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診断メーカー ハピエン小説

夫として、父親として

作者: みんみん

診断メーカー『ハピエン小説書いて下さい』より


診断結果

『みんみんさんは、おっさんと白衣女性のカップルで、広場のシーンを入れたハピエン小説を書いて下さい。』


以上を元に書いてみました。

※作中、幼児に対する虐待表現が出てきます。過去描写ですが苦手な方はお気をつけください。

 チャイムを鳴らすと、中から「はーい」という明るい声が聞こえ、すぐさまガチャっと扉が開いた。顔を出したのは、目下、口説き中の女の子。


和光(わこう)さん、いらっしゃーい」


「お、なんか今日はおめかししてるね。可愛いよ、みっちゃん」


「へへっ、ありがとう、和光さん!」


 美月(みつき)ちゃん――僕はみっちゃんと呼んでいる――は、少し照れたように笑って、まず自分の髪に手を当てた。そうか、今日は愛らしいワンピースよりも、彼女的には髪飾りが自慢なんだな。


「そうそう、特にその花の髪飾りがすっごく可愛いよ!」


「そ、そう? ママが買ってくれたの!」


 嬉しそうにみっちゃんが笑って「どうぞ」と部屋の中に入れてくれた。


「いらっしゃい、和光さん」


 白いエプロンで迎えてくれたのは須賀(すが)さん。みっちゃん(今日で八歳)のお母さんだ。白いブラウスに落ち着いた紫紺のスカートを履いて、とても清々しい印象をかもし出すこの女性は、僕がプロポーズをして一年になる、世界で一番大切な人だ。


 出会いはものすごくありきたりだけど、入院した先で優しくしてくれた看護師さんと患者の僕……ってヤツ。

 仕事でストレス性急性腸炎になった僕は、ひとり暮らしも災いして栄養失調と脱水症状を起こしていて、入院を余儀なくされてしまった。


 そこで出会った彼女は、まさに白衣の天使。

 痛みで眠れない夜に「こうしたら少し楽ですよ」とか「入院したからにはどんどん良くなりますから安心してくださいね」と声をかけてくれて、弱った心と身体は一気に彼女へとのめり込んでしまったのだ。


 だがしかし、しょせんは看護師とひとりの患者。

 入院中はどれだけ優しくしてもらっても、退院すれば無関係なただのおっさん。

 これ以上、何か発展するわけもない。


 退院の日に、万感の思いを込めてお礼を言い、しっかり頭を下げた僕に、須賀さんは「お仕事は大切でしょうけど、ほどほどになさってくださいね。健康が一番ですから」と、花が咲きほころぶように微笑んでくれた。

 それを胸に自宅へ戻り、仕事を再開したけれど、その翌日からできるだけ時間を見つけて散歩に出かけることにしたのだ。


 僕の仕事は主に自宅作業。

 打ち合わせや大詰めの時に職場に行くこともあるが、大体は自宅で根を詰めて作業している。

 たまに職場に行く以外、ほとんど外出しない不健康な生活にピリオドを打つために、僕は一日三十分のウォーキングを自分に課した。自宅マンションから徒歩五分の所に少し大きめの公園があって、その中を一周約二十分かけて歩き、帰宅する、というルートだ。


 公園の中を歩くのは良い。

 何人もの人が歩いていて、いい年したおっさんが昼間っから歩いていても誰も怪しい目で見たりしない。しかも緑が多くて心が癒される。アスファルトばかりを歩いていたから気づかなかったけど、土の上を歩くのはとても気持ちが安らぐのだ。それを知って「毎日続けよう」と浮き浮きしながら日々決意を新たにした。

 しかも色とりどりの花が目を楽しませてくれる。蕾が日一日とふくらんでとうとう花を咲かせると嬉しかったり、陰にあった樹が知らないうちに鮮やかな花を咲かせていて「こんな所にこんな花があったのか」と新鮮な喜びを感じたりして、毎日とても張り合いがあった。


