魔女の箱庭と、鋼の産声
陽光が降り注ぐ南フランスの谷間。かつて人類が地球の自然を謳歌していた時代の面影を残すその隠れ家で、奇妙な休息の時間が流れていた。
イザベラが建設したこの巨大な地下施設の地上部分には、清らかな水が張られたプールがあり、周囲には色鮮やかなパラソルと寝椅子が並べられている。
「あー、最高。砂埃まみれの荒野の後に浴びる太陽と水ってのは、どうしてこんなに美味いんだろうねえ。」
セレーナは、真っ赤なビキニ姿でプールサイドの寝椅子に寝そべり、トロピカルカクテルが注がれたグラスを揺らしていた。水滴が滴る健康的な褐色の肌は、戦闘兵器としての彼女の顔を微塵も感じさせない。
その隣で、シオンはTシャツとショートパンツという出立ちで、困惑したように立ち尽くしていた。
「セレーナさん……あの、僕はここで何をしていれば……」
「座ってろ。んで、アタシのグラスが空いたら酒を注げ。リゾートでの男の仕事なんて、そんなもんだ。」
セレーナはサングラス越しにウインクし、ふははと笑った。
壁の中の世界——『神聖エルフ帝国』の奴隷として、来る日も来る日も泥にまみれて魔素の収穫をさせられていたシオンにとって、ここは天国以上に現実味のない場所だった。
清潔な水。際限なく提供される美味な食事。そして、鞭の音がない穏やかな午後。
セレーナに付き合わされて何もしない時間を過ごすこと自体が、シオンにはどうしていいか分からないほど贅沢な経験だった。
一方、その平和な地上とは対照的に、地下深くのラボでは、狂気に満ちた知の探求が行われていた。
巨大なハンガーの中央に固定された白銀の巨人、『アヴァロン・ナイト』。
白衣を羽織ったイザベラは、その周囲に展開された無数のホログラム・モニターに囲まれ、寝食を忘れてデータの海に溺れていた。
「……美しいわ。なんて洗練された回路設計。無駄なエネルギーロスが小数点以下にまで抑えられている……。」
イザベラは、恍惚とした吐息を漏らした。
アヴァロン・ナイトの構造を解析すればするほど、彼女はその奥深さに戦慄を覚えた。
ノアの技術体系である『コアシステム』と、壁の中で独自の進化を遂げた『魔法』。相反する二つのエネルギー理論が、まるで精巧な時計の歯車のように噛み合い、互いの欠点を補い合っている。
「外部マナの吸収と、内蔵コアの出力増幅。これを統合制御するOSの構築……これを一人でやったというの? 兄さん。」
イザベラは、冷たい装甲にそっと指先を這わせた。
50年。外の世界でイザベラが過ごした時間は50年だ。
しかし、この機体に刻まれた改修の履歴、素材の経年変化、そしてシステムコードの重なりは、決して50年で到達できるものではない。シオンの口から語られた「500年」という狂気の時間が、ただの伝承ではなく、物理的な事実であることを、この機体が証明していた。
「500年……。兄さんはその気の遠くなるような時間の中で、何を想い、誰のためにこの機体を鍛え上げたの?」
共感能力を持つイザベラには、機体の深部から、兄リゲルの孤独な意志が伝わってくるような気がした。
魔素に満ちたアメリカ大陸を隔離し、異界の浸食を一人で抑え込みながら、新世界で生きる人類の進化を見守る魔王。
彼がこのアヴァロン・ナイトを外へ送り出したのは、救援の要請か。それとも、自分が作り上げた新世界への招待状か。
「待っていて、リゲル。……貴方の生きた500年の全てを、私が理解してあげる。そして、貴方の望む世界を、一緒に終わらせてあげるわ。」
イザベラの翠玉の瞳に、爛々とした狂気が宿る。
彼女は、アヴァロン・ナイトの技術——魔力と科学を融合させるハイブリッド機構——を応用し、セレーナの『クリムゾンクイーン』のコアシステムを根本から書き換える作業に着手した。
魔素が充満する黒い壁の向こう側で、制限なく暴れ回るための最強の翼を作るために。
フランスでの生活が数週間を過ぎる頃には、シオンもすっかりこの奇妙な共同生活に馴染んでいた。
午前の座学——イザベラによる星装機の基礎理論や戦術知識の詰め込みが終わると、午後はセレーナとの過酷な実技訓練が待っている。
地下に設けられた広大なシミュレーションルーム。
そこでシオンは、息を弾ませていた。
「どうしたどうした! 魔獣ってのはそんなに優しいのか!」
セレーナの野次が飛ぶ。
シオンの目の前には、イザベラが即席で作り上げた巨大なドローンが立ちはだかっていた。それは星装機の予備パーツを無骨に組み合わせ、多脚と巨大なハサミを持たせた、まさに「化け物」のような外観をしていた。
