第35話 ウェーク島攻略後 と 世界情勢
今回は途中で話が代わっています。
今年の投稿は、今回で最後です。
みなさん一年間ありがとうございました( ≧∀≦)ノ
来年もよろしく\(^^)/
ウェーク島では、上陸師団は捕虜のアメリカ兵の協力を得て、地雷の除去を2日がかりで終わらせた。そこには、新型輸送機の銀河改が陸軍兵士を連れて日本本土からやって来た。銀河改の性能では、往復は出来ないが片道なら問題なく飛べる距離なのだ。日本軍の方針としては、ウェーク島には殆ど守備隊をおかず、基地運営要員と航空機関連の工兵だけをおく予定だ。
ウェーク島は、拠点としては重要だが、島としては小さく、平坦な地形の為防衛にも不向きなのだ。それこそ、航空機による攻撃で簡単にやられてしまうからだ。さらに、ウェーク島は、遠浅な環礁の上にあり海上輸送もとても不向きなのである。防衛拠点を作るのさえ大変なのだ。
それに、ハワイが味方の手に落ちた今、太平洋上に強敵はいないのだ。だから、攻められる可能性はあまり考えられなかったのだ。
来年には、グアムも攻略される予定である。
そうしたら、フィリピンを除いてアメリカのアジアの拠点はなくなるのだ。そうしたら、安全になるのだ。
ウェーク島を無事に攻略した海軍は、上陸師団の護衛の駆逐艦数隻を残して日本に向けて帰っていった。
これは、攻略後1日たった27日のことだ。
艦隊は、31日に日本に帰ってきた。
ハワイ攻略とアメリカとの開戦については、日本国内でだいだい的に報じられ、民衆はおおいに盛り上がっていた。そこに帰ってきた部隊に取材しようと各港には、多くの記者が押し掛けたそうだ。
日本国内は、史実と違いクーデター後にいろいろ変わったのだ。言論統制や衣服を着ること、名前についての制限が無くなった等々あるのだ。
日本に帰ってきた来たといってもまだまだ戦争は終わりでは無いのだ。でも兵士達には、休憩が言い渡され、1月の5日までは休みとなった。
1月の10日の観艦式に備えての練習などあり、戦艦部隊には、フィリピン襲撃作戦などもあるのだ。
そう、この1月10日の観艦式では、新鋭空母信濃、大鳳のお披露目会である。戦争中にそんなことしてていいのかと言われるかもしれないが、多くの戦力を日本に取られたアメリカにとってもは脅威でしかないのだから問題はまったく無いのだ。
日本とアメリカが戦争始まった事、さらに日本がアメリカ太平洋艦隊を完全に破った事に、最近あまり仲のよくなかったドイツでさえ喜んだのだ。
どういうことかというと、クーデターによって陸軍強硬派を閉めていた親独派がすくなくなったことや、ソビエト連邦との樺太交換の際に満州軍の削減などを行った為ドイツから苦情を言われた事に加え、ドイツからの対ソビエト連邦戦に参加を拒否した事などがあった。そのため、ドイツからの技術支援は無なるなどした。まぁ無くっても問題は無いと軍は判断したが。
日独関係は悪化していたが、日本とはまだ同盟国であることに変わりはなかった。
ちなみにイタリアはまだ連合国軍に降伏してはいない。三国同盟のうち日本が参加しなかったことにより、ドイツはソビエト連邦に思った以上に進軍せず、防御をするという方針をとったのだ。それにためイタリア軍には、ドイツの支援が史実と比べ多かったのだ。
だからといって日本とソビエト連邦が仲が良かった分けでもなかった。クーデター政権の日本と社会主義のソビエト連邦では、仲がよいはずが無く利益によって出来た関係だけであった。それでも史実とくらべれば仲は、ましだったと言えるだろう。
日本と中華民国は、史実とはまったく違う関係だった。史実で中華民国は、アメリカやソビエトの支援の元満州の日本軍と戦っていた。しかし、今はそんなことはなかった。1942年の1月以来仲は、よいといって良かった。ただし、中華民国の資本主義側とだが。内戦中の中華民国にとって満州は、ソビエトからの盾となっていたのだから。
逆に中華民国は、東南アジアのフランス、イギリス領からの盾にもなっているのだ。日本軍として専念したいアメリカ戦に余計の敵を増やしたく無いのだ。
1942年の後半には、中華民国の内戦はほぼ鎮圧されていった。時々ゲリラの様に反乱が起こったが、直ぐに中華民国政府軍に鎮圧されていくようになり、1943年中期には、一件も反乱は発生しなくなっていったのだ。
これは、中華民国軍を援助した日本軍の功績が大きかったといえるのだ。
そんな感じで現在安定しているのだ。
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