10:融けない雪うさぎ
「母様、そろそろ泣くのをおやめください。みんな困ってしまいますよ」
「だって、だってぇ……、レイのつくってくれたうさぎがまた融けてなくなっちゃったのよぉ、ううぅ」
「またつくって差し上げますから、泣き止んでくださいよぉ……」
今日もまたミーアは泣いていた。この数か月、レイハルトがつくった雪うさぎを気に入り、何度もねだってつくらされていた。つくること自体はさもないことなのだが、問題は融けるたびに泣いて引きずることだった。
一度泣きが入ってしまうとご飯も喉を通らず見ているこちらが心配になってしまう。たかが玩具にそこまで感情移入するのか。そんなことをミーアに言えばどんなことが起こるだろうか。恐ろしくて考えたくもない。
しかし、雪うさぎは込められた魔力が尽きてしまうと融けてしまう運命なのだ。それはどうにもならない。どうにか代わりのものを、とフェリクスや使用人たちも様々なプレゼントを渡してみるのだが……まぁ上手くいけば今現在このようになっていないだろう。
はじめは時間が解決してくれるだろうと思い慰めるにとどまったが効果はなく、どうしても、今度は泣かないから、と泣きながらお願いされてしまえば無碍にもできない。仕方なく新しい雪うさぎをつくることの繰り返しだった。
とは言ってもいつまでもこのままにしておくわけにはいかない。ここまで来ると本気で解決案を出さねば。そう思い懸命に考えているのだが、レイハルトには全くいい案が浮かんでこなかった。
しかし昨日、ヨハンの講義で浮かんでしまった。今までどうしてこんな簡単なことを考えられなかったのか、逆に不思議なくらい簡単なものだった。
「ヨハン、例のもの手に入った?」
「はい。ご用命のものすべて手配しました。この後ご覧になりますか」
「そうだね。夕食が終わったら僕の部屋に持ってきてくれると嬉しいな」
「かしこまりました」
なんとも怪しげ(?)な会話をしたレイハルトは何事もなかったような顔をして食事に徹した。
「なんだ、レイ。何か秘密の話でもあるのか、ん?父様に聞かせてみなさい」
「父様、これはヨハンと僕の秘密の話ですのでお話しできません。ごめんなさい父様」
「なっ――!それは父様にも言えない事なのか!そんな…父様が嫌いになったのか……」
息子の初めての反抗期――ただ秘密にしたかっただけ――を味わい成長を喜びたいものの3割の寂しさと6割の悲しさにあふれたフェリクスだった。ちなみに残りの1割は息子が口答えした事への喜びである。何度も言うがまったく反抗期ではない。
「そうか、そうか。レイもこんなに大きくなったのだな。父様は嬉しいよ」
「ごめんなさい父様。日を改めて僕から話しますので。それまで待っていてくれませんか」
自分の父が何とも寂しげな雰囲気をガンガン醸し出していたので気を遣わずにはいられないレイハルトである。
「いいや、父様が悪かったよ。そうだな、レイも大きくなったのだし父様に秘密の一つや二つあるだろう。無理やり聞こうとした私が悪かったよ」
「そんな!父様が悪いことはありませんよ」
自身の出生からなにから秘密にしていることが多くあるレイハルトは胸に針が刺さったように心が痛んだ。
「そうね。でもレイ、困ったことがあったら私たちにちゃんと言うのよ。あ、困ったときだけじゃなくて嬉しかったことでもいいのよ」
ぐすん、と鼻をすすりながらミーアは話し出した。
「はい、母様。ちゃんとお話ししますので心配しないでください」
「あら、賢いレイには何の心配もしていないわ。フェリクスよりよっぽど優秀ですもの」
レイハルトの返事に少し気を良くしたのか、ミーアは自分の夫を見ながら可笑しそうに冗談とも言えない冗談を言ってクスクスと笑った。
「そんな、ミーア僕はしっかりやっていると思うのだが。レイの方が優秀なのか……」
自分の息子にすでに追い抜かれてしまったと感じたフェリクスはますます寂しくなり、ついには目に涙を浮かべた。
「そこよ!くよくよしないでしゃんとして!レイは優秀だけれど、あなたもちゃんとやっているわ。冗談を真に受けてしまうところが玉に瑕なのだけれど」
「ミーア、私は褒められているんだろうか……」
「んもう!あなたは立派だって言っているじゃない」
何とも面倒くさい当主である。反対にミーアはなんだか上機嫌だ。
「お二人の仲が良いのは十分にわかりました。しかし、話してばかりでは夕食が一向に進まないので、手の方も動かしましょうね」