設定パラメーターは、「星装機の数倍の腕力と、装甲を紙のように切り裂く顎を持つ甲殻魔獣」だ。
「っ……!」
シオンは訓練用の実剣を構え、ドローンのハサミの一撃を側面へ躱す。
だが、ドローンの動きは異常だった。
振り抜かれたはずのハサミが不自然な軌道で旋回し、シオンの足元をすくいにかかる。
「っと!」
シオンはバックステップでそれをかわすと、地面を蹴ってドローンの懐へ飛び込み、その関節部に向けて剣を突き立てた。
ギギィッ! と火花が散り、ドローンが停止する。
「よしっ!」
「まだまだ、詰めが甘えよ!」
休む間もなく、次のドローンが高速で飛び込んでくる。
今度は、空を飛ぶ鳥型。異常なスピードで頭上を旋回し、レーザー(設定上は魔法弾)を乱射してくる。
セレーナは、壁の中の「魔獣」という存在に、子供のような興味を抱いていた。
シオンから壁の中の生態系——魔法を使い、人間の何十倍もの大きさを持つ獣たちの話を聞くたびに、彼女は目を輝かせた。
『なあ、そのドラゴンってのは、どんくらい速いんだ? 装甲は厚いのか?』
『エルフの魔法ってのは、ミサイルとどっちが射程が長いんだ?』
奴隷として農場で働かされていたシオンには、軍事的な詳細な知識はなかった。「山より大きくて、一息で森を焼き払う」といった、噂話レベルの恐怖の象徴としてしか語れなかったが、セレーナはそれで十分だったらしい。
彼女はイザベラに「とにかくデカくて硬い奴」「めちゃくちゃ速くて回避不能な攻撃をしてくる奴」など、無茶苦茶なオーダーを出してはシミュレーション機を作らせ、自分とシオンでそれを狩る訓練を毎日のように行っていた。
セレーナの戦闘スタイルは、まさに野生の獣のようだった。
型にとらわれず、周囲の環境や敵の挙動を瞬時に利用して、最短で急所を抉る。
シオンは、息も絶え絶えになりながらも、そのセレーナの動きを間近で観察し、必死に自分の中に落とし込もうとしていた。
(相手の重心を見るんだ。攻撃の予備動作を読んで……力を逃がす。)
奴隷として培った「怒られないための立ち回り」や、壁を越えた時の特異な視覚的勘。
それらが、セレーナの指導によって、実戦的な「戦闘センス」として急激に開花し始めていた。
シオンの肉体は引き締まり、かつての怯えたような視線は、獲物を狙う戦士のそれへと変わりつつあった。
その日の夜。
訓練の疲労を癒すため、シオンがリビングのソファで本を読んでいると、甘いアルコールの匂いと共に、セレーナが隣にどさりと座り込んできた。
彼女の顔はほんのりと赤く染まり、目はとろんと潤んでいる。手には、上等なワインのボトルとグラスが握られていた。
「お疲れさん、シオン……。ふふっ、お前、今日もよく転がってたなー。」
「セレーナさん、飲みすぎですよ。明日も訓練があるのに……。」
シオンは苦笑しながら、彼女からボトルを遠ざけようとした。
「うるさいっ。たまにはいいだろ。……イザベラはパソコンと睨めっこばっかでつまんねーし。」
セレーナは、クッションを抱きしめるようにして、シオンの方へ身体を向けた。
普段の戦闘服とは違う、ゆったりとしたキャミソール姿。いつもは猛禽類のような鋭さを放つ彼女が、今はどこか無防備で、柔らかい雰囲気を纏っている。
その姿に、シオンは少しだけ胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「なあ、シオン。」
セレーナは、天井の星空を模した照明を見上げながら、夢見るような声で言った。
「アタシさぁ……早くアメリカに行きてえな。んで、強い奴らとやりてえ。」
「エルフや、魔獣ですか?」
「それもあるけどさ……本命は、別だ。」
セレーナの口元に、うっとりとするような笑みが浮かんだ。
それは、シオンが見たこともない、甘く、熱情に浮かされたような表情だった。
普通の女性が、恋する相手の顔を思い浮かべる時のような、そんな顔。
「……カイトだ。」
その名前が出た瞬間、シオンは胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
カイト。セレーナの口から何度も聞いた、ノアⅣの英雄。
「あいつのあの『未来を視る』動き……。あれをどうやってぶち抜くか、毎日考えてるんだ。」
セレーナは、グラスの縁を指でなぞりながら、熱っぽく語り始めた。