 そんな中で、僕は入院先の病院で優しくしてくれた看護師さんのことが忘れられずにいた。胸のネームプレートで『須賀』さんだということは分かっていたが、下の名前も、もちろん連絡先も聞くことはできなかった。

 本当にいい年をして、ただただ淡い恋心を抱いていた僕は、今自分で振り返ってみても気持ち悪い。

でもあの頃はそんな自分に気づきもせず、綺麗な花を見ては「須賀さんみたいに美しい」とか「須賀さんと一緒にこれを見たら、彼女はきっと喜んで微笑んでくれるに違いない」とか妄想をしていたし、見晴らしの良い広場のベンチに座れば「和光さん、毎日歩き続けるなんてよく頑張ってますね、って微笑んで褒めてくれるに違いない」なんて妄想をしてニヤニヤしていた。


 義務や健康への決心だけでは続けるのが難しかったかも知れないけれど、こうして妄想込みで歩いているととても充実したウォーキングライフとなったのだ。


 そんな風に歩き続けて一ヶ月以上経ったある日。

 イチョウが綺麗に色づいてきたなと思いながらベンチに座ると、周囲を見渡して秋の訪れを実感しながら大きく息を吸い込んだ。


 仕事は相変わらず忙しく、特に秋から春にかけては次から次へと短い納期のものが舞い込んでくる。でもクライアントが難しい人でなければ、何度もやり直したり打ち合わせをし直したりしなくて済むから、上の者から「できる限りのことしかできないが、それでも良いなら受ける」という形であらかじめ言ってもらっているので、少しは仕事量が軽減されていた。

 本当に、夏に受けた仕事は大変だった……打ち合わせの通りに叩き台を出し、ゴーサインが出たから仕上げたのに、完成してからダメが出て、二転三転どころか四転五転と振り回されたのだ。その相手の我がままっぷりから僕は食欲をなくしていき、下痢をし始め、真夏故に脱水症状を起こし、緊急入院という羽目になってしまったのだ。


 そんな無茶苦茶なクライアントを思い出し、あんな相手にはもう二度と会いたくないが、しかしそれでも須賀さんに出会えたから結果オーライにしてやるか、などと尊大な気分で青い空を仰ぎ、僕は秋を満喫していた。


 薄いすじ雲が高い空で浮いている。

 ああ、秋だ。

 もう少ししたらあのイチョウの葉も落ちてきて、はらはらと美しく舞うのだろうな。


 笑みがこぼれたところで「そろそろ帰るか」と立ち上がった。もう昼ご飯の時間だ。出がけに「今日の昼は○○を食べよう」と思ったのに、その何かが思い出せない。はて、何を作ろうと思ったのか、はたまた何を買って帰ろうと思ったのか、と首をひねる。

 やだやだ、自分がおっさんだとまた再確認してしまった。


 年を取るって嫌だねぇ、と思いながら歩き出そうとした時。


「ママ、あそこ、空いたよ!」


 小さな女の子の声がして、僕が立ち上がったばかりのベンチに飛び込んできて座った子供がいた。驚いてそちらを見ると、何とも可愛らしい五~六歳の少女が「ママ、こっち、こっち!」と手を振っていた。

 妹の子が来春一年生だと言っていたが、同じくらいの年だろう。

 頬を赤く染めて幸せそうに母親へ手を振る少女に思わず笑みがこぼれ、いやいや、こんな小さい女の子を見つめて笑うおっさんとか、どんな変質者だよ、と思い直して慌てて立ち去ろうとした。


