4、世界最高の治癒師カランあらわる
どうして自分を知っているのか、とサンロランが問いかける。
エセル伯爵にあなたの救出を依頼された、とランドは答えた。
「父は、わたしがよこしまな研究をしていると言ったんですね。とんでもない。わたしは、死んだ妻をよみがえらせたかっただけなんです」
サンロランが涙ながらに自分の潔白をうったえる。
「わたしの妻のカオーリンは大地の精なんです」
サンロランの告白に、ランドとチビット、ゴーラは顔を見あわせた。
妻とのなりそめは省略します、とサンロランは続ける。
「2年ほど前にカオーリンは、大地の精特有の〈冬枯れ病〉にかかりました。そして大地母神から、自分の死期を知らされたんです」
そうなった大地の精は、自分の生まれた土――出生土に戻るため、その産地に帰ってこなれればならないという。
「わたしは妻にその出生土の産地を何度もたずねました。妻は決して教えてくれませんでした。それが大地の精の決まりだからだそうです」
死期をさとったカオーリンは、自分の生まれた地を家族に知られないよう、夜更けの屋敷を抜け出してそれっきりになったらしい。
エセル伯爵の説明とは違うが、ランドは黙ったままでいた。
「去りぎわにカオーリンは、ひとにぎりの白い粘土をのこしていきました。妻の形見となったその土こそが、彼女の出生土だとわたしは確信しました」
地質学者のサンロランは、その土を手がかりにカオーリンの生まれた土地を探しはじめた。1年以上の探索にかかわらず、その場所は見つからなかった。
そんなある日、マザーキャニオンの洞窟で、2匹のコウモリの死骸を見つけた。そのうちの1匹がよみがえるのを目撃したという。
「生きかえったコウモリは洞内を飛んで一周して力尽きました。墜落したコウモリの口から、2センチほどの青く発光する玉が転がりでたんです」
よみがえりの秘密はこの発光体にあるとサンロランは考えた。
「わたしはその玉を〈命の球〉と名づけました。それを培養すれば、人体をよみがえらせることができるのではないか。カオーリンの出生土にうめれば、そこから妻を再生できるのではないか」
そうサンロランは考えたという。
〈命の球〉の培養、研究、実験に適した場所として、いまは使用されていないこの寺院を選んだ。その墓地には、疫病で死んだ、まだ新しい遺体がうまっていた。その結果、よみがえったのは――。
「あの〈生きる屍〉だったんですね」
ランドの言葉に、サンロランがうなだれて肯定した。
エセル伯爵がよこしまな研究と断じたのも無理はない。墓場に出没する悪霊とサンロランの関係をうたがった伯爵は、それをヒルチャーチの民に知られないよう、ランドの所属する冒険者組合に依頼をまわしたのだ。
サンロランは、水槽で培養していた〈命の球〉をあやまって逃がし、何十体ものゾンビを発生させた。サンロランはそいつらに使われ、ゾンビの仲間を増やすために〈命の球〉の増殖をしいられたという。
その指揮をとっていたのはハイランド兵のゾンビだった。ハイランド王国はこの件とどんな関係があるのか。
ランドはサンロランに問いただした。
「ハイランドのやつらはわたしの研究を横取りしようとしていたんです」
サンロランのあわれっぽい目に、怒りの色があらわれる。
「わたしの研究をハイランドに知らせたのは、助手だった男に間違いありません」
〈命の球〉による人体の復活に成功したが、その実験体はゾンビ化して襲いかかってきた。そのゾンビは数分でもとの遺体に戻り、あやうく命拾いをした。助手は恐れをなして逃亡したという。
「ハイランドの兵士が寺院にあらわれたのは、その1週間後です。わたしはやつらのために〈命の球〉の開発をするはめになったんです」
ハイランドはサンロランの研究に協力をおしまなかったという。実験用の新鮮な死体はどこからか調達してくれた。地下の倉庫には、つねに食料と飲み物を用意してくれた。
「ハイランドの目的は、殺されても立ちあがる〈無敵の軍隊〉をつくりあげることなんです。なんて、いまわしい計画でしょう。わたしは違う。わたしは最愛の妻を取りもどしたい、ただそれだけなんです」
サンロランが激情にかられて声をあららげる。
いずれにしても死体を復活させる行為には、ランドは嫌悪感をおぼえる。
ゾンビに使役されるようになったサンロランは、日中は地下室に監禁され、〈命の球〉の開発は夜間に行なうようになった。サンロランを見張るゾンビは、太陽の光をあまり好まないらしい。
ランドは、ハイランドの魔法学校に入学するアリスを思う。
