ある勇者が生まれた村で
彼は一つの墓の前にいた。赤い髪を風が揺らす中、彼は小さな花束を手向ける。
墓はよく手入れが行き届いており、墓標にはレディアと名が刻んである。
「帰ってこなかったな……」
レディアの字をなぞりながら、男は呟く。 彼の赤い目は諦めと寂しさが入り混じる。
「勇者とは何だろうか……」
彼とレディアの村は、今は勇者と呼ばれる者を輩出した名の知れた村であり、勇者は彼らの幼馴染だった。
「正義とは何だろうか……」
勇者は世界に突如として現れた魔王を討伐するため、この村の期待を背負い旅へ出た。勇者は世界を愛し、人々を愛していたから。
「どこから間違ったんだろう?」
レディアは村の中でも有数の“力”の持ち主だった。 そのため、村から出ることも叶わず、勇者について行くことも許されなかった。 彼女は勇者の力になりたかった。世界のために力を使いたいと願った勇者と同じように、勇者のために力を使いたいと、レディアは願った。
必ず帰って来る。勇者の言葉を信じ、レディアは待った。 だが、勇者はついに帰ってこなかった。
「あいつが行ってからか?」
レディアは死んだ。 勇者を待ちながら、己の“力”の負担に負けて。
「お前を諦めさせなかったからか?」
彼はレディアを励まし続けた。 だが、結局時が待つことは無く、ただ変わることなく流れ続けた。
「……今更か」
彼は墓標に触れていた手を離し、強く握り締める。
「行こうと思う。聞きたいこともあるからな」
勇者に問わなければならないことがある。背をむけ、数歩歩き、しかし立ち止まり、彼は吐露する。
「……俺はお前の理想にはなれない」
勇者のように気高くも。 勇者のように夢を追う事も。 勇者のように正しくも。勇者のように強くも。
「お前の求める者にはなれない」
解っている。 いや、勇者がいなくなってからの年月の中で解った。自分は彼女の一番にはなれないことを、解ってしまった。
「俺は俺のやり方で、俺自身のために、何かをしようと思う」
長らくの間、自分のためらしいことをしていなかった。いや、今思えばレディアを励まし続けたことは、自身のため以外何物でもないのかもしれない。想い人のために何かをすることは、自身の満足を満たすための言い訳か。
「我ながらお目出度い」
どれだけ悲しくとも、涙は一向に出てこようとはしない。
「しかし、これっぽっちも泣ける気がしないんだ。泣いても何も起きないことは、お前を見て良く知っているからだろうか」
苦しくとも、それは変わらぬ真実。 涙することに価値を見出せない。逆に、なにか得があるならこの身体は涙を流そうとするのだろうか。そんな考えもまた、馬鹿馬鹿しいことこの上ないが。
そんな思考を巡らせながら、彼は歩みを再開する。
「滅ぼしてくる」
軽い言葉。 その辺りへ出かけるような気軽さ。
「気に入らない世界を」
一番でないことの痛み。理想にはなれない現実。
一度でも理想に出会えた者は妥協をしない。世界に自分の理想があると知ってしまったから。 身についた贅沢が捨てられないのと同じように。その理想そのものしか、其処に行き着くことはできないというのに。
隣にいながらも、同じ道を歩けなかった悲しさ。 同じ場所にありながら、手を取ることもできないもどかしさ。 共にありたいと願いながら、共にあるが故の痛み。
共に在る誰かより、彼方にある理想を。
「俺は、魔王にでもなろう」
勇者と相対す者のに、世界を恨む者に、愚かな復讐者に、相応しい肩書きだろう
「魔王にでもなって、世界を塗り変えに行こう」
歩みはもう止まらない。振り返ることも無く、歩速を落とすことも無く、 彼は行く。
ある勇者が生まれた村で、ある男が魔王を目指す