 すると。


「あら、もしかして……」


 女の子の母親らしき人から声をかけられて振り向くと、そこにはなんと、あの夢にまで見た須賀さんがいた。

 声も出せずに固まる僕。

 驚きで目を見開いたまま、彼女から視線を外せない。


 シンプルな長袖の白いブラウスに、薄い茶色の膝下丈スカート。

 その清廉な姿と優しい微笑みに、僕は再び胸を撃ち抜かれてしまった。


 これが恋じゃないと言うなら、何をもって恋とするのか。

 三十五のおっさんでも、純粋に綺麗だと思って惚れたって良いじゃないか。


「ええと……確か、和光さん、でしたか? 覚えてらっしゃいますでしょうか、看護師の須賀です。入院先でお世話申しあげたのですが、お元気になられたのですね」


 『馬鹿みたいに突っ立ってないで、返事をしやがれ、クソ野郎』と自分を最大叱咤し、なんとか口から出た言葉は「ありがとうございます!」だった。

 驚いた顔をする須賀さんに、慌てて僕は言葉をつなげた。


「いや、あ、その、入院中は大変お世話になりました。おかげさまで元気になり、毎日ウォーキングをして健康維持に努めております」


「まぁ、素晴らしいわ。毎日歩き続けるなんて、頑張ってらっしゃるのですね」


 夢が叶った。

 微笑んで褒めてくれる生の須賀さんをこの目に収められるなんて。

 ああ、もう死んでも良い。


「ママー、この人、誰?」


 幸せに浸っていると、先ほどの少女が問いかけてきた。

 真っすぐに見つめる大きな瞳。


 姪っ子と話す時のように、しゃがんで目線を合わせた。


「僕は、和光と言います。病院で、きみのお母さんにお世話になったんだよ」


「ふうん」


「みっちゃん、お名前とお年、言って?」


「うん。須賀美月、六歳です」


「へぇ、六歳か、小学一年生?」


「ううん、来年」


「そっかぁ、僕の姪っ子も来年一年生だよ、同じだね」


「そうなの? おんなじ、嬉しい!」


 はじける笑顔が可愛らしい。

 母親に愛されて育ってきたことがひと目でわかる。


「和光さん、この辺にお住まいなんですか?」


「はい、ここから五分程度の所です」


「まぁ、そうなんですか。うちもここから五分ほど歩いたところですが……駅の方ですか?」


「はい」


「それならうちとは反対側ですね。うちは病院の方なので」


 須賀さんと雑談ができるなんて本当に夢のようだ。

 幸せを噛みしめながら会話を続けていると、みっちゃんが「ママー、お腹空いたー」と言った。日差しの温かい公園の広場で、お弁当を広げて食べるとのこと。

 お互い笑顔で丁寧に礼をし、その日は別れた。

 連絡先を聞きたいという気持ちがなかったと言えば嘘になるが、三十を過ぎると慎重になってしまうのは仕方がない。若者のように気軽に声をかけたり、どんどん踏み込んだりはできないのだ。


 少々惜しい気持ちがしたが、それでも僥倖(ぎょうこう)に感謝して一日を終えた。


 それからしばらくして、また公園で彼女達と出会うことになる。


 人生を悲観しつつあるおっさんでも、これは運命ではないかと心が浮き立ってしまった。

彼女がシングルマザーであったこと、子供が大きくなってきたら軽減されていた夜勤を皆と同じようにこなしていかなければならないという話、近所に彼女の近親者がいないということなどを知って、結婚したら僕が家にいてあげられるなぁ、などとチラリと考え、打算でも僕を選んでくれないかと期待をした。


 公園で須賀さんが作って来てくれたお弁当を一緒に食べさせてもらい、彼女の料理の腕にも感動し、彼女のうっかり屋な部分も知って幸せになった。

 おしぼりを忘れたと言って慌てていたので「手洗い場で洗えば良いじゃないか」と笑ったのも楽しかったし、フライドポテト用のケチャップを忘れたと慌てていた時は「無くてもきっと美味しいよ」と笑ったのだ。でもレタスサラダ用のマヨネーズを忘れた時は、さすがに味がないレタスは物足りなかったけれど、それでも三人で笑いながら食べれば美味しかった。

 そんな風に、しっかりしているようで、ほんの少しだけ抜けている須賀さんの慌てた顔や照れた笑み、みっちゃんのしつけをしっかりしている場面を見ているうちに、おっさんの心には彼女がすっかり住みついてしまった。


