8、〈火竜の住みか〉の決戦
ランドとチビット、ゴーラ、カラン、カオーリンは〈火竜の住みか〉の火山洞にのぞんだ。その洞口は、間ぐち、高さ、ともに2メートル半ほどで、2人が並んで歩ける幅があった。床の岩はなめらかで歩きやすそうだ。
治癒師のカランが耳に土人形をあてている。
「お嬢さんの正確な位置情報は、途中で大きな遮蔽物にさえぎられてわからないそうです。とりあえずは主洞を道なりに進みます」
〈魔法の光〉で輝くチビットを頭にのせたゴーラと、ナビゲート役のカランが先頭に立つ。そのうしろに、ランドはカオーリンと続いた。
ゴーラの頭の白い花が、光りのなかに揺れている。洞窟の奥から見とがめられるリスクを最小限にするため、〈魔法の光〉の光量はしぼってある。見とおしがきかないぶん、歩みは遅くなった。
ランドは洞窟内があまり肌寒く感じないのに不審をいだいた。11月のこの時期は洞内と外気の温度はだいたい同じくらいのはずだ。洞窟を進むほどに暖かくなり、肌にじんわり汗がにじみだす。
いくつかの支洞を曲がり、周囲を警戒する慎重な足どりで20分ほど歩くと、狭い洞内にこもった暖気が耐えがたいほどになってきた。顔に汗があふれだし、革の胴着と衣服の下で、肌着が汗で肌にはりつく。
ほどなく、20メートルほど先にあふれるオレンジ色の光が確認できた。そこからほとばしる熱波が、離れていても、じりじり皮膚をやきつけてくる。この先に本当にエルザはいるのだろうか――。
ランドはカランを呼びとめた。
振りかえったカランの額に、汗でしめった金色の髪がはりついている。
「あの明かりの向こうにお嬢さんはいます。わたしたちと彼女のあいだに立ちはだかる遮蔽物が、その正確な位置情報をつかめなくしているんです」
カランの言う、遮蔽されているところまで行ってみるしかない。ランドの一行は、高まる暑さのなかを足早に進んだ。
洞口からあふれるオレンジ色の光をくぐりぬけたとたん、ランドはまばゆさにくらんだ目を思わずすがめた。かげろうにゆらめく視界の先に、巨大な火炎のベールが立ちはだかっていた。
ランドが立っているのは、崖の突き出たふちだった。すり鉢状に20メートル下った底は、半径30メートルほどの半円の空間だ。岩床の中央を横ぎる割れ目から、火の壁が見上げる高さまで吹きあがっている。
ランドの立つ足場の上には、10メートルの高みにドーム型の岩の天井がおおいかぶさる。炎熱のこもる洞内は、燃えさかる窯のなかのようだ。
すり鉢状の崖の内壁にそって、岩壁をきざんだ狭い階段が下っている。断崖の底を横断するしか進む道はなさそうだ。しかし、行く手には巨大な火の壁が立ちふさがっているのだ。
「どひゃあ、本当に火竜が住んでいそうな場所だわあ」
ゴーラの頭から飛びたったチビットが、驚きの声をあげる。
「うへっ、おかんの花が燃やされたら大変なんだな」
ゴーラが、熱気にふるえる白い花を両手でかばう。
「吹きあがるあの炎が、エルザの位置情報をさえぎっているんですね」
ランドの問いにカランがうなずく。
「あの障壁をこえた、すぐ近くに、お嬢さんはとらえられています」
やはり、火の壁を突破するしかない。壁のどこかに、とぎれている箇所や、まわりこめそうな空間がないか、底に降りて確かめてみよう。
足を踏みはずしたら仲間を巻きぞえにするゴーラを先頭にする。そのうしろに、カラン、カオーリン、ランドの順番で、崖の内側の階段を慎重に降りる。チビットが、ぶーんと岩壁を降下していった。
一行は、赤黒くなめらかな岩の崖底に降りたった。30メートル先で燃えあがる火の壁に切れ目はないように見えた。横に広がる炎の中心部は暗く、その外側はオレンジ色に輝き、外炎は白くゆらめいている。
まぶしさはなくなり、ほとばしる熱気もわずかに和らいだようだ。
