ある山の神を奉る場所
「ようこそ、我が村へ」
彼はとある村にたどり着いた。山の中にありながらも越えた土壌による自然の恵みに支えられた豊かな村。
着くや否や村長を名乗る男を始め、多数の大人たちが彼を迎え入れるかのように集まってくる。
「歓迎します、旅人よ」
その言葉が薄っぺらな建前であることは容易に解る。村長を除く大人達が皆、どこかよそよそしく、尚且つ落ち着きがない。
「……宿を一晩。明朝、此処を出て行く」
そんな大人達に心中で溜息をつきながら、彼は目的を告げる。
「……そうですか、でしたらばあちらです」
村長が指差す方に、他の建物より少しばかり高い屋根が見える。彼は大人たちの間を抜け、宿屋と向かう
「……そうそう」
背に様々な思惑の入り混じる視線を受けながら、彼は振り返ることも無く、ただ立ち止まるだけでその言葉を聞く。
「今宵はこの村にとって大事な儀式がございまして、少々騒がしいやも知れませんが、どうぞお気になさらずごゆるりとお休みください」
村長がそういい終わるなり、彼は返事を返すことも無く、歩き出した。
彼が宿のドアを開けたとき、少女は伏せていた顔を上げた。 小さなカウンターに、2階へ上る階段。食事をとれると思わしきテーブルとイスの群れ。そう大きくない、こじんまりとした宿。
少女は小さなカウンターで、心なしか濡れているような瞳で笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「あぁ……」
「でしたらこちらに名前を」
少女から渡された宿泊帳に記入しようとして、彼はふと迷う。なんと名前に書くべきだろうかと。しばし迷った挙句、彼はジョン・ドゥと記入する。
「ジョン・ドゥさん……ですか」
少女はすこしばかり躊躇いながらも、口を開いた。
「……本名ですか?」
「……いいや。わけあって名無しだ」
名前が無いとこういったとき不便だと言うことに
彼は今気づく。やはり、自分はおめでたい人間かもしれない。
そんなことを思いながら、宿の玄関へと踵を返す。
「あぁ、ごめんなさい!どうぞ、お泊りになってください!」
そんな彼の行動にあわてて謝罪する少女。
「ごめんなさい、つい……。変わった方だなと……」
「……自分でもそう思っている」
「……やっぱり、変わった方です」
少女は愛らしい笑みを浮かべると部屋の鍵を彼に渡し、階段を指す。
「二階に上がってすぐの部屋です。ごゆっくりどうぞ」
二階に上がり部屋を開ければ、シンプルな部屋が視界に広がる。彼は荷物を小さなテーブルに置き、ベッドに腰掛ける。
思えば、雑談など久しぶりだったかもしれない。これまでの旅路、必要があればもちろん会話はしてきた。だがそれらは必要になったからこそした会話であり、今回のような無駄話ではない。
彼は溜息をつくように深呼吸。これからの旅の中でおそらくこういったことを思うことが強くなるかもしれない。それだけ、自分は人らしさみたいなものを失っていくのだろう。
それがこの道の代償なのだろうか。そんなことを考えていると、ドアが軽くノックされる。彼は立ち上がるとドアを開いた。
「あ、ごめんなさい。夕飯はいかがいたしましょう」
「下に食事を取れそうな場所があったと思うが」
彼が先ほど見たテーブル郡を思い出しながら問うと、少女は決まり悪そうに視線を落とす。
「ごめんさい、実はもうあそこは使ってなくて……」
「そうか……」
謝り癖のある娘だ。そう思いながら、夕飯をどうするか思案しようとした所、
「あの、よろしければ夕飯ご一緒しませんか!?」
落としていた視線を上げると、少女は一息にまくし立てた。
「あぁ、と言っても大したものは出せないのですけれど! それでよろしければ!」
まくし立てた途端に、申し訳なさそうな顔をして補足。
「……お言葉に甘えよう」
また謝られても気分がよくない。ほんの気まぐれ。そう思いながら、自分の中にもまだ人間らしい、人とのコミュニケーションを望む心が残っているのだろうか。
彼はそう思わずにいられなかった。
部屋で少しばかり横になると、外は暗くなり始めていた。半身を起こして軽く伸びをすると、間接が小さな音を鳴らす。思っていたよりも身体に疲れは蓄積していたらしい。
