新プロローグ2
北朝鮮の第一統書記は、アメリカ大統領バラクオ・バマーの言葉を無視し続けた。
韓国は、刻々と北朝鮮による進撃を許していた。
首都であるソウルを失った韓国は、正常に軍隊を動かす事が出来なかったのだ。
その為、韓国の基地は、北朝鮮に攻略されそこでの手に入れた武器が韓国人に使われるようになってしまっていた。
アメリカ軍は、9/6に平壌爆撃作戦を行った。
米軍の岩国基地から平壌まで30分で行けるのだ。
その近さを利用しての奇襲作戦であった。
しかし、目標である平壌で国の上層部を殺す事には失敗してしまったのである。
その後も沖縄からも何度も爆撃を行ったが国の主導者を殺す事は出来なかった。
戦争が、始っても日本の国会では集団的自衛権にありかたについて話われていた。
日本では始めのうちは、韓国は負けるはずなと思っていた為、こんな事態を想定していなかった。
しかし、韓国軍は多くの兵士が我先にと逃げ出し、戦列を維持することが困難になっていた。
そして、わずか1日でソウルが陥落させられてしまった事に多くの議員は驚かされた。
さらに日本中を驚かせる事が、北朝鮮が韓国を攻撃して三日目におこった。
韓国からの漁船等を使ってに日本に避難民が、押し寄せていた。いわゆる難民と言われる人々である。
そう、戦争を恐れた韓国の人々が日本に押し寄せて来ていたのだ。
あんなに慰安婦問題とか言っていたのに。
日本に逃げて来たのである。
ここまでなら、多くの人が納得できるであろう。
でも、この国は、一味違っていた。
中でもひどかったのは、韓国海軍が佐世保に逃げてきた事だ。
イージス艦の一番艦世宗大王と駆逐艦5隻とドクト級ドッグ型揚陸艦が逃げてきたのだ。
その船には、軍人とその家族が乗っていた。
かれらは、船から降りてくるなり文句をいい始めたである。
*以下は、日本語に訳してある。
「なぜ、日本人は我々を助けに来ないのだ!!」
「何で日本人は、隣人を見捨てるのんだ!」
「日本人が助けに来ないから我々は、戦えないのだ」
「ふざけるな日本人」
「出ていけ日本人、ここはもともと我が領土だったのだ。」
などなど、いろいろ文句を韓国語でいい、彼らは助けてもらった癖に日本人を罵倒しはじめたのだ。
誰が聞いてもおかしいと思うような事をいい始める始末だった。
この様子をテレビで見ていた日本人達が唖然としたのは言うまでもない。世界中の人々も翻訳された内容をニュースで聞いて、見て驚いたのであった。
そして、こんな国にホントに価値はあるのか世界中の国々に思わせたのであった。
この時、国会では集団的自衛権ではなく、これからの事が話し合われていた。
これ以上戦闘が激化し、何らかのミスで日本に火の粉が舞って来るかもしれないのだ。
もう、個別的自衛権の問題である。日本が決して安全とは言えなくなってしまっているのだ。
この時自衛隊は、万が一に備え、第七師団を中心とした多くの部隊が南下していた。
さらに自衛隊は、弾道ミサイルを迎撃するためにイージス艦5隻を日本海にむけて出撃させた。
こんごう型護衛艦
みょうこう
あたご型護衛艦
あたご
の2隻が舞鶴港から出港し、
さらに
こんごう型護衛艦
こんごう、ちょうかい
あたご型護衛艦
あしがら
の3隻が佐世保から出港した。
さらにそれらの護衛艦を守るための艦も多数出港していった。
この時(つまり、9/9)
北朝鮮軍は、首都ソウルを陥落させ、韓国第3の都市の仁川も陥落させ、世宗を攻略中であった。
9/10に日本の政府は、北朝鮮に声明を発表した。
「このような戦争行為を行う北朝鮮は許せない
このような行為を止めなさい
日本人の人質解放を願う」
という内容だった。
これを受けた北朝鮮政府は、無視をし続けると思われた。
しかし、人質解放の事にだけ反応をした。
特使を派遣した日本政府との会談で捕虜は、大量の食料との交換する事が条件となった。
この事は、世界中の誰が考えても、なぜ北朝鮮の上層部が何を思ったか分からなかった。
北朝鮮の攻撃は、補給を考えず、一回の攻撃による突破を狙っていた。そのため、補給を受けることは出来なかった。彼らは、略奪によって生きているといってよかったのだ。
なので、北朝鮮にとって食料と人質を交換することは、非常にありがたかったのだ。
そして、護衛艦と共に輸送艦を連れて仁川まで運ぶことを認めた。
そのときに、日本人の人質の身柄を引き渡すことになった。
また、日本はそのどさくさに紛れ韓国の釜山に自衛隊を派遣する事を決定した。
派遣した自衛隊は、速やかに日本人の避難を行う予定であると好評した。
これに対して、いまだに中国にいて、国に帰れない韓国の大統領は、猛反発した。
「日本人は、また同じ過ちを繰り返すのか!
