枯渇した海と緑の摩天楼
北アメリカ大陸を離れ、南下する巨大な影があった。
イザベラがエジプトの地下ドックから持ち出した『星装機キャリアー』だ。
かつて「太平洋」と呼ばれていたその場所は、今や見る影もない荒涼とした大地に変貌していた。
海は干上がり、白く乾燥した塩の平原が地平線の彼方まで続いている。ところどころに突き出た太古の海底火山の残骸や、座礁して錆びついた巨大タンカーの群れが、かつてここに水があったことを無言で物語っている。
キャリアーは、その死の世界の上空、わずか数メートルを滑るように航行していた。反重力エンジンが砂塵を巻き上げ、白い航跡を描く。
艦内の巨大格納庫。
イザベラは、回収した『アヴァロン・ナイト』の解析データを前に、感嘆の声を漏らしていた。その傍らには、被験者服を着たシオンが座らされている。
「……信じられないわ。フレームの材質、エネルギー伝達回路、全てが既存のノアの技術体系と異なっている。」
イザベラが興奮気味に独り言を呟く中、格納庫のハッチが開き、セレーナが入ってきた。彼女は窓の外——荒涼とした塩の砂漠を眺め、鼻を鳴らす。
「相変わらず、ひでえ景色だ。水の一滴もありゃしねえ。」
「あら、目的地はもうすぐよ。」イザベラが地図を切り替える。「見てごらんなさい。」
前方のモニターに映し出された映像に、シオンが目を丸くした。
塩と砂の世界の先に、突如として「緑の壁」が現れたのだ。
巨大なドーム状のエネルギーフィールドに守られた、鬱蒼と茂るジャングル。その内側には、かつての地球を思わせる豊かな森と、きらめく水面が見える。
**ノアⅤ(ファイブ)**。南米アマゾンを拠点とするこの都市は、地球上で唯一、大規模な自然環境を維持している場所だ。
「すごい……。どうしてここだけ、森があるんですか?」
シオンが窓に張り付くようにして尋ねる。
イザベラが説明を加えた。
「『ガイア・サーキュレーション』。ノアⅤ独自の環境維持システムよ。地下深く、マントルに近い層からマグマに含まれる水分を蒸気として汲み上げ、冷却・浄化して循環させているの。さらに、強力な結界で湿気を逃さないようにして、人工的な温室を作り上げている。……まさに、砂漠の真ん中に浮かぶ蜃気楼ね。」
「へぇ……。そんな技術が。」
「だが、その分、あいつらは排他的だ。」
セレーナが言葉を継ぐ。
「自分たちの湿度が下がるのを何よりも嫌う。機械文明が持ち込む排熱や汚染物質に対しては、過剰なほど攻撃的になるぜ。」
モニターには、パナマ運河——かつて海を繋いでいた水路は干上がり、現在は巨大な峡谷となっている——周辺に展開するノアⅤの部隊が映し出されていた。
ここを通らなければ、大西洋(こちらも干上がっているが)側へ抜けることはできない。
「強行突破しかないわね。」
イザベラは艶やかに微笑んだ。
「セレーナ、シオン君を連れて『お散歩』に行ってらっしゃい。……現地の空気を吸わせてあげるのと、ついでに情報の撹乱をお願いね。」
ノアⅤの勢力圏、パナマ峡谷の入り口にある中継都市。
そこは、巨大な樹木とパイプラインが絡み合う、奇妙な景観の街だった。
絶えず霧吹きのようなミストが街中に散布されており、乾燥した外の世界から来た者にとっては、肌にまとわりつく湿気が異様に感じられる。
現地の人間が着るポンチョを借り、変装したセレーナとシオンは、活気ある市場を歩いていた。
「うわぁ……。これが、果物……?」
シオンは、店先に並ぶ極彩色のフルーツを見て目を輝かせていた。壁の中の世界では、食料といえば味気ない合成食か、危険な魔獣の肉しかなかったからだ。
「おい、あんまキョロキョロすんな。お上りさんだってバレるぞ。」
セレーナが呆れたように言いながらも、その視線は鋭く周囲を警戒している。
「あ、すみません……。でも、すごい匂いです。甘いような、酸っぱいような……。」
「湿気のせいだ。匂いが籠もるんだよ、ここは。」
