深淵の門、古き神々の墓標
アーク・ロイヤルの慣熟訓練が終了し、カイトとユキが夕暮れの廃墟で互いの想いを確かめ合っていた頃。
同じ棄民都市ムーの跡地、そのさらに深く、忘れ去られた区画に、別の影が蠢いていた。
乾いた風が吹き抜ける広場。かつては露店が並び、貧しくとも人々の活気に満ちていた「自由市場」の跡地だ。
瓦礫と化したコンクリートの山の前に、奇妙な集団が立っている。
先頭に立つのは、子供サイズの気密服の上に白衣を羽織ったラプラス。彼女の手には、奇妙な形状のアンテナがいくつもついた、武骨な探査機器が握られている。
その隣には、携帯端末を操作するニコ。
そして、周囲を警戒するように銃を構えているのは、アルドと数名の元エデン兵たち——ムー出身の有志たちだった。
「……ここだな。」
ラプラスが、探査機のモニターを見つめながら呟いた。
アンテナが微かに震え、人間には聞こえない周波数の音を拾っている。
「ここが、どうかしたんですか? ラプラス先生。」
アルドが怪訝そうな顔で尋ねる。
「ここは昔、市場のど真ん中でした。俺もよく、ジャンクパーツや怪しげな食い物を買いに来たもんです。……地下への入り口なんて、聞いたこともねえ。」
アルドにとって、この場所は生活の場だった。地中に何か埋まっているという噂はあったが、それは「お宝」や「資源」の話であり、ラプラスが探しているような学術的な何かではないと思っていた。
「ふむ。君たちが知る由もないさ。」
ラプラスは、地面の亀裂を靴底で小突いた。
「『ムー』という名前の由来を知っているかい? アルドくん。」
「え? いや……昔の偉い人がつけた、としか。」
「かつて、この地球に存在したとされる、超古代文明の名だ。……あるいは、月が来る前、この星がまだ自由だった時代の記憶。」
ニコが補足する。
「地質調査のデータによれば、このエリアは元々海底でした。しかし、この石造りの街並みの基礎部分は、ノアの建造以前、それこそ数千年前から存在していた形跡があります。特に、街外れの海溝だったエリアには、異常なほど豊かな水源が残っていた。……それは、ただの自然現象ではありません。」
かつてのムーの人々が、なぜここを居住地に選んだのか。水があったからだ。
では、なぜ水があったのか。それは、太古の昔から稼働し続けている「何か」が、地下深くに眠っていたからに他ならない。
「僕たちが探しているのは、その『オリジン』さ。」
ラプラスは、広場の中央、崩れた噴水の跡地を指差した。
「ニコくん、作業用ローダーを。……ここを掘る。」
同行していた作業用ワークローダーが、重厚な駆動音と共に動き出す。
巨大なドリルが岩盤に突き立てられ、激しい粉砕音と振動が周囲に響き渡った。
ガガガガガガッ!!
アルドたちは、飛び散る破片を避けながら、固唾を飲んで作業を見守った。
かつてノアⅣ軍による「浄化作戦」が行われた際、ムーニーの科学者たちによってこの地は徹底的に調査されたはずだ。めぼしい技術や資源は全て収奪され、あとは瓦礫の山として放置された。
だというのに、まだ何かが残っているというのか。
(……いや、違う。)
ラプラスは、ゴーグルの奥で冷徹にデータを分析していた。
かつての調査団が見つけられなかったのは当然だ。彼らは「物理的」な反応や、「エネルギー」反応を探していたのだから。
だが、ラプラスが今使っているのは、イザベラが実証し、ニコが解析を補助した「亜空間探査」技術の応用だ。
——空間の位相のズレ。
物質としてそこに存在するのではなく、空間の裂け目に隠された領域を探す技術。
(アメリカで8体目のオリジナル反応を感知した時、確信したよ。マザーは、あるいは月の人類は、何かを見落としている。……地球には、月から持ち込まれた7体以外にも、星装機の技術が存在していたのではないか、とね。)
マザーのデータベースは、数千年分の記録が欠損している。
月が地球の衛星軌道に捕らえられ、管理を開始する以前の地球。
そこで栄えていた文明が、もしマザーに匹敵する技術を持っていたとしたら?