ランドは、ゴーラの岩陰を利用し、火の壁にじりじり近づいていく。10メートル手前までが限界だった。ふきあがる熱風が髪を逆立て、めらめら燃えあがる音が耳に迫る。これ以上は、とても接近できそうにない。
「ゴーラの岩の体なら大丈夫だから、ちょって調べてきなさいよ」
チビットが、後方にひかえるカランとカオーリンのそばから言った。
「いやなんだな。おいらは平気でも、おかんの花が燃えるんだな」
ゴーラが激しく首を横に振り、頭の花も、いやいやをする。
ゴーラなら、あるいは熱に耐えられるかもしれない。しかし、あの燃えあがる壁がどれだけの厚みをもっているかはわからないのだ。
ランドはいったん引きさがらざるをえなかった。
「あの壁を突きぬけても被害をこうむらない魔法は使えないか」
ランドはチビットに相談した。
「〈魔法の障壁〉があるわ。そのなかに包まれていれば、魔法以外の、あらゆる物理的ダメージをふせいでくれる」
〈魔法の障壁〉は術者を中心に、半径3メートル、高さ3メートルの半球形に形作られ、術者とともに移動し、10分間継続するという。
その魔法を試してみる価値はありそうだとランドは判断した。
「火傷をおう心配はないけど、暑さはふせげないよ」
チビットがつけくわえた。
――えっ? 一番温度の低そうな、黒い炎心部をくぐっても、相当な暑さにちがいない。〈魔法の障壁〉のなかで蒸し焼きになるだけじゃないか。
「それじゃあ、その魔法を使用する意味がないよ」
「〈炎耐性〉が使えればいいんだけれど、それは僧侶系の魔法だから無理ね」
そのとき、吹きあがる炎のなかから、大きな火球がはじけとんだ。
「うるさいやつらだ。昼寝も満足にできやしない」
火の玉はみるみる、2メートルの巨体をそびやかす人間の形に変わっていく。そこにあらわれたのは、燃えるように赤い髪の、筋骨たくましい大男だった。
「あなた、ファティマの長男のファランクね」
チビットが口走り、ランドは、「しっ」とそれ以上の発言を制した。
「どうして、おれと母さんを知っているんだ? あんたらは誰だ?」
ファランクの母子にさらわれたエルザを救出にきたとさとられれば、人質の身に危害がおよぶ。ランドは、その事態だけは避けたかった。
ファランクは考えこむが、答えは見つからない様子だ。筋肉にふくれあがった上半身にくらべて頭部は小さく、知恵はあまりないのかもしれない。
かつてランドが監視員をしていた森を焼き、それを火床にファティマが生みおとした火の化身だ。森林火災のなかで飛びまわっていた火球が、あれから2か月半でここまで成長していたのか――。
ランドは仇敵をにらみつけた。
「まあ、いいや。あんたらが何者だろうと同じことだ」
ファランクの持ち上げた右のこぶしが、ぼうっと燃えあがった。
ファランクと目があったランドは、とっさにゴーラの陰に身をふせる。つぎの瞬間、放たれた火球がゴーラに命中して爆発した。
「うへっ」ゴーラが尻もちをついた。
ごめん――ランドは心のなかであやまり、ゴーラの岩陰から飛びだした。ファランクから安全な距離をとりつつ、弓を取って矢をつがえる。
ファランクが両手でつぎつぎに火球を投げつけてきた。それが洞窟の床や壁で爆発し、岩くずを飛びちらせる。ランドは火球をよけるのが精いっぱいで、弓の狙いがなかなかつけられない。
そこに、チビットの〈魔法の矢〉が弧をえがいて急降下する。ファランクの分厚い胸板をつらぬいて、相手の動きを止めた。
すぐさまランドはファランクの胸にたて続けに矢を撃ちこんだ。
ファランクが苦悶のほえ声をあげ、その逆立つ髪が紅蓮の炎に燃えあがった。立ちはだかる全身からも怒りの火炎を吹きださせる。
