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星装機ヴァルキリア 〜最強の黒騎士は、歌姫の愛で未来を視る〜  作者: 如月 煉


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成層圏の来訪者、黒き衣の贈り物

 東京湾の戦いから数日が経過した。

 エデン軍の主力撤退により、ノアⅣ防衛戦は奇跡的な勝利で幕を閉じた。だが、荒廃した都市に訪れたのは安息ではなく、「戦後処理」という名の、血を流さない、けれど精神を擦り減らす新たな戦いだった。


 かつて熱狂と興奮の坩堝であり、アリアたちが華麗なパフォーマンスを披露していた「歌唱アリーナ」。その巨大な空間は、今や鉄柵と有刺鉄線で囲まれた、臨時捕虜収容所へと変貌していた。

 薄汚れたテントが所狭しと並び、傷ついたエデン軍の兵士たちが、虚ろな目で地べたに座り込んでいる。空気は淀み、消毒液と汗、そして絶望の臭いが充満していた。


 その重苦しい空気の中を、一人の青年が歩いていた。

 ノアⅣの英雄、カイトだ。

 彼は武装を解き、パイロットスーツの上から簡素なジャケットを羽織っただけの姿で、捕虜たちの間を回っていた。武装したノアⅣの警備兵たちは、英雄が丸腰で敵の中にいることに神経を尖らせていたが、カイトは彼らを制して一人で歩を進める。


「……水だ。飲め。」


 カイトは、衰弱しきった一人の若い兵士の前にしゃがみ込み、水筒を差し出した。

 兵士はビクリと身体を震わせ、怯えた目でカイトを見上げた。

「ころ……殺すのか……? 俺たちは、街を焼いた……。」


「殺さない。戦いは終わったんだ。」

 カイトの声は、静かで、低かった。だが、そこには確かな温度があった。

「俺たちは、あんたたちが憎くて戦ったわけじゃない。守りたかっただけだ。」


 カイトは知っている。

 彼らの多くが、かつて自分と同じ場所——「棄民都市ムー」や、それに類する場所で生まれ育ち、ノアの政策によって故郷を追われた者たちであることを。

 彼らが抱く憎悪の根源は、かつてカイト自身が抱いていたどす黒い感情と、何ら変わりはない。もしアリアやユキに出会わなければ、カイトもまた、この鉄柵の内側で世界を呪っていたかもしれないのだ。


(俺とこいつらは、紙一重だ。……違う場所に立っていることさえ、偶然の結果に過ぎない。)


 カイトの胸に、鈍い痛みが走る。

 だからこそ、彼はここに来なければならなかった。上層部の誰かが適当に決めた「処分」ではなく、同じ痛みを知る人間として、彼らに語りかけなければならなかった。


 テントの陰から、先日決闘を行ったアルドが姿を現した。彼は包帯だらけの身体を引きずりながら、カイトの隣に立つ。

「……無駄骨かもしれねえぞ、カイト。こいつらの心は折れてる。エデンという幻想を失って、戻る場所もねえ。」


「なら、ここを場所にすればいい。」

 カイトは立ち上がり、周囲に聞こえるように声を張った。演説など得意ではない。不器用な言葉の羅列だ。だが、魂からの叫びだった。


「お前たちは、もうエデンには戻れない。だが、俺たちを捨てたノアⅣの支配者たちも、もういない!」


 捕虜たちが、のろのろと顔を上げる。


「今、この街を動かしているのは、俺たちと同じように下層で泥水を啜り、それでも生きようと足掻いてきた連中だ。……俺たちが作るんだ。棄民も、市民も関係ない、新しいノアを。」