立ち上がり顔でも洗おうとドアへ向かうと、ちょうどノック音。そのまま歩み寄り、ドアを開ける。
「わっ、早いですね」
少女は驚いたように身体をびくりとさせる。
「ちょうど部屋を出ようと思っていた」
「そうですか。お食事の用意も出来ました」
「先に顔を洗っていいか」
「はい、用意して待ってます」
とたとたと階下へ降りていく後姿を見送ると、洗面所へ。ばしゃばしゃと顔を洗うと、すっとタオルが手渡される。
「どうぞ」
「手間をかける」
「いえいえ。こちらです」
導かれるままについていけばテーブルに幾つもの皿が並んでいる。
「……大したものは出せないんじゃなかったか?」
「あぁ、いえっ、すみません、ほんと、大したものは……。もちろん御代は結構ですから!」
どうやっても謝られるらしい。
「いただきます」
「どうぞどうぞ」
素直に食事を頂くことにする。
「ど、どうでしょう?」
少女のどこか不安そんな顔をちらりと見つつ、どういったものか悩む。単純に応えるならうまいだ。しかし、そういっても謝られるんではないだろうか。
そこまで考え、別にあやまられてもいいかとも思う。うまいということに気遣う必要はあるまい。どうも会話が下手になっている気がする。
「うまい」
「そ、そうですか、ありがとうございます」
すこし照れたようにはにかむ少女をみながら、彼はやはり自分が会話下手だと認識する。
「あの、ジョンさんはどこから来たんですか?」
「……北から。悪いがそれ以上は言えん」
「あぁいいえ!謝らないでください、こちらこそ余計なこと聞いてしまって」
ぶんぶんと首と手をを振る少女。
「気にするな。それとそっちも謝るのはやめてくれ。謝られる理由がわからない」
「あ……、はい」
申し訳なさそうに眉尻を下げる少女に、彼はやれやれと肩をすくめる。
「こちらも一つ聞いていいか。もちろん、答えたくなければ答えなくてもいい」
「なんですか?」
少々逡巡。が、彼は口を開く。
「親はいないのか?」
彼女はどこか予想していたのか、力ない笑みを浮かべた。
「はい、少し前に亡くなりました」
「そうか」
彼は謝らない。謝らせてすまないと謝られるだろう。
「これからも一人で切り盛りしていくのか?」
「……ごめんなさい、これ以上は言えません」
また、力ない笑み。
「そうか、ならもう言うまい」
「はい、ありがとうございます」
彼も、彼女もそれからはまるでそんな会話はなかったように、他愛ない話とともに、食事を再開した。
それは真夜中におきた。
ベッドで目を覚ました彼は階下から聞こえてくる音に気づく。
それは声。それは紛れも無く大人の声であり、一つではなかった。
布団から出ると彼は階下へ。階段を下る中、カウンター周辺に集まる人影が視界に入る。それはこの村へ来たときに彼を出迎えた大人たちであった。
「お客人、申し訳ない。お話した通り、これから大事な儀式があります。どうかお部屋にお戻りを」
彼に気づいた村長が一歩踏み出し、突き放すように言う。 そこにいる全の大人達が、村長と同じ気分なのであろう。押しなべて敵意を込めた視線を寄越す。
そんな大人達の中心に少女はいた。少女は彼に気づくと、やはり、力なく笑う。
「ごめんなさい、ジョンさん。すこし出かけることになりました。明日の朝には帰ってこれそうに無いので、お時間が来ましたら、ご自由にチェックアウトなさってください」
「……代金はどうする」
「……そうですね。お部屋においてくださいますか」
「……了解した」
彼女は小さく頭を下げると宿を出て行く。
「お客人、どうかお部屋へ」
村長が再び彼を促す。
「生贄か?」
村長を含めた大人達がざわつく。
旅の中、此処へ来る最中の町で聞き及んでいた噂。 豊かな恵みは山の神が発する魔力の影響であり、その山の神が村を襲わぬよう、決まった周期で子供を生贄をささげると言う他愛も無い噂。
が、その他の人からみれば他愛のない暇つぶし程度の噂は、この村で確かに行なわれているらしい。
「どうかしている……」
「お前に何が解るっ!!」