90年前と同様にまた我が韓国の神聖な領土を踏みにじるのか!
彼らに上陸させてはならない!
我々の国は我々が守り抜くのだ!」
せっかく助けてくれる国を怒らせてどうすると多くの人が思った。
救いようの無い国だと世界中の国々から思われた。
中国にすら呆れられたそうだ。
韓国はもう反対したが、結局日本は、アメリカと共に艦隊を派遣することになった。
アメリカ大統領からの説得により、日本は結局自衛隊を派遣する事になった。
この時アメリカはISILとの戦闘を中心とした政策とっている。その為、世界的にも現在避難されている韓国を助ける事に価値を多く見いだせなかった。
しかし、同盟国である韓国をただ見捨てる事は、アメリカ人のプライドが許さなかったのだ。
その為、アメリカは北朝鮮にソウルから撤退するという条件で艦隊を派遣した。
当然アメリカ艦艇は、北朝鮮にとって攻めて来たら厄介な相手である。
そこで北朝鮮は、アメリカのソウルからの撤退の代わりに、人を連れていく事を許したのである。
ただでさえ、食料が無くて始めた戦争であるだけに北朝鮮には、捕虜を生かしておくだけの力がないのであった。
この時、集団的自衛権を国会で採決し、可決した。
これによって正々堂々と軍事行動をとれるようになった。
この15日後、つまり9/23に日米両艦隊は、出撃日した。
米艦隊と共に
食料を積んだおおすみ型輸送艦のおおすみ
ひゅうが型護衛艦
いせ
その護衛艦7隻
そうりゅう型潜水艦2隻
おやしお型潜水艦2隻
は、北朝鮮の攻撃を警戒しなが仁川を目指した。
残りの艦隊は佐世保で補給を受けた逃げてきた韓国艦隊と共に釜山を目指した。
これには、
おおすみ型輸送艦
しもきた、くにさき
ひゅうが型護衛艦
ひゅうが
いづも型護衛艦
いづも
を中心としたした輸送力の強い艦が選ばれた。
しもきたには、10式戦車を15両とその整備部隊
くにさきには、96式装輪装甲車30両など
ひゅうが、いづもには、普通科師団が乗り込んだ。
仁川にいった部隊は、無事に捕虜を交換することに成功した。自衛隊が北朝鮮軍と取引した食料は、一部が横流しされ、ほとんどは北朝鮮の上層部に持っていかれた。
また、アメリカ軍も多くの人々を助けることができた。そして、アメリカ軍はソウルからの撤退を決意した。そしてソウルの第二歩兵師団や、民間人を回収した。
それに対して、釜山では、日本人の救助はほとんど無事に成功した。
しかし、救助に行った部隊は、なぜか韓国陸軍の戦車部隊に攻撃された。
これには、自衛隊だけでなく世界中の人々が驚かされた。
彼らに無線で警告したが攻撃をやめないので、自衛隊は仕方なく10式車による砲撃をし、警告した。
自衛隊の戦車中隊は、倍の数の戦車との戦闘になってしまっていた。
10式戦車は、K-1戦車を攻撃し、一撃で葬りさった上に数発しか被弾しなかった。
その被弾した箇所も貫通することもなかった。
日本の兵器の強さが初めて世界に知らされた瞬間だった!