ランドはさらに弓を射る。その矢はファランクに命中すると同時に燃えつきた。炎によろわれたファランクが不敵な笑みをうかべている。
敵の〈火の鎧〉に通常の武器は効かないらしい。
「〈増強魔法〉だ」ランドはチビットに呼びかけた。
ランドの視線を追い、ファランクが首をめぐらせる。チビットが停止飛行する下には、カランと、その長身に寄りそうカオーリンがいる。2人のそばには、火球の直撃を受けたゴーラが腰をぬかしていた。
すばやく前に出たカランが、かがんで岩床に両手をつく。
ファランクの右手に火球が燃えあがった。
カランが足もとの岩場を持ち上げ、高さ3メートルの壁を築くと同時に、その壁面にファランクの火球が命中し爆発した。
壁の真ん中がひび割れたが、その陰のカランとカオーリン、ゴーラは無事な様子だ。大地の精霊使いの技量にランドは感心した。
そのすきにランドのもとに飛翔したチビットが、弓に〈増強魔法〉をかけた。ファランクの火球がなおも岩壁を攻撃しようとする。ランドの射た矢が光りのすじをひいて、ファランクの胸に命中した。
ファランクの声が洞内にとどろきわたった。こんどは痛手をあたえたようだ。
その声に応えるように、ファランクの背後に吹きあがる巨大な炎のなかから、10数個のこぶし大の火の玉が飛びちった。ぽっぽっぽっ、と火炎をあげながらファランクの周囲を取りまきだした。
「火の子よ」チビットが言った。「燃えさかる火のあるところに好んで出没する。面倒なやつらに出てこられたわね」
ようやく立ちなおったゴーラが、カランの築いた岩の防壁の陰からあらわれた。ファランクの猛攻がやんだすきに、チビットがゴーラのもとに飛び、ウォーハンマーに〈増強魔法〉をかけた。
武器を振りかぶって突進するゴーラの地響きに、ファランクが向きなおる。
空中をまう火の子がゴーラに襲いかかってきた。それを岩の体ではじいて、ゴーラはものともしない。火の子の火力は通じないようだ。
ファランクの持ちあげた手が、ぼうっと燃えあがった。
「ゴーラ、危ない」
ランドは矢を放ち、それがファランクの手のひらの火球を破壊した。
つぎの瞬間、ゴーラのウォーハンマーが、ファランクの炎によろわれた脇腹を強打した。ファランクの顔が苦痛にゆがみ、腹に手をあてて膝をついた。
ランドはゴーラの助太刀に向かう。火の子がいっせいに襲いかかってきた。ランドはそのひとつを撃ち落とす。じゅっ――と悲鳴をあげて消えていった。
さらなる火の子を射抜いたところで、第3の火の子が迫った。ランドはそれを横に転がってかわし、すぐさま体を起こして弓をかまえる。
ランドの目と鼻の先で第3の火の子を仕留めた。火花が飛びちり、くらんだランドの視界に、いくつもの火の子が乱れ飛ぶ。狙いをひとつに定められない。
そのとき、チビットの〈魔法の矢〉が5本の光のすじをひいて飛来し、つぎつぎに火の子を撃ち落としていった。
火の壁からは、ぽっぽっぽっ――さらに10数個の火の子が飛びだして、きりがない。それらがこんどはチビットに寄ってくる。
「どひゃあ。こっちに来ないでよ」
群がる火の子に、チビットが空中できりきり舞いしている。魔法で防戦しようにも呪文をとなえる余裕がないようだ。
「チビット、こっちだ」
ランドは呼びかけて、3本の矢を指のあいだに挟みとる。チビットを追う火の子が重なったところで、2体をまとめて射抜いた。
さらに2本の矢をたて続けに放ち、4体を撃ち落とす。
逃げてきたチビットを、ランドはつかんでバックパックの口につっこんだ。矢筒の矢にも、チビットの魔力にも限りがある。ふきあがる火炎から際限なく生みだされる雑魚を相手にしていられない。
火の子の群れは、ランドとチビットの猛攻にためらいを見せはじめている。
「チビット、魔法で後方の援護をたのむ」
