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穏やかな革命 ~Adiabatic Revolution~  作者: 刃竹シュウ
第1章 協会設立
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原初の動機

この作品に登場する国、人物、団体等は全て架空であり現実と関係ありません。

この世の中はいつからこんなに煮詰まってきたのだろうか?

経済、法律、科学、それらは時代とともに様々な解釈、修正、追加が行われ、分野は枝分かれし、混沌の様相を呈している。


「エントロピーは増大する。」


初老の男はそう呟くとソファに持たれかかって目を閉じて瞑想する。


原初の時代はもっと単純だったのだろう。

原初の時代。その動機。


食料、衣料を物々交換する代わりに、貨幣が使われるようになった。なぜか?

何が不足するか分からないから、何にでも交換できるものを持っていれば安心できるからだ。

そして貨幣を使って社会をコントロールするようになった。経済だ。


他人の物を盗ってはいけない。人を殺してはいけない。なぜか?

盗みや殺人が自由に行えたなら、常に怯えながら暮らしていかなければならないからだ。

だからルールを作った。法律だ。


雨が降るか否か、占いに頼ることを止め、雲の動きを観察することで予想し始めた。なぜか?

いつどこで誰がやっても変わらないやり方の方が信頼できるからだ。

普遍性の発見。科学だ。


「ああ、そうか。」


男はゆっくりと目を開き、壁紙の幾何学模様をぼんやり眺めながら思った。

結局のところ、経済にしろ、法律にしろ、科学にしろ、一つの動機から生まれたのだ。


未来を保証すること。


食料が不足した時に他の村から買うことのできる未来を。

歩いてる途中で突然人に刺されない未来を。

雨が降りそうだから畑の水やりを控えておける未来を。


未来が保障されれば、生命活動の根源、種の保存が保障される。


「なるほど、理にかなっている。」


男は再び目を閉じると、ワインで酔った頭の中で浮かび上がった洞察が次の朝には忘れ去られるのではないかと思いながらまどろみに沈む。


未来の保証だ。それだけ覚えていればいい。


次の朝、男はベッドの上で目覚めると、テーブルの上にある飲みかけのワインを焦点の合わない目で眺めながら、昨夜瞑想したことを思い出した。


ただひとつの動機。未来の保証。

これは何かの啓示なのか?


男は、ベッドからゆっくりと降りると、残ったワインを飲み干し、空になったグラスと瓶を持って寝室を出た。階段を下りて食堂に向かうと、朝食の香りと食器の音が漏れ聞こえてくる。中に入るとテーブルにひとり青年が座り、家政婦らしき中年の女性が給仕をしていた。


青年は振り向くと、


「おはようございます、先生。」


と軽く会釈する。家政婦の方も振り向いて、お辞儀する。


「おはようございます、旦那様。 あら、それ空けてしまわれたんですか?」


そう言って、男が持っているワインの瓶とグラスに目を配らせた。


「おはよう、清水さん。 すまんが、これを片付けといてくれんか?」


そう言うと、グラスと瓶を家政婦に差し出す。


「すぐに朝食をお持ちしますね。」


家政婦はそれを受け取って台所に向かい、男は青年の斜め向かいの席に着く。


初老の男、名は大山泰全オオヤマ タイゼン。がっしりした体格に鋭い眼光、グレーの頭髪はオールバックにしている。名家の資産家に生まれ、高校で数学の教諭を務めた後、定年して退官。自宅で隠居生活中である。


「おはよう。その新聞はまだ読んでいるのかね?」


大山が青年に話しかける。


青年、由川誠ヨシカワ マコト。かつて大山の生徒で、現在、地方公務員。 誠実な面持ち、左右に分けた前髪の下には黒ぶちの眼鏡が覗いている。 訳あって大山の家に居候中。独身。


「いえ、もう興味ある所は目を通したので。」


そういって、脇に置いてあった新聞を大山に渡した。


大山はそれを受け取り目を通し始めると、ふと、由川青年にこう尋ねた。


「由川、人を殺すことはなぜいけないのだと思う?」


由川は、ティーカップから顔を上げ、少し驚いたような顔をした。

てっきり新聞記事の内容でも聞かれるのかと思っていたので、なんの脈絡もない話題を振られて呆気に取られていたのだ。


「人を殺してはいけないと刑法で禁じられていますからね。人殺しは法で罰せられます。」


「ほう、では、法律で禁じられていなければ人を殺していいということかな?」


由川は思った。また先生の頓智問答が始まったのだろうか? 善悪論?人を殺すことは悪いことだから? いや、感情論か?殺された家族が悲しい思いをするから?


