1話 『プロレスラー豊田竜二』(4)
「まったく……どうするのよ。三人そろって防御系とか笑い話にもならないわよ」
「……嫌味言うならもっとしゃっきりしろよ」
ミセは怜奈の死具である高級マンションの一室で、幸せそうにベッドでゴロゴロしている。無防備なせいで、スカートからは白い脚が見え隠れし……視線のやり場に困る。
「いや~。あたしの死具の有用性には困ったもんですね」
あれから怜奈の死具を何度か試した結果、このマンションは怜奈が死んだ時間で固定化されていることがわかった。
つまり電機や水道はマンション内部の貯水庫と自家発電でまかなえて、食料はマンションの地下にある高級スーパーに盛りだくさん。そして死具を一度消し、再出現させると、消費した食料や水は元に戻る。
道具を頑張って持ち歩くと言う、旅の概念を打ち砕く、チート死具だ。
「ふふっ。この死具は最高ね~。異世界のお菓子は美味しいし。ずっとごろごろできる~」
「……お前自由だな」
ベッドでゴロゴロしながら地下のスーパーで拝借したマカロンを頬張るミセ。
どうやらミセは怠惰を愛する女のようだ。とてもじゃないが命を狙われているようには見えない。まあ、変な野望があるよりは付き合いやすいからいいか。むしろ人間ぽくていい。
「……あ。これ緊急事態かも」
「ん? 怜奈?」
怜奈は難しい顔をして首をひねる。異世界に召喚されたことを説明された時も、余裕を見せていた怜奈にしては新鮮な反応だ。
「どうかしたのか?」
「マンションの前に軍隊みたいな人たちが……これミセさんのお友達じゃないですよね?」
「……お前そんなことがわかるのか?」
「ええ。入り口等に仕掛けてある監視カメラの映像は、あたしの頭に流れて来るみたいで」
ますます便利な能力だが……これはまずい状況じゃないか? 異世界の軍隊だと? 俺と怜奈はろくに世界状況を把握してないのに。
「うーん。しまった。この死具目立つから配慮しなきゃいけなかったわね……はぁ、巡回兵ならどうにでもなるけど……とりあえず外に出てお話しましょうか。レイナ、死具を消してもらっていい?」
「はいはい~」
怜奈が返事をすると、マンション自体が光の粒子に包まれる。怜奈が死具を消すと、俺らは強制的に死具の外側に転移させられる。
やがて――視界が開け、見覚えのある外の風景が視界に移る。唯一さっきと違うのが……。
「お、おい! 何故、巨大な遺跡が消えた!」
「セブンスコードだ! それも強大な力を持つ! 油断するな!」
外には十五人はどの武装した兵士がいた。兵士たちは槍のような武器を持ち、馬とトカゲを足して二で 割った感じの動物に跨っている。……どこかの王国の騎士と言った感じだな。
「ミセ。奴らは……」
「最悪……あたしをつけ狙っているイセリア王国の兵士よ」
「ミセ・ガスト・ワン。やっと見つけたよ」
軍隊の奥かあら無精ひげを生やした中年の男が出て来る。パッと見はやる気のないオヤジに見えるが……見ているとどうも嫌な感じがする。それもとびっきり。
かつて世界チャンプと数々の試合をしてきた俺だが、その誰よりも奴は異質だ……。
「……イセリア王国最強の騎士『リンガ―・シャラン』。偉く大物が出てきたわね」
「ひや~。いきなり最強の騎士ですか。このファンタジー難度高くないですか?」
「だな。ちなみにミセ。大人しく捕まるっていう選択肢は?」
「ないわね。いい待遇は受けないもの。多分。ぐーたらには暮らせない」
ミセは嫌そうな態度を隠そうともせずに言い放つ。内容自体は怠惰だが、それは信念のようなものが見える口調。それにリンガーが軽口を言うように答えた。
「それはそうでもないと思うぞ~。我が国イセリアはセブンスコードを有していない国だ。それ故にフリーであるお嬢ちゃんのことは悪いようにしない」
「なるほど。この世界では化学兵器の代わりがセブンスコードか……」
「みたいですね~。持つ国は優位にたてるんですね~多分」
異世界人ふたりが考察するが、恐らく現実はもっとシビアだろう。セブンスコードが持つ力を考えれば、それこそ……『世界大戦』が起こる可能性がある。
「……人間兵器として生きるつもりはない。私は自由に生きるのよ」
「まいったな……お嬢ちゃん。それが不可能なことはわかるだろ。君に自由なんて言葉は許されない。君の持つ力がそれを許さない。イセリアはセブンスコードを手に入れないと他国に蹂躙される」
「はぁ。やっぱりこの世界はシビアだな」
「我々には時間がない。『ドラゴン』はすぐ傍まで迫ってきている。だから――こっちは遠慮はしない」
リンガーは腰に帯刀していた剣を抜き放つ。この瞬間――俺の思考が止まる。いや、リンガーの抜刀スピードに思考がついていかないのだ。