人混みをかき分けて進む中、シオンがふと足を止めた。
路地裏で、水を売る商人が、小さな子供に法外な値段をふっかけているのが見えたのだ。
ノアⅤでは水は豊富にあるはずだが、外部から来た旅人に対しては、足元を見て高値で売りつける悪徳商人が横行していた。
「……あんなの、ひどいですよ。」
シオンが義憤に駆られて割って入ろうとする。
だが、セレーナがその襟首を掴んで引き戻した。
「よせ。余計なトラブルは起こすな。」
「でも! あの子が……!」
「見てな。」
セレーナは指先でコインを弾いた。
銀貨は空中で軌道を変え、商人の手元にある水瓶の縁に「カキン!」と当たった。
商人が驚いて振り返る隙に、セレーナは子供の手を取り、自分の腰に下げていた水筒を握らせた。
「ほらよ。これを持ってさっさと行きな。」
子供は驚いた顔をして、ぺこりと頭を下げて走り去った。
商人が気づいた時には、セレーナたちは既に雑踏の中に消えていた。
「……かっけぇ。」
シオンが、ぽつりと呟く。
「ああん? なんだよ。」
「いえ、セレーナさんって、乱暴そうですけど、本当は優しいんですね。」
「……うるせえよ。勘違いすんな。騒ぎになると任務に支障が出るからだ。」
セレーナはそっぽを向いたが、その耳は僅かに赤くなっていた。
しばらく歩くと、屋台から香ばしい匂いが漂ってきた。
巨大なトカゲのような生き物の肉を焼いている。
「腹減ったな。……おい坊主、これ食うか?」
セレーナは串焼きを二本買い、一本をシオンに渡した。
「い、いいんですか?」
「アタシの奢りだ。……壁の中じゃ、ろくなもん食ってなかったんだろ? もっと肉つけてデカくなれよ。」
シオンは串焼きにかぶりついた。スパイスの効いた肉汁が口いっぱいに広がる。
「美味しい……!」
夢中で食べるシオンの口元に、タレがついている。
セレーナは、「しょうがねえな」と苦笑しながら、親指でそれを拭い取った。
「子供かよ、お前は。」
「あっ、すみません……!」
シオンは顔を真っ赤にして縮こまる。
セレーナのその仕草は、とても自然で、まるで年の離れた弟の面倒を見る姉のようだった。
シオンの心に、温かいものが広がる。
壁の中での奴隷生活では感じることのできなかった、人間らしい温もり。この強くて乱暴な女性の背中が、とても頼もしく見えた。
「さて、腹も膨れたし、仕事の時間だ。」
セレーナの目つきが変わる。
彼女はシオンを連れて、市場の奥にある古びた酒場へと入っていった。
そこは、ノアⅤを追放された傭兵や、情報を売買するブローカーたちの溜まり場だった。
「よう、マスター。……『赤き死神』のお通りだ。」
その名を聞いた瞬間、店内の空気が凍りついた。
かつて、ノアⅧの闘技場で無敗を誇った伝説のパイロット。その悪名は、この地にも轟いていたのだ。
セレーナはカウンターに座り、情報屋の老人と交渉を始めた。
シオンは隣で、彼女の堂々とした振る舞いを見つめていた。
恐怖で震え上がる大人たちを前に、眉一つ動かさず、必要な情報を引き出し、逆に偽の情報を植え付けていく。
(すごい……。強いって、こういうことなんだ。)
単に腕っぷしが強いだけではない。
生き抜くための知恵と、度胸。
シオンは、セレーナという人間に、強烈な憧れを抱き始めていた。
「よし、撒き餌は完了だ。」
セレーナは店を出て、ニヤリと笑った。
「エジプトからのお宝を積んだ輸送船が通るって噂を流した。……これで、欲深な連中が釣れるはずだ。」
「……悪い顔してますよ、セレーナさん。」
「ハッ、褒め言葉として受け取っとくぜ。」
翌日未明。
パナマ運河の入り口付近。
霧が立ち込める水面上に、イザベラのキャリアーが姿を現した。
エンジンの出力を絞り、警戒しながら進むその姿は、いかにも「隠密行動中に見つかるのを恐れている」獲物のように見えた。
その時。
水面が割れ、ジャングルが揺れた。
——ブオォォォォォ!!
