようである。それに、大学を卒業した甥の由川に、地元の役所の職を紹介してもらったばかりか、大山の自宅を下宿にも使わせてもらって感謝しているのだ。
「誠のこと、部屋をお貸しいただいて、あの子も感謝しているといつも言っております。」
「ああ、いいんだよ。彼がこちらに戻って就職すると聞いて、ここに住みなさいと薦めたのは私なんだ。」
いつになく機嫌の良さそうな大山を見て、清水さんは普段から気になっていたことを少し聞いてみようかなと思った。
「誠に聞いたのですが、旦那様は、奥様が亡くなられて随分長い間、お独りとお聞きしました。ご再婚はお考えにならなかったのですか?」
大山は、黙ってワインの瓶をしばらく見つめる。
「私のような偏屈ものは、独り身が良い。誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられない。そんな生き方が私には合っている。」
清水さんは、少し恐縮した感じで縮こまった。
「そうですか、、、申し訳ありません、差し出がましいことを。」
「いや、いいんだ。」
ああ、余計な事を聞いてしまったかしら、そんなことを考えながら、清水さんは頭を下げると、
「それでは、私は、夕食の準備をしてまいります。出来上がったらお呼びいたします。」
そう言って食堂に向かって行った。
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北央市、居酒屋。
乾杯後、優子が由川に尋ねてきた。
「そう言えば、よっしーって、本州の大学、行とったやろ? あっちではどーだったん?」
大学時代、由川だけは北州を離れて、和皇国の中央に位置する本州の首都大学に在籍していたのだ。
「え? どうだったって、どういうこと?」
「本州の都会おったんやろ? なんか浮いた話とかないねん?」
浮いた話、、、そんなものはない。
由川は、苦笑いすると、
「うーん、、、理系だったから男ばかりで浮いた話なんかなかったよ、、、下宿と大学の間を往復して、近くのコンビニでバイトして、単位落とさないように勉強して、就職活動しながら公務員試験受けて、がんばって卒論書いて、終わりって、感じかな。」
と答える。
辻は、そんな由川を同士を見るような目で見ると、尋ねた。
「由川君は、サークルとか入ってなかったんですか?」
「サークルは入らなかった。空いてる時間は一人でゲームとかしてた。」
「え~、おもろーないなぁ、コンビニのバイトで出会いとかなかったん?」
と食い下がる優子。
「ないない、店長のおじさんとは仲良くなったけど、、、あ、そう言えば、米村君は、彼女できたんだよね?」
矛先を米村に振る。
すると、優子は目を輝かせて、
「そうそう、ネム、グループメッセで、バイト先で彼女できた言うとったな?」
と米村の方を向く。
「その子には別れを告げられましたよ。ボクがゲームばっかしてたので、、、」
あ、そうだったんだ、ごめん、米村君、、、
由川が心の中で謝ると、
「そうやったんか、何かごめんな、聞いて。」
と優子も、すまなそうに謝る。
「別にいいですよ。そう言うおミヤサンはどうだったんですか?」
「うち? う~ん、彼氏おるにはおったんやけど、まあ、性格の不一致ゆうやつ? 今はおらんねん。」
あっけらかんと言うと、チューハイをぐびっと飲む。
「そうでしたか、すみません、聞いてしまって。」
米村が謝ると、
「ええねん、ええねん、お兄ぃと比べたら、あんな男たいしたことないねん。」
優子には、世界一尊敬しているという年の離れた兄がおり、高校時代からいつも自慢していたのだ。
兄は大学病院に務めていたが、今は独立して小さな診療所を開いており、彼女はそこで事務の仕事をしていた。
すこし気まずい沈黙が流れると、それまで黙っていた辻が、グラスにビールを注ぐと、
「皆! 飲もう! 僕たち、仲間同士!」
とグラスを掲げる。
「お、永ちゃん、ええな、飲もぉぉ!」
優子も同調してグラスを掲げる。
そんな二人を見ながら、マイペースに料理をつまみながらウーロン茶を飲む、米村。
おミヤさん、ブラコンじゃなかったらもっとモテると思うんデスけどね、、、
まあ、辻君は、彼女いない歴=年齢っぽいけど、由川君の方は、実際どーなんデスかね。
ちらりと由川の方を伺う。
件の由川は、グラスのビールをチビチビ飲みながら、辻と優子を生暖かい目で眺めていたのだった。
しばらくして、かなり酔っぱらってきた優子が、由川に尋ねてきた。
「そんで、よっしー、今は公務員なんやろ?」
「うん、天仁町の役場で働いているよ。」
「で、その職場で何か浮いた話ないねん?」
おミヤさん、目が座ってる、、、ていうか、そっち系の話で思考がループしてきている、、、
