魔女の教室、覚醒する因子
乾いた風が吹き抜ける荒野。かつて北アメリカ大陸南部と呼ばれたその場所は、今は赤茶けた土と岩が広がるだけの不毛の大地だった。
東には、天を摩する『黒い壁』が、世界の終わりを示すように聳え立っている。
その威圧的な壁を背に、二つの巨影が激突した。
——ガギィィィィン!!
鋭い金属音が大気を震わせ、火花が散る。
白銀の巨人『アヴァロン・ナイト』が、その巨大なカイトシールドを掲げ、突進してくる紅蓮の悪魔を受け止めたのだ。
「遅えッ! 腰が入ってねえんだよ!」
通信機から怒号が響く。
真紅の機体『クリムゾンクイーン』は、シールドに受け止められた勢いを殺すことなく、流れるような動作で右足を振り上げた。星装機の重量を乗せた、強烈な前蹴り(フロントキック)。
ズガァァァン!
「ぐぅっ……!」
コックピットの中で、シオンは衝撃に耐えながら操縦桿を引き絞った。
アヴァロン・ナイトが後方へと弾き飛ばされ、土煙を上げながらたたらを踏む。体勢を立て直そうとするその隙を、紅蓮の狩人が見逃すはずがない。
「距離が空いたら、撃つ! 基本だろ!」
クリムゾンクイーンが、亜空間からアサルトライフルを取り出す。
ダダダダダダッ!
放たれたのは実弾ではない。訓練用のペイント弾だ。だが、その着弾衝撃は本物と変わらない。
ピンク色の塗料が、アヴァロン・ナイトの白い装甲に次々と着弾し、視界のカメラを汚していく。
「くそっ、見えない……!」
シオンは慌ててシールドを顔の前にかざすが、反応が遅い。
センサーの一部が塗料で覆われ、視界が限定される。その死角から、セレーナが回り込んでくる気配を感じた。
「そこだッ!」
シオンは、勘を頼りに右手のグレートソードを薙ぎ払った。
こちらの剣は実剣だ。当たればクリムゾンクイーンの装甲とて無事では済まない。
だが、その刃は空しく空を切った。
「目ぇつぶってチャンバラしてんじゃねえよ!」
罵声と共に、強烈な衝撃が左側面を襲う。
セレーナは剣の下を潜り抜け、ショルダータックルを叩き込んできたのだ。
物理的な質量の激突。
アヴァロン・ナイトは無様に横転し、地面に這いつくばった。
『ダウン! そこまで!』
キャリアーのブリッジから、イザベラの裁定が下る。
模擬戦終了のブザーが、荒野に虚しく響き渡った。
「……はぁ、はぁ……ッ。」
シオンは荒い息を吐きながら、モニターを見上げた。
目の前には、悠然と立つクリムゾンクイーンの姿。その銃口は、正確にアヴァロン・ナイトのコックピットに向けられている。もしこれが実戦なら、自分は既に死んでいる。
「……10戦全敗、か。」
セレーナの声には、呆れと、ほんの少しの満足感が混じっていた。
今回の模擬戦には、厳格なルールが課せられていた。
セレーナの最大の武器である「転送」能力の封印。
純粋な機動と剣技、そして射撃のみで戦うこと。
それは、シオンに星装機操縦の基礎と、実戦での立ち回りを叩き込むための措置だった。
「坊主、お前は『目』に頼りすぎだ。」
クリムゾンクイーンが銃を下ろし、手を差し伸べてくる。
シオンはアヴァロン・ナイトの手を動かし、その助けを借りて立ち上がった。
「目……ですか?」
「ああ。お前には、空間の歪みや、壁の向こうが見える特殊な目があるらしいな。それは便利な力だが、今の戦闘じゃ邪魔になってる。」
セレーナの指摘は的確だった。