「たとえ法律で禁じられてなくても人を殺すことはいけません。残された家族の悲しみ、喪失感を考えてみてください。人殺しは悪いことです。」


由川はそう答えながら、いや待て、と思う。戦争では大義名分で人を殺すし、平和な国でも死刑判決を受ければ合法的に人は殺される。先生が議論したいのはそういうことか?

大山の目を見る。


「ではこうしよう。ここに家族も友人もいない天涯孤独者の集団がいるとしよう。彼らを殺しても誰も悲しまない。そういった集団の中で人を殺してはいけないというルールを彼らが作ると思うか?」


由川は途方に暮れた。先生はいったい何を言いたいのだろうか?これは何の議論だ?

眼鏡を指でついと上げる。


「それはその集団の知性といいますか、理性のない集団でしたら殺人が横行するかもしれないですが、ある程度考えのある者たちでしたら、互いに殺し合わないように取り決めをすると思います。」


「そうだな。その考えのある者たちは、なぜ殺人をしない取り決めをすると思う?」


「自分が殺される可能性をなくしたいからです。他人にいつ殺されるかと心配しながら生きるのはいやですからね。」


「可能性。そうだな、つまりは、将来起こるであろう望まない事態の可能性の排除。将来も生きていられるという言わば、未来の保障というやつだな。生きているものは全てこの原初的な動機で動いている。生命の保存。種の保存というわけだ。」


ここで、由川はようやく大山との問答の方向性に気づいた。


「そういうことなら僕の最初の答えは因果関係が逆でしたね。法律で禁じられているから人を殺さないのではなく、殺されたくないから法律で禁じたということですか。」


「その通りだよ。そして殺されたくないのは、自分の未来を保障するため。由川、これは大切なことだから覚えておいてくれ。未来の保証、これが人の行動原理。根源的な動機だ。」


そこに、家政婦が朝食をトレイに乗せてやってきた。


「旦那様、お待たせしました。」


そういって、トースト、スクランブルエッグ、サラダ、デザートのオレンジに、ティーカップを配膳していく。


「誠、紅茶のお代わりは?」


家政婦は由川に尋ねた。彼女は由川の伯母で、片親の彼が幼いころから面倒を見ていた。由川が大学を卒業して大山の家に下宿することになったとき、大山に雇われたのだ。


「あ、僕はもういいよ。」


由川はそう言うと立ち上がった。


「先生、興味深いお話しの途中でしたが、僕はそろそろ仕事に向かう時間なので。」


軽く会釈して、食堂から出て行った。


大山は、うなずくと、テーブルに置いた新聞を眺めながら朝食を食べ始めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


天仁町テンジンマチ和皇国ワコウコク 北州ホクシュウの東に位置する人口1万人程の町だ。山間部の裾の平野部ではジャガイモや麦などの畑が広がっており、人々は農業を中心として生活をしていた。


由川は勤務地の天仁町役場の自分の席で、昼休みのサンドイッチを食べながら、携帯に届いた高校時代の友人からのグループメッセージを見ていた。内容は久しぶりに皆で会わないかというものだった。


 北央市の居酒屋で19時に待ち合わせか。仕事終わって電車で間に合うかな?


