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タイムスリップ 日本国防軍 と平和を愛した天皇  作者: 暁 楓
第3章 太平洋緒戦(破竹の勢いで進む日本軍)
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第60話 フィリピン作戦-4

新プロローグを書いてみました。

内容は、前のを元におかしい所を直した感じです。


少し強引に進んでいるところもありますが、良かったら見てください。

 



 リンガエン湾上陸をした日本軍は、マニラ平野の東側を第48師団本体と第34師団が、西側を第48師団上島支隊が進撃し、東海岸からも第4師団が首都マニラを目指した。

 トラック、戦車を中心とした機動車両編成の第48師団本体に対して、第48師団上島支隊も上陸させた自転車で銀輪部隊を編成し、本体に負けないスピードで進撃を続けた。



 だが10月1日、第48師団上島支隊は、マニラ平野でフィリピン軍第21歩兵師団と戦闘を行った。

 バターン半島に向けて撤退中の第21師団に、上島支隊は襲撃された。

 重火器を持たず、兵力でも劣っていた上島支隊は、夜間の内に自転車を使って撤退を開始した。


 フィリピン軍第21師団は、自転車を要する上島支隊に追い付く事が出来ず、マニラ平野で孤立をしてしまった。

 貧相な装備のフィリピン軍第21師団は、バターン半島にたどり着く事が出来ず、本体と合流した上島支隊によって壊滅させられた。



 日本軍は南北からマニラへの攻撃を行う直前の10月5日にマニラ市は無防備都市宣言をした。1942年10月7日午後、マニラは第14軍のリンガエン湾上陸作戦からわずか16日で陥落した。



 第14軍司令官である本間雅晴中将は、マニラ入場にあたり将校800名を集めて1時間に渡り

「焼くな。犯すな。奪うな。」

 と繰り返した。

 違反したものは厳罰に処すと訓示を行い、将校は各部隊に戻ると兵士に軍司令官の訓示を正確に伝えた。


 天皇陛下が、前のマレーの作戦が行われた時に同様の事を言っていた事が頭に残っていた兵士は、この命令を忠実に守った。

 シンガポールとほぼ同様の対応がマニラでも行われたが、シンガポールに比べてはるかに厳しかった。まだ米軍との戦闘が継続されているからそれは仕方がなかった。










 アメリカ軍、フィリピン軍の両軍は、首都マニラを捨ててバターン半島へ至る道路の全てを死守し、周辺にあったほとんど部隊(壊滅したフィリピン軍第21歩兵師団以外全て)のバターン半島への撤退を成功させていた。



 日本軍でもバターン半島へ向けて多数の米アメリカ軍、フィリピン軍の両軍が移動しつつあることは確認していた。


 しかし、アメリカ軍への監視不足や情報伝達の間違いで、第14軍第の本体には正確な情報が伝わっていなかった。その為、アメリカ軍、フィリピン軍に対する対応が遅れ、その結果バターン半島に籠られてしまった。


 遅れながら対応した日本軍は、バターン半島に集結した敗残兵の兵力は、40,000ないし45,000程度であろうと見込んだ。

 軍務省の作戦本部は、展開中第14軍の指揮下にある兵力のほとんどをバターン半島の作戦に投入する計画を建てた。

 これならば、有利に戦いを進められると踏んだのである。

 実際は、この倍近くの敵がバターン半島に集結しているのだが、作戦本部はそれには未だに気づいてはいない。



 第48師団、第34師団、第4師団、第1混成旅団(戦車連隊と野砲連隊の混成旅団)と第5飛行集団(台湾本面空軍の半分を占める精鋭飛行集団。あの有名な加藤隼戦闘機隊といわれた飛行第64戦隊を配下に置く。)にバターン半島の攻略を命じた。

 作戦開始は、兵力が整った10月23日であった。




 またこの時、フィリピン南部のミンダナオ島では、第18師団が、9月27日にダバオに上陸し現地在住の邦人保護にあたっていた。

 本格的な攻略作戦は10月20日に策定され、第18師団は、ビサヤ諸島、次いでミンダナオ島を攻略しようとしていた。









 10月23日 日本軍は、遂に攻撃を開始した。

 第48師団、第34師団、第1混成旅団(戦車などの走行車両を配備する部隊)は、二個師団と一個旅団はバターン半島入り口のナチブ山の東側の米比軍防衛線の中央に配置されている軍団を中心に、2日に渡り砲撃を開始した。

 同時に、台湾方面空軍の第5飛行集団は、爆撃機を多数配備し、陸軍の支援を行った。


 2日に渡って砲撃を受けたフィリピン軍第41歩兵師団の担当する防衛線は、夜が明けると共に攻めてくる戦車、装甲車によって強襲され、フィリピン軍第41歩兵師団は敗走した。

