鉄の墓標、目覚める守護者
極東の空は、鉛色の雲に覆われていた。
ノアⅣ——かつての東京湾上に浮かぶ巨大な都市。繁栄と技術の粋を集めたこの都市は今、死刑宣告を待つ囚人のような、重苦しい沈黙と絶望に支配されていた。
軍事司令部、メイン・モニタールーム。
本来ならば、星歌祭の熱狂を伝えるはずだった巨大スクリーンには、無慈悲な現実が映し出されている。
チベット高原、ノアⅢの最期。
難攻不落と謳われた要塞都市が、黒い雲霞のごときエデン軍の量産機『ホープレス』の群れに飲み込まれ、紅蓮の炎に包まれていく映像。
個々の戦闘力では勝るはずのノアⅢの精鋭たちが、統率された集団戦術の前に為す術もなく各個撃破されていく様は、ここにいる全ての者の心に冷たい刃を突き立てていた。
「……勝てるわけがない。」
若いオペレーターの震える声が、静寂を破った。
「相手は『軍隊』だ。痛みを知らず、死を恐れない機械の兵団だ。それに対して、我々は……。」
言葉は続かなかったが、その場にいる誰もが理解していた。
ノアⅣの軍組織は、形骸化している。
長らく続いた平和と、星歌祭というエンターテインメントへの傾倒。パイロットたちは「戦士」ではなく「演者」となり、軍隊は「警備会社」に成り下がっていた。
上層部の主要な人間は、エジプトでのテロで行方不明か、死亡。
指揮系統は寸断され、残されたのは、現場を知らない若手将校と、選抜に漏れたパイロットたち、そして旧式の量産機だけだ。
「無駄死にするだけだ……。降伏した方が、まだ市民は助かるんじゃないか?」
誰かが弱音を吐いた。その空気は、ウイルスのように瞬く間に司令部に伝染しようとしていた。
「——ふざけるなッ!!」
バンッ! と、鉄のテーブルが叩き割らんばかりに殴打された。
全員の視線が集まる。
そこに立っていたのは、金髪のショートヘアを逆立て、鬼のような形相をした女性パイロットだった。
**リシェル・バートン**。
星装機『アサルト・ヴァンガード』の操縦者であり、ノアⅣ軍のエリート。カイトとの戦いには敗れたものの、そのプライドは未だ折れてはいなかった。
「降伏? 市民が助かる? 寝言を言うな! エデンが掲げているのは『浄化』だぞ! 富裕層も、軍人も、彼らの基準に合わない人間は皆殺しにされる。ノアⅢの惨状を見て、まだそんな甘い夢が見られるのか!」
リシェルは、周囲の男たちを睨みつけた。彼女の瞳には、恐怖を怒りで押し殺したような、悲痛な色が宿っている。
「それに……ここで私たちが膝を屈したら、あいつらはどうなる!」
彼女が指差した先には、誰もいない格納庫の一角が映るモニターがあった。
そこは本来、彼女の相棒である歌姫、カエデがいるはずの場所だった。
しかし今は、無人だ。彼女たちは、カイトと共にエジプトにいっているのだ。
「カエデたちが……カイトが、きっと帰ってくる。それなのに、帰るべき場所が敵の手に落ちていましたじゃ、顔向けできないだろうがッ!」
リシェルの叫びが、司令部の淀んだ空気を切り裂いた。
◇
第1星装機ハンガー。
そこには、かつてカイトとアリーナで覇を競い合ったライバル機たちが、整備中の状態で並んでいた。
重装甲防御型の『Gファランクス』。
隠密特化型の『朧影』。
精神干渉型の『ソウル・エンチャンター』。
そして、火力特化の『アサルト・ヴァンガード』。
機体の足元には、それぞれのパイロットたちが集まっていた。
皆、表情は暗い。DIVAシステムの中核である「歌姫」が不在の今、彼らの機体は本来の性能の半分も出せない状態にあるからだ。
「……リシェルの言う通りだ。俺たちゃ、舐められてる。」
工具を片手に、Gファランクスの装甲を叩いたのは、**バルト**だ。
日焼けした肌、厳つい顔つき。元裏社会の出身である彼は、エデンのような「暴力」の匂いに敏感だった。