 みっちゃんもとても可愛かった。

 時折アイスをねだられて買ってやるが、あんまりアイスが好きなので家では制限されているから、僕と会う時にすかさずおねだりをするのだと教えてもらい、ちゃっかり加減に笑ってしまった。

 春になって一年生になると、学校であったことをたくさん話してくれた。

 妹が娘を連れて夏休みに遊びに来た時は、姪っ子と一緒にはしゃいで遊んで、その楽しそうな様子に目元がほころんだ。


 須賀さんだけでなく、みっちゃんもとても愛らしい。

 僕を夫に、そしてみっちゃんのお父さんにしてくれないかと尋ねたのは、去年の秋。


 須賀さんからの返事は「美月が良いと言ったなら喜んで」。

 ひとりの女性としてよりも、母としての責任を重視したいという彼女の気持ちを尊重した。

 その頃には僕らはとうに互いの気持ちに気づいていた。

 けれども彼女が言うには、みっちゃんの実の父親は、須賀さんに隠れてみっちゃんに暴力をふるう人だったらしい。僕がそんな男性ではないとは分かってくれているようだけど、みっちゃんが父親という存在を受け入れるかどうかは心配だ、と言うのだ。


 初めてその話を聞いた時、僕は目の前が赤く染まるような気がするほど怒りが湧いた。みっちゃんがまだ三歳にもならない時期だったそうだから、みっちゃん自身は覚えていないかも知れないとのことだったけれど、そんなことは関係ない。本人が覚えていようがいまいが、抵抗できない小さな子供に暴力をふるうということだけで万死に値すると憤ったのだ。


 みっちゃんが「うん」と言わなければ結婚はしない。

 それが、ふたりの共通認識となった。


 そしてみっちゃんからの返事は「もう少し考えさせて」であった。

 それから一年、僕は相も変わらず須賀家に足を運びながら、それでも夫及び父親の地位を得られないまま今日まで過ごしているのだ。




** ** **




 みっちゃんに頼まれていたアイスケーキをテーブルの上にドンと置くと、みっちゃんからは「キャー!」と喜ばれた。ふたを開けて、綺麗なパステルピンクのバラの花と、可愛いキャラクターが上に乗った冷たいアイスケーキを見ると、みっちゃんの興奮は頂点に達した。須賀さんが手を尽くしてこしらえた料理が所狭しと並ぶテーブルで、僕らは冷たいアイスケーキを食べて「冷たーい、でも美味しいー!」と笑いながら、温かな手料理を心ゆくまで味わった。


 幸せな、家族の団らんのよう。

 そのまま終われれば良かったのだが。


「えええーーっ! 頼んだ物とちがーう!」


 僕が渡した誕生日のプレゼントは、みっちゃんのリクエストとは違ったのだ。


「ご、ごめん、みっちゃん! おじさん、間違っちゃったんだね!」


 みっちゃんのリクエストは白い水玉の水色のリュックだった。ちょっと遊びに行く時に背負っていきたいという希望だった。

 この家のパソコンで検索して欲しい物をピックアップし、それを僕のスマホでもう一度検索し直してスマホから注文したのだったが。

 宅配便で届けられた袋から出した中身は、まさかの色違い。

 愛らしいピンク色が目に痛かった。


「そうだよー! お願いしたの、水色だもん! ピンクじゃないもん! ピンクなんて、だっさーい!」


「美月、和光さんがせっかくプレゼントしてくれたのに、その言い方はなんですか。美月のためにしてくれたことなのに、文句を言ってはいけませんよ」


 須賀さんが僕をかばってみっちゃんをたしなめてくれたが、慌ててスマホで注文履歴を確かめてみたところ、確かにピンクで申し込んでいた。多分、注文時に見間違えたか、指が滑ったのかしたのだろう。完全に僕のミスだ。


「ごめん……みっちゃん、僕が注文し間違えてたよ……」


「信じらんない! 酷いよ、和光さん! ちゃんとお願いしたのに! お友達みーんな水色リュックで大人っぽいのに、あたしだけピンクの子供っぽい色なんて、ぜったいにイヤ! ママもうっかりさんなのに、和光さんまでこんなだなんて、やっぱり和光さんがパパになるなんてダメ! ふたりしてうっかりばっかりしてたら、あたしが損しちゃうもん!」


