二つ名は言動によって決まる
昼の日中だというのに、辺りはシンと静まり返っている。車のエンジン音は遠く、工事現場の重機も沈黙している。西の空からは雪でも降らせそうな厚い雲が迫ってきていて、洗濯物を取り込む主婦の一人くらい見えてもいいだろうに、やはり人の気配はない。
広がる田園風景を、まるでゴーストタウンだと形容するに吝かではない。
――その止まった風景の中を、一台の二輪車が駆け抜ける。
若い男女だ。ヘルメットを被っていないせいで、少女の長い髪が散り散りに風に撒かれている。
明らかな道交法違反だ。おまけに少女は長い棒の先に刃物を取り付けた、あれは薙刀か……いや、それにしては刃の幅が広い。偃月刀か、グレイブか。現代日本の田舎道にあるまじき長柄武器を担いでいる。
不良同士の抗争にでも向かっているのか。しかしさて、少女は一見して暴力とは無縁の人種に見える。性格が顔に出るとするならば、理知的な目元、理性的な口元の説明がつかない。無謀を良しとするとは思えず、ましてや喜悦するなどありえない。
しかしその一方で、年頃の未成年特有の危うさも確かに孕んでいる。少女というには凛々しく、かと言って大人にはまだ早い。そんな印象を与える。
と、キョロキョロと何かを探して辺りを見渡していた少女は、目的のものを見つけて、運転手の肩を二度叩いた。ゆっくりとバイクが止まり、
「見つけました。あそこです」
指差す先には、果たして黒い物体が田畑の一角を占拠していた。
盛り土だろうか? それにしては光沢がある。日の光に黒光りしている様は、まるで鎧のようにも見て取れる。
「どれどれ。……うん、いけそうだ」
青年は数拍、目的のものを観察すると、キーを差したままバイクを降りた。
長身の青年だ。少女とは頭一つ分も目線が違う。
「それじゃあいつも通りに。先輩がいないから、怪我にだけは注意しよう」
「安全第一ですね」
「そう、安全第一」
「安全第一ですよ?」
「二回言わなくても……」
「高野さんには前科がありますから」
悪戯っぽく言う少女に、高野と呼ばれた青年は目を逸らす。わざとらしい咳払いを一つ、ベルトに差してきた手斧を手に取ると、静かな足取りで田畑に踏み入った。
すっかり水が抜けた土は乾いていて、人が歩くにはちょうどいい。苦も無く黒い物体に近寄れた。
動いている。ゆっくりとだが。黒い、鋼のような外皮の下では、いくつもの節足がウゾウゾと動いていて――。
「これだけ大きいと、ダンゴムシも気持ちが悪いね」
ダンゴムシ。指で突くと丸まって身を守る、馴染み深い生き物。ただし、これほどの大きさとなると話は別だ。
巨大。体高が青年の頭頂ほどまである。
明らかに異常な巨大生物、けれど二人に動揺の色は薄い。これくらい見慣れている。だからやることも変わらない。そう言いたげに、高野は大きく腕を振りかぶると――
「いくよ」
――力いっぱい、手斧を叩き落とした。
「――! かった……」
まるで金属同士がぶつかったかのような高い音。渾身の力で振るった一撃を、黒鉄の甲殻は易々と拒絶した。
高野の手が痺れる。対してダンゴムシは無傷。けれど自身が攻撃されたということは理解したらしく、節足の動きが慌ただしくなる。逃げようとしているのか。
「これはちょっと、普通のやり方じゃ難しいか……?」
「使っちゃ駄目ですよ」
「わかってる。奥の手っていうのは早々――」
高野はその異変に気付いた。
ダンゴムシが丸くなった。それはいい。普通のことだ。見上げるほどの大きさになったのも、それはいい。
だが――丸くなって自立回転を始めるダンゴムシなど、尋常のことではない。
土煙が舞う。風が逆巻く。まるでF1のタイヤ。舗装された路面なら急加速している――
「離れて!」
同時に言った瞬間。黒い球体が、まるで小山のような巨体が、猛烈な勢いで高野目掛けて跳ね跳んだ。
「――っ!」
凶悪なプレッシャー。まるで解体工事の鉄球が迫ってくるよう。
大きさは強さであり、大質量の体当たりはそれだけで脅威。受けは端から不可能、恐怖に竦みそうになる体に鞭打ち、咄嗟に取ったのは上体を反らしてエビ反りの格好。
――球体が鼻先を掠めてすっ飛んでいく。
「高野さん!」
「……っ大丈夫。当たってない」
高野の心臓が暴れる。
危なかった、今のは危なかった。あれだけの巨体、あれだけの高速回転。巻き込まれれば、人間なんて一瞬で挽肉だ。
冷たい汗が背中を流れる。目測を見誤ったか、と改めて敵を睨む。高野を通り過ぎたダンゴムシは二度、三度と跳ねると、球体を保ったまま停止していた。
……不気味な静けさ。互いに動かず、動けず。