アリスの後ろ盾になり、人類をまとめて妖魔軍との対決にのぞむのにハイランド王国は適任だと考えていた。しかし、味方であるはずのハイランドの内部にも、不穏なものを感じずにはいられなかった。
「わたしはハイランドの兵士を出し抜いてやりましたよ」
サンロランが、喜びと狂気のいりまじった表情をうかべ、
「わたしはついに〈命の球〉を完成させたんです。その赤い光をやどした玉を、やつらの目をかすめて、クスノキの根もとにうめました。妻の出生土さえ見つければ、わたしは妻を取りもどせるんです」
「根もとにうめたという木は、落雷で焼失したクスノキですか」
ランドは寺院のそばの大木の残骸について話した。
「なんだって」
サンロランがあんぐり口を開けた。礼拝堂に上がる階段に突進するが、そこに折りかさなる死体が邪魔でうまく上がれない。死がいに足をとられて段から落ち、それでも石段にとりつこうとする。
「まずは、階段をうめる遺体をどかしましょう」
ランドは、あせりいらだつサンロランを止めにかかった。
ゾンビとなって襲撃をくりかえしたとはいえ、ここに横たわる死者に罪はない。安らかな眠りをさまたげられた被害者だ。本来なら墓地にもどしたいところだが、いまはそれをしている時間はない。
ランドは死者に祈りをささげると、ゴーラとともに、その亡がらを階段からとりのぞく作業にかかった。
すべての遺体を階段から地下室に並べ、寺院のポーチに出たころには、夜はだいぶ深まっていた。倒れた墓石がいくつも月明かりに照らされている。遠く町のほうから、午後9時の鐘の音が聞こえてくる。
サンロランがまっさきに寺院を飛びだした。建物の角を曲がった先では、黒こげの木の根もとを、サンロランが切羽つまった様子でほじくりかえしていた。素手で苦労して地面を30センチ掘り下げる。
「ない。わたしの完成させた赤い玉がない。落雷の衝撃で破壊されてしまったか、クスノキとともに燃えつきてしまったに違いない」
サンロランが、自分のあけた穴の前に突っ伏してうめきはじめた。
ランドは、サンロランの嗚咽に震える背中を見下ろす。
赤い〈命の球〉をカオーリンの出生土にうめれば、土に還った妻をもとの姿に戻せるはずだった。すくなくともサンロランはそう信じている。その玉が落雷で焼失していたのなら――。
エセル伯爵の屋敷で、エルザの世話をしているカオーリンは何者なのか。
「ああ、カオーリン。もはや、おまえを取りもどすのはかなわないのか」
ランドは、嘆くサンロランの肩にそっと手をおいた。
「あなたは2か月半のあいだここに監禁されていてご存じなかったでしょう。カオーリンさんはお屋敷に戻られていますよ」
「――えっ」
振りむいたサンロランは、うたがわしげな表情をあらわにしていた。
ランドは、記憶をうしなったカオーリンが3週間ほど前に帰ってきたと話した。信じられない、というサンロランの顔つきは変わらなかった。
エセル伯爵邸に戻ったのは、それから1時間後だ。
玄関の扉を開けた執事は、サンロランの姿にハッとなり、すぐに礼儀正しい態度で頭を下げる。ランドは、墓場に出没する悪霊の退治に成功したむねを告げた。
「それはご苦労さまでした。ご主人さまがお待ちかねでございます」
執事が感情をまじえない口調で言い、ランドの一行を大広間に案内した。執事が壁がんの燭台に灯していった4本のロウソクで、2階の回廊につうじる大階段の周辺がほんのり明るんでいる。
ほどなく、ガウンをまといランタンを手にしたエセル伯爵の姿が、階段の降り口にあらわれた。夜分にかかわらず、エセル伯爵は起きていたらしい。夜の静けさに、かつかつ杖の音を響かせて広間に降りてくる。
「妻のカオーリンが屋敷に戻ったのは本当ですか」
広間に降りたったエセル伯爵に、サンロランがとりすがってきく。
「さわるな、けがらわしい。死体をよみがえらせる研究をしておったのだろう。おまえも〈生きる屍〉になっておれば、いっしょに成敗してもらっていた」
やはり伯爵はゾンビとの関連を知っていた、とランドは確信した。
「わたしの研究はけがらわしいものではありません。〈冬枯れ病〉で死んだ妻をよみがえらせたかったんです。いや、妻は屋敷にいるんですよね。妻は病気で亡くなっていなかったんですよね」
サンロランが伯爵にすがりつくような視線を向ける。
「カオーリンが大地の精だというたわごとを、わしは信じておらん。あの女が屋敷を出ていった理由は他にあるんだろうよ」
伯爵が吐きすてるように言う。
「おまえがおぞましい研究にふけっているあいだにエルザは病気になった。エルザはいっそう母親を恋しがるようになり、うわごとにくりかえし母親を呼んだ。そんなエルザをわしは見かねた」