「美月、美月!」


 わあーっと泣き叫んで、みっちゃんは自分の部屋へ駆け込んでしまった。

 須賀さんはみっちゃんの部屋のドアをドンドンと叩いて名を呼んだが、みっちゃんの泣き声はやまず、部屋から出てくることはなかった。


「……ごめんなさいね」


 須賀さんが疲れたように椅子に座り、困った顔で僕にそう言う。


「いや、僕が悪いんだよ。みっちゃんを叱らないでやってくれ」


 苦い気持ちが治まらない。家に荷物が届いた時に、中身を確かめれば良かったし、そもそも注文確定メールが届いた時によくメールの中身を確認すれば良かった。

 そう、みっちゃんが悪いんじゃない。

 僕のせいだ。


「でも……正直、キツいな」


 あの公園の広場で再会して二年。

 結婚を申し込んで一年。

 日に日に、ふたりへの愛しさは増すばかりだ。

 ふたりの家族になれたらどんなに幸せだろう。

 そう夢想しながら独り冷たい布団で眠る日々が、これからも続くのか。

 それとも、もう……あきらめるしかないのか。


「待って」


 苦い顔を上げると、そこには真剣な瞳をした須賀さんがいた。


「もしも美月が私達の結婚を認めてくれなくても、私にはあなたしかいない。このままずっと結婚できないのだとしても、私がもしも結婚するとしたら和光さんしかいないのよ」


 彼女の真っすぐな視線が僕を捕らえる。


「あなたが入院してきた時、七転八倒な痛みの中で、私達看護師が何か処置をするとね、あなたは苦しさの中でも必ず『ありがとうございます』と言ってくれたの。症状が治まってくると、今度はいつも笑顔でありがとうの言葉と気持ちを伝えてくれた。私、和光さんのことを、なんて素敵な人なんだろうって思ったのよ。看護師の仕事って、無償の奉仕を捧げる天使のように思われているけど、しょせんは人だもの。感謝されれば嬉しいし、褒めてくれたら舞い上がっちゃうの。私達のおかげで患者さんが良くなった、退院できた、って思える時は幸せだけど、普段から感謝の気持ちを示されたらもっと嬉しいの。美月の父親は……そういう意味では、まったく人に対する感謝ができない人だった。いつも自分が一番、そして自分本位だった。自分を邪魔するモノは、人でも事でも許せなかった……妻や娘でさえも」


「須賀さん……」


「強いリーダーシップと力強い発言に憧れて彼を選んだのだけれど、それは間違いだと後で分かったわ。美月に暴力を振るわれてようやく気付いたの。あなたを見た時、なんて彼と正反対なんだろうって思った。人に対して感謝することを知っている人。自分の至らなさを振り返り、反省できる人……私、長い人生を一緒に歩いていくのなら、和光さん、あなたのような男性(ひと)が良い」


「僕も……僕も、須賀さんが良い。須賀さんでなければ嫌だ。きみは『看護師の笑顔は仕事の顔よ』って言うけど、偽物の笑顔が、弱っている者の心に届くはずがない。身体にしみいるように心地良く感じるわけがない。きみの優しさは本物だ。職場を離れた場所で二年付き合った僕が保証する。それに、あんなにテキパキと働いているのに、私生活ではぽろぽろとうっかりミスをする須賀さんも可愛らしい。支えてあげたくて仕方がない。僕ではちょっと頼りないかも知れないけど、きみ達 母娘(おやこ)を守っていきたいと思ってるんだ」