俺とリンガーの距離は離れていた。ゆうに十五メートルは……。だがリンガーにとってそんな距離は無いにも等しい。
俺は風属性の魔法を使いこなす『疾風の騎士』リンガー・シャラン、その実力の片鱗をみた。その代償を高く支払って……。
「ぐあああああああああああああああああああああああああああ」
「せ、先輩! えっ、こ、こんな簡単に人を刺した……?」
リンガーは俺のすぐ隣に立っていた。剣は血で濡れ、俺の腹からは大量の血が流れている。
な、なにが起きた。いきなり腹を――裂かれた。
「リュウジ! このっ!」
ミセが服の内側に仕込んでいたダガーでリンガーを切り伏せようとするが……そんな単調な攻撃は王国最強騎士にとっては児戯だ。
難なくかわし、ミセの首に剣を添える。あと少し力を入れればミセの首は体から離れる。
「み、ミセ!」
「キミが『殺しても死なない』ことは知っているさ。でも死より苦しませる方法はこの世に存在する。悪いことは言わない。僕と一緒に城に来たまえ」
優しく言うリンガ―だが、その言葉には強制力がある。異世界に来ても一緒だ……。力ないものは力のあるものに従うしかない。
そして――この世界では力のない者の末路は死だ。
そう――死ぬのだ。俺は死ぬ。こうも簡単にあっけなく。これは遊びでもなく試合でもなく、紛れもない『殺し合い』なのだから。
「……そうか。死ぬ。死ぬんだ……死ぬ……死ぬ?」
死ぬ? 俺が死ぬ? それは――俺だけか? いや――違う。ミセと怜奈。ふたりが死ぬ? 人を死なせてしまう。『また自分の所為』で。
「俺の所為で――人が死ぬ?」
それはかつて俺が犯した過ちで――それだけは決して繰り返してはいけない。
「うあああああああああああああああああああああああああああああ」
気が付けば俺は叫んでいた。己の内にあるものを形にする。己が嫌っていた物を具現化する。それは逃げて逃げて逃げて。捨てたもの。
豊田竜二の死具。プロレスリングだ。
「リュウジ!」
「な、なんだこれは……! くっ」
ミセとリンガーを引き離し、リンガーを捕まえる。
「隊長! 離れて下さい! 魔力計測器が振り切れています! その男の足元も魔方陣! セブンスコードクラスの魔力です!」
「もう……遅い」
リングが顕現する。内部に居るのはリンガーと俺。試合という『ルール』から逃れられるのは勝者だけだ。
「せ、先輩の傷口が治っていく……? み、ミセさんこれは?」
ミセに駆け寄った玲奈が問いかけるが……俺を召喚したミセでさえ、今の状況を理解できないようだった。
「身体強化……で、でも、致命傷を簡単に回復する身体強化なんて……」
身体が軽い。腹の痛みももう消えている――あとは目の前の害悪を消すのみ。
「そうだ。現実でも異世界でも変わらない。このリングの上では俺は最強なんだ」
「全員! 一刻も早くこの妙なフィールドを破壊しろ!」
剣を構えて部下に指示を飛ばすリンガー。だが……その指示は無意味だ。
「魔法槍が届かない! な、なんて強度だ!」
「……無駄だ。俺の許可なしに、リングに部外者は入れない」
「……二十四戦二十四勝。どれも圧倒的勝利――ついた通り名は『勝利する者』」
「れ、レイナ?」
「先輩の戦績です。そうです。そうです! 先輩は絶対に負けないです! 誰より気高く強い! それがあたしの先輩なんです!」
「クソ! まだ破壊できないのか!」
「無駄だと言っただろ?」
俺はリンガーに向かってかける。それは先ほど見せたリンガーの風魔法よりもさらに速く鋭く、人の目には見えない攻撃。
俺が現役時代に得意としていた打撃系技。
ウエスタン・ラリアット。
前傾姿勢で突進し、左腕を振りぬいて相手の首を刈り倒すフィニッシュホールド。あらゆる強敵を薙ぎ払ってきた。俺の切り札の一つ。
それは魔力というブーストを得た今、本当に命を刈り取る死神の鎌だ。
「うがあああ……な、なんだそのスピードは……くっ」
一撃で倒れこむ王国最強の騎士。一撃で倒す。文字通り最強。俺が最強だ……。
「怜奈。スリーカウントだ!」
「! は、はい! ワン!」
懐かしい。耳障りだ。久しく聞いていなかったスリーカウント。俺は――プロレスをやる価値のない人間だ。それなのにリングに立っている。
異世界に来てまで俺は……。
「ツー」
リングの上で燃えないなんて初めてだ。まして――勝利に喜びを感じないなんて……あるのは強い後悔だけだ。
「スリー! 勝者豊田竜二!」
怜奈が高らかに宣言した瞬間、俺の腰には懐かしのチャンピオンベルトが出現した。
それは人生で最も空しいベルトだった。