「む、そうね」
「レイ、すまないね」
己の息子、それも4歳児に窘められるとは何ともかわいそうな両親である。レイハルトの言葉を聞いた二人はしぶしぶ食事に専念することにした。
いつもより長い食事がようやく終わりレイハルトは内心うきうきしながら自室に入った。
「坊ちゃま、こちらが空の魔石です」
そう、ヨハンに用意させていたのは魔石である。それも自分で魔力を込めたほうが安いから、なんとも庶民的な理由で魔力が込められていない空の魔石である。
通常魔石は魔力が各属性の魔石専門の魔法師が己の魔力を変換して魔石へ蓄積させる。誰でもできそうなものだが、魔力微妙な込め方によって魔石の性能が大きく左右されてしまうため、より性能の良い魔石をつくり出す専門の魔法師がいるのだ。
魔石は消耗品のようなもので、一度空になった魔石は新たな魔石と交換することで安く手に入れることができる。元々魔石は安いものではないが、再利用可能なものなので生活必需品や至るところで、魔導具の動力源として使われている。
しかし、普通空の魔石など何の用途にもならないものを欲しがる者はいない。本来空の魔石を持つのは魔導具士くらいなものである。
どうしてレイハルトが魔石を用意させたのか。その答えはとても単純で、魔導具を作製するためである。レイハルトはこの魔石を使って〝融けない雪うさぎ〟をつくろうとしているのだ。これもひとえにミーアのためであり、もう周囲を困惑させないでほしいという切実な願いによるものである。
「ヨハン、魔石ありがとう。これでようやく母様を悲しませないで済むよ」
「そうですね。使用人たちももう手立てがないと諦めかけていましたから、とても感謝されると思いますよ」
お付きのエリーゼだけでなく、この屋敷全体の使用人を困らせてしまうミーアのネガティブモードは大したものである。それだけ使用人たちから愛されているという証拠でもあるのだが。
「完成できればの話だけどね。頑張ってつくってみるよ」
「はい、何かありましたら私に相談してくださいね。では失礼いたします」
「うん、ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
ヨハンが自室から出るのを確認すると、設計図を作製するためレイハルトは引き出しから紙とペンを出した。
「うーん、本によればこの世界の魔導具はあらかじめプログラムされて動くようだけど。前世でプログラミングなんてしたことないしな」
前世でも挑戦したことのないことをこの世界でやるとは、人生何があるかわからないものだ、と思いながら設計図に取り掛かった。
「えーっと、ここはもうちょっとこうして、魔力回路はここに通して……」
形を描くことはすでにあるので容易なものの、魔法でつくった物とは異なり魔石からの魔力を通す魔力回路とプログラムを組み込み実行する箇所の設定が難しかった。
つくりたい物を魔法で出すことは簡単なのだが、それには魔石を組み込むことができずに製作者が込めた魔力が尽きれば消えてしまうのだ。そうならないように、今回は実体として残る魔導具をつくっている。
「もととなるうさぎは僕が魔法でつくればいいとして、回路を通すのは……うん、これは僕だけじゃ難しいかなぁ」
魔力回路を通すには一種のスキルのようなものが必要となる。分類としては無属性魔法に当たるのだが、本来師のもとで何年も修行してようやく身に着けることができる。一般人にはなかなかできない芸当なのだ。それを一人でやろうとしているのだから、レイハルトが躓くのも無理はない。
「よし、明日ヨハンに聞いてみよう」
ミーアの雪うさぎは新しいものを明日用意する予定なので次に融けるまでまだ時間の余裕がある。時間をかけてミーアに喜んでもらえるものをつくろうと、レイハルトは寝る準備をした。
「はぁ、本で読んだだけじゃ難しいな。でも完成させないとみんな困るし、何より母様がかわいそうだ。できると良いなぁ」
ベッドに潜り込みうとうとと自分の家族について考えていた。
「それに、父様も母様が心配で仕事が手につかなくなるし。母様の体調が悪いとフィーネにも悪影響だしな……」
レイハルトはふわぁっ、と大きなあくびをして眠りについた。
寝る直前まで家族のことを考えるとは。本人には自覚がないだろうが、この世界に生まれてかなり家族思い、ファミリーコンプレックス――略したら著作権に引っ掛かりそう――になっているレイハルトであった。