「……反応あり。硬度変化。」
ニコの声が響く。
ドリルの音が甲高い金属音に変わった。
岩盤が割れ、その下から、鈍い銀色に輝く、巨大な装甲板のようなものが露出した。
いや、それは扉だった。
表面には、幾何学模様と、見たこともない文字が刻まれている。
「出たな。……ビンゴだ。」
ラプラスが口元を歪める。
瓦礫をどけると、直径5メートルほどの円形のゲートが姿を現した。
取っ手も鍵穴もない。完全に密閉された未知の金属の塊。
「どうやって開けるんです? 爆破しますか?」
アルドが爆薬を取り出そうとするが、ラプラスは手を振って制した。
「野蛮だねえ。これは知恵の扉だよ。……ニコくん、出番だ。」
「はい。」
ニコは、自身の端末から伸びた有線ケーブルの先端——特殊な浸食端子を、扉の装飾の隙間に強引にねじ込んだ。
タブレットの画面に、膨大な量のコードが滝のように流れ始める。
「……言語構造、解析。ルート・プロトコル検索。……セキュリティ・レベル、SSS。」
ニコの指先が、目にも止まらぬ速さで画面を叩く。
古代の暗号、異質の論理回路。それらを瞬時に理解し、ハッキングを仕掛ける。
隣で見ているラプラスは、退屈そうに欠伸を噛み殺した。
「パズルは嫌いだ。答えが分かっている謎解きなんて、時間の無駄だよ。」
「先生、これはパズルじゃなくて迷路です。……出口のない。」
ニコは額に汗を浮かべながらも、楽しげに笑った。
「でも、壁を壊すのは得意ですから。」
数分後。
ピィッ、という電子音が鳴り響いた。
扉の幾何学模様が青く発光し、重低音と共にゆっくりと左右にスライドした。
プシュゥゥゥゥ……。
数千、いや数万年分の空気が吐き出される。
腐臭ではない。オゾンと、金属が焦げたような、冷たい匂い。
「……開いた。」
アルドが息を呑む。
「さあ、行こうか。人類の失われた記憶の中へ。」
ラプラスは、躊躇なく暗闇の中へと足を踏み出した。
地下への道は、なだらかなスロープになっていた。
照明はない。ワークローダーのライトと、携行ランプの明かりだけが頼りだ。
壁面は滑らかな金属で覆われているが、所々が溶解し、爪痕のような深い傷が刻まれている。
地下数百メートル。
一行は、広大な空洞へと出た。
そこは、ドーム状の巨大なホールだった。
天井の高さは測定不能。強力なライトで照らしても、光が闇に吸い込まれていく。
だが、前方は違った。
その光景を目にした瞬間、アルドたち兵士は、恐怖で足を止めた。
「な……なんだ、あれは……。」
ホールの最奥に、破壊された巨大な「門」のような構造物があった。
高さ50メートルはあるだろうか。ねじ切られ、半ば溶けたような金属のフレーム。その中心にあったはずの空間は、今はただの黒い岩壁で塞がれている。
そして、その門の前。
そこに築かれていたのは、山だった。
——白骨の山だ。
「ひっ……!」
兵士の一人が短い悲鳴を上げる。
それは、人間の骨ではなかった。
人間サイズのものもある。だが、多くは異形だ。
恐竜を思わせる巨大な頭蓋骨。複数の腕を持つ人型。昆虫のような外骨格。
大小様々な、地球上の生物とは思えない異形の骨が、何千、何万と積み重なり、巨大な丘を形成していたのだ。
「……虐殺、か。いや、これは戦争の跡だね。」
ラプラスは、ハンカチで口元を覆いながら、冷静に観察した。
骨の山に近づくと、その合間に、人工物が混ざっているのが見えた。
千切れた金属の腕。砕けたカメラアイ。