ランドは、戦闘をくりひろげるゴーラとファランクのもとに走った。背後から、じゅっ、じゅっ、と〈魔法の矢〉に破壊された火の子の悲鳴がする。
ゴーラとファランクの戦場はいつしか、火の壁の近くまで移動していた。めらめら燃えさかる明かりに、ふたつの影がおぼろに揺れる。40センチ以上も上背のある相手にゴーラが苦戦していた。
ランドの足は止まった。炎熱のすさまじさに生身ではもう近づけなかった。
ファランクが、ゴーラのウォーハンマーの一撃をかわし、そのふところに頭からタックルをくらわす。両者は四つに組みあった。ファランクの背中の筋肉が火をふいて盛りあがる。ゴーラは利き手を押さえこまれ、その手のウォーハンマーが岩場にだらりと下がる。
ランドは弓を構えるが、こちらに背中を向けたゴーラが邪魔で、その胸にもぐりこんだファランクに狙いがつけられない。2人の横に回りこみたくても、押しよせる熱波にはばまれ、それもままならない。
ランドは弓を構えたまま攻撃の機会をうかがう。ファランクに組みあうゴーラは力負けしていなかった。じりじり相手を後退させている。
違う、とランドは気づいた。
わざとゴーラを火の壁の近くにおびき寄せているんだ。ならば――。
ファランクが急に体をかわし、体勢をくずしたゴーラを引きたおした。這いつくばったゴーラの目の前に、巨大な業火が燃えあがる。そのなかに突き落とそうと、ファランクがゴーラのうしろにまわった。
――いまだ。ランドは矢を放った。
光のすじをひいて飛んだ矢が、がら空きになったファランクの背中に突きささった。ファランクが苦悶の叫びをあげて体をのけぞらせる。ランドはすぐさま、第2、第3の矢を射た。
3本の矢を突きたてられたファランクが、がくりと膝をつく。
ゴーラはこのチャンスを見逃さなかった。かがみこんだファランクの横にまわりこみ、相手の脳天にウォーハンマーを力まかせに叩きこんだ。
ハンマーの下で、逆立つ炎の頭髪がなえる。ファランクがつんのめるように岩場に倒れていった。巨体をうつぶしたまま、身じろぎひとつしなくなった。体をよろっていた火炎がうすれて消えていく。
すると、行く手をさえぎっていた炎もいきおいをなくしだした。火の子が悲鳴をあげ、うすれゆく火のなかに退散しだした。
火の壁の火力が弱まるとともに、洞窟内も暗くなっていく。やがて壁は消えさり、それが吹きだしていた岩の亀裂に火をちらつかせるだけになった。
チビットが〈魔法の光〉をつけた。
洞内の中央を横ぎる溝の幅は40センチほどだろうか。炎が吹きあがっていた向こう側にも、こちらとほぼ同じ大きさの半円形の洞窟が広がっている。その一番奥に小さな洞口が開いていた。
カランが土人形を耳にあてて歩みよってきた。カオーリンもつきそっている。
「お嬢さんは、あの真向いの洞窟にいます」
カランが言い、ランドはカオーリンと喜びの顔を見あわせた。
そのときゴーラの横で、むくりと小山が動いた。ファランクが両手をついて上半身を起こしていた。火の化身の瞳に憎悪の炎が燃えあがる。
「くそう、おれは1人では死なない。おまえらを道連れにしてやる」
丸くうずくまったファランクの体が火を噴き、全身が火炎に包まれた。それがしだいに火力を増し、火球となってふくれあがっていく。
「ゴーラ、離れろ。ファランクは自爆するつもりだ」
「うへえ」ゴーラがランドの警告に逃げかえってくる。
ランドは全員をうながして、カランが築いた岩壁の裏に避難させた。
いまや火の玉は直径3メートルを超えた。その表面に、ごうごうと炎をゆらめかせ、肌を灼きつくそうと炎熱をほとばしらせる。
――ほどなく火球は臨界点に達する。逃げ道はあるか。
ランドは洞内を見まわした。