先ほどまでの柔和な装いは一変した。
「よそ者のアンタには関係の無いことだ!」
老人は吐き捨てる。
「食べる物も、寝る所もあたえてやれるが、我々の問題に口を挟まないでもらいたい!」
これが人間なのだろうか。これが本質なのだろうか。
「……」
彼は踵を返すと部屋へと戻る。
「……ふざけるな」
これが勇者が愛した世界なのか。
これが人一人の命より大切な世界だと言うのか。
「こんなものがか……?」
彼はテーブルに宿泊代を置くと荷物と剣を手に部屋を飛び出す。当然、階段を下りれば大人達が彼に気づく。
「貴様……」
「俺が与えられた食物も、眠る場も、全て彼女から与えられたものだ」
彼は静かに呟く。
「よしんば、彼女の居なくなった此処がお前達のものだと言うのならなるほど、その通りだ」
拳に無意識な力がこもる。
「ならば出ていこう……。この足で」
大人達の間を歩み、玄関へと向かう。
「どこへ行く!」
大人の一人が彼の腕を掴む。それを忌々しげに振り払うと、周囲をねめつける。
「食べる物も、寝る所も、お前達から求めなければ、お前達に強制されるいわれは無いだろう……!」
一瞬、誰もがたじろぐ。
「……なぁ。お前達がどれほど偉い?」
問う。
「もうすぐ死んじまうような老人が、どうして偉いんだ?」
「それは…………」
「これから成長していく子供より、成長しきった大人の方が偉いとどうして解る?」
「…………っ」
「お前らに一体何の権利がある。決め付けることしかしないくせに、偉そうにするな……!」
背を向け、宿を出て行く。
「どうするつもりだ」
「……この世に神なぞいるものか。もしいたとしても」
歩みは止めず。
「人を喰らうような神だ。人に喰らわれても文句は言うまい……!」
村の奥へと行けば、明かりの灯った森の入り口が見えた。迷うことなく踏み込む。暫く歩めば祭壇が見えてきた。 其処に少女はいる。 しゃがみ込み、小さくすすり泣きながら。
「誰……?」
足音に気づいたのか、少女は振り向いた。 雲間から覗く月が彼を照らすと、少女は複雑な表情を浮かべる。
「ジョンさん……」
「悪いがあれは宿に泊まる用の名前だ。あそこを出た以上、その名はもう正しくない」
「……どうしてきたんですか?」
「気に入らないからだ」
彼は苛立っていた。強く。
「それでいいのか、本当に」
「……」
少女は目を伏せる。
「しょうがないじゃないですか」
それは自分自身に言い聞かせるようにも聞こえた。
「私が生贄になれば、村は救われるんです」
この一日で見慣れた、力ない笑み。
「親もいない私なら、悲しむ人も少ないですから」
それはおそらく、諦めの笑み。
「しょうがないんです……」
そう少女が言い終えるや否や、彼は彼女の胸倉を掴んだ。
「本気で思っているんだな……!」
一瞬驚いたかのような彼女の表情は、見る見るうちに歪んだ。悲しみに。涙に。
「わかんないよっ!」
ボロボロと流れる涙を拭うことも無く、くちゃくちゃに顔を歪めながら、少女は泣き叫ぶ。
「なんにもできないよ!お母さんもお父さんもいないんだよ!?」
断ったところで、もう村にいられまい。一人で何ももたず生きていくには、彼女はあまりに非力だ。
「死にたくないよ!でもどうすることもできないよ!」
うなだれ、膝を着く少女。その姿はまるで糸の切れた操り人形。
「それが運命なんだよ……」
少女がそう呟いた瞬間、 鳴き声が響いた。
大蛇。
それは土色をした竜のような大蛇だった。
「吼えるしかできないものが神か……」
彼は少女を離すと剣を抜いた。背越しに視線を送り、呟くように話しかける。
「あんな神がきめる運命に従うのか?」
視線を正面へ。
「自分がどれだけ努力しても越えれなかった壁を、運命のせいだと思うのか?」
おぞましい化け物を見やる。
「自分が必死に努力して得た物を、神様に貰ったなんて思えるのか?」
手に握る剣に力を込めて。
「俺は思わない。俺のことは俺が決める……!」
蛇は土石流の如く。
「……もしもう少し後に会っていたなら、お前のような怪物も、仲間にしようと思ったんだろうか」
されど歩みは気軽に。
