ある魔王の眠る夢の中
静かで。 ゆっくりで。 でも、決して快い物ではない。 そんな記憶。
「本当に、素敵な時間だった……」
「……そうだな」
ずっと前に、後にした村。 二度と帰ることは無いと、そう決心した村。
「……ねぇ、丘の向こう、見てきてくれる?」
「……解った」
毎日、会おうと思えば会えた。 だが苦しくもあった。
丘の向こう。
アイツが帰ってくるはずの方向。 毎日のように、そこに立つのが男の日課でもあった。
「……」
拳に力を込め、歯を食いしばり。
丘に立ち、帰らぬ勇者を待ち続け、 日が落ちたなら、レディアの元に戻り、報告する。
「帰ってこなかった」
と。
そのたびレディアは表情を沈ませ、しばらくの間黙り込む。
「ねぇ……」
「ん?」
そして口を開いても、彼女は男の期待するような言葉をかけてはくれない。
「あの人はね……」
勇者のことを彼女は話す。 とても自慢気に、とても楽しそうに。
「だからね……」
自分の理想だと。
自分はあの人と一緒に行きたかったんだと。
男は、黙って聞いていた。 特に何も言わず、否定することも無く。
「まだなのかなぁ……」
勇者が旅立った日、レディアは嘆き苦しんだ。
それを男は真横で見ていた。 だから手を差し伸べた。
レディアが自分の“力”の弱さに泣いた日、レディアは誰にも悟られないようにした。
それを気づかなかったことを男は悔やんだ。 だから傍にいようと決めた。
レディアは“力”の負担で床に伏した。
そのおかげで、誰かに責められたり、過度の期待に押しつぶされるようなことは無くなった。
それでも、男は彼女の傍にあり続けた。 レディアも、よく笑うようになっていた。
そんなある日、レディア達の元に、ある話が伝わった。
《勇者が魔王を倒した》
人々は喜んだ。 己らの村から魔王を倒した勇者が現れたことに。
そして、レディアもまた喜んだ。 勇者が帰って来ると。
己の理想を思い出し、その理想は離れて一層強くもなっていた。 そして、目の前の物事が急に色褪せたのかもしれない。
理想を見たがゆえに。
「ねえどうして?あの人ならできるのに……」
問う。あの人ならできると。
「ねぇなんで?あの人ならしてくれるのに……」
問う。あの人ならしてくれると。
「そんなこと言わないで。そういう人も居るわ……」
否定。此処より、何処かに思いを馳せ。
「あの頃が、一番好きだった……」
否定。今より、あの時に思いを馳せ。
「好きだけど、どうして?」
問えば、答えは聞ける。 でも解ってなどもらえなくて。
「おい、レディアが呼んでるぞ」
僅かな期待と共に、男はレディアをたずねた。
「丘の向こうを見てきて?」
男は何も言わず、部屋を出た。 丘の向こうを眺め、膝を抱え座り込む。 腕を枕にすると、血管がどくどくと動くのを感じた。
涙が、こぼれそうにもなった。 でも、泣いても何もならない。
もう、飽きるほど、レディアが泣く姿を見てきた。 それでも、勇者は帰らなかった。
たとえ自分がココで泣いても、レディアはそれを知ることも無いだろう。
そして、彼女の一番でもない自分が泣いても、 彼女はきっと泣くことをしないだろう。
日が落ちて、レディアに報告をしようと、彼女の家へ向かう。
会いたくない。
会ってどうなるのだろう。 会ったところでなんになるのだろう。
彼女から、理想の男の話を聞かされ。 したくも無い期待を勝手にして。
勝手に砕かれて。 彼女は男を置いて眠りにつく。
気がつけば、何をするでもなく、別れの時。
彼女の家の前に、人だかりができていた。
もう、逢えなくなっていた。
「……ん」
「お目覚めですか?」
「あぁ……」
気づけば、椅子に座って眠っていた。 すぐ近くに、魔女が居た。
「古いな……」
「どうかなさいました?」
「夢を見てた」
「夢?」
「私が、俺であることを疑うことも無かった時代だ……」
「……今一度問います」
「……」
「本当に、いいんですか?」
「いいだろう、きっと。もうどうでも」
「……」
「私は今となってはもう、レディアに手を差し出すべきではなかったのかもしれない」
今更の話。
「最大の間違いは、私だったのかもしれない……」
「魔王様……」
扉が開く。
「王よ」
入ってきたのは騎士と剣工。
「勇者が来ました」
「そうか」
魔王は立ち上がる。
「始めよう。答えを問うのは、怖いがな……」
ある魔王の眠る夢の中で、想い人が亡くなった。