 カイトは、泥にまみれた兵士の手を取った。

「あんたたちの力が必要だ。星装機を動かす技術、荒野で生き抜く知恵。それを、復讐のためじゃなく、生きるために貸してほしい。」


 それは、赦しではない。共犯者への誘いだった。

 共に泥をかぶり、瓦礫を退け、明日を作るための労働への勧誘。

 カイトの瞳にあるのは、英雄としての驕りではなく、ただの一人の人間としての切実な願いだった。


「……俺たちに、生きる価値があるのか?」

 誰かがポツリと呟いた。


「ある。」

 カイトは即答した。

「俺が保証する。……一緒に生きてくれ。」


 静寂が落ちる。やがて、嗚咽が漏れ始めた。

 頑なだった兵士たちの心が、雪解けのように崩れていく。

 それは、かつて「社会のゴミ」として排除された者たちが、初めて「必要とされる」ことの尊さを知った瞬間でもあった。


 ◇


 一方、ノアⅣの中枢エリア。

 軍事的な緊張が続く現場とは対照的に、ここでは政治と経済の再建という、形のない戦争が繰り広げられていた。


 富裕層の多くがエジプトで行方不明となり、行政機能が麻痺したノアⅣ。その空白を埋めるべく奔走していたのは、アリアを中心とした歌姫たちだった。


「第3区画の配給所、ミルクと医薬品が不足しています! 第5倉庫の備蓄を開放する許可を!」

「暴動の兆候あり? すぐに私が向かいます。歌ではなく、対話で鎮めます。」


 臨時対策本部に指定された会議室で、アリアは端末を片手に指示を飛ばしていた。

 ステージ衣装ではない。動きやすいパンツスーツに身を包み、髪もシンプルに束ねている。その表情には、かつての庇護されるだけの可憐な少女の面影はない。


 アリアは、自分自身の役割を問い直し続けていた。

 歌うことは、人々の心を癒す。それは間違いない。だが、飢えや寒さ、明日への不安の前では、歌はあまりにも無力だ。

 「歌姫」という偶像アイドルとして崇められるだけでは、この街は救えない。


(私は、カイトさんの隣に立ちたい。戦場で傷つく彼を癒すだけでなく、彼が守ろうとしているこの街そのものを、支える柱になりたい。)


 アリアは、自らの知名度とカリスマ性を、政治的な影響力へと転換させていた。

 富裕層が隠し持っていた物資の強制収用、ブラックマーケットの摘発、そして市民と軍部の橋渡し。彼女が口を開けば、混乱した市民は耳を傾け、暴徒と化した人々も拳を下ろした。


「アリアさん、放送の時間です。」

 エマが呼びに来る。街頭ビジョンを通じた、定時の市民向けメッセージだ。


「はい、行きます。」

 アリアは鏡の前で一瞬だけ表情を緩め、頬を叩いた。疲れを見せてはいけない。私は希望の象徴なのだから。


 カメラの前に立つアリア。その瞳には、強い意志の光が宿る。

『市民の皆さん、恐れないでください。私たちは一人ではありません。今日、エデン軍の方々とも協力して、瓦礫の撤去作業が始まります。彼らもまた、同じ人間です。どうか、石を投げるのではなく、パンを分け合ってください。』


 彼女の言葉は、理想論かもしれない。だが、彼女が先頭に立って汗を流し、泥にまみれて活動している姿は、何よりも雄弁な説得力を持っていた。

 かつては「電池」としてシステムに搾取されていた彼女が、今や自らの意志で、都市という巨大な生命体を導こうとしていた。


 ◇


 そして、空の上。

 都市の上空に停泊する強襲母艦『アーク・ロイヤル』。

 そのメインブリッジは、24時間体制で稼働する、ノアⅣ再建の頭脳となっていた。


「Cブロックの動力炉、再起動シークエンス完了。出力安定。これで居住区の停電は解消されます。」

「旧エデン軍機『ホープレス』の解体作業、進捗率40%。使用可能なパーツを選別して、アイアンクラッドの修復に回して!」

「食料コンテナの在庫確認。……厳しいわね。来週からは配給量を一割カットするしかないかも。」


 オペレーター席に座り続けるユキの顔には、濃い隈が浮かんでいる。だが、その目は爛々と輝き、決して休むことはない。

 彼女は、この巨大な船と、都市のインフラ管理システムをリンクさせ、たった一人で数千人分の事務処理をこなしていた。


 艦長席のトーマスが、心配そうに声をかける。

「ユキちゃん……少し休まないと倒れるよ。君が倒れたら、この船どころか、ノアⅣの機能が停止する。」


「平気です、艦長。アドレナリンが出っ放しみたいで。」

 ユキは気丈に笑うが、指先は微かに震えていた。


 彼女を突き動かしているのは、カイトへの想い、そしてアリアへの対抗心にも似た意地だった。

 カイトは地上で、人々の心を繋ぐために泥を被っている。

 アリアは表舞台で、街を導く光となっている。

 ならば自分は、裏方として、彼らが立つための土台を、物理的に支え続けなければならない。


(私が計算を間違えれば、誰かが飢える。私が指示を遅らせれば、誰かが寒さに凍える。)