「あいつは、アタシの転送の先を読んだ。なら、読まれても回避できないタイミングで、広域に空間を削り取るか? いや、それじゃあ面白くねえ。あえて見え見えの太い一撃を放って、あいつが避けた先を、さらに別の武器で挟み撃ちにする……。まるで詰将棋だ。」
彼女が語るそれは、恋物語ではない。殺し合いのシミュレーションだ。
どうやって相手の刃を躱し、自分の刃を心臓に突き立てるか。
だが、その血生臭い話を語るセレーナの顔は、あまりにも楽しそうで、生き生きと輝いていた。
「カイトが前に出た瞬間、アタシのクイーンで……。ふふっ、ああ、想像するだけでゾクゾクする。早くあいつの驚く顔が見たい……。」
セレーナは両手で頬を包み込み、少女のように身悶えした。
彼女にとって、「闘争」こそが最高のコミュニケーションであり、相手の全力を引き出し、ねじ伏せることこそが至上の愛の表現なのだ。
シオンは、黙ってその話を聞いていた。
胸の中にあるモヤモヤとした感情が、次第に明確な輪郭を持ち始める。
……嫉妬だ。
自分が毎日こんなにも血反吐を吐いて、彼女に認めてもらおうと必死に訓練しているのに、彼女の心の中の一番大きな場所を占めているのは、遠く離れた場所にいる見ず知らずの男なのだ。
セレーナのその熱狂的な眼差しを、自分に向けさせてみたい。
「……僕も。」
シオンは、思わず口に出していた。
「僕も……いつか、そのカイトって人に、勝ってみたいです。」
セレーナはきょとんとした後、面白そうに目を細めた。
「へえ? お前が? ……百年早いぜ。あいつは、アタシが倒すんだからな。」
「百年なんてかかりません。セレーナさんが教えてくれるなら……絶対に、強くなってみせますから。」
シオンの真っ直ぐな言葉に、セレーナはふっと表情を和らげた。
「……生意気な弟弟子だ。まあいいさ、せいぜい頑張りな。」
彼女は、シオンの肩に寄りかかったまま、すーすーと寝息を立て始めた。
シオンは、自分の肩に伝わる彼女の体温と、甘いワインの香りに包まれながら、静かに拳を握りしめた。
カイト。いつか必ず、自分がその男を超えてみせる。
そのための力が、今、ここにあるのだから。
フランスの隠れ家での生活が数週間を過ぎた頃。
地下のファクトリーには、新たな姿へと生まれ変わった二機の星装機が並んでいた。
一機は、セレーナの『クリムゾンクイーン』。
イザベラの徹夜の作業により、そのコアはアヴァロン・ナイトの技術を流用した「ハイブリッド・コア」へと換装されていた。周囲の魔素を取り込み、空間転移の触媒として利用することで、従来の連続転移時のエネルギー枯渇を克服。さらに、亜空間に収納されている武器群も、火薬や物理装甲に頼らない、高圧縮の魔力とコア出力で構成された高出力のエネルギー兵器へと刷新されていた。
もう一機は、シオンの『アヴァロン・ナイト』。
白銀の装甲はそのままに、各部の関節と駆動系が現代の技術で徹底的にオーバーホールされ、極限までピーキーな設定が施された。
そして、その右手に握られているのは、イザベラが特別に開発した新兵器。
身の丈ほどもある巨大な大剣でありながら、刀身が二つに割れて砲身が現れる『ガン・ブレード』だ。近接戦闘用の剛剣としての機能と、中距離から高密度の魔力弾を放つ砲撃機能を併せ持つ、複雑な機構の変形兵器である。
「よう、シオン。機体のご機嫌はどうだ?」
コクピットの通信機から、セレーナの声が響く。
「最高です。……身体と繋がっているみたいだ。これなら……やれます。」
シオンの声には、以前のような迷いや弱さは微塵もなかった。
地下の巨大演習場。
今日、シオンは自らセレーナに対して、実戦形式の模擬戦を申し込んでいた。
これまで禁止されていたセレーナの「転送能力」も、今回は制限なしのフルパワーでの勝負だ。
『じゃあ、手加減なしで行くぜ。死ぬなよ、弟弟子。』
「はい……! 来てください、セレーナ姉さん!」
戦闘開始のブザーが鳴る。
瞬間、クリムゾンクイーンの姿が視界から消えた。
——左後方!
シオンの特異な知覚が、空間のわずかな揺らぎを捉える。
彼は機体を反転させながら、ガン・ブレードを砲撃形態へと移行させた。
亜空間から実体化しつつあったクリムゾンクイーンの頭部めがけて、牽制の光弾を放つ。
「チッ、反応がいいな!」
セレーナは実体化をキャンセルし、すぐに別の座標——シオンの頭上へと再転移した。
上空から、亜空間ゲートを通じて巨大なレーザーカノンが顔を出し、火線が降り注ぐ。
ズドドドドドッ!