シオンは無意識のうちに、敵の「気配」や「エネルギーの流れ」を見ようとしていた。だが、セレーナのような手練れは、殺気を消し、フェイントを織り交ぜてくる。目に見える情報だけを追っていれば、その裏にある本当の攻撃に反応できない。
「ペイント弾で視界を奪ったのはそのためだ。……肌で感じろ。鉄の軋み、スラスターの噴射音、地面の震動。相手が次にどう動くか、身体で覚えるんだよ。」
「身体で……覚える。」
シオンは、自分の掌を見つめた。
壁の中では、魔法が全てだった。遠距離から魔力をぶつけ合い、結界で防ぐ。肉体的な接触は野蛮とされていた。
だが、この外の世界——魔力のない世界では、物理法則こそが絶対のルールだ。質量、速度、反動。それらを御する技術こそが、「強さ」なのだ。
「安心しな。お前の反応速度自体は悪くねえ。……ま、アタシが天才すぎるってのもあるがな。」
セレーナは軽口を叩きながら、キャリアーへと歩き出した。
シオンは、その真紅の背中を見つめながら、拳を握りしめた。
転送を使わないセレーナにすら、手も足も出なかった。
だが、絶望はしていない。むしろ、胸の奥で熱いものが燻っている。
(もっと……強くなりたい。)
戦うための身体。戦うための感覚。
それを手に入れなければ、壁の向こうに待つ「何か」には届かない。
シオンは、泥だらけの巨人と共に、師匠の後を追った。
星装機キャリアーの格納庫。
整備用のスペースが片付けられ、そこは即席のジムと化していた。
マットが敷かれ、サンドバッグが吊り下げられている。
汗と、微かな血の匂いが漂う空間。
「甘いッ!」
バシンッ!
鋭い破裂音と共に、シオンの体がマットに叩きつけられた。
受け身を取る暇もない、鮮やかな背負い投げ。
天井を見上げるシオンの視界に、タオルを首にかけたセレーナの顔が覗き込む。
「地面とお友達になってる場合か? カウント進んでるぞ。」
「う……ぐぅ……。」
シオンは呻き声を上げながら、震える手足に力を込めて立ち上がった。
全身が痛い。筋肉が悲鳴を上げている。
星装機の訓練を終えた後、休む間もなく始まったのは、生身での格闘訓練だった。
「星装機は、パイロットの動きをトレースする。……何度も言わせんな。お前の身体がナマッてりゃ、機体の反応も遅れるんだよ。」
セレーナは、グローブをつけた拳を軽く合わせた。
彼女の教育方針はシンプルだ。
『肉体言語』。
殴り合い、組み合い、限界まで肉体を苛め抜くことで、闘争本能を目覚めさせる。
「次はナイフだ。拾え。」
セレーナが投げたのは、訓練用のゴムナイフだ。
シオンはそれを拾い上げ、順手で構える。
「殺す気で来い。……殺される気がないならな。」
セレーナの瞳から、冷たい殺気が放たれる。
それは、アリーナで見せるエンターテイナーの顔ではない。数多の戦場を生き抜いてきた、本物の傭兵の目だ。
シオンは喉をごくりと鳴らし、覚悟を決めて踏み込んだ。
——シュッ。
鋭い突き。
だが、セレーナは最小限の動きでそれを躱し、シオンの手首を掴んで捻り上げる。
ナイフが床に落ちる。
そのまま関節を極められ、再びマットに顔を押し付けられる。
「力任せだな。……刃物の重さを感じろ。切っ先の延長線上に、相手の急所をイメージしろ。」
セレーナの指導は手厳しいが、理に適っていた。
打撃、組み技、剣術、射撃。
彼女は、自分が知る限りの殺人術を、惜しみなくシオンに叩き込んでいく。
驚くべきは、シオンの適応力だった。
最初はサンドバッグ同然だった彼が、数日経つ頃には、セレーナの攻撃を紙一重で回避し、カウンターを返せるようになっていたのだ。
(……こいつ、化け物か?)