それは、現在の星装機によく似た、しかし遥かに古く、そして洗練されたロボットの残骸だった。
「見てください、先生。」
ニコが、瓦礫の中から一つのパーツを拾い上げた。
「この材質……『素体』と同じです。そして、この損傷の仕方……。」
装甲は、物理的に破壊されたというよりは、何かによって「食い破られた」かのように溶解していた。
アルドは震えながら、骨の山を見上げた。
「ここで……一体、何があったんですか?」
「……侵略さ。」
ラプラスが、冷ややかに告げた。
「これは『異界の門』だ。かつての人類が……あるいは、人類に知恵を与えた『何か』が作った、転送ゲート。」
ラプラスの脳裏に、マザーから断片的に引き出した情報の断片が繋がっていく。
月が来る前、地球には高度な文明があった。彼らは星装機を作り出し、繁栄を極めた。
だが、その技術は諸刃の剣だった。
空間を繋ぐ技術は、招かれざる客をも呼び込んでしまったのだ。
「彼らは、門を開いてしまった。あるいは、向こう側からこじ開けられたのか。」
異界からの侵攻。
想像を絶する数の怪物たちが、この門から溢れ出し、古代の人類に襲いかかった。
人類は星装機で応戦した。
この白骨と鉄屑の山は、その壮絶な防衛戦の痕跡だ。
「そして、人類は負けた……?」
ニコが問う。
「いや、相打ちか、あるいは辛勝か。……少なくとも、この門は破壊され、封印された。代償として、文明は滅びたがね。」
ラプラスは、巨大な頭蓋骨に手を触れた。
骨から伝わる、どす黒い波動。それは、現在アメリカ大陸で確認されている、DARKコアの波長と酷似していた。
「……繋がったよ。」
ラプラスは、空虚な門を見つめ、独りごちた。
「50年前、リゲルがアメリカ大陸で開いてしまった扉。……あれは、これと同じものだ。」
リゲルは、DARKコアの力で大陸を封鎖した。
イザベラは、それを「兄の暴走」だと思い、あるいは「自分たちへの拒絶」だと感じていたかもしれない。
だが、もしリゲルが、この過去を知っていたとしたら?
もし彼が、この門の向こう側から溢れ出そうとする「何か」を、たった一人で食い止めるために、大陸ごと自らを封印したのだとしたら?
「黒い壁は……牢獄じゃない。」
ラプラスの瞳に、戦慄と、そして深い哀れみの色が浮かぶ。
「あれは、防波堤だ。異界からの侵略を防ぐ、絶対防衛線なんだ。」
その防波堤を、今、イザベラがこじ開けようとしている。
そして、その鍵となる第8のオリジナル——『アヴァロン・ナイト』が、壁の中から現れた。
「先生……。どうしますか?」
ニコが、不安げに尋ねる。
「回収だ。」
ラプラスは即断した。
「使えるパーツは全て回収する。骨の一部もサンプルとして持ち帰る。……敵を知らなければ、戦いようがないからね。」
「了解しました。」
ニコがワークローダーに指示を出す。
アルドたちは、恐怖を押し殺し、作業を手伝い始めた。
彼らは知ってしまった。自分たちが暮らしていた都市の下に、地獄の蓋があったことを。
そして、その蓋が今、世界の反対側で再び開かれようとしていることを。
ラプラスは、崩れ落ちた門の前に立ち尽くしていた。
その小さな背中には、科学者としての高揚感はなく、ただ重い責任と、予感される破滅への警戒だけがあった。
(イザベラ……。君は、何を目覚めさせようとしているんだ。)
彼女の視線は、岩盤の天井を突き抜け、遥か彼方のアメリカ大陸へと向けられていた。
星歌祭の裏で進行していた、真の脅威。
人類は今、再び、存亡の岐路に立たされようとしていた。




