第65話 帝都空襲ー1
帝都空襲編 は、三話構成の予定です。
11月7日、16機のB-25を搭載した空母ホーネットと、空母ヨークタウン、その護衛の重巡洋艦ヴィンセンス、軽巡洋艦ナッシュビル、駆逐艦のグウィン、グレイソン、メレディス、モンセン、給油艦シマロン、サビンは、サンフランシスコ港を出撃した。
途中、ダッチハーバーから出撃した巡洋艦ソルトレイクシティ、駆逐艦バンチ、ベンハムと合流し、日本へ向かった。
攻撃予定日前日の11月19日、日本時間03:25は対艦用のレーダーに点を発見する。ハルゼーは、撃破するべくヨークタウンからSB2Cヘルダイバー爆撃機を索敵のため発進させた。捜索に出たSB2Cヘルダイバーは、約80km先に哨戒艇を発見した。
空母ヨークタウンからSB2Cヘルダイバー爆撃機が出撃した頃、アメリカのレーダーが発見した相手である日本の監視挺、11号監視挺もレーダーで航空機、艦隊を発見していた。11号監視挺は、『敵艦隊発見』と本土に連絡をしてアメリカ艦隊逃亡を図った。
11号監視挺は、対空、対艦、対潜レーダーの3つを装備しており、日本沿岸に配備され、アメリカにたいして監視網の一角を担っている。この時期、この監視挺と同型だけでない多くの特設監視挺も任務に着いていたのだ。
この監視挺の性能は以下の通りだ。
監視挺
基準:100トン
満載:140トン
全長:35.0メートル
全幅:9.2メートル
機関:ディーゼル×2基、ガスタービン×2基
軸:スクリュープロペラ×3軸
出力10,500-11,000馬力
速力:37ノット
乗員24名(1944年11月の時点で1号-45号まである)
兵装:2式90口径35 mm連装機関砲x2(前部、艦橋上部)
レーダー:対水上用、対潜用、対空用
艦様:艦橋は高速航行時の衝撃が最も少ない船体のやや後ろ側に配置された。居住区は船体前部に科員居住区が、中部右舷側に士官室があり、船体が小型なだけあっていずれも寝室と食堂を兼ねる。
05:48、アメリカ艦隊は、SB2Cヘルダイバー爆撃機からの連絡の元日本の監視挺を撃破するため追っていたが、高速で逃げる監視挺に追い付けないでいた。
その事に痺れを切らしたハルゼーは、
「ヨークタウンから戦闘機一個小隊を出せ、早く撃沈するんだ!」との命令をだした。
すぐさま、F4Fワイルドキャット戦闘機一個小隊が空母ヨークタウンから出撃していった。
F4Fワイルドキャットのうち一機が、監視挺からの機関砲による反撃にあい、撃ち落とされてしまった。
それを見た残りの小隊は、仲間の仇を撃つべ、機銃掃射を監視挺に対して繰り返した。監視挺は、火災が発生し、しばらくして行動不能になった。
その後、追い付いた駆逐艦バンチからの砲撃をうけ、11号監視挺は沈んでいった。
乗員28名中22人が戦死し、残りの6名が駆逐艦バンチに救助された。
11号監視挺は、沈没する07:34まで無線を打ち続け、アメリカ艦隊の存在を知らせ続けた。
これによって日本の軍務省ではあわただしく活動が行われた。
現在日本本土にあり、作戦行動可能な海軍艦艇は、偶然本土に戻って来ていた軽巡洋艦阿武隈と駆逐艦だけだった。他の大型艦は、ハワイ、トラック泊地、シンガポールにいるか、フィリピンでの作戦中、別の海域へ移動中だったのだ。
急遽、行動可能な軽巡洋艦阿武隈と駆逐艦5隻をその海域に向かわせた。もっとも、この呉から出撃したこの5隻がアメリカ艦隊に会敵出来る可能性は限りなく少なかったが。
ほぼ同じ頃、国防軍艦艇は、ハルゼー率いる第18任務部隊を止めるべく出撃したのだった。
08:34、米アメリカ艦隊は先程沈めた哨戒艇とは別の哨戒挺を視認した。それは日本軍特設監視艇「第五岩手丸」に発見された事を示していた。
「第五岩手丸」は、軽巡洋艦ナッシュビルの砲撃を受け続け、09:12に撃沈された。「第五岩手丸」の乗員12人全員は艇と運命を共にした。
だが、それまでにインチ砲弾825発と30分を必要とし、この岩手丸に無線を使う時間を与えた。この無線でさらに本土にアメリカ艦隊が近づいている事がわかった。08:58に発信された、『空母1隻、戦艦1隻、巡洋艦1隻、駆逐艦多数見ゆ』によって、さらに日本の軍務省を慌てさせたのだった。
日本本土からかなり離れているにも関わらず2隻もの哨戒挺に発見されているアメリカ軍は付近の哨戒艇を一掃する事を決めた。
微妙に空母エンタープライズからF4Fワイルドキャット戦闘機が周辺の哨戒艇を攻撃する為に発艦した。
9:20に「栗田丸」、11:29に「海神丸」、13:40に「八戸丸」と「第二旭丸」、14:07「長久丸」、14:30に「第一福久丸」、「豊田丸」、「第二一南進丸」を発見し攻撃をした。
さらに8隻もの特設監視挺が攻撃をうけた。
「長久丸」は機銃掃射で火災が発生し、翌日03:00に沈没した。海を漂流していた3名の生存者は、満身創痍な「栗田丸」に救助された。「八戸丸」はF4Fワイルドキャット戦闘機1機と交戦し、火災が発生、艦内の大部分が焼けて航行不能となっていた。2日後、救助にきた、たまたま函館に停泊していた特設巡洋艦「浅香丸」に乗員は救助された。被害の酷かった「八戸丸」は、特設巡洋艦「浅香丸」によって沈められた。
「第二旭丸」は、火災が発生し燃料に引火し、しばらくして船は沈んでいった。
16:50には「第二一南進丸」が舵をやれて航行不能となった。二日後、乗員は「浅香丸」に救助され、曳航された。
16:30、「豊田丸」アメリカ艦隊を視認した。「豊田丸」は『米空母2隻、米巡洋艦2隻を発見』したと通報する。約50分もの間「豊田丸」は逃げ続けて17:40.軽巡洋艦ナッシュビルの砲撃を受けて沈んだ。
第6哨戒艇部隊は監視艇3隻と38名を失い、第7哨戒部隊は監視艇2隻と15名を失ったのだった。
アメリカ艦隊は、特設監視挺を狩るのに夢中になり、この先の海中の存在に気がついてはいなかったのだった。
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