セレーナは、組み合いながら内心で舌を巻いていた。
シオンの身体能力は、旧人類のそれを遥かに凌駕している。
持久力、回復力、動体視力。全てがトップアスリート並みか、それ以上だ。
数百年年という歳月。そして、高濃度の魔素が充満する環境。
それらが、人間という種を「進化」させたのだ。
シオンの肌は、汗に濡れて白磁のように輝いている。その筋肉はしなやかで、無駄がない。
打撃を受けても、痣が数時間で消えていく。骨折しかけた腕も、翌日には完治している。
野生動物並みの生命力。
「……はぁッ!」
シオンが、鋭いローキックを放つ。
セレーナはそれを脛で受け止めたが、重い衝撃に眉をひそめた。
(重い。……使い方が分かってきやがったな。)
体重移動。呼吸法。力の伝達。
教えたことを、スポンジのように吸収していく。
それは、彼の中に眠っていた「戦士の因子」が、セレーナという触媒によって爆発的に覚醒しつつある証拠だった。
「いい蹴りだ。……合格点、やってやるよ。」
セレーナは構えを解き、ニヤリと笑った。
シオンは膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。
「あ、ありがとうございます……セレーナさん。」
「へっ、口答えする元気はなさそうだな。……シャワー浴びてきな。飯にするぞ。」
シオンはふらつく足取りでロッカールームへと向かう。その背中は、最初に出会った時の怯えた奴隷の少年とは、別人のように逞しくなっていた。
一方、キャリアーの奥にある専用ラボ。
イザベラは、シオンとセレーナの訓練データを眺めながら、恍惚とした表情を浮かべていた。
「……素晴らしいわ。アヴァロン・ナイトの同調率、予想カーブを上回っている。」
モニターには、アヴァロン・ナイトの内部データが表示されている。
イザベラは、この数日間、不眠不休で機体の解析と調整を行っていた。
魔素のない環境下での稼働。それは、ガソリン車を電気で走らせるような無茶な改造だ。
だが、アヴァロン・ナイトの設計思想は、彼女の想像を遥かに超えて柔軟だった。
「コア・システムが、環境に合わせて自己進化している。……いえ、これは『あらかじめ想定されていた』機能ね。」
イザベラは、機体のメインフレームに触れるように、ホログラムの図面を指でなぞった。
この機体を設計し、改良し続けたのは、間違いなく兄、リゲルだ。
数百年の孤独の中で、彼は何を想い、この機体を作り上げたのか。
ただの戦闘兵器ではない。環境適応能力、パイロット保護機能、そして、異界のエネルギーを制御するシステム。
それはまるで、いつか壁の外へ——魔力のない世界へ出ることを、最初から予期していたかのような作りだった。
「兄さん……。貴方は、ここから脱出しようとしていたの? それとも、誰かを逃がそうとしていたの?」
イザベラの共感能力が、機体に残されたリゲルの残留思念を微かに捉える。
それは、言葉にならない感情の波。
後悔、贖罪、そして……希望。
「……感じるわ、貴方の思考を。」
イザベラは、機体を通じて兄と対話している気分だった。
技術者として、同じ高みに立つ者だけが理解できる言語。
ここをこう繋げば、効率が上がる。この回路は、あえて冗長性を持たせている。
一つ一つの設計に、兄の息遣いが感じられる。
「でも、まだ足りない。この機体の真の力を引き出すには、もう一つの鍵が必要よ。」
イザベラは、シオンのバイタルデータに目を移した。
進化・適応した新人類。
彼が戦士として覚醒し、アヴァロン・ナイトと完全に一体化した時、この機体は単なる兵器を超えた存在になる。
次元の壁すら突破する、箱舟そのものに。
「急ぎましょう。……フランスのラボなら、もっと深い『対話』ができるはずよ。」
彼女は妖艶に微笑み、次の実験プログラムを走らせた。
キャリアーは、黒い壁に沿って南下を続けていた。
