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3.さらなる螺旋

「ただいま。ママ、重かったよぉ」


 学校から帰宅した美咲は、何か重たい物を持ってきたようだ。玄関先に置いたらしく、ごとんという鈍い音が響く。


 明日から夏休みのため、荷物をまとめて持って帰ることになっていた。

 重量のあるものは何だったのか。気になって玄関先まで迎えに出ると、やや湿った土と草の匂いがする。私は思わず美咲に声をかける。


「おかえり。言ってくれればママが運んであげたのに」


 美咲は、朝顔の鉢植えを一人で抱えて帰ってきたのだ。


 少し前に学校から『一年生は学校で育てている朝顔の鉢植えを自宅に持ち帰って、夏休みに観察します。重いので、親御さんが取りに来てくださっても構いません。よろしくお願いします』というお知らせをもらっていたことを、やっと思い出した。

 自分のおかしな症状が気になって、すっかり忘れていた。


 小学校から家までは歩いて五分程度だし、マンションの四階といってもエレベーターが使えるので、それほどの負担ではない。

 けれど、やはり小さな娘より自分が持ってあげればよかったと後悔する。


「持ってきちゃったから、もういいよ」


 美咲は何でもなさそうに話し、ランドセルを背中から下ろす。前髪が汗で額に貼りついている。手で汗を拭って、美咲は洗面台へ向かっていった。


 朝顔は、青いプラスチックの四角い鉢植えから水色の支柱の外へ葉を広げていた。黄緑色の蔓を巻きつけながら。


 螺旋だ。


 意識すると同時に私の足元はぐらつき、曲がりくねる蔦へと取り込まれていった。


「ママ、どうしたの」


 美咲の声にはっとする。

 私は朝顔の前で呆然と座っていた。頭を振って、何とか話しかける。


「大丈夫。朝顔、ベランダに出しておこうね」


 全然大丈夫ではなかった。朝顔ときたら、たくさんの蔓がうねうねと螺旋を描いている。しかもそれだけでなかったのだ。


 ピンク色を濃くしたような赤い花の、しぼんだ跡がひとつあった。

 それを確かめた上で、私は半ば目を閉じながら、ベランダまでの果てしない道のりを、朝顔の運搬に従事する。汗びっしょりになった。


 私は見つけてしまった。

 朝顔の蕾は細長いドリルのようだ。

 花の赤い色と白い色とが交互に渦を巻くように絞られた形。見事な螺旋をしている。


 どうやら、蔓は左巻きなのに、蕾は右巻きらしい。

 ベランダの朝顔に対して、二つも螺旋を見せてくれてありがとうと言えるほどの余裕はない。


 美咲には、水やりなどの世話は自分でやるように言い渡した。観察日記をつけるのは少し手伝う必要がありそうだが、実物はできれば避けたい。

 洗濯物をベランダに干すときは、目に入らずにすむようにと祈るしかなかった。

 



 夏休みが始まると、うだるような暑さのなかで朝顔は次々と花を咲かせるようになった。


「小さい蕾もいっぱいできてるよ。朝顔の蕾って大きくなると面白いよね。ソフトクリームみたい」


 美咲は楽しそうに話す。

 私は、ソフトクリームも食べられなくなっているのかと思うと、さすがに残念な気がした。


 それにしても、たくさんの渦巻きがベランダに控えている。思い浮かべるだけでぞわぞわと肌が粟立つ。

 まさか自分が朝顔を怖くなるとは思ってもみないことだった。


 夏の強い日差しを浴びながら、蔓は伸び、蕾は日々増殖し、大きくなっている。

 美咲には悪いが、早く夏休みが終わって、学校にあの螺旋を連れて帰ってほしいと願う。

 

 私は毎晩、螺旋階段の夢に悩まされている。

 朝顔の蔓が上へ上へと巻きつきながら登るがごとく、ひたすら白い階段をぐるりぐるりと回り続ける。汗だくになって起きる。


 夢でも現実でも私は螺旋に捉われていた。

 



 観察日記の宿題は何とかなっている。このまま夏休みを過ごせたらと思っていたある日、美咲が言い出した。


「朝顔でもうひとつ観察することがあったんだけど」

「もうひとつって何?」

「お花。お花が咲くところを見てって言われてた」

「えっ」


 朝顔の花が咲くのって、朝かなり早い時間ではないか。


 夜ごと悪夢に苛まれ、酷暑の続く日々で、私はすっかり体力を消耗していた。

 それなのに、夜明け前から起きて一緒に観察するなんて、考えるだけでくらくらして倒れそうだ。


 美咲は話した。


「筒を作るの、ママも手伝ってよ」

「筒?」

「うん。朝顔の咲きそうな蕾にね、筒をつけて寝るの。それで朝起きたらその筒を取るの。そうすると、朝顔の花がぱって開くんだって」

「ああ、そうか。そうするのね」


 納得がいった。自分が子どものころにもやったことがある。


 朝顔は日没からおよそ十時間後に開花するものらしい。

 今の時期だと、だいたい午前四時ごろにはゆっくりと咲き始めるのだろう。そんな開花が予想できる蕾に筒をすっぽりと覆い、花が開くのを止めておく。すると朝、筒を取った時点ですぐに花が咲くのだ。


 薄暗いうちから観察することはない。

 夜、美咲が蕾に筒を被せておいて眠れば……。その筒を作るのを自分が手伝いさえすればいいのだろう。


 私はだいたいの蕾の大きさを美咲に測ってもらった。それをもとにして、画用紙にコンパスを使って円を描く。切り抜くと、中心まで一か所はさみを入れて、円筒形になるようにテープを貼った。

 それを三つほど作っておく。

 美咲は開きそうな蕾を選んで、包むように被せた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 蕾に筒をつけるというのは初めて知りました(*^。^*)
[良い点] 朝顔1つにこれ程螺旋がおおいと恐怖どころではないでしょうね。
[一言] ミステリアスで続きが気になる展開ですねえ! 螺旋て確かにそこかしこにありますよね。
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