第49話 世界情勢1944―1
マレー作戦のの第一段階を終わらせたころ、連合国軍は地球の反対側で上陸作戦を行っていた。
4月3日、連合国軍と上陸作戦を開始した。
これが、ネプチューン作戦こと、史実では有名なノルマンディー上陸作戦である。
史実どうり、ヒトラーと西方総軍司令官ゲルト・フォン・ルントシュテットは、連合国軍の欺瞞作戦のひとつフォーティテゥード作戦に騙され、カレーを警戒していた。
そこに、ノルマンディーに上陸作戦を行った連合国軍の中で、沿岸にいた守備隊を撃破し海岸を余裕を持って占領したのは、一部であった。
ノルマンディーの防衛担当のエルヴィン・ロンメル陸軍元帥率いるB軍集団のドイツ守備隊は、強固に抵抗した。ドイツ守備隊のロンメル率いるB軍集団の第7軍は、約50,000人なのに対して、上陸してきたアメリカを中心とする連合国軍は、約160,000人と3倍以上の兵力を持っていたのだ。
それにもかかわらず第7軍は、連合国軍の上陸した部隊に多くの害を与えた。
その後、第7軍は、壊滅的と言ってもいいと言うほどの被害を受けるも、突如現れて攻撃し直ぐに撤退という、ゲリラ戦法を用いて味方が来るまでの時間を稼いだ。
その後連合国軍は、後から上陸してきた部隊と共に部隊を編制し直した。
そして、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍をオバーロード作戦の目標パリを目指して進軍を開始した。
ドイツ第三帝国は、上陸作戦を察知していた。そのためカレーには、もし連合国軍がカレーを占領しようとしたら返り討ちにあっていたであろう兵力が集められていたのである。
これにドイツ第三帝国は、反撃すべくカレーに小数の部隊を残し反撃できるすべての兵力をつぎ込んだ。これには、西方総軍司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット陸軍元師は、夜中に関わらずヒトラー総統を起こさせるという荒業をした。これにルントシュテット元帥は、その後罰せられる事は無かった。
そして、ヒトラー直属の三個師団と共にカレーを守備隊B軍集団第15軍、その他かき集めた部隊をロンメルの元へ急行させた。
これにロンメルが合流し、双方が激突してからは、激しい戦闘が繰り広げられた。
ドイツ第三帝国軍は、最新鋭のティガー戦車、パンター戦車を防衛の為、本国中から国かき集めた。
そしてありったけの戦車、装甲車を集め機甲師団を組織して戦線を押し返し始めた。
アメリカ軍の主力戦車M4中戦車シャーマンは、正面きってドイツ軍の戦車と戦う事は、できなかった。
M4中戦車シャーマンの正面装甲では、ドイツの主力戦車タイガー戦車の主砲88mm砲に耐える事ができなかったのである。
土嚢を正面装甲の上に乗せるなどしたが、それでもやられてしまっていた。
量を圧倒的に上回る連合国軍をロンメルは、驚異的な戦術と、戦車の火力をいかし、どんどん追い詰めていった。
唯一ドイツ軍のロンメルを苦しめたのは、アメリカ軍の新型対戦車自走砲(ドイツでは、駆逐戦車)であった。
史実と違いこの対戦車自走砲M18は、初の戦争参加の為、ドイツ軍には未知の駆逐戦車だった。
その新型対戦車自走砲は、76mm砲を積んでいる。側面を狙われたら、ドイツの最強のタイガー戦車と言えども勝てなかったのだ。さらに、その対戦車自走砲は、何と小型なのだ。なので、発見するのがより困難だったののだ。
その為、突如行軍中に森の中から狙らわれてしまうという事態が多発した。それに反撃しようとしても、準備が整う頃には、もういないのだ。この対戦車自走砲は、逃げ脚が恐ろしく速いのだ。
開戦当日、電撃戦を行った時の主力Ⅲ号戦車ですら逃げられてしまうほどの速力をもっているのだ。
しかしロンメルは、逆にこのアメリカ軍の対戦車自走砲を多彩な戦術で包囲し、撃破または、降伏させた。
『砂漠の狐ロンメル』の復活であった。
この後、このロンメルの活躍は、プロパガンダとしてドイツとその支配地域で活用される事となる。
連合国軍は、作戦を始めた一ヶ月後の5月には、遂に海岸線から約30kmまで追い詰められていた。
連合国軍は、アメリカ軍を15個師団、その他のイギリスを含む連合国軍が10個師団以上の兵力をつぎ込んでいた。
しかし、ドイツのロンメル、ルントシュテット率いる西方総軍の策略に嵌まり、どんどん追い詰められていったのだ。
6月17日連合国軍最高司令官ドワイド・アイゼンハワーは、ノルマンディーからの撤退を決意した。
その後連合国軍は、地雷をまくなど、道には様々なトラップを作りながら徐々に撤退を開始した。
7月6日連合国軍は、ノルマンディーから全軍が撤退をした。
ノルマンディーで負けた連合国軍は、トルコでも負けていた。
ドイツは、アフリカから撤退した兵力をトルコにつぎ込んでいたのである。(史実とは、違った経過を辿ったようです。)
スターリングラードを占拠したドイツ軍は、南下し始めていたのである。そして、1944年2月にトルコ首都アンカラが陥落していた。アンカラを奪い返すべく、動いた連合国軍は、7月の時点でいまだに奪回せずにいたのである。
その頃には、東洋のジブラルタルと言われたシンガポールだけでなく、スマトラ島、カリマンタン島も陥落していた。
連合国軍は、どこの戦線でも負けっぱなしであった。
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いつシンガポールが陥落と思った方もいたと思います。次回は、日本軍のシンガポール攻略作戦をお送りします。