 第三防衛線に配置についていた三個師団の中央であるフィリピン軍第41歩兵師団が壊滅したことで、アメリカ軍が想定していた防衛とはまた違う戦いをしなくてはいけなくなり、フィリピン軍は、混乱を起こしてしまった。



 壊滅した第41歩兵師団の南西に位置していたフィリピン軍第51歩兵師団は、その混乱した隙を突かれ攻撃を受けた。

 三倍以上の敵から攻撃を受けた第51歩兵師団は、第41歩兵師団敗走してきた兵士らの話を司令部に連絡をした。

 連絡をした司令部からの返答は、『増援が着くまで第三防衛線を死守せよ』というものだった。

 第51歩兵師団は、3日もの間日本軍の砲撃と空襲に遇いながらも、南の第二防衛線から援護に来るフィリピン軍第61歩兵師団、アメリカ軍フィリピン師団第52師団の増援を待ち続けた。




 中央から見て、フィリピン軍第51歩兵師団とは逆の方つまりアメリカ軍の右翼に展開していた(東側に配置されていた)。アメリカ軍フィリピン師団第57師団は、中央を突破された時から一度も戦闘をしていなかった。

 中央のフィリピン第41師団が突破されたと報告を受けた第57師団は、第三防衛線に半数の部隊を残し、半数は日本軍に攻撃を仕掛けようとした。


 第三防衛線の中央が突破されて4日目の夜、アメリカ軍フィリピン師団第57師団から編成された部隊は、日本軍第34師団の陣地の一つを夜襲した。

 第34師団はこの夜襲を撃退したが、突入してきたアメリカ軍兵士によって300名の死者を出してしまった。

 これに激怒した第34師団は、アメリカ軍フィリピン師団第57師団に積極的に攻撃を加えた。

 第34師団は、第5飛行集団の支援のもと戦闘を行い、わずかな戦死者を出しただけで撃破をする事が出来た。




 その頃、第48師団と第1混成旅団は、アメリカ軍の猛烈な反撃を受けていた。

 フィリピン軍第51歩兵師団に連日砲撃を行っていた日本軍の部隊に、第51歩兵師団を周り混む形で側面から、フィリピン軍第61歩兵師団とアメリカ軍フィリピン師団第52師団が雪崩れこんだのだ。



 一個師団と一個旅団は、なんとか雪崩れ込んだアメリカ軍、フィリピン軍に対応したが、占領した陣地から撤退せざるをえなかった。

 アメリカ軍、フィリピン軍の三個師団は、後退する日本軍に大規模な攻撃を仕掛けようとしたが、日本軍機によって上空から爆撃され、機銃掃射を受けていたので思うように日本軍を撃退させられていなかった。

 そこにアメリカ軍フィリピン師団第57師団を撃破した第34師団が援護に到着した。

 どちらの軍の兵士も疲労していたが、武器の性能や錬度で上回っていた日本軍は、徐々にアメリカ軍、フィリピン軍にを押し返していった。








 10月26日、第4師団は予定日より3日遅れることながら、海軍の艦艇の支援を受け、ナチブ山西側でアメリカ軍との戦闘を開始した。

 第4軍は、海軍の艦船に搭載されているオ式回転翼機や、艦載機からの情報を得てアメリカ軍との戦闘を有利に進めていた。



 だがアメリカ軍、フィリピン軍の陣地は数線にわたって巧妙に配置されており、アメリカ軍フィリピン軍は、有効な反撃を加え日本軍には死傷者が続出した。

 特に西岸の第4師団は、海軍がついていると思って油断していた為か、死亡する兵士が多かった。



 バターン半島はアメリカ軍フィリピン師団がオレンジ計画に基づいて構築していた堅固な防衛線であり、ナチブ山周辺の第一線の後方にも、バガックからピラーに至る第二線、マリベレス山周辺の第三線と強固な防御ラインが控えていたのである。




 30日、日本軍は、半島西海岸側面から第4師団佐々木支隊(歩兵第8連隊基幹、兵力5,000)を投入したが、やはり米比軍の頑強な抵抗に遭い、佐々木支隊は、3分の1の兵力を戦闘不能にさせられた。

 ナチブ山西方の第4師団は粘り強く攻撃を続けた。








 11月5日、東西のどちらの防衛線でも日本軍に苦戦し陣地を奪われていたアメリカ軍、フィリピン軍は、第二防衛線へ後退した。











 第二線は最も強化された防衛線である事を日本軍は、まだ知らなかった。

















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