第31話 ハワイ占領後
忙しいので短めです。ご了解下さい。
キンメル海軍大将は、結局生き延びる事が出来た。
ただ右の膝下は、建物の破片が大きく刺さっていたため切断となった。右肩から下の腕は倒壊した建物に挟まれぐちゃぐちゃになっていた。右足には、木で作られた義足がつけられた。
キンメル海軍大将は、今国防軍のステルス戦艦やまとに乗って治療をしながら国防軍のと日本海軍の共同作戦につき合わさるている。未来の医療技術が弱った体には、必要だと判断されたからだ。
キンメル大将がハワイに戻れるのは、まださきの事だ。
あとこの共同作戦についても次回以降のお楽しみに。
ハワイオアフ島
アメリカ海軍大平洋艦隊の艦船は、ほとんどが日本海軍に没収された。
戦艦
アイオワ
ニュージャージー
ノースカロライナ
ワシントン
カルフォルニア
テネシー
ペンシルバニア
アリゾナ
ネバタ
オクラホマ
空母
レキシントン
サラトガ
エンタープライズ
その他
巡洋艦4隻
駆逐艦40隻
輸送艦10隻
潜水艦8隻
などなど計100隻近くが没収されたのだ。
戦艦アリゾナは、第一主砲の誘爆による被害が多かったため、ハワイで応急修理をしたのち日本に回航されることとなった。
艦首に徹甲爆弾の命中を受けた戦艦ニュージャージーも戦艦アリゾナ同様にハワイ応急修了をしたのち日本に回航されることとなった。
飛行甲板を貫通され、内部で誘爆を起こしたサラトガなどなど、多くの被害受けた艦艇は動けるようになると日本に回航されるのであった。
オアフ島のドックは、アメリカ人の技師達が働かされていた。真面目に働けば三食良い食事をもらえるからだ。ただの技師だけでなく海軍の整備兵も勿論働いていた。
陸軍や、海兵隊の兵士といった普通の兵士達は家を作らされていた。自分達の住むための家である。日本軍にテントと家作るのどっちがいいかなと言われたからである。作るといっても、本格的な家ではない。ログハウスと言う奴だ。艦砲射撃とレールガンによってぼこぼこになったを平にし、そこにたてたのだ。勿論そこに生えていた木を使ったのである。1月半ばには、完成したそう。このログハウス群は、のちに戦争遺産として登録されることとなるとは誰も思わなかったに違いない。
12月21に後続の陸軍はやって来た。来たのは工兵部隊が8割、残りの2割は一般の兵士だ。
早速この来た工兵部隊により新型レーダーが山の頂上につけられた。アメリカ軍の装備していたものよりも圧倒的に高性能なものだ。
300km以上先の艦艇を捉える事ができるのだ。
また、レールガンによって破壊されたハワイの要塞砲は、代わりの砲がなかった為放置された。10隻の戦艦が獲れたからといって油断出来ないした分けでは無い。日本軍は航空主兵装論を採用していた為見送られたのだ。しかし、高射砲陣地は作られた。対艦としてはあまり効果が無いが敵の攻撃機にたいては、すばらしい効果を発揮するのだ。こらは、戦艦大和についている対空砲と同じものである。
日本軍に見つけられた国務長官のコーデリア・ハルは、アメリカに帰される事となった。
ハル国務長官は、日本軍から丁重に扱われハワイに戻って来た戦艦長門に乗っていた東条首相からも同様に扱われた。
日本は、ハル国務長官の副官に大統領宛の親書を持たせ、陸軍の一般兵士と共に輸送船に乗せた。勿論アメリカ軍の滷獲かした奴だ。
武装をまったく積んでいなく、最低限の燃料と食料品だけだ。そして、最低限のアメリカ海軍兵士を乗せ動かせるようにした。その船がアメリカサンフランシスコ港に着くのは12月27日のことである。
ちょうどその頃、日本海軍はウェーク島攻略するのであった。