「だが、今立ちふさがるなら、神だろうが悪魔だろうが……」
剣を振りかぶる。
「叩き潰すと決めた」
「どうしてくれる!? 神なしで、我々はどうやって生きるというのだ!」
傷だらけの身体で少女を連れ帰った彼に、最初にかけられた言葉はそれだった。
「俺の知ったことじゃない」
「なんだと!?」
「死にたいなら死ね。生きたいなら生きろ」
「そんな簡単なことでは!」
「……そんな簡単な選択が、お前らにはできるんだろう?」
視線を移す。 少女へと。
「こいつはそんな簡単な選択肢さえ、お前らに奪われた」
「……」
「お前らの都合で」
「……」
「生きる気がないなら、ここでのたれ死ね」
男は背を向けた。
「俺は世界を救う勇者様じゃないんだ。お前達のことなど知ったことじゃない」
村を出て歩く。 しかし、傷だらけの身体はまともにいうことを聞いてはくれない。そして、
「何をしてる?」
背後に気配を感じた。 振り返れば、そこには少女の姿がある。
「お前の運命とやらはもうない。自由だ。好きに生きて、好きに死ね」
「……行きます」
「……何?」
「一緒に……、行きたいです」
少女はそういうと彼の傷へと手をかざす。暖かな光。
「魔法が使えるのか」
「……村には時々生まれるんです、力を持ってる人が。……それが選ばれる基準のひとつなんです」
山の神と呼ばれたあの大蛇の魔力は、山の土壌だけでなく、生まれてくる子供達にも影響を与えていたのかもしれない。
しかし、彼が思うのは昔の言葉。
(私は行けないの……。“力”があるから、村を出れない)
レディアの言葉。 勇者と共にいけなかった少女の言葉。
「逆か……」
力を持ち、選ばれたからこそ、村を出れなかったレディア。
力を持ち、選ばれたからこそ、村にはもう居れない少女。
「……好きにすればいい。お前の自由だ」
「……はい!」
浮かべるのは力ない笑みではない、心からの笑顔。 そんな彼女の笑顔に決まり悪さを覚えながら、彼は口を開く。
「幾つか条件がある」
「条件……」
不安そうな瞳から目を背ける。
「自分のことを一番に考えろ」
「自分のことを……ですか?」
疑問符が浮かんでいるのがよく解る。
「……もし自分よりも大事だと思うものが現れたなら、すぐに去れ。迷うな」
「……迷ったんですか?」
彼女は踏み込んできた。それが必要だと、そう思ったから。
「……あぁ、随分長かった」
「辛かった、ですか?」
「今も、これからも、辛い。ずっと」
「……」
少女は言葉がつむげない。なんと言葉を発せばいいかわからない。それを感じ、彼は口を開く。
「……もう一つ。強くなれ。独りでも生きていけるように」
「……どこかに行くんですか?」
「いずれは逝く。だから強くなれ」
「ですが……」
「それが条件だ。できないなら去れ」
彼女は一瞬、寂しそうな顔をしたが、すぐに決意を秘めた表情を浮かべる。
「……なります、強く」
「……それでいい」
彼は立ち上がると、歩き出す。傷は随分と落ち着いていた。
「名前は?」
「貴方には無いんですよね?」
「俺には無い」
「……どうして?」
少女は少し迷ったようだが、意を決したように問う。
「……返したからだ。村を出る時に。親不孝ものには、名前なんて必要ない」
「……なら、私も」
「……自分をやめるのか?」
「……生贄に選ばれた日から、もう」
その時点で彼女は人でない。生贄なのだ。
「……ドゥ(名無し)同士か」
「それもおもしろいかもしれません」
彼は空を見上げる。
「……いずれは勝手につくだろう」
「え?」
「悪魔か、魔王か。好きに誰かが呼ぶだろう」
「魔王、ですか?」
「……この世界を変える。そのために一度、この世界を壊して回る」
彼は少女に視線を送る。少女は黙り込んだまま、何も言わない。
「愚かしい旅だ。……それでも来るか?」
「……じゃあ」
少女は彼を真っ直ぐに見つめる。その瞳には、確かな決意が、多分に含まれている。
「じゃあ、私は魔女になる」
揺るがない。真っ直ぐなまなざし。
「魔女になって、魔王様を手伝います」
「……好きにしろ」
「……はい、好きにします」
ある山の神を奉る場所で、ある少女が魔女になる