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タイムスリップ 日本国防軍 と平和を愛した天皇  作者: 暁 楓
第3章 太平洋緒戦(破竹の勢いで進む日本軍)
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第59話 フィリピン戦いー3

すいません[。>_<。]

先週は、忙しく投稿出来ませんでした。


今週はがんばります。





 




 日本空軍の爆撃機による爆撃を受けたクラーク飛行場は、格納庫や管制塔といった主要な施設を破壊されてしまった。



 日本軍の爆撃部隊は、戦闘機や爆撃機と言った航空機やその他の飛行場の施設を狙った為、滑走路は、8割り以上が無事だった。

 爆撃を逃れた爆撃機や戦闘機は、直ぐにイバ飛行場などの他の飛行場に撤退をさせられた。もし、また日本軍が攻めて来た時の事を考えたのである。

 最終的に陸軍の兵士によって、クラーク飛行場は完全に破壊されて日本軍が攻めてきたとしも直ぐには使えないようにされた。




 隠されていた爆撃機B-17何とか半分以上残った事は、アメリカ極東空軍にとっては幸いだった。

 ただ、アメリカ極東空軍が持つ作戦機249機の内109機が撃墜又は地上撃破される事は、想定外だった。


 アメリカ極東空軍は、全機体の実に43%をも最初の戦闘で失ってしまっのだ。




 これは、致命的な事であった。



 現在、フィリピンには簡単に補給が出来ないのだ。

 アメリカ太平洋艦隊が壊滅した今、輸送船を使用してのんびり航行して、飛行機を運ぶ事なんか不可能なのだった。




 アメリカ極東空軍司令官のルイス・ブレリートン少将は、当然左遷させられるような失態を犯した事になる。

 だがここは、アメリカ本国では無く極東の植民地であるフィリピン。

 司令官である少将の代わりとなる人物は、いなかった為、そのままの役職をする事になった。




















 日本軍は、その爆撃以来ほとんどフィリピンに対して作戦を行わなかった。

 いや、行えなかったという方が正しい。

 日本軍は、1942年軍務省が設置されてから設備の近代化を行ってきた。

 その為、新型の装備を用いて訓練を終了している部隊が1941年当初と同等にあるわけではないのだ。

 日本陸軍の近代化されている部隊の多くは、1944年の2月にはハワイか南方か満州に配備されているのだ。

 なので、フィリピンに対して本格的な作戦が行われたのは、1944年の9月なのだ。







 5月後半、シンガポールの占領を成功した海軍は、7月には半数の艦艇が本土に帰港していた。

 金剛型一番艦の金剛は、南支那海海戦で受けた被害を修理するために4ヶ月のドック入りを余儀なくされた。







 9月、海軍は、戦線復帰した戦艦大和を旗艦とする戦艦部隊と第一、二航空戦隊を中心とする空母部隊を派遣した。


 第一航空戦隊は、半年による訓練過程を終了したばかりであり、多少の混乱はあると考えられていた。

 その為、第一航空戦隊の長官である山口多聞中将を空母部隊の長官して作戦が行われる事が決定した。

 そうなると、必然的に第二航空戦隊の桑原中将は、山口中将の下に着く事になつた。







 陸軍は、第14軍団の本間雅晴中将を司令官とし、前田正実中将を参謀長に据え、配下に4個師団と1個旅団を従え作戦を開始した。





 第14軍の一部は9月15日に離島のバタン島、17日にルソン島北端のアパリとビガン、19日にルソン島南端のレガスピーに上陸作戦を行った。


 そして、現地の飛行場を確保して台湾で新たに編成させた航空部隊を前進させた。そして航空部隊の支援のもと陸軍は進軍した。



21日に第14軍主力(本間中将率いる第48師団と第34師団と第4師団の一部)は前進してきた空軍と海軍の支援砲撃によって無事にリンガエン湾から上陸した。


 リンガエン湾では、米比軍北部ルソン部隊による強力な抵抗もあって上陸作戦は一時難航したが、海軍による支援砲撃を受けた陸軍は、無事に上陸を果たした。



 25日には、第4師団主力、も上陸作戦を行い、東岸のラモン湾に上陸した。









 敵将ダグラス・マッカーサーは、フィリピン全土を防衛するために要所事に兵士らを配置していた。

 今回は、それが原因で上陸を許してしまった。



 日本軍のリンガエン湾上陸作戦時、アメリカ軍とフィリピンは2個師団が防衛を担当していた。


 アメリカ軍は、海軍と空軍による連携と、素早い上陸作戦にやられ、あっという間に上陸を許してしまった。

 そして、リンガエン湾防衛部隊は、戦闘開始2日目にして崩壊してしまった。









 そのころ、マッカーサー司令官は、古いオレンジ計画に立ち戻り、マニラ湾を挟んでマニラと向かい側にあるバターン半島とコレヒドール島に立てこもる決断をしていた。


 26日にジョージ・マーシャル参謀総長へ至急電を送って許可を要請し、マーシャルも撤退を了承した。


 27日には、マッカーサー司令官は配下の各部隊長に方針を伝達し、アメリカ極東軍司令部とフィリピン政府もバターン半島への移動を開始した。



 アメリカ軍は、各地で日本軍のからの追撃を受けながらも約7個師団の兵力をバターン半島に集結させたのだった。
















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