ある魔王が潰えた古戦場
「ここ、ですか?」
「あぁ……」
焼け崩れ、古びた城跡。誰もが恐れ、誰もが近づかぬ古戦場。
「ジョンさん、やっぱり私も」
「ここに居てくれ」
「ジョンさん……」
「頼む……」
彼は城跡へと踏み込んでいく。 幼い魔女は俯きながら首を縦に振った。
「一時間で戻らなければ、此処から去れ」
今度はただ、唇をかみ締めるだけだった。
城跡の奥。 一際大きなさびた扉を押し開けば、そこには黒い剣があった。広大な空間の最奥。玉座に突き立てられた剣は、禍々しい気配をたたえている。彼が足を踏み入れた瞬間、声が響く。
《何用か……》
地の底から響く声。
「その剣を貰い受けに」
《貴様……何者だ?》
「名はもう持っていない。必要ならばジョン・ドゥとでも呼べ」
《……ジョン・ドゥ、なぜ魔王になろうとする?》
溜息。すこし億劫に感じるのはこの空間に満ちてる物のせいか。
「質問が多いな。次は俺の問いにも答えてもらおうか」
《何が聞きたい…・・・?》
「お前がさっき俺に聞いたことと同じだ。お前はなぜ魔王になった?」
剣が刺さる玉座。そこにはこう刻んである。
“勇者ヴァイス、此処に魔王を討伐する”
《もう覚えておらん。魔王を志した頃のことなど遥か昔だ》
「そうか、ならば俺も大して変わらん」
再び溜息。
「つい最近、全てを消し去りたいと思い、旅に出た」
男は玉座へと歩み寄る。
「色々な奴と出会い、話した」
剣の目の前に。
「そして知った。世界の狂いを」
深呼吸。
「志した理由と、志し続ける理由は違う。だが、そのどちらも魔王になる理由だ」
過去に亡くした想い人。
小さなぬくもり。
受け継ぐ夢。
《ならば試せ。己の意思を》
男は黒剣の柄を握る。瞬間、ドス黒い奔流が体中を駆け巡る。身体の至るところに何かが這い回るような不快な感触。
染み込んで来る。聞こえてくる想い人の声。
《本当に、素敵な時間だった》
《ねぇ、丘の向こう、見てきてくれる?》
《あの人はね……》
《だからね……》
《まだなのかなぁ……》
男を苛み。蝕む声。
《ねえどうして?あの人ならできるのに……》
《ねぇなんで?あの人ならしてくれるのに……》
《そんなこと言わないで。そういう人も居るわ……》
《あの頃が、一番好きだった……》
《好きだけど、どうして?》
心を砕くような試練。絶望。虚無。衝動。
今すぐにでも首をかききってしまいたい。
「俺は……」
空いた手を腰の剣へと伸ばす。引き抜く。
「俺は……!」
なぎ払うように振りぬけば、黒の奔流は瞬く間に霧散する。
「世界を破壊する!!」
手には白き夢の剣と黒き絶望の剣。
「泣いても何もおきないことを、願うだけに意味はないと俺は知っている!正しくなくとも歩いていくと、俺は決めた!悪にでも、魔王にでもなって、気に入らない全てを作り変えると誓った!」
叫ぶ。
「俺はなる。魔王に!破壊者に!」
誓う。
《そうか。……行くがいい名無しの魔王。我が絶望を持って》
男は白き剣を鞘に仕舞うと、黒の剣を手に、玉座に背を向け歩き出した。
「ジョンさん!」
幼き魔女は泣いていた。徐々に大人び始めた顔を涙でぬらし、彼を迎えた。
「もういいんだ」
彼は小さく告げた。
「え……?」
「その呼び名はもう使わなくていい」
魔女は彼の手に握られている黒剣と、彼の頬を伝うものに気づくと、涙を強引に拭って傅いた。
「おめでとうございます、魔王様……」
「あぁ、ありがとう……」
「お疲れ様でした……」
「あぁ、ありがとう……」
魔王は初めて、魔女の頭を小さく撫でた。魔王は最初で最後の涙を強く拭い去った。
ある魔王が潰えた古戦場で、新たな魔王が涙した。