法螺貝のような低い音が響き渡ると同時に、周囲から無数の光点が現れた。
ノアⅤの星装機部隊だ。
彼らの機体『フォレスト・ガーディアン』は、植物の繊維と強化樹脂で装甲が覆われ、昆虫のような多脚型のフォルムをしている。自然環境に溶け込み、熱源探知を無効化するカモフラージュ機能を備えた、密林戦特化の機体だ。
『侵入者へ告ぐ! 貴様らは包囲されている! 直ちに動力を停止し、投降せよ!』
拡声器からの警告。
数は30機以上。完全に待ち伏せされていた形だ。
キャリアーのブリッジ。
イザベラは、モニターに映る敵の包囲網を見て、優雅に紅茶を啜っていた。
その隣で、シオンは青ざめている。
「イ、イザベラさん! 囲まれてます! 攻撃されます!」
「落ち着きなさい、シオン君。……セレーナの予測通りね。貪欲な連中は、餌を目の前にすると周りが見えなくなる。」
イザベラは、マイクのスイッチを入れた。
「セレーナ、聞こえていて? 舞台は整ったわ。……掃除の時間よ。」
『あいよ。待ちくたびれたぜ!』
通信機からセレーナの声が弾ける。
次の瞬間、キャリアーの上空、何もない空間が歪んだ。
紅蓮の稲妻が走り、空間に亀裂が入る。
その裂け目から、真紅の流線型機体——『クリムゾンクイーン』が、音もなく滑り落ちてきた。
「なっ、なんだアレは!?」
「上だ! 撃て!」
ノアⅤの部隊が反応し、対空ミサイルと生体酸弾を一斉に発射する。
無数の弾頭が、空中の真紅の機体に殺到する。
だが。
——フッ。
着弾の瞬間、クリムゾンクイーンの姿がかき消えた。
爆炎が空しく空を叩く。
「き、消えた!?」
「どこだ!? レーダーに反応がない!」
混乱するノアⅤ部隊。
その死角、最後尾にいた指揮官機の背後。
空間が再び歪み、紅い悪魔が実体化する。
「ここだぜ、間抜け!」
セレーナの嘲笑と共に、クリムゾンクイーンの手が閃く。
右手のブレスレットが輝き、亜空間から巨大なヒート・ハンマーが出現した。
遠心力を乗せた一撃が、指揮官機の頭部を粉砕する。
ガシャァァァン!!
指揮系統を一瞬で失い、動揺する敵部隊。
そこへ、セレーナのダンスが始まる。
機体ごと転送。
敵の懐に飛び込み、亜空間からショットガンを取り出して至近距離射撃。
バックステップで回避しながら、ライフルに持ち替えて牽制。
側面から斬りかかってくる敵に対し、頭上へ転移して回避し、そのまま落下エネルギーを乗せたパイルバンカーで串刺しにする。
それは、戦闘というよりは手品だった。
物理法則を無視した機動。無限に湧き出る武装。
30機の敵が、たった1機に翻弄され、次々と無力化されていく。
「す、すごい……。」
ブリッジで見ていたシオンは、言葉を失った。
モニター上の敵を示す赤い光点が、次から次へと消失していく。
イザベラは、その様子を満足げに眺めている。
「素体との同調率は98%。……アヴァロンの解析データをフィードバックしたおかげね。彼女の空間認識能力は、次元の壁さえ超えつつあるわ。」
10分後。
運河の水面には、手足を破壊され、戦闘不能になったノアⅤの機体が累々と横たわっていた。
死者はゼロ。セレーナは、正確にコクピットを外し、機体だけを破壊していたのだ。
「ふぃ〜。……準備運動にもなりゃしねえな。」
残骸の山の上に、クリムゾンクイーンが降り立つ。
その真紅の装甲は、傷一つなく、朝日に輝いていた。
戦闘の後、再び航行を開始したキャリアーのサロン。
シャワーを浴びてさっぱりしたセレーナが、ソファに深く身を沈めていた。
シオンは、そんな彼女に淹れたてのコーヒーを差し出す。その手は、興奮と緊張で少し震えていた。
「セレーナさん……本当にすごかったです。魔法みたいでした。」
「魔法ねえ。……ま、似たようなもんだ。科学ってやつも、突き詰めりゃ魔法と変わらねえよ。」
セレーナはコーヒーを受け取り、ニカっと笑った。
「……セレーナさん。」
「ん? なんだ坊主?」
シオンは、セレーナの隣に立つと、意を決したように頭を下げた。
「お願いします! ……僕を、弟子にしてください!」
「ああん?」
セレーナは目を丸くした。