そこで、カオーリンのにせものを探して雇ったという。
あああ、と絶望の声をあげて、サンロランが伯爵の足もとにくずおれた。
ランドから妻が屋敷に戻っていると聞いたサンロランは、信じられない顔つきだった。妻の無事を信じたくても、それをうたがう気持ちのほうが強かったのだろう。自分の父親なら、その財力にあかして、妻のにせものを雇いかねないとわかっていたのかもしれない。
ランドも、エルザが病気にかかったのと時を同じくして、カオーリンがあらわれたのに不審をおぼえていた。記憶喪失だと聞き、本物の母親でないとさとられないための予防線ではないかとうたがった。
しかし、そんなに都合よくカオーリンそっくりの女が見つかるだろうか。
ランドは自分の疑問をエセル伯爵にたずねた。
「ヒルチャーチには高名な魔術師がおる。その術者に大金を払い、カオーリンの肖像画をもとにそっくりの女を〈千里眼〉の魔法で探してもらった。そうおうの金さえ積めば、たいがいの望みはかなうものだ」
息子を見下ろす伯爵が、ふん、と鼻をならした。
「嘘よ。お母さんがにせものだなんて、そんなの大嘘よ」
大広間の2階の回廊の手すりに、小さい人影が身をもたせかけている。そのシルエットと声で、彼女がエルザだとランドにはわかった。
好奇心の強い娘だ。広間の騒ぎに目を覚まして様子を見にきたのだろう。まずい話を聞かれた、とランドはこの事態をくやんだ。
「エルザ、いけないわ。また寝室をぬけだしたのね」
回廊に面した部屋のドアが開いて、ランプを持った女性があられた。ランプの明かりに、エルザとカオーリンの姿が浮かびあがる。
「お母さんは、わたしのお母さんよね。おじいさまが雇ったにせものじゃないよね。お母さんは病気がなおって、わたしのところに帰ってきたんだよね」
まるい光のなかに、カオーリンの表情がこわばるのにランドは気づいた。彼女の視線が、階下のエセル伯爵のそれと交差する。
エルザの矢つぎばやの問いつめに、カオーリンは応えられないでいる。悲しみと苦悩の入りまじった目をカオーリンはふせる。
「……エルザ。嘘をついていてごめんなさい」
「嫌だ。そんなの嫌だあ」
エルザの泣き叫ぶ声が、吹き抜けの大広間にこだまする。荒れた足音がして、寝室のドアが大きな音をたてて閉められた。
回廊に残されてたたずむカオーリンを、ランプが照らしだしている。
「知られてしまったものはしかたない」エセル伯爵がむっつりと言い、「ショックのあまり、エルザの病気に影響しなければいいが」
「エルザはなんの病気にかかっているんですか」
いまの出来事からわれにかえったサンロランが伯爵にたずねた。
「肌が白くかわき、ひんぱんにのどの渇きをうったえる。医者に診せたが、その原因はわからず、治療の仕方もわからないという」
「それは、〈冬枯れ病〉の初期の症状と同じではありませんか。しかし、この病気は大地の精に特有のもので、人間にはかからないはずです」
サンロランが不安に震える声でうったえた。
「あるいは、カオーリンと同じ病気かもしれん。エルザは大地の精の血を半分うけついでいる。ために、〈冬枯れ病〉になる素地があったのかもしれん」
「だとしたら、わたしのいままでの研究が役にたちます。研究所の水槽にまだ残っている〈命の球〉を培養して赤い玉に変異させれば――」
「おまえは余計なことをするな」
伯爵の低い声が一喝した。自分の次男をにらみつけながら、
「手はうってある。ヒルチャーチの魔術師から、世界で最高の治癒師を紹介してもらった。明日じゅうにはこの屋敷に到着するだろう」
そう言うと、エセル伯爵が杖をこつこつ響かせて大階段を上がっていった。2階の回廊では、カオーリンが手すりにうちひしがれていた。
ランドの一行は、その晩はエセル伯爵邸に泊めてもらった。
エルザは寝室のドアを施錠し、誰もなかに入れようとしなかった。朝になっても部屋から出てこない。寝室の窓の板戸は閉ざされ、室内の様子はうかがえない。よほど衝撃をうけたに違いなかった。
世界最高の治癒師が伯爵邸に到着したのは、正午の鐘が鳴る少し前だった。ランドとチビット、ゴーラは、執事に案内されたその人物と大広間で対面した。
「わたしは大地の大精霊使いで、世界最高の治癒師である、カラン・セシル・ヴァ―ルです。エセル伯爵のお求めにおうじ参上しました」
カランは30才半ばくらいの美しい顔だちの男だ。
青い瞳の切れ長の目はすずやかに、口もとに優しい笑みをうかべる。額で分けた金色の髪をひもで結んで背中に流している。やせた長身をつつむ黒いローブに、縁に刺繍をほどこした半円形のマントをひっかける。