背後の岩壁には、高さ20メートルの狭い階段がきざまれている。それを上っている時間はない。反対側の60メートル先には、エルザのいる洞窟が口を開けている。そこに到達するためには、いまにも爆発するファランクの横を通りぬけなければならない。
「チビット、〈魔法の障壁〉はまだかけられるか」
「いまの魔力の限界いっぱいだけど、大丈夫そうね」
ゴーラにうずくらませた陰に、ランドとカラン、カオーリンが身を縮めた。ゴーラの頭上のチビットが、すばやく魔法の呪文と所作を行なう。
20メートル先では、岩の壁ごしに見上げるほどの火球がふくれあがる。
つぎの瞬間、地響きとともに、うずまく火炎の大波が迫り、目の前で岩をくだいた。ランドはかたく目をつぶる。遅れて、すさまじい轟音と熱波が襲いかかった。〈魔法の障壁〉が耐えてくれるのをランドは願った。
岩床が揺れ、熱波のうずまく音に、岩壁の破砕音や、岩の落下音が混じる。
ようやくあたりが静まり、ランドは薄く目を開けた。足もとでは、わずかな振動と地鳴りがまだ続いている。爆発はおさまったようだ。
チビットの〈魔法の障壁〉は半透明で、そこから発する半円形の光があたりを照らしている。岩くずが山になった向こうの、20メートル先は闇にしずんでいる。その闇のなかに、小さな赤い光点が認められた。
「あいつはあとかたもなく消しとんだみたいね」
チビットが言い、それにゴーラがうなずいている。
妖精と、洞窟で育ったゴーラの目には、うす闇のなかでも見えているらしい。
ランドはランタンとほくち箱の準備をして、チビットに〈魔法の障壁〉を解いてもらった。かすかな地鳴りはまだ続いている。
ランドとチビット、ゴーラ、カオーリンは爆発地点にゆっくり向かった。
そこに落ちていたのは、なかに火をゆらめかす直径10センチのほどの玉だった。ランドは、ぐにゃりとした感触のその球体を拾いあげた。
赤い〈生命の玉〉ではないか。サンロランが完成品だと話していたものだ。
完成品は大小4個あったという。サンロランはそれをハイランドの兵士に奪われないようクスノキの下に埋めた。クスノキは落雷で燃えあがり、根もとの土中から〈生命の玉〉はなくなっていた。
落雷による火災に〈生命の玉〉が反応して、ファティマを生みだしたのではないか。ファティマは森林火災を火床にしてファランクを出産した。ファランクの弟ははランドが射殺した。
残りの玉はあとひとつ。それはファティマの体内で成長し、あと2日後の出産を待っている。そのための火床をファティマは欲しているのだ。
ランドの勤めていた森の火災によって誕生したファランクは恐ろしい敵だった。その森より〈癒しの森〉は、はるかに広大だ。それを焼きつくす火力から生まれる第3子は想像したくもない。
ランドの手のなかで、〈生命の玉〉の火がゆらめいて消えた。
「――エルザ。わたしには娘の存在が感じられる」
ふいにカオーリンが駆けだした。
「だめだ。危険はまだ去っていない。みんなで行動をともにするんだ」
ランドの声は、カオーリンの耳に届いていないらしい。洞窟を横ぎる40センチの亀裂をまたぎ越え、カオーリンが娘を求めて走る。
「ファラーンク、ファラーンク。いまの爆発はなんなの?」
向かい側の岩壁の洞口から、オレンジ色の光があふれだした。輝く赤い髪を腰まで垂らしたファティマが、洞窟からよろめき出てきた。ふくれた腹を片手でおさえ、顔には苦痛の表情があらわれている。
陣痛がはじまっている? 出産予定が早まったか。ランドはそう推測した。
ファティマが、はっと顔色を変えた手。その場の状況から、息子の死を悟ったらしい。戦闘の物音は、火の壁にさえぎられていたのだろう。
カオーリンも足を止めていた。いまや20メートルの距離をおいて、エルザの母親と、ファランクの母親が対峙した。
続