自衛隊は、このまま韓国にいれば、新たな戦争の火種になると考え、釜山からの撤退を決めた。
これが戦争開始から1ヶ月半後の事だった。
戦争が始まってから約3ヶ月たった12/15に北朝鮮軍は、韓国最後の大都市である釜山まで50kmに陣を張っていた。
この位置は、アメリカ軍、韓国軍が設置した最終防衛ラインと対立する位置であった。
この位置を境に両軍とも動かなかった。そのまま、戦線は硬直していった。
北朝鮮には、中国が密かに支援をしていたのだ。
中国は、北朝鮮に対して恩を売っておいたのだ。
アメリカ軍は、ソウルから撤退した兵士らを釜山に再上陸させ抵抗をしていた。
しかし、中東での紛争と両方に兵力
さいたアメリカは財政が厳しく戦争を長続きさせられないと考えた。
そこでアメリカは、中国経由で北朝鮮に密使を派遣した。
朝鮮半島は、北朝鮮に統一された。
わけではない。しかし、ほぼ統一された。
アメリカが韓国には何も言わずに決めた北朝鮮との協定では、釜山郊外の硬直している防衛ラインからは中に入らないという事である。
アメリカが決めたこの北朝鮮とのラインは、韓国大統領は納得しなかった。
戦争が終わっても徹底抗戦を叫ぶ元韓国大統領は、北京のホテルで暗殺された。
これによって占領されたソウルで反北朝鮮の制力は、ほとんどなくなっていった。
反対しているとばれれば、殺されるか、鉱山送りになることは、わかっているからだ。
唯一残った釜山には、新韓国政府が誕生した。
そこの釜山政府は、アメリカ軍がかえってしまえば、北朝鮮にいつでも占領される事となるのは目に見えていたので、日本に媚びをうっていた。
年が明けて2017年に。日本政府は戦争が終わり、事後処理で大忙しただった。
さらに 事後処理だけでなく、次年度の予案など多くの問題あったのだ。
その後、日本政府が行った主なことは、
・日朝基本条約を結び、70年ぶりに朝鮮民主主義人民共和国と国交を回復した。
・食品、日用品を除いた品物の消費税の増税。増税後、消費税は10%に
・年金の審査の改革
・国防費の増加---2017年度には国家予算の6%に増加した。(4%から2%増加)
・自衛隊を国防軍とした
・国防軍の海外での行動をする法律を整えた。
特に国連PKO等に参加する時のために
・国防軍の装備品の販売開始
・人口増加計画
(子供が四人以上の家族には、高校、大学にも補助金を出すなど)
・防衛大学の定員増加。
・一般募集の兵士の定員増加。
・軍事衛星の打ち上げ計画。
などなど行った。
そして、2020年になる。
この年は、二回目の東京オリンピックが行われた。
オリンピックの開会式では、ATD-Xと呼ばれていた戦闘機が、開会式でオリンピックと空に描いた。
これが、一般に初めて公開され、大衆の目の前現れたF3心神であった。
また、2020年には、国防軍の予算は、国家予算の8%まで増加した。
17式機動戦闘車は、高コストな割には強くなく、射撃性能も74式戦車と同じため、活躍の場が無いと判断された。
戦車の保有台数も300両の計画から400両まで戻した。これは、新型の10式戦車ではなく、引退間近の74式戦車を共食いしてでも残した結果である。それにより、戦車師団の雇用の問題も解決した。17式機動戦闘車と96式装輪装甲車のノウハウをもとにした、新たなる装輪装甲車の計画が始まった。
2018年から始まった10式戦車改の販売では、シンガポール、インド、台湾などアジアの国に向けて販売した。