 ご馳走のお皿がごちゃごちゃと乗ったままのテーブルの上で、僕らは手を取り、握り合った。


「……でも」


「みっちゃんの許可が出ない限り、僕らは結婚しない」


「……ごめんなさい」


「謝る必要はないよ。それが当然のことだから」


「だけど……」


「良いんだ。僕が一目惚れしたのは白衣の天使のきみだったけど、愛したのは『みっちゃんのお母さん』として懸命に生きてるきみだから」


「……ごめんなさい、ごめんなさい……」


「謝らなくて良いってば。僕はみっちゃんがとても可愛いよ。時々我がままも言うけれど、それもかえって気を許してもらえてると感じて嬉しいし。学校のこと、お友達のこと、いっぱい話してくれるのも喜ばしい。近しい大人だと認めてもらえてるんだなって思ってるよ」


「……ありがとう、和光さん……」


「良いじゃないか、もしみっちゃんがずっと許してくれなくても、あの子が大人になって独立したら一緒になろう。それまで、彼女の成長を見守ろうじゃないか」


 須賀さんは、涙で返事ができないようだった。




** ** **




 それから十日後。

 須賀さんから電話が来た。


 みっちゃんが僕に謝りたいとのことだった。


≪和光さん……ごめんなさい≫


「みっちゃん、僕が悪かったんだよ。本当にごめんね」


≪あの後ね、次の日、すぐにお友達みんなに言ったの。間違ってピンクをもらっちゃった、残念だって。そしたら『みんなが水色カッコいいって言うから自分もそう思うって言っちゃったけど、本当はピンクが好きなんだ』って言った子が何人もいたんだよ。それで、その子達はピンクのリュックを買ってもらって、今日、みんなで遊びに行ったんだけど……半分の子がピンクのリュックだったの≫


「そうだったんだ」


≪ごめんなさい、和光さん。あたし、本当はピンクが好き。でもみんなが、水色がカッコいいって言うから、自分も水色じゃないとイヤって言わなくちゃって思ったの≫


「もう良いよ、みっちゃん」


≪ねぇ、和光さん。許してくれるなら、今度、ママのお休みが土日と重なった日に、山へ連れて行ってくれない? あたし、三人でハイキングしたいよ……買ってもらったリュック、背負って行きたいんだ≫


「うん、良いよ、どこへでも連れて行くよ」


≪ありがとう!≫


 そうして、僕らは九月の終わり頃、電車に乗って遠足に行くような山へと向かった。




** ** **




 晴れ渡る空。

 高い場所に漂う薄い雲。

 緑の合間から差し込む木漏れ日。


 絶好の遠足日和だ。

 ネットで登る山を調べて決め、早起きして出かけた。


 みっちゃんがまだ二年生なので、そんなに高い山には登れない。午前中に登って頂上まで行ったら休憩して、下山してお昼ご飯。近くに美味しいお蕎麦屋さんがあるのでそこで食べようという計画だった。


 小さいからと心配していたけど、みっちゃんはすいすいと登っていく。はしゃぐ笑顔がまぶしい。ピンク色のリュックを颯爽と背負い、自慢げに歩いていく様子は後ろから見ていて微笑ましかった。


 須賀さんも体力仕事だからか、笑顔でぐいぐいと力強く登っていって、家に籠って仕事をしている僕が一番危ういかもと危機感を募らせた。それでも「大の男が弱音を吐いてたまるものか!」とばかりに踏ん張って、懸命に登ってなんとかふたりに後れを取ることなく頂上まで登りきることができた。

 正直、本当にホッとした。


 今後のために体力をつけよう、ずっとウォーキングを続けているが筋トレもやらなくちゃダメか、と思っていると、みっちゃんが頂上の開けた所で端っこまで行って景色を眺めていた。


