レベル制度が導入されました。-3
行動方針が決定すると、用意をしてくる、と言って先輩は食堂を去って行き、先輩が帰ってくるまでの間、僕はと言うとネットを使って情報を集めていた。
モンスターの情報を、だ。
幸か不幸かそれらしい話は思っていたほど多くない。購買で買った地図に、この街の周辺に絞って目撃された場所へチェックを付ける。動画があれば丸印、目撃談だけなら三角、といったふうに。
『翅のない昆虫がいい。単体で活動する手ごろな獲物を見繕っておけ』
獲物。動物を仕留めるのは気が引けようが、虫ならまぁ許容範囲だ。先輩の言うところの『線引き』の外にある。犬猫は無理でも昆虫ならば、というのはごく自然な流れだと自分を納得させた。
……いや、これはこれで気持ちの良いものではないけれど。ひとまず、自分の倫理観を納得させることはできた。
問題は、ただの小動物を殺傷するよりも、はるかに危険だという点。なにしろ相手は踏めば潰れる虫ではない。容易に人体を食い千切る怪物なのだ。
たとえば蟻は、あんな小さな体で自分の体より大きな物を持ち上げることが出来るし、バッタが人間のサイズになればビルを楽々飛び越えるとも言われているそうだ。
恐ろしい話だ。ただ先輩が言うには、本来なら体が大きくなればそれに比例して力も強くなるなんて単純な話ではないはずだとのこと。これは筋肉の断面積が関係しているらしい。だからこそ、奴らの能力は筋力ではなくレベルに起因するものだと確信が持てたそうだが、説明を受けても今一つ理解できなかった僕にはなんのこっちゃといった感想しか湧いてこない。
なんにせよ事実は変わらない。街には怪物が溢れ、僕たちはその怪物を狩ろうとしている。
改めて考えると馬鹿なことをしていると思う。余計なことをしないで、自宅待機するのが正解なのではないかとも。
僕はチラリと横目で見る。テレビの前の人だかりと、不安げな表情を浮かべる学生達を。
つい先ほど政府からアナウンスがあって、それから急に人が増えたのだ。
曰く『現在確認されている生態系の奇抜的変動』について、『現在鋭意調査中』であり、『屋内に避難して安全を確保する』ように、とのこと。
僕は耳を疑った。よその国では非常事態宣言すら出ているというのに何を悠長なことを、と。けれど、考えてみれば仕方のないことなのかもしれない。あやふやな返答に終始するしかないのも当然と言えば当然だ。パニックにならないように、不用意な発言は控えているのだろう。今、この世界に何が起こっているのかを断言できる人はいないのだ。一部の例外を除いて。
しばらくしてから、その一部の例外は右に左にフラフラと蛇行しながら帰ってきた。見ると、なにやらパンパンに張りつめて重そうなリュックを背負っているし、手には金属バットが握られているしで、僕だけじゃなく周りの学生もギョッとした顔を向けている。
「また、またせた、な。どう、だ。なにかしん、てんは、あったか」
荒い息を吐き、途切れ途切れに言葉を絞り出す先輩からリュックを預かると、中からガチャガチャと金属の触れ合う音がした。
気にはなったが、まずは水を一杯。二杯。三杯目を喉に流し込んで、やっと息を整えた先輩は大きく深呼吸。
「いやはや、往生したぞ。ミオンモールに行ってきたのだがな、あれもいるこれもいると手に取っていたらこの有様よ。……おい、ヒョイと持つな。俺が非力なように見えるではないか。ゴリラか貴様は」
そう言われましても。事実、先輩は典型的なもやしっ子だし、僕は中学、高校と体育会系だったしで、体力の差は歴然なのだけども。
……面倒臭いから聞こえなかったことにしよう。
「ちなみに街の様子はどうです? 大丈夫でしたか?」
「多少浮足立ったところはあったがな、特に混乱は感じられん」
呑気なものだ、と先輩は独り言ちる。本来なら僕の役目であるはずの買い出しを買って出てまで街の様子を見たがった先輩だが、思っていたのとは違ったようだ。
「そうですか。……案外とこの事態は局所的なのかもしれませんよ」
と、僕は地図を百八十度回して先輩に見せる。
「街の目撃情報を集めていたんですけど、思っていたほど数はありませんでした。映像で確認できたのは、高良川の傍でデカいネズミ――たぶんヌートリアかと。後は西区でカエルと蛇、それに虫がいくらか。そんなものでした。西区が飛びぬけて多いですね。といっても片手で足りる程度ですが」
「西区は一次産業が盛んだ。生物を殺傷することがレベリングに直結すると仮定するならば、あそこは随分と具合がいいのだろうが……ふむ」
先輩は切れ長の瞳を細めて考える仕草。思案するときに鼻頭を親指で触るのが先輩の癖だ。スッと通った鼻筋の先で指が揺れている。
普段がアレでも、黙っていると本当にまともに見えるから不思議だ。顔か、育ちの良さか。いや両方か。
「貴様はどう見る?」
「そうですね。調べるまでは、モンスターが世界中で大発生しているのかと思っていたんですが……もしかすると、これは早期に収拾がつくかもしれませんよ?」
「実に貴様らしいつまらん返答だ」
人に意見を求めておいて、この人はまぁよくもそんな偉そうにできるものだ。
「しかし、それならそれでいい。俺の用意した装備が無駄になり、俺と貴様が当分の間パンの耳を齧るだけだ」
「あ、これ割り勘なんですね。えーっと?」
リュックの中には、フライパンに手斧、出刃包丁に救急医療セットといったものが詰め込まれていて、
「職質されたら一発アウトですね」
その危惧もいつまでできるか。いまのところは、警察組織は機能している。叶うのなら、職質に怯える世の中であってほしい。
手斧の重さを確認していると、先輩は一段声のトーンを落として言った。
「さて高野よ。我々は武器を手に入れ、情報を手に入れ、足は貴様のバイクがある。どこへなりとも参戦する準備が整ったわけだが。
最後に一つ。親御さんはまだアメリカか?」
……ああ、そういうことか。そうだよな、そこは確認しておかないと。
「ええ。むこうは自衛するには都合がいいですし、大丈夫だと思います。弟なんてバンバン撃ちまくってるようですから。先輩こそ、ご家族は大丈夫ですか?」
「物を買い集めて、しばらく家に籠るよう伝えた。一両日中に連絡がなければ、俺は死んだものと判断するようにと添えてな」
そう。命の危険がある以上、残される者に配慮しなければいけない。
死ぬかもしれない、その実感が湧いてきて、僕はわざとらしく笑ってみせた。
「先輩は凄いですね。僕は、ちょっと言えません。心配するでしょうから。僕が死んだら、先輩が伝えてください」
「……そうか。では俺が斃れたなら、貴様に訃報を任せるとしよう」
そうして僕たちは言外に主張した。先に死ぬのは自分だと。
深くは追及しない。お互いに譲らないだろうし、お互いに早々死ぬつもりなんてないのだから。ただ、どちらか一人を犠牲にして、もう一人が生き残れるのならその時は、というだけの話で。
知り合って半年、四六時中一緒にいる僕たちは、命を預ける程度にはお互いを信頼しているわけで。
僕たちは、自分のためには死ねないけれど。近しいだれかのためなら死ねるような卑怯者で。きっと誰しもそうなんだ、というだけの話。
「いざ行かん。レベルの謎は、我々こそが解明する」
不安げな学生♀(18)
大学デビューに失敗して軽く病んでいたところ、ゼミの先輩に美味しく頂かれる。
自分は本気、相手は遊び。知ってか知らずか献身的に尽くしているようだ。