「くっ!」
シオンはアヴァロン・ナイトの左腕のシールドを展開し、攻撃を弾きながらブースターを噴かしてジグザグに後退する。
中距離。セレーナの最も得意とする間合いだ。
次から次へと異なる方向から出現する銃口。雨のように降り注ぐビームとミサイルの嵐。
だが、シオンは冷静だった。
セレーナのこれまでの戦闘パターン、目線、そして転移前の空間のノイズ。
それらを、この数週間で徹底的に頭に叩き込んだ。
(次は……下だ!)
シオンはあえて空中に飛び上がった。
予想通り、シオンが立っていた地面のすぐ下から、上へ向かって地雷のような爆発物が転送されて起爆した。
爆風を足場にして、シオンはさらに加速する。
ガン・ブレードを剣形態に戻し、空中のクリムゾンクイーンへと間合いを一気に詰める。
「甘いぜ!」
セレーナは迎撃のために両手にエネルギー・ダガーを出現させ、交差してシオンの斬撃を受け止めようとした。
しかし。
シオンは、振り下ろす直前で剣の軌道を変えた。
剣の柄のトリガーを引く。
ガチャン! と刀身がスライドし、近距離で砲口がセレーナの胸部装甲を睨んだ。
「なにっ!?」
至近距離からの魔力砲撃。
セレーナは咄嗟に転送で逃れようとしたが、発射のタイミングの方が早かった。
凄まじい衝撃がクリムゾンクイーンを吹き飛ばす。
——ドガァァァァン!!
壁に激突する真紅の機体。
しかし、土煙の中から、楽しげな笑い声が響いた。
「ハッ、ハハハハハ!! 最高だぜ、シオン! まさか変形をフェイントに使うとはな!」
無傷のクリムゾンクイーンが、壁を蹴って飛び出してくる。
セレーナの攻撃は、さらに一段ギアが上がった。
神出鬼没の転移。息もつかせぬ連撃。
だが、シオンも負けてはいない。
シールドでの防御、ガン・ブレードによる巧みな間合いの調整。
相手の動きを事前にシミュレートし、最適な選択肢を引き出し続ける。
その淀みない連携、全ての攻撃を紙一重でかわし、反撃に転じるその様は……。
(……カイト。)
コクピットの中で、セレーナは目を細めた。
目の前にいる弟弟子の動きが、あのノアⅣの英雄と重なって見えたのだ。
絶対的な予測による回避。トリッキーな武器の運用。
奴隷だった少年が、たった数週間で、カイトの領域に足を踏み入れようとしている。
「いいぜ……! もっとアタシを楽しませてみろ!」
激しい金属音と爆発音が、地下の演習場に延々と鳴り響いた。
その光景を、コントロールルームから見下ろしているイザベラは、恍惚の表情を浮かべていた。
ガラス越しに映る二つの巨体。その戦闘データは、彼女の予測曲線を美しいまでにトレースし、さらに上回っていく。
「素晴らしいわ。セレーナの戦闘衝動と、シオン君の適応力。……二つの刃が交わることで、アヴァロン・ナイトは真の覚醒への階段を登り始めている。」
イザベラは、手元の端末の「最終調整完了」のサインを確認し、優雅に紅茶を口へ運んだ。
「さて……私たちの準備は整ったわ。あとは、この美しい箱庭から出て、本番の舞台へ向かうだけね。」
彼女は、モニターの一部を切り替え、一本の暗号化された通信回線を開いた。
宛先は、エジプトに残してきたエデン軍の参謀、アズラエルだ。
「アズ坊。……私たちがアメリカの『裏口』から入るためには、派手な陽動が必要なの。」
彼女の指が、キーボードを叩き、情報を送信する。
それは、エルフ帝国の防衛網の隙や、北アメリカ大陸東海岸——旧ニューヨーク付近の地形データ。そして、エデン軍が侵攻するための最適なルートの示唆。
自分が世界を混乱に陥れている自覚など、彼女にはない。
全ては、愛する兄の元へ辿り着くため。そのためならば、他の人間たちがどうなろうと、どんな血が流れようと、彼女にとっては有益な「データ」に過ぎないのだ。
「世界中が、アメリカ大陸というパンドラの箱に群がる。……さあ、最高のショーを始めましょう。」
イザベラの美しくも冷酷な笑みが、ガラスに反射して薄暗い部屋に浮かび上がった。
アーク・ロイヤルの出航と同じ頃、南フランスの地底からも、3人のジョーカーを乗せた強襲艦が、大西洋に向けて密かに発進したのだった。