「みっちゃん、危ないよ、もっと中の方に入って」


 僕がみっちゃんの方へと近づいていくと、彼女が首だけをくるっと振り向かせてこちらを見た。


 何かに(おび)えるように、震える肩。

 薄く開かれた唇が、何かをつぶやき動かされ。


 岩に腰かけて水筒の中身を飲んでいた須賀さんが(いぶか)しげに「美月?」と声をかけて寄って来た。

 僕がもう少しでみっちゃんの腕を掴める、という所まで来た時に、みっちゃんの身体からふっと力が抜け、足元から崩れてしまった。


 そのまま崖の下に滑り落ちていくみっちゃん。


「美月!」

「みっちゃん!」


 慌てて走り寄り下を覗き込むと、樹が生い茂っているおかげで二メートルくらいの距離の場所で枝に引っかかって止まってくれていた。

 頂上にいた周囲の人たちが一斉にざわめく。

 駆け寄って来て助力を申し出てくれた男たちの力を借りて、僕はみっちゃんを抱え上げて頂上まで引き戻した。


 号泣する須賀さん。

 わっと喜びに沸く周囲の人たち。


 皆にお礼を言って周り中に何度も頭を下げる。

 意識の無いみっちゃんを背負って下山しようとすると、荷物を持ってくれると申し出てくれた男もいた。

 人の情けが身に沁みる。

 心から礼を伝え、下まで手伝いをしてもらった。


 病院に運び込んだが、特に問題はないようだった。

 疲れからくる何かでもなし、もちろん病気や発作でもないとのこと。

 「何かショックを受けるようなことはありませんでしたか」と医者から聞かれても、恥ずかしながら僕も須賀さんも何ひとつ思い当たらなかった。


 一時間くらいしてようやくみっちゃんが目を開けると、須賀さんはまたもや涙を流した。「ごめんね、ママ」というみっちゃんは無理して笑顔を作っているようだった。


 「どうして意識を失くしちゃったんだと思う? 何かあったのかな?」と聞いてみると、みっちゃんは、くしゃっと顔を歪めて「パパを思い出した」と言った。


「パパのこと、小さかったけど覚えてる。あたし、お風呂場に閉じ込められたことあるの。お湯が入ってないお風呂の中に入れられて、蓋をされて暗くて怖くて泣いちゃったの。それから、叩かれたのも覚えてる。痛くても泣くともっと叩かれたから、大声出さないように気をつけてたと思う」


 たった三歳前の小さな子供が、怖い記憶として残ってしまうような酷いことをするだなんて、大人として、男として最低だ。

 本当に、須賀さんの前の夫に対しては怒りしか感じられない。


「それでね、今日……お山のてっぺんに登って思い出したの。ママ、あたし、パパに、高い所から落とされたこと、あるよね?」


 須賀さんはビクッと体を震わせ「あ……」と小さな声を上げた。


「……そうなのかい?」


 僕が聞くと、須賀さんは肩を落としてつぶやくように言った。


「階段から……落とされました。痛みと恐怖から大声で泣いた美月に、より一層腹を立て、落ちた美月を殴ったそうです……私がいけなかったんです、職場から頼まれたからって、まだ美月が小さいのに職場復帰なんかしたから……」


「ママのせいじゃないよ、違うもん。だけど、思い出しちゃったんだよ、パパの目を……あたしが落ちていく時の、暗く笑ってたパパを……」


「みっちゃん!」


 僕は思わずみっちゃんを抱き寄せた。

 力いっぱい抱きしめた。

 僕が守ってあげたかった。


 みっちゃんのそばでうなだれている須賀さんも抱き寄せて、みっちゃんと一緒に抱き込んだ。

 僕がふたりを守りたかった。

 何ものからも守ってやりたかった。


「和光さん、さっき落ちる瞬間にね、和光さんが必死に腕を伸ばそうとしてくれてるのが見えた。一生懸命助けようとしてくれてる顔が見えた。パパは……あたしの本当のパパは、あたしの体を押した腕が伸びていたのに。突き落として笑ってたのに。和光さんは、あたしを助けようとしてくれたんだね……」


「当たり前だろう!? みっちゃんが大事なんだから! 怪我したら、命を落としたら困るんだから!」


「ママ、ごめんなさい……あたし、ずっと意地悪してた。ふたりの結婚、良いよって言ってあげられなかった……和光さんが、もしかしたらパパみたいに、いつかあたしに酷いことするかも知れないって、そう思って……」