そう思いながら返事を書き始めると、後ろから声を掛けられた。


「由川さん、お昼休みのところすみません、ちょっといいですか?」


派遣契約で住民課の窓口業務をしている白潟さゆりが困った顔をして立っている。


「あ、はい、何ですか?」


「転入届を出される方がいらっしゃって、本人確認の身分証明の提示をお願いしたのですが、、、」


そう言いながら、さゆりは首にかけているペンダントを持ち上げた。


「PSチップって、これのことですよね?」


PSチップ(パーソナル・セキュリティ・チップ)は、5年前から、社会情報庁が導入したIC型の身分証明で、ペンダント型、ブレスレット型、リング型などがある。


「そうです。」


「それが、窓口に来られた方が手を差し出すのですが、ブレスレットも指輪もしていなくて、、、」


「あ、それ、たぶん、インプラントにされているんだと思います。」


「インプラント?」


「僕が対応しますよ。」


そう言って、由川は窓口に向かった。


「お待たせしました。」


窓口で、携帯を眺めていた男は顔を上げた。


「あの、この後すぐ仕事に戻らないといけないんで、早くしてもらえますか?」


「お時間をおかけして申し訳ありません。インプラントになされているのですか?」


「そうです。ここ。」


そう言って、右手の甲の親指と人差し指の間のあたりを指さす。


「では、スキャナーで読み込みますね。」


由川が、男の手にスキャナーをかざすとピロンと音がして読み込みが完了した。


「本人が確認できました。転出証明書をお持ちですか?」


「え? 何それ?」


「お引越しをされる前の所で、転出届は出されました?」


「チップ読み込んだら自動的に登録されるんじゃないの?」


「大変申し訳ございません。PSチップはあくまで本人確認のためのもので、こちらで転入を受け付けるには、転出元で転出証明書を取っていただかなければならないのです。」


「なんだよそれ、こっちからできないの?」


「本当に申し訳ございません。ご本人様の住所は公的な書類の証明になる大切なものなので、前の場所を転出したという証明を取ってきていただく必要があります。」


男は、大きくため息をつくと、


「まったく、これだから、お役所って所は。 めんどくせー」


確かに男の言うことはもっともなのだ。由川自身もこんな手続きは面倒くさいと思う。技術的にはPSシステムと住所データベースを連携させれば、スキャンひとつで転出と転入の手続きを完了させることは可能なのであるが。


まあ、利便性とセキュリティは逆相関するものだから、面倒な手順をあえて踏ませるという理屈も分からなくはないけど、目的を持って悪いことをする奴は面倒なことを厭わないんだよね。


由川は男に同情しながらも、事務的な態度で応対する。


「前に住んでいらした場所に行かれるのが大変でしたら、郵送で転出証明書を取り寄せることも可能です。こちらの様式に必要事項を記入の上、免許証又は保険証のコピー、それとこちらの返信用封筒を添えて出してください。」


男はそれを受け取ると渋い顔をした。


「切手、貼らなきゃいけないじゃん。まじかよ、、、」


「お手数をおかけします。前の場所を往復する交通費のことを考えれば郵送をおすすめします。」


「はぁ、ったく、じゃあ、郵送で取ってきますよ。」


男はぶつぶつと文句をいいながら、窓口を去っていった。


由川は去り行く男性を見ながら、癇癪を起こして大騒ぎをする人じゃなくってよかったな、と内心胸を撫で下ろすのだった。


「由川さん、私の代わりに、なんか怒られたみたいで、すみません、、」


後ろを振り向くと、さゆりが、申し訳なさそうな顔をしてぺこりと頭を下げていた。


「いえ、そんな、全然大丈夫です。 あの人はまだ話せば分かってくれる人だったから。たまに話の全く通じない方がいらっしゃるので、そういうときは本当に大変ですけど。」


そう言いながら、どうか頭を上げてくださいとオロオロした。


さゆりは、そんな由川を見て、ほっとした顔をして微笑んだ。


「でも、ビックリしました! チップを手の中に埋め込むなんて知りませんでした。」


個人認証のためのPSチップを体に埋め込む行為は、インプラントと呼ばれ、ニューアメリア連邦などの海外では公的機関で取り入れられていた。由川の住む和皇国でも1年前に政府の認可が下りたのだが、一般には知れ渡っていなかった。


「必要書類を持って病院に行けば簡単にやってもらえます。ほら、こんな感じに。」


そう言って、右手の甲を見せた。親指と人差し指の間が僅かに盛り上がっている。


「うぇっ、由川さんもやってたんですか!?」


若干、後ずさる。


「はい。」


「い、痛くないんですか?」


と言って、そろそろと近づく。


「入れたあと、2、3日は少し腫れましたけど、しばらくして慣れると気にならなくなりました。」


「なんで、チップを体の中に埋め込んだりするんですか?」


不思議そうな顔で由川の顔を覗く。


「えーと、まあ、一言でいうと、効率的だからですかね。」


「効率的?」


「ペンダントとかだと、紛失したり偽造されたりする恐れがあるから、5年ごとに更新手続きしなければいけないけど、インプラントにしたら更新は免除されるんです。」


「はあ、、、」


「更新しなくていいということは、本人の時間の節約になるし、役所の仕事も減って税金の無駄にならないから、一石二鳥でしょ?」


「まあ、、、」


「それに失くす心配がないし、必要な時に持ってくるの忘れたってことないから便利ですよ。」


 確かに便利かもしれないけど、何で効率的という言葉を使うんだろ?