「僕……強くなりたいんです。壁の向こうへ戻るには、戦う力が必要です。でも、アヴァロン・ナイトに乗っているだけの僕は、弱いままだ……。セレーナさんみたいに、自分の足で立って、誰かを守れるようになりたいんです!」
シオンの瞳は、真剣そのものだった。
市場で子供を助けた優しさ。戦場で見せた圧倒的な強さ。
その両方を持つ彼女に、シオンは自分の目指すべき姿を重ねていた。
セレーナは、しばらくシオンを見つめていたが、やがて噴き出した。
「くっ……ハハハハ! 弟子だと? この『赤き死神』にか?」
「はい! 本気です!」
セレーナは笑い涙を拭い、ニカっと笑った。
「……いいぜ。見込みはある。あのでくの坊を動かせる根性と、市場での度胸。悪くねえ。」
彼女は、シオンの頭をガシガシと撫でた。
「その代わり、アタシの修行は地獄だぞ。泣いて逃げ出すんじゃねえぞ、弟弟子。」
「……弟?」
「ああ。アタシのことは『姉御』と呼べ。……なんてな、冗談だ。」
セレーナは照れくさそうに鼻をこする。
「ま、姉貴分くらいにはなってやるよ。……退屈な旅の暇つぶしにはちょうどいい。」
「はい! よろしくお願いします、セレーナ姉さん!」
「……姉さんはやめろ、こそばゆい。」
端末を操作していたイザベラも、くすりと笑う。
「いいじゃない。貴女に似合いよ、姉御肌。」
和やかな空気の中、イザベラが本題を切り出した。
「さて、シオン君。授業料代わりに、教えてもらえるかしら。……『壁の中』の真実を。」
イザベラは、北アメリカ大陸の白地図をテーブルに広げた。
シオンは頷き、その地図の上に指を走らせた。
「……僕が知っているのは、ごく一部ですが。」
彼が語ったのは、数百年の時を経て変貌した、異界の勢力図だった。
「まず、西海岸一帯——僕がいた場所は、『神聖エルフ帝国』の支配領域です。」
シオンは、カリフォルニア周辺を指差した。
「支配者はエルフ。魔力を持つ彼らは、人間を奴隷として扱い、高度な魔法文明を築いています。彼らは『旧き神』を信仰していますが、同時に、その技術を独占し、支配の道具にしています。」
「エルフ、ね。……遺伝子変異による新人類か。」イザベラがメモを取る。
「そして、東海岸側……アパラチア山脈より東は、『人間解放戦線』の領域だと聞いています。」
シオンの指が、大陸の反対側へ飛ぶ。
「魔法を使えない人間たちが、旧時代の機械文明を発掘・復元し、エルフに対抗しているそうです。……僕は行ったことはありませんが、そこには自由があると、奴隷たちの間では伝説になっています。」
「魔法と科学の戦争……。ベタだけど、燃える展開だな。」セレーナが口笛を吹く。
「問題は、ここです。」
シオンは、大陸の中央部——ロッキー山脈から大平原にかけての広大なエリアを、手のひらで覆った。
「『魔境』。……そこは、どちらの勢力も手出しができない、魔獣たちの巣窟です。」
「魔獣?」
「はい。異界のエネルギーによって変異した動物や、あるいは異次元から迷い込んだ怪物たち。ドラゴンやキマイラ……。そこを通ることは、自殺行為です。」
シオンの説明に、イザベラの瞳が妖しく輝いた。
「素晴らしいわ……。数百年の隔離実験が、独自の生態系と社会構造を生み出したのね。まさに、宝の山だわ。」
彼女は、シオンの描いた勢力図を愛おしそうに眺めた。
兄、リゲルが作り出した世界。
そこには、人類の進化の可能性と、破滅の種が同居している。
「面白くなってきたじゃねえか。」
セレーナが拳を鳴らす。
「エルフの魔法使いに、旧文明の兵器、それにドラゴンだって? ……へっ、全部まとめて相手してやるよ。」
シオンは、二人を見つめた。
狂気的なまでの探求心を持つ魔女と、底知れぬ強さを渇望する狂戦士。
自分のような平凡な人間には理解できない、圧倒的なエネルギーを持った二人。
だが、不思議と怖くはなかった。
彼女たちと一緒なら、あの絶望的な壁の向こう側でも、何かを変えられるかもしれない。そう思えたからだ。
「さあ、行きましょう。」
イザベラが立ち上がる。
「次の目的地はフランス。そこで最終調整を終えたら、いよいよ大西洋を渡るわ。……目指すは東海岸、人間の領域よ。」
キャリアーは、夕闇のカリブ海へと進路を取る。
その先にあるのは、数百年の時を超えた新世界。
3人の旅は、まだ始まったばかりだった。