「美月にそんなつらい思いをさせてたなんて……ママこそごめんね! あなたをそんなに苦しめていたなんて知らなかったわ! ごめんね、美月! あの時も守ってあげられなくてごめんなさい……! あの人の暴力に、なかなか気づいてあげられなくてごめんなさい……!」


「ママ、ママーーーッ!」


「美月ーーーっ!」


 僕はふたりを腕の中に抱えて、涙を流すことしかできなかった。

 ただ、ただ、ひたすらふたりが愛しかった。




** ** **




 気が付くと、いつの間にか病室には医者も看護師もいなかった。

 僕達だけにしてくれたらしい。


 涙を拭いて鼻をすすり「へへっ」と笑うみっちゃんと、そっと涙を(ぬぐ)う須賀さんに、盛大に鼻をかんだ僕は「大丈夫ならそろそろ帰ろうか」と笑顔を向ける。


「うん……あのね、和光さん。あの……今日から、お父さんって、呼んで良い?」


「みっちゃん……!」


「あたしね、去年の夏、なっちゃんと遊んだでしょう? あの時から、本当は分かってたんだよね」


 何を分かっていたと言うのだ。

 なっちゃん、とは、僕の姪っ子。妹の娘だ。


「なっちゃんが、伯父さん大好き、って言ってたから。優しい伯父さんだよって教えてくれたから。パパみたいにならないって分かってたんだ。でもやっぱりまだ怖かったの。だけど、もうちゃんと分かったから。あたしを助けようとしてくれたお父さんの顔、見えたから。だから、もう大丈夫」


「ありがとう、ありがとう、みっちゃん……!」


「あのね、あたしのことは美月って呼んで? お父さんからは『ちゃん付け』じゃない方が良い」


「分かったよ、美月」


 なんだか呼び捨てにするのが照れくさい。

 慣れるまでには時間がかかってしまうかも。


「ママのことも、今日からお母さんって呼ぶね?」


「そ、そうなの?」


「あたしのパパとママはもういないの。今日からは、お父さんとお母さんだから、ね?」


「……ええ、ええ、そうね」


 そうして再び涙を零し合い、互いに拭き合い、ようやく病室を出て医者に挨拶をし、病院を出た。


 お腹が空いたので、遅いお昼ご飯として駅前のお蕎麦屋さんで笑いながらお蕎麦を食べた。

 帰りの電車では美月を間にはさみ、笑顔で三人並んで座席に座った。


 美月が「あたしのお父さんとお母さんなのに、ふたりとも、名字で呼び合ってるのはおかしい」と言い出して、電車の中で互いに呼び合う練習をさせられた。


清美(きよみ)さん……」


(れん)さん……」


 とっても恥ずかしくって耳が赤くなってしまったのが分かったし、全身の血が頭に昇ってきたようでものすっごく熱かった。

 それでも僕と清美さんの間に入った美月が、ふたりの腕を取って組んできてずっとにこにこ笑い続け、何度も「お父さん」「お母さん」と呼んで、とっても機嫌が良さそうだったので。

 これで良いかとホッとした。


 美月の頭上越しに清美さんの方を見ると、彼女は聖母マリアの如き慈愛の瞳でひとり娘を見つめていたが、僕の視線に気づくとポッと頬を染めてはにかむように笑ってくれた。


 夫として、清美さんを守っていくと決めた。

 父親として、美月を守っていくと決めた。


 これは僕の誓いだ。

 絶対に破らない、僕の決意だ。


 愛しいふたりを、全身全霊こめて守り抜くと、僕はもう決めたのだ。




 地元の駅へ降り立つと、西の空が赤く染まり始めていた。

 僕と清美さんの手を握り、美月が僕らを見上げて笑う。


「お父さん、お母さん! 早く帰ろう、あたし達、家族の家へ!」


 愛しい娘の手をぎゅっと握り、僕ら親子三人は、並んで家路を辿ったのだ。


 穏やかな風が秋の夕暮れの街を吹いていた。

 公園では秋の虫が涼しげに鳴いていた。




end





読んでくださってありがとうございました。

悲しい思いをする子供がいなくなりますように、祈りを込めて……

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