「カラン殿か。待ちかねておった」
大階段の踊り場の下をくぐって、エセル伯爵が広間に入ってきた。
カランの長旅をねぎらってから、
「ヒルチャーチの魔術師から、あなたの優れた治療の才能を聞いておる。この世の治癒師の誰も、あなたの力にはおよばないという」
「そのとおりでございます。わたしが治療できない病気は、他の誰にも治せません。ただし、それなりの対価は支払っていただきます」
そう言って、カランがうやうやしく一礼した。
「わかっておる。必要な額を申し出れば、いますぐその半分を払おう」
「その前に患者を拝見しましょう。その病状によって金額を決定します」
それは道理だ、と伯爵がうなずいて案内にたつ。
ランドは、チビットとゴーラに目配せして、エセル伯爵とカランのあとについて大階段を上がっていった。
カランが、エルザの寝室のドアに手をかけるが、内側から掛け金がかかったままだった。カランが困惑の美しい表情を伯爵に向ける。
「エルザ、ここを開けなさい。高名なお医者さまがいらっしゃったぞ」
エセル伯爵が声をかけるが、しばらく待っても返事はない。伯爵がドアをゆすぶるが、鍵はいぜんとして掛かったままだ。
「しょうがないわねえ。これは別料金をいただくから」
チビットが羽ばたき、〈開錠〉の呪文をとなえる。
チビットの体から光りの粒が舞い、かちり――と掛け金が外れた。
ベランダに面した窓のそばのベッドに、半身を起こしたエルザがふとんにくるまっている。涙に濡れた目を、ドア口の侵入者に向けてくる。
カランがさっそうとした速足でベッドに突き進んでいく。
「来ないで。あなたは誰? わたしをどうするつもりなの?」
「わたしは世界最高の治癒師、カラン・セシル・ヴァ―ルです。わたしはあなたの病気を治しに来ました。なにも心配する必要はありません」
カランがおだやかに言い、細くしなやかな指先をそろえてエルザの額にあてる。
エルザがまばたき、そのまぶたがしだいに下りてくる。ぐらりと力をうしなったエルザの体を、カランが片手でささえ、そっとベッドに横たえた。
「これでいい」カランの診察がはじまった。
ランドとチビット、ゴーラ、そしてエセル伯爵はドア口にかたまって、みずから世界最高をひょうぼうする治癒師の診断を待った。
カランの診察が終わり、安らかな寝息をたてるエルザをのこして、ランドたちは寝室をあとにした。大広間のテーブルでカランの診断を聞く。そこには、不安そうなサンロランの姿もあった。
「お嬢さんは〈冬枯れ病〉の3番目のステージにいます。ここから病状は急速に進行します。生命を維持する機能は停止していき、あと2週間で、お嬢さんは死にいたり、その体は土くれに変わります」
カランのおだやか声に、しん、と大広間は静まりかえった。
「だが、カラン殿ならエルザの病気を治せるのでしょう」
エセル伯爵がテーブルに身を乗りだし、カランに言いつのった。
「困難な治療になりますが、やってみましょう。治療費は5万GPです」
「それは法外ではないか」伯爵が目をむいた。「小さい要塞ぐらい造れるぞ」
わたしは治療のプロです、とカランが静かに応じる。
「プロは、素人にできないことができるからプロなんです。素人は自分にできないから、その道の専門家を雇う。それ相応の対価を請求するのは当然です」
エセル伯爵が言葉につまった。苛立たしげに椅子に座る。
ただし、とカランが続けた。
「お嬢さんの母上であるカオーリンさんの出生土が、お嬢さんの体重と同じだけ必要になります。30キロもあれば充分でしょう」
「30キロどころか、その産地がわからないから困ってるんじゃないか」
サンロランがテーブルに手をついて立ち上がった。
ふところから革袋を取り出し、そのなかの白い粘土のかたまりを卓上に置く。
「カオーリンの形見です。この土を産する土壌を見つけ、そこにわたしが開発した〈命の球〉をうめれば、妻はもとの姿に戻るはずだった。あの赤い球には、わたしの妻への想いと情熱がこめられているんです」
「想いや情熱では病気は治せませんよ」
カランが、すずやかな目を細め、冷たく切り捨てた。
ですが、とランドはここで口をはさんだ。
「あなたはエルザさんの病気を治療できるという。そのために必要な材料が手に入らないものであれば、治せないのと同じじゃないですか」
「必要な出生土はわたしが見つけます。その探索費用こみの、これは金額の見積もりです。治療費の半額の2万5000ゴールドはいますぐ支払っていただきます」
カランのすずやかな青い瞳に初めて、貪欲な熱情をランドは見た。
続