「……撤退しますか?」
高野は少女の提案に首を振る。
「今まで色んな化け物と戦ってきたけど、あんな相手は初めてだ。かなりの強敵……ということは、かなりのレベルを持っている。ここで仕留めたい」
「ですが刃が通らないことには……」
わかっている。こちらの攻撃は効かない、あちらの攻撃は必死、状況はいうまでもなく不利。
だからこそだ。だからこそ高野は観察している。ひらめきを待っている。状況を打開できる一手は必ずある。なければ作る。
そのためには相手を知ること。相手の手札を洞察し、裏をかくこと。
そのためには自分を知ること。手持ちのカードで有効なのは、この化け物に刺さる鬼札はなにか。
……ただ倒すだけなら高野一人で十二分に可能だ。そのためのカードは持っている。しかしそれを使うかどうかはまた別の話。安易に奥の手を切って痛い目を見たことのある高野達には、おいそれとソレに頼ることが躊躇われる。
ならば考える。なればこそ考える。この化け物を殺しきる手練手管はどこにあるのかを。
そうすれば。
「……ちょっと離れてもらっていいかな? 試してみたい」
状況は動く。
「試す、というのは……?」
「ちょっとね。小学生の自由研究みたいなものさ」
疑問符を浮かべる少女を残し、高野は黒い球体に近づくと――
――力いっぱい、手斧を叩き落とした。
驚いたのは少女か、ダンゴムシか。少なくとも、少女には高野の意図するところが理解できない。
攻撃は通じない。先ほどの様子からも、それは高野も痛感しているはずだ。なぜ無駄なことをと思うのも無理からぬこと。
案の定、ダンゴムシの甲殻には傷一つ付いていない。
先ほどの再現が始まる。回転する球体は土を巻き上げ、今度こそ襲撃者を返り討ちにせんと襲い掛かる。
……それを、高野はスルリと避けた。拍子に少女と目が合う。ポカンとする少女に、
「速さ、重さ、どちらも今までで一番だけど、動き自体は単調だ。言ってみれば体当たりだからね。初手を凌げた時点で、僕たちの負けはなくなったのさ」
そう、こともなげに言った。
アレを単調だなんて無茶を言わないでください、という少女の無言の抗議は捨て置き、高野は視線を敵に戻す。球体が完全に停止しているのを確認すると素早く駆け出し、再三の上段打ち下ろし。
すぐさま回転が再開される。あとは跳ねて、停止。殴打、回転。その繰り返し。
本当になにをしたいのだろう。彼ももう二十歳が近いだろうに、まさか球遊びがしたいわけでもあるまい。なんらかの目的があるのはわかる。目的が不明なだけで、きっと彼には彼の考えがあるに違いない。そう信じて少女は待った
幾度も繰り返される暴力的な球遊びの終わりは、その苛烈さに反して、実に呆気ないものだった。
殴打、回転、跳ねて、停止。殴打、しても回転は始まらない。確かめるようにもう一度手斧を振るっても、やはりダンゴムシは攻撃行動に移らない。小刻みに痙攣するだけだ。
その様子に満足したのか、高野は大きく息を吐くと、離れて見ていた少女を呼び寄せる。
「まさか倒してしまわれたんですか?」
「それこそまさかさ。硬いのなんの、僕の力じゃ歯が立たないよ」
高野はプラプラと手を振って敵の堅牢さをアピールする。
「ではどうやって?」
「うん、考えてみれば当然なんだ。むしろ簡単すぎて逆に難しいかもね。
誰だって思うよ、あれだけ高速で回転して、ダンゴムシは目を回さないのかって」
「目を?」
「回すでしょ?」
「……ダンゴムシに三半規管ってありましたっけ?」
「え、ないの?」
「おそらくは」
「……」
「……」
「触角」
「はい」
「触角にダメージを与えて気絶させたということにしよう」
「ええ、それなら可能性はあると思います」
「何度も回転させて触覚にダメージ」
「あると思います」
「報告はなんてする?」
「高野さんが触角にダメージを与えるべく回転を誘発しました」
「菜摘ちゃんは本当にいい子だなぁ……」
高野はしみじみと自分の言葉を噛みしめる。例の一件からこっち、高野にはやれ脳筋だの、やれインテリ気取りの人間凶器だの、不本意極まりない渾名ばかり押し付けられてきた。更なる恥の上塗りは回避せねば。今日のバディが彼女でよかった。
高野が改めてお礼を言おうとすると、少女は言った。その顔は年相応に――悪戯心に満ちていて。
「高野さんは、本当に残念な人ですね」
……なんだかもう、やるせない気持ちで一杯になる。
ああ、どうしてこんなことになったのか。
いや原因は決まってる。あの日、あの時から、世界はこんな事になってしまったのだから。
ちょびっと構成変えてみました