4牛図:得牛(とくぎゅう)―牛をつかまえる
4牛図:得牛―牛をつかまえる
見えていた牛の姿が、今、手の中にある。
これが第四の段階「得牛」だ。
牛――つまり“本来の自己”の姿をただ見ただけでは、何も変わらない。知った気になっていても、現実の生き方は何も変わっていなければ、それは単なる知識に過ぎない。「得牛」とは、見えていた牛を実際に“つかまえる”段階。つまり、本来の自己をしっかりとつかみ取り、自分の生き方として動かし始めることを意味する。
この段階に入ると、これまでとは感覚が明らかに違う。
「こう在りたい自分」がただの理想ではなく、実際に日常の中で行動として表れてくる。他人の評価や外からの基準ではなく、自分の内側から湧き出る判断基準で選択し、行動するようになる。そこには、一本筋の通った感覚がある。迷いはあっても、自分の軸はぶれない。
たとえば、人に合わせてばかりいた自分が、自分の意見をちゃんと伝えるようになる。周囲に流されていた自分が、「これは自分らしくない」と感じたら、きちんと距離をとるようになる。誰かの期待ではなく、自分の納得を基準に行動できるようになる。
ただし、「牛をつかまえる」ことは簡単ではない。
牛は力強く、暴れる。ここでの牛は、ただ静かに座っている存在ではなく、私たち自身の欲望や執着、不安、恐れ、怒りを内包した“リアルな自己”そのものだ。それをつかまえるとは、自分の中にあるそうした混沌を、丸ごと引き受けるということでもある。美しい理想の自分ではなく、弱さや未熟さも含めた“本当の自分”を認め、受け入れる。そこには、逃げない覚悟が必要だ。
得牛とは、自分との本当の和解のはじまりでもある。
もう、「誰かのせいにする」ことができなくなる。「自分がこういう性格だから」「あの人のせいでうまくいかない」――そんなふうに他者や環境に責任を押し付けることをやめ、自分の人生を自分で引き受ける姿勢が生まれてくる。これが苦しい反面、ものすごく自由でもある。
この段階では、行動と内面が一致し始める。
頭ではなく、心と体が納得して動く。たとえば、「これはやりたい」「これは違う」といった感覚が、直感レベルでクリアになる。何かを判断するとき、自分を偽る必要がなくなってくる。それは結果的に、周囲との関係性にも変化を生む。人との距離感が変わったり、古い縁が自然と離れていったりもする。でも、その流れを自然に受け入れられる。なぜなら、自分の中にちゃんと「牛」がいるからだ。
この牛をつかまえたとき、安心感が生まれる。
それは「もう大丈夫」という感覚。他人にどう思われるか、失敗するかどうか、そうした不安がゼロになるわけではないけれど、それらに飲み込まれることがなくなる。自分の中に“戻る場所”があるという安心感。それが、得牛の特徴だ。
しかし、ここで終わりではない。
牛をつかまえたとはいえ、まだ共に歩き出したわけではない。牛を引く、つまり自分自身を制御し、しっかりと日常の中で実践していくには、さらに次の段階が必要だ。自己をつかんだだけでは十分ではなく、その自己とどう付き合い、どう生きていくか。そこに次の課題が待っている。
ここで求められるのは、「継続」と「自律」だ。
たとえば、最初は勇気を出して自分を出せたとしても、環境が変わったり、疲れが溜まったりすると、また昔の自分に戻ろうとする力が働く。そうした揺れを感じながらも、何度でも自分の牛を思い出し、その牛の手綱を握り直す。これが「得牛」から次に進むためのカギになる。
そしてもう一つ、重要なのは「謙虚さ」だ。
牛を得たとき、私たちは達成感を持つかもしれない。でも、それを他人に誇る必要はないし、自分が“何かに到達した”と思い込むことも危険だ。牛を得たという実感は、あくまでスタートラインに立ったことを意味するにすぎない。本当にそれを生かして生きていくには、まだまだ修行が続く。
この「得牛」は、ある意味で「責任の始まり」でもある。
見えてしまった。つかまえてしまった。だからこそ、もう「知らなかったふり」はできない。自分の真実に気づいた者には、それに従って生きる責任が生まれる。それは楽な道ではない。でも、本当に意味のある道だ。