ポイント社会
目が覚めると、スマートフォンの通知が光っていた。
「本日の生活ポイント:1280pt」
これが、いまの社会での「通貨」だった。
現金はとうに廃止され、人々は「行動ポイント」で生活している。
朝、ゴミを出せば+3pt。通勤で渋滞を避けるルートを選べば+5pt。
SNSで好ましい発言をすれば+10pt。
逆に、不適切と判断された発言や行為をすればマイナス。
つまり、人生は常に「採点」されているのだ。
主人公・佐藤健二は、地方都市に暮らす平凡なサラリーマン。
毎朝、スマホを見ては自分のポイントを確認するのが日課だった。
彼の今月の平均は「1375pt」。
世間では「1000pt」が生活保護ライン、「1500pt」が中流、「2000pt」で上級市民扱い。
つまり、健二はギリギリの“普通”だ。
会社に着くと、入口のゲートが光る。
顔認証のあと、モニターにポイントが表示された。
「おはようございます、佐藤さん。現在ポイント:1378。勤務評価A−」
同僚たちは互いに数字を見合い、まるで健康診断の結果を比べるように一喜一憂する。
「昨日、ちょっとバスで席譲ったら+15ptだったよ!」
「マジ?俺なんか“ため息”で−3pt取られた」
「ため息で!?」
「“周囲にネガティブ影響”だってさ」
健二は苦笑した。
どこまで監視されているのかわからない。
だが、誰も文句は言わない。文句を言えば「反社会的行為」として減点されるからだ。
昼休み。社員食堂では「ポイントメニュー」が並んでいた。
高ポイント者限定の“ご褒美ランチ”コーナーでは、鮮やかなステーキの香りが漂う。
健二はいつもの「栄養バランス弁当(中流市民向け)」を選んだ。
そのとき、向かいに座った若い社員が言った。
「佐藤さん、最近ポイント伸びてませんね」
「まあ、無理せず普通に生きてるだけだからな」
「もったいないですよ。SNSで“推奨ワード”を使えばすぐ増えますよ」
「推奨ワード?」
「“感謝”“共感”“未来”“多様性”とか。そのあたりを織り交ぜて発信するとAIが評価してくれるんです」
「なるほどな」
帰宅後、健二は試しに投稿してみた。
《今日も一日、未来への感謝を忘れずに! #共感 #笑顔》
翌朝、通知が来た。
「AIがあなたの投稿を高評価しました! +25pt」
思わず笑った。
――こんなに簡単なのか。
数日後、健二はコツをつかみ、投稿職人のようになっていた。
無難で前向き、誰も傷つけない言葉を並べるだけで、ポイントは右肩上がり。
ついに1500ptを超え、会社でもちやほやされ始めた。
そんなある夜、見知らぬアカウントからメッセージが届いた。
《あなたは本当に、それで満足ですか?》
リンクを開くと、“反ポイント主義者の集会”という動画が流れた。
顔を隠した人々が、カメラの前で訴える。
「ポイントは自由を奪う鎖だ。私たちは“本当の言葉”を取り戻す!」
健二はその夜、眠れなかった。
確かに最近、自分の言葉が「誰かのため」ではなく「AIのため」に変わっている気がした。
翌朝、彼はSNSにこう投稿した。
《たまには怒ってもいいと思う。人間だもの》
結果はすぐに現れた。
「不適切発言:−40pt」
さらに、その投稿が拡散されると、コメントが殺到した。
《空気読めない》《共感できない》《ネガティブです》
数分後には−120pt。
あっという間に、生活水準が「下層市民」ラインに転落した。
買い物も制限され、電車では「低ポイント区画」にしか乗れない。
同僚も避けるようになった。
「佐藤さん、最近やばくない? 下手に関わると減点されるかも」
健二は途方に暮れた。
だが、その夜、またあの匿名アカウントからメッセージが届いた。
《会いたい》
指定された地下カフェに行くと、そこには一人の若い女性がいた。
名はミナト。
反ポイント団体のメンバーだという。
「あなたみたいな“落ちた人”は珍しいですよ。普通は怖くて何も言えなくなる」
「俺も怖い。でも、もううんざりなんだ」
ミナトは微笑んだ。
「じゃあ、これを使って」
彼女が差し出したのは、黒いスマートバッジだった。
「“オフライン化装置”。これをつけると、AI監視網の目から外れる」
「そんなことが……?」
「ただし、使った瞬間、あなたのポイントは“ゼロ”になる。社会的には死んだも同然」
健二は迷った。
社会から外れるか、AIの支配に生きるか。
翌朝。
彼は出勤途中、橋の上でスマートフォンを取り出した。
画面には「現在ポイント:1023pt」。
まだ戻れる。まだ普通に生きられる。
だが、ふと空を見上げると、無数のドローンが飛び交っていた。
誰かを監視し、誰かを評価している。
その光景に、健二は小さく笑った。
そして、ポケットから黒いバッジを取り出し、胸につけた。
スマートフォンの画面が一瞬だけノイズを走らせ、
「接続切断」
という文字が浮かんだ。
その瞬間、周囲の風景が変わったように見えた。
通勤する人々の顔は、皆、同じ笑顔の仮面をつけているように見える。
誰もが「減点されない言葉」だけを話している。
健二は思わず呟いた。
「……これが、本当の無言社会か」
その日から、彼の記録はどこにも残らなくなった。
ただ、数日後――SNSの片隅にこんな投稿が現れた。
《人間らしさ、って何ポイント?》