アメリカ大陸の輪郭をなぞるその壁は、どこまでも高く、どこまでも黒く、世界を拒絶している。
ある日の休息時間。
甲板に出たシオンは、壁の方角をじっと見つめていた。
彼の目には、壁の変化が映っていた。
「……薄い。」
壁の一部が、霧のように揺らぎ、向こう側の景色が透けて見える。
彼が脱出した時と同じ現象だ。
だが、そこに見える景色は、シオンの記憶にあるものとは違っていた。
「シオン君? どうしたの?」
休憩に出てきたイザベラが、シオンの様子に気づいて声をかけた。
セレーナも、ドリンクを片手に後ろからついてくる。
「あ、イザベラさん、セレーナさん。……壁が、見えるんです。」
「ほう? また透けてんのか。」セレーナが興味深そうに壁を見るが、彼女の目にはただの黒い壁にしか見えない。
「はい。……でも、変なんです。」
シオンの声が震える。
「僕がいた場所……西海岸の森は、緑がいっぱいで、鉄の樹(廃ビル)が埋もれていて、生き物の気配がしました。……でも、ここから見える景色は……。」
シオンは、言葉を詰まらせた。
透けて見えるその場所は、一面の灰色だった。
植物の一本も生えていない、死の大地。
空は鉛色に淀み、生物の気配が全く感じられない。
まるで、世界そのものが死に絶えてしまったかのような、静寂と虚無。
「……何も、ないんです。僕が知っている世界じゃありません。……まるで、墓場みたいだ。」
シオンの顔に、恐怖の色が浮かぶ。
壁の中はどうなっているのか。場所によって、環境が違うのか。それとも、自分が出てきてから、中で何か恐ろしいことが起きたのか。
「……ふむ。」
イザベラは、シオンの言葉を聞いても動じなかった。むしろ、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「シオン君。貴方が見ているのは、『現在の』壁の中かもしれないし、あるいは『別の可能性』かもしれないわ。」
「別の……可能性?」
「ええ。黒い壁は、空間だけでなく、時間の流れも歪めている。500年の歳月は、場所によって異なる進化——あるいは退化をもたらしたのかもしれない。」
イザベラは、壁に手を伸ばすような仕草をした。
「壁の中は、一つじゃない。リゲルが封じ込めたのは、大陸という広大な土地と、そこから溢れ出す無数の『異界』なのよ。貴方がいたエルフの森もあれば、魔獣の巣窟もある。そして……すべてが死滅した場所があっても、不思議じゃないわ。」
彼女の言葉は、科学的でありながら、どこか予言めいていた。
全てを知っているわけではない。だが、彼女は「想定」しているのだ。最悪のケースも、最高のケースも。
「怖がることはないわ。……それがどんな地獄であれ、私たちがこれから行く場所には変わりないのだから。」
イザベラは、シオンの肩に手を置いた。
「フランスのラボに着けば、アヴァロン・ナイトの真の力が目覚める。そうすれば、貴方はその目で確かめることができるわ。……壁の向こうの真実を。」
シオンは、イザベラを見上げた。
その瞳には、不安よりも、未知への探求心が勝る輝きがあった。
そして、隣ではセレーナが、獰猛な笑みを浮かべて拳を鳴らしている。
「へっ、死の世界か。上等じゃねえか。……ゾンビだろうが幽霊だろうが、まとめてぶっ飛ばしてやるよ。」
二人の強さに触れ、シオンの心の震えが止まる。
そうだ。自分はもう、ただの逃亡者じゃない。
戦う術を学び、仲間を得た。
「……はい。行きましょう。」
シオンは、黒い壁——灰色の世界を見据えて頷いた。
そこが地獄だとしても、帰らなければならない。
自分の運命を、この手で切り拓くために。
キャリアーのエンジンが唸りを上げる。
一行はパナマ運河を抜け、大西洋へと出る。
フランスへ。
そこで待つ「覚醒」の時へ向けて、彼らの旅は続く。