 イザベラから託されたマスター権限と膨大な知識。それは、ただの整備士だった少女には重すぎる荷物だ。だが、彼女はそれを誇りとしていた。

 カイトの帰る場所を守る。その一心だけが、彼女の細い体を支えている。


「……通信入ります! 識別不明、ですが……この暗号化パターン、ノアZEROです!」


 ユキの声が弾ける。

 モニターに表示されたのは、ノイズ混じりの波形。


『やあ、地上の働き者諸君。英雄ごっこは楽しんでいるかい?』


 聞き覚えのある、人を食ったような子供の声。

 ラプラスだった。


 艦橋に駆けつけたカイトとアリアも加わり、通信に耳を傾ける。


『単刀直入に言おう。迎えに来てくれたまえ。僕は今、君たちの頭上にいる。』


「頭上って……まさか、宇宙ですか?」カイトが問う。


『正確には、高度20000メートル。成層圏の入り口だ。僕の可愛いヴァニティは、大気圏内での長距離移動には向いていなくてね。それに、少々“重い荷物”もある。』


「2万メートル!?」

 トーマスが驚愕する。

「通常の航空機でも到達困難な高度だ。アーク・ロイヤルの上昇限界ギリギリだぞ。それに、気圧も気温も、生身の人間が耐えられる環境じゃない。」


『君たちの船なら可能だ。イザベラが組み込んだ反重力ユニットは、伊達じゃないよ。……ああ、それと。』

 ラプラスの声が、少しだけ真剣味を帯びた。

『ニコくんを必ず同乗させること。彼に渡したいものがあるんだ。』


 ユキが即座にシミュレーションを行う。

「……いけます。推力を最大にすれば、一時的に到達可能です。ですが、船内環境の維持は困難です。クルーは最小限にし、全員気密服スペース・スーツの着用が必須です。」


「了解だ。」

 カイトが即断する。

「俺とユキ、艦長、そしてニコで行く。アリア、君は地上で指揮を続けてくれ。」


「はい。……気をつけて、カイトさん。」


 ◇


 3時間後。

 アーク・ロイヤルは、空の青さが深まり、やがて漆黒へと変わる境界線を目指して上昇を続けていた。

 窓の外に見えるのは、丸みを帯びた地平線と、吸い込まれるような宇宙の闇。

 気温はマイナス50度。船体が軋み、薄い大気を切り裂く音が甲高く響く。


 気密服に身を包んだクルーたちは、張り詰めた緊張の中で計器を見つめていた。


「高度19000……。まもなく、ランデブーポイントです。」

 ヘルメットのバイザー越しに、ユキの声が響く。


 艦長席のトーマスが、空を見上げる。

「モニターに反応あり! 熱源、2! ……来るぞ!」


 漆黒の宇宙を背景に、空間がぐにゃりと歪んだ。

 虹色の光の粒子が舞い、そこから何かが吐き出される。

 ラプラスの駆る専用機『ヴァニティ』の転送能力。本来、長距離転移には向かないPSYCHOコアの力を、彼女は複数の衛星を中継点として利用し、演算のみで強引に座標を固定して転移してきたのだ。


「視認しました! 2機です!」


 歪んだ空間から滑り落ちるように現れたのは、虹色の結晶体のような翼を持つ、華奢で美しい機体『ヴァニティ』。

 そして、そのヴァニティに手を引かれるようにして現れた、もう1機の姿に、カイトは息を呑んだ。


「あれは……まさか……!」


 見間違えるはずもない。

 エジプトでセレーナが駆り、カイトたちを苦しめた紅蓮の悪魔『クリムゾンロード』のシルエット。

 だが、その色は違っていた。

 かつての燃えるような赤は失われ、全身が艶のない、光を吸収するような「漆黒」に塗り替えられていたのだ。

 まるで、喪服を纏った死神のように。


『やあ、時間通りだね。優秀なタクシーで助かるよ。』


 通信機からラプラスの声が聞こえる。

 2機の星装機は、スラスターを微調整し、無重力に近い挙動でアーク・ロイヤルの甲板へと降り立った。


『さあ、ハッチを開けてくれたまえ。……ニコくんにお土産を持ってきたよ。』


 ◇


 アーク・ロイヤルの第1格納庫。減圧された空間に、冷たい空気が流れ込む。

 気密服を脱いだカイト、ユキ、そしてニコが待ち受ける中、黒く塗られたクリムゾンロードが固定具に拘束される。

 その隣に降り立ったヴァニティから、ラプラスがひょいと飛び降りてきた。彼女もまた、小さな体躯に合わせた特注の気密服に身を包んでいる。


「やあ、ニコくん。元気そうで何よりだ。」

 ラプラスはヘルメットを脱ぎ、ボサボサの髪を揺らしてニコに歩み寄った。その顔には、再会の喜びと、科学者としての興奮が混じり合っている。


「ラプラス先生……。これは一体……?」

 ニコは、黒い機体を呆然と見上げている。かつてのクリムゾンロードの面影を残しながらも、その本質は全く別物に作り変えられていることが、エンジニアである彼には一目でわかった。