さらに、朝鮮戦争の事を踏まえて、襲揚陸艦の必要性を感じたので、おおすみ型の発展型となるとドック型輸送艦の計画が始まった。
尖閣諸島を守るための航空母艦の必要性も感じられた為に、アメリカから原子力空母ジョージ・ワシントンとその艦載機としてF35-Bを購入した。
名前は、あかぎ型戦闘機搭載原子力護衛艦とされた。名前に航空母艦と入れなかったのは、あくまでも侵略の意図は無いと示したかったからだ。
2年前から導入していたF35-Aが基地に配備されている。
しかし、F35は操縦のしにくさや、整備の大変さによって国防軍からは、不評の戦闘機とだった。
しかし、ステルス戦闘機としては世界で、二番、三番の傑作機であるので文句は、公になることはなかった。
2020年を境にアメリカ軍は、徐々に日本からの撤退を開始した。
同盟国であった韓国は、既に同盟を解いてある。
『日本は、アメリカ軍が守らなくてももう大丈夫』という勝手な理由をつけて撤退していったのだ。
これには、アメリカの財政悪化が凄く影響を受けているのだった。
これは、日本に原子力空母も売ってやっただろ。という勝手な理由をつけてである。
原子力空母は、買わされたと言ったほうが本当は正しいのであるが。
2038年になる。
朝鮮民主主義人民共和国は、韓国を占領したことによって、多くの技術を手にいれた。
そして平壌やその外都市に日本企業を受け入れ、新たな工業地帯として発展した。
北朝鮮は、ハンガンの奇跡の再来とまで言われるほど急成長した。中国製品よりも安い北朝鮮の品々によって、多くの市場を確保していった。
また、軍事製品も大量に大量生産し、多くの国に売られて行った。数を揃えるなら中国製より北朝鮮製、いい質のものがほしいなら日本製、金が足りないなら諦めて中国製とまで言われるようになった。
また、極東の軍事情勢は、
中国、朝鮮帝国、日本、ロシア、台湾.....韓国となっていた。
北朝鮮の発展により中国経済は、大打撃を受けてしまっていた。
そのなかで、追い討ちをかけるように1/23に中国を発展に導いた土地バブルが崩壊した。
中国は、旧正月どころではなくなっていた。
中国政府は、経済混乱を防ぐためにいろいろ行ったがどうしようもなかった。結局中国は、軍を動かし暴動を沈めた。中国政府としては、自国の経済に大打撃を与えた北朝鮮を攻撃し、民衆を押さえようと考えていた。
しかし軍は、もし北朝鮮に攻撃をして主導者を怒らせた時の核を防ぐことは難しいと判断した。あまりにも北朝鮮とでは、距離が近すぎるからだ。
それによって、全てのもととなる。日本に攻撃することが決定した。
5/3日本人がゴールデンウィーで浮かれていた日にこと起こった。
沖縄が突如中国空軍によって攻撃された。
第二次朝鮮戦争の度と比べると半分もない米軍基地、新設された国防軍基地は、大多数のミサイルにより壊滅的な被害を受けた。
そして、それから7時間後には、中国軍による揚陸作戦が始まった。
中国軍は、新型の航空母艦2隻を作戦に投入し、沖縄の制空権を確保していった。さらに大陸からの支援もあり、日本はすぐには奪回できず、沖縄を奪われてしまった。
5/10に日本国防軍は沖縄奪回作戦を決行。
民間フェリーなどを借り陸軍の戦車や装甲車、ミサイル部隊も付き、 国防軍の沿岸警備挺を除いた全ての艦隊で行った。(事前に潜水艦は侵攻していった。半分は艦隊と合流していた。)空軍は、低気圧の中を抜けるこどが困難なため、早期警戒機の他に数機の護衛しか飛んでいなかった。
低気圧の中、艦隊を進めた。