「えーと、うん、そうだね、、、最近、派遣で白潟さんっていう若い女性が入ってきたんだけど、、、」
「ほぉぉぉ、そんで、そんで?」
優子が食いつく。
「セクハラとかコンプライアンス違反、怖いから、、、まあ、浮いた話にはならないかな。」
「なんや、それ、おもろーないわ!」
由川が冷や汗をかきながら戸惑っていると、辻がぐっと割り込んできた。
「由川君、役所仕事はいろいろ大変だと聞く。悩み事や愚痴があるなら相談してくれ!」
とメガネをキラーンと輝かせ、助け舟を出してやった的なドヤ顔をする。
うっ、辻君も悪酔いしてきたな、、、
「愚痴って訳じゃないけど、窓口での苦情対応とか大変かな、、、今日も、住民課に転入届出してきた人がいて、、、あ、そのときは、白潟さんが対応してたんだけど、なんか、トラブルっぽかったから、僕が対応して、、、」
「ははーん、その子助けるとか、よっしー、ほんまは下心あんねんちゃう?」
「いやいや、そういうんじゃなくて、PSチップってあるでしょ、社情庁が出している身分証明用のICチップ。それをインプラントにしている人がいて、、、あ、インプラントっていうのは、チップを体のどこかに埋め込むことで、、、僕も右手に入れてるんだけど、、、」
そう言って、右手の甲を見せる。
すると、辻が、
「ああ、それなら僕も。」
と言って、左腕の袖をまくる。腕の中ほどに小さく盛り上がるチップがあった。
「うちは、ここに入れとるで。」
左手の小指と薬指の間が小さく盛り上がっていた。
「ボクは、ここ。」
米村は、由川と同じく右手の甲を見せる。
由川はポカンと3人を眺めると、
「嘘だろ、和皇人でチップをインプラントしてるの、一万人に一人なのに。何で、、、」
と呟く。
「そんなん、効率的やから」(優子)
「コーリツ的だから」(米村)
「効率的です!」(辻)
3人はハモり、互いに顔を見合わせた。そして一斉に笑い始める。
「さすが、効率厨クラブやな~」
「血は争えませんネ」
「いや、僕たち兄弟じゃないけど!」
効率厨クラブ。由川達が在籍していた北央高校科学部の影の名称である。
部活動のテーマとして、いかにして効率的にゲームを攻略するかという、都合のいい理由をでっち上げ、学校の備品のPCで、MMORPG、エターナル・ファンタジー・グローバル、通称EFGをやり込んでいたのだ。
「きっと、シェン君もチップ入れとるで。」
と優子は後輩の話をする。
王李神、枢華共和国から和皇国に帰化した家系の出身で、由川達の一つ下の学年だった男だ。長身に、切れ長の目、短く刈った黒髪、米村とは別のタイプの美少年であった。
「ああ、シェン君、僕たちの中で一番の効率厨だったよね。」
と由川が言うと、
「いや、一番の効率厨は顧問の大山先生だった!」
と辻。
「確かに大山センセは、えげつなかったです。」
米村が応じる。
「ゲームのプレイ映像、全部録画して解析しとったな。」
「変な数式使って攻略メニュー作ってたね。」
4人は口々に、大山の武勇伝を語る。
「そういえば、よっしーって、大山先生んとこに居候しとるんやろ?」
「ああ、うん。」
「先生もインプラントしとった?」
3人が由川を見つめる中で、彼はコホンと咳払いする。
「僕がやる前からね。」
そこで皆、爆笑。
「は~、なんか久しぶりに大山先生に会いとうなったわ。」
優子が腹を押さえながら言うと、
「そうや、明日、土曜日やし、みんなで会いに行かへん?」
と提案する。
「僕は空いてます!」
と辻。
「ボクもいいですよ。」
と米村。
「決まりやな! ほな、よっしー、先生に連絡入れとって!」
「ああ、分かったよ。」
由川は携帯を取り出すと、大山にメールを送った。
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大山邸では夕食後、薄暗い書斎の中で静かにノクターンの音色が流れていた。
オーディオのイコライザーの灯りに薄く照らされながら、大山は目を閉じて手を組み大きく鼻で息を吸ってゆっくりと吐いた。そして手で胸をまさぐりペンダントを握りしめる。
いつの間にか音楽が止み、しばらく無音のまま時が過ぎた。
大山は目を開き、手の中のペンダントを見る。
「私は非効率な人間だ、、、」
部屋の外で足音が近づき、コンコンとノックの音が響いた。
「旦那様、今日はこれで帰らせて頂きます。」
大山は少し背を起こすと扉の方を向く。
「ああ、ありがとう、気を付けて。」
扉の外で足音が遠ざかって行った。
大山が再び椅子に背をあずけると、横に置いてあった携帯が短く鳴った。
由川からメールだ。
<明日、科学部の同期の3名が家に来ることになりました>