「君の悩みへの回答さ。」

 ラプラスは、愛おしそうに黒い機体の装甲を撫でた。

レイくんの身体は限界だ。そうだろう? 覚醒したDARKコアの出力に、生身の肉体が耐えきれず、浸食が進んでいる。」


 ニコは痛ましげに顔を歪め、頷いた。

「はい。彼の脳内のコアメモリと肉体の同化は進む一方です。このままでは、彼は人としての形を保てなくなる……。あるいは、次元の狭間へ消滅してしまうかもしれません。」


「だから、器が必要なんだ。」

 ラプラスは黒い機体を指し示した。

「これは、かつてセレーナが乗っていた『クリムゾンロード』のフレームだ。彼女が新たな素体クイーンに乗り換えたことで、抜け殻になって宇宙を漂っていたところを回収してね。……僕が少しばかり、手を加えさせてもらった。」


 ラプラスは懐から、厳重にロックされたカプセルを取り出した。

 中には、黒い球体が浮いている。それは周囲の光をねじ曲げ、視線を吸い込むような濃密な闇の波動を放っていた。


「こいつは『ネビュラ』。僕が作った、人工のDARKコアだ。」


「人工の……コア!?」

 ユキが驚きの声を上げる。人類には解析不能とされたブラックボックス、神の領域にある技術を、この科学者は作り出したというのか。


「オリジナルのような無限の出力はない。だが、その分、安定性は抜群だ。これを触媒フィルターとして、レイくんの脳内メモリと機体をリンクさせる。そうすれば、彼の過剰なエネルギーはこの機体が肩代わりしてくれる。」


 ラプラスは、ニコにカプセルを手渡した。

「つまり、この機体はレイくんにとっての『第二の肉体』であり、暴走を防ぐ『拘束衣』にもなる。」


 ニコは震える手でカプセルを受け取った。その重みは、レイの命の重みそのものだ。

「……第二の、肉体。」


「フレームの強度は折り紙付きだ。なにせ、あのセレーナの無茶な機動に耐えてきた機体だからね。DARMAコア用の神経伝達システムは、DARKコアとの相性も悪くない。……色は、レイくんに合わせて黒くしておいたよ。」


「先生……ありがとうございます……!」

 ニコは、カプセルを抱きしめて涙ぐんだ。冷徹な科学者であるはずの彼が、今はただ、友を救える希望に震えていた。


「礼を言うのは早いよ。組み込みと調整は、君たちがやるんだ。ノアⅣには、イザベラが残した設備があるだろう? それを使えば、最高の機体に仕上がるはずさ。」


 ラプラスは視線を外し、カイトの方を向いた。その表情から笑みが消え、鋭い観察者の目になる。


「さて、カイトくん。君にも話がある。」


「……俺に?」


「ああ。イザベラとセレーナの動向についてだ。彼女たちは今、おそらく地球の裏側……『黒い壁』の前まで行っている。」


「黒い壁?」


 黒い壁。北アメリカ大陸を封鎖する、絶対不可侵の領域。


「かつて北アメリカと呼ばれた場所。全ての原因であり、ノア計画の真の目的の地さ。イザベラは、黒い壁をこじ開けようとしている。……それが何を意味するか、分かるかい?」


 ラプラスは、眼下に広がる青い地球を指差した。


「パンドラの箱が開くんだ。世界は、もう一度作り変えられることになるだろう。」


 成層圏の静寂の中、ラプラスの言葉は予言のように響いた。

 彼女は一度言葉を切り、探るようにカイトの瞳を覗き込む。


「そしてね、カイトくん。……僕の観測機器が、奇妙な『鼓動』を拾ったんだ。壁の向こう側から。」


「鼓動……?」


「ああ。月に眠っていた7つのオリジナル・コア。……この地球テラの深淵に、誰も知らない『8つ目』」


「準備をしたまえ。君たちが次に向かうべき場所は、もはや地図の上にはない。……常識の外側さ。」

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