「だがあんた、わかってるのか? 歌姫のいない今の俺たちじゃ、リミットブレイクどころか、基本出力すら安定しねえ。ホープレス相手に一騎当千なんて夢物語だ。」
バルトの言葉に、リシェルは唇を噛む。
「わかっているわよ、そんなこと! でも、やるしかないでしょう!?」
「精神論で勝てるなら、歴史に敗者はいませんよ。」
冷ややかな声が響く。
銀色の長髪を流した青年、**ヨシュア**だ。彼は『ソウル・エンチャンター』の前で腕を組み、虚空を見つめている。
「私の機体は、ユナの歌があって初めてその真価を発揮する。精神感応波によるジャミングも、今の出力では無人機の大群を止めるには至らない。」
「……。」
黒いフードを目深に被った**鴉**は、無言で愛用のダガーを研いでいる。彼の隣には、いつもならリンという賑やかな少女がいるはずだった。その空白が、彼の纏う影を一層濃くしている。
現場には、諦観にも似た空気が漂っていた。
彼らは「個」として強すぎた。自分の力、そして相棒との絆による爆発力に頼りすぎていた。だからこそ、その片翼をもがれた今、どう戦えばいいのか分からないのだ。
「……じゃあ、負けを認めて死ぬのを待つか?」
低い声が、ハンガーに響いた。
バルトだ。彼は、手にしたスパナを力任せに床に投げつけた。
ガラン、と乾いた音が響く。
「俺は、シアンに……あいつに、『生きていてよかった』って思える場所を残してやりてえんだよ。」
バルトは、無骨な手で顔を覆った。
「あいつは、歌うことしか知らねえ不器用な女だ。俺が守ってやらなきゃ、誰が守るんだよ。」
その言葉は、全員の胸に突き刺さった。
リシェルにとってのカエデ。ヨシュアにとってのユナ。鴉にとってのリン。
歌姫たちは今、カイトとエジプトにいて生死すらわからない。自分たちがここで諦めれば、彼女たちが帰る場所はなくなる。彼女たちが命懸けで守ろうとしているものを、自分たちが放棄してどうする。
「……やりましょう。」
ヨシュアが、静かに目を開いた。
「かつての私たちは、観客を沸かせるための『見世物』でした。一対一の決闘、派手な必殺技、ドラマチックな展開……。ですが、敵はそれを求めてはいない。」
ヨシュアは、リシェルとバルトを見た。
「意識を変えるのです。『決闘者』から、『軍人』へ。」
「どういうことよ。」
リシェルが問う。
「個人の武勇はいりません。華麗な回避も、一撃必殺も不要です。必要なのは、泥臭いまでの『連携』。……Gファランクスが盾となり、アサルト・ヴァンガードが矛となる。朧影が目を潰し、ソウル・エンチャンターが敵を縛る。」
ヨシュアの提案は、彼らのプライドを捨てることを意味していた。
「主役」であることを辞め、「部品」として機能する。それは、星歌祭のパイロットとしては屈辱的かもしれない。だが、勝つためにはそれしかない。
「……へっ、面白え。」
バルトがニヤリと笑った。
「俺のGファランクスは元々、仲間を守るために作った盾だ。リシェル、てめえの背中、預かってやるよ。」
「……勘違いしないでよ。貴方が勝手に前に出るだけでしょう。」
リシェルはツンと言い返すが、その表情からは迷いが消えていた。
「でも、火力担当としては、邪魔な攻撃を防いでくれる壁があるのは助かるわ。」
「……」
鴉が立ち上がり、無言で頷く。彼は影となることを厭わない。リンが笑って帰ってこれるなら、どんな汚い仕事でもする覚悟だ。
そこに、ハンガーの端で様子を伺っていた、一般兵——旧式量産機のパイロットたちが、おずおずと近づいてきた。
「あ、あの……! 俺たちも、混ぜてくれませんか!」
若い隊長が、震える声で叫んだ。
「俺たちの機体じゃ、エデンには敵わないかもしれません。でも、弾除けくらいにはなります! 囮にもなります! だから……この街を守るために、一緒に戦わせてください!」
リシェルは、彼らを見回した。