さゆりはそう思いながら、由川の手をじっと見る。


「あの、ちょっと触ってもいいですか?」


「え? あ、いいですよ。」


さゆりは、皮膚の下に小さな塊があるのを、指先で恐る恐る触って確かめた。


「そういえば、私の友達も飼ってるワンちゃんにマイクロチップつけてました。迷子になってもすぐに見つかるようにって。」


さゆりは、珍しいものを見る目で由川を眺めた。


「あー、じゃあ僕が迷子になっても大丈夫だな。ははは、、、」


白潟さん、初めて話すけど、わりとフランクな人なんだな。距離感が近いというか。

まあ、勘違いしないように気を付けないと。コンプライアンス厳しいからなぁ、、、


「あ、誰か来ました。私交代します。ありがとうございました。」


さゆりと窓口の席を交代すると、由川は自分の席に戻ってお昼の続きを食べながら、携帯に届いた高校の友人からのメッセージを見返していた。


久しぶりだし、今日は飲みに行くかな。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


大山は、朝食後、居間のソファで寛ぎながら、今朝読んだ新聞の記事のことを思い出していた。


<グレン・ギルバート氏、インサイダー取引で起訴される>


ギルバート氏は、ニューアメリア連邦の投資家で、大山の住む和皇国でもよく知られている人物だ。


大山の家系は古くからの資産家だが、資産の多くは本州に住む弟が管理しており、彼自身は興味がなかった。なので普段はこういった記事も気にかけていなかったのだが。


「はて、未来の保証という観点からして、これはどうなのだ?」


インサイダー取引、株価に関わる重要情報が公開される前に、それを知りえる内部関係者が先に売り買いして利益を得ることである。


ギルバート氏は、自分の未来を保障するために、自分の持つ情報を使って利益を得ようとした。

しかし、それは、他の投資家から見れば、公平性に欠ける不正行為であった。

なぜなら、その情報を知っていれば、彼らも利益を得られたかもしれないからだ。


つまるところ、レースでのフライング行為、ピストルの音がなる前に走り出すといったところか。


そんな訳で、彼らは「抜け駆けされない未来」を保証するために、インサイダー取引を禁止する取り決めを作った。


しかし、こんな形の未来の保障は、種の保存とずいぶんかけ離れてしまっている。

それはまるで、風が吹けば桶屋が儲かるような、因果関係の原因と結果に様々なものが媒介しているからなのだろう。その連鎖の中で本質的な因子とは、、、


利益。


そもそも利益とは何なのだ?


「昔の人の気持ちになって考えてみるか。」


畑で芋を作った。それを自分で食べて消費した。自給自足である。

この場合、利益は発生しない。


畑をもっと耕して自分では消費しきれない多くの芋を作った。

余った芋を売って金を手に入れた。


「なるほど、ここで利益のようなものが出たな。」


この場合、芋を作るという生産によって利益が得られる。


芋を買って、食べきれずに余ったものを、干し芋にして保存した。

干し芋を売ってみると買った値段よりも高く売れた。


この場合、原料を加工することで付加価値を与え、利益が得られる。


干し芋を買って余ったものを他の村で売った。その村では干し芋が珍しいもので、買った値段よりも高く売れた。


この場合、干し芋の価値の相違が利益となる。


価値の生産、価値の付加、価値の相違、、、利益、、、未来の保証、、、


大山は目を閉じて瞑想する。


「なるほど、そうなると、、、」


「いや、しかし、、、」


お昼近く、家政婦の清水さんが居間を覗くと、大山がソファに座って目を閉じ、何やらぶつぶつと呟いていた。彼女は、ポケットからメモ帳を取り出し、伝言を書いてテーブルにそっと置くと居間を去った。


お昼を過ぎた頃に、大山は目を開くと、しばらく天井を仰いだ。


「ああ、、、そういうことか。」


ふと横のテーブルを見るとメモが、2枚、置いてあった。


<お昼はいつもの軽めのものをご用意いたします>


<お昼は温めて食べてください。夕食時にまた参ります>


「もう昼過ぎか、清水さんには申し訳なかったな。」


ソファから立ち上がると、テーブルの上の携帯が短く鳴りメールを知らせた。


由川からだ。


<今日は高校の同期と北央市で飲むことになったので、帰りが遅くなります>



初投稿です。よろしくお願いします。

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