プロローグ3 朝鮮戦争はあっという間に
ちょっと忙しかったので時間がかかりました。
北朝鮮の第一統書記は、アメリカのこの要求を飲み込んだ。
これには、アメリカや日本を含む世界の多くの人が驚かされた。
自分勝手に戦争を始めただけと思った人は多かったにちがいない。
戦争が、始っても日本の国会では集団的自衛権にありかたが話われていた。
日本では始めのうちは、韓国は負けるはずなと思っていた為、この事態を想定していなかった。
しかし、韓国軍は多くの兵士が我先にと逃げ出しはじめて、戦列を維持することが困難になっていた。
そして、わずか1日でソウルが陥落させられた!その事に多くの議員は驚かされた。
さらに日本中を驚かせる事が、戦争開始三日目におこった。
韓国からの漁船等を使ってに日本に避難民が、押し寄せていた。そう、戦争を恐れた人々が日本に押し寄せて来ていたのだ。
あんなに慰安婦問題とか言っていたのに。
ここまでなら、多くの人が納得できるであろう。
でも、この国は、一味違っていた!
中でもひどかったのは、韓国海軍が佐世保に逃げてきた事だ!
イージス艦の一番艦世宗大王と駆逐艦5隻と
ドクト級ドッグ型揚陸艦が逃げてきたのだ!
その船には、軍人とその家族が乗っていた。
かれらは、船から降りてくるなりいい始めた。
「なぜ、日本人は助けに来ないのだ!!」
「何で日本人は、隣人を見捨てるの!!」
「日本人が助けに来ないから我々は、
戦えないのだ」
などなど、いろいろ文句をいい、彼らは助けてもらった癖に日本人を非難しはじめた!
誰が聞いてもおかしいと思うようなことをいい始める始末だった。この様子をテレビで見ていた日本人達が唖然としたのは言うまでもない。世界中の人々も同様に驚かした。
そして、こんな国にホントに価値はあるのか世界中の国々に思わせた。
この時、国会では集団的自衛権ではなく、これからの事が話し合われていた。個別的自衛権の問題である。隣の国は、戦争状態になってしまってた。そのため、日本が決して安全とは言えなくなってしまっている。
この時自衛隊は、万が一に備え、第七師団を中心とした多くの部隊が南下していた。
さらに、弾道ミサイルを迎撃するために
イージス艦の四隻が日本海にむけて、
こんごう型護衛艦 みょうこう
あたご型護衛艦 あたご
の2隻が舞鶴港から出港し、さらに
こんごう型護衛艦 こんごう、ちょうかい
あたご型護衛艦 あしがら
の3隻が佐世保から出港した。
さらにそれらの護衛艦を守るための艦も多数出港していった。
この時(つまり、9/7)
北朝鮮軍は、ソウルを陥落させ、韓国第3の都市の
仁川も陥落させ、世宗を攻略中であった。
9/8に日本の政府は、北朝鮮に声明を発表した。
「北朝鮮は先月の台風の影響で、食料事情もとても悪いことでしょう。
私たち日本人の救出を許可するなら、あなた方に食料を渡す用意はできている。我々は、韓国にいる日本人を心配している。不時に助けることができたら、さらにおおくの食料を輸送することも可能だ。
ソウルなどの既に占領した都市にいる日本人を殺さないでほしい。そして、捕虜としてた男女共丁重に扱ってほしい。あなた方の正しい判断を期待しています。」
これを受けた北朝鮮政府は、アメリカからの要求と同じ様にこれを飲み込んだ。
北朝鮮の攻撃は、補給を考えず、一回の攻撃による突破を狙っていた。そのため、補給を受けることは出来なかった。彼らは、略奪によって生きているといってよかったのだ。
なので、北朝鮮にとって食料と捕虜の人を交換することは、非常にありがたかった。
そして、護衛艦と共に輸送艦を連れて仁川まで運ぶことを認めた。
そのときに、日本人の身柄を引き渡すことになった。
これに対して、いまだに中国にいる韓国の大統領は、猛反発した。
「日本人は、また同じ過ちを繰り返すのか!
90年前と同様にまた我が国の神聖な領土を踏みにじるのか!
彼らに上陸させてはならない!
我々の国は我々が守り抜くのだ!」
せっかく助けてくれる国を怒らせてどうすると多くの人が思った。
救いようの無い国だと世界中の国々から思われた。
中国にすら呆れられた。
韓国はもう反対したが、結局日本は、アメリカと共に艦隊を派遣することになった。
この時、集団的自衛権を国会で採決し、可決した。
これによって正々堂々と軍事行動をとれるようになった。
この15日後、つまり9/23に日米両艦隊は、出撃日した。
米艦隊と共に食料を積んだおおすみ型輸送、ヘリ空母のいせ、その護衛艦7隻、そうりゅう型潜水艦2隻、おやしお型潜水艦2隻は、、攻撃を警戒しなが仁川を目指した。
残りの艦隊は佐世保て補給を受けた韓国艦隊と共に釜山を目指した。
これには、
おおすみ型輸送艦のしもきた、くにさき
ひゅうが型護衛艦のひゅうが
いづも型護衛艦のいづも
を中心としたした輸送力の強い艦が選ばれた。
しもきたには、10式戦車を15両とその整備部隊
くにさきには、96式装輪装甲車30両など
ひゅうが、いづもには、普通科師団が乗り込んだ。
仁川にいった部隊は、無事に捕虜を交換することに成功した。自衛隊の私たち食料は、とても感謝された。
また、アメリカ軍も多くの人々を助けることができた。
それに対して、釜山では、日本人の救助はほとんど無事に成功した。
しかし、救助に行った部隊は、なぜか韓国陸軍の戦車部隊に攻撃された。これには、驚かされた。彼らに無線で警告したが攻撃をやめないので、10し式車による砲撃をした。
戦車中隊は、倍の数の戦車との戦闘になった。
K-1戦車を攻撃し、一撃で葬りさったのに対して、こちらは、数発しか被弾しなかった。その被弾した箇所も貫通することもなかった。
日本の兵器の強さが初めて世界に知らされた瞬間だった!
自衛隊は、このまま韓国にいれば、新たな戦争の火種になると考え、釜山からの撤退を決めた。
これが戦争開始から1ヶ月半後の事だった。
○●◎○●◎○●◎○●◎○●◎○●◎○●◎
戦争が始まってから約3ヶ月たった12/15に朝鮮戦争は、釜山が占領したことによって、北朝鮮軍の勝利に終わった。
朝鮮半島は、北朝鮮に統一された。
これは、アメリカが韓国を支援しなかった事が大きいにちがいない。
戦争が終わっても徹底抗戦を叫ぶ元韓国大統領は、北京のホテルで暗殺された。
これによって反体制力は、ほとんどなくなっていった。反対しているとばれれば、殺されるか、鉱山送りになることは、わかっているからだ。
やっと朝鮮戦争終わらせました。
次の回で、プロローグは終わりです。
朝鮮戦争後の日本と2038年です。
明日中に投稿しいけど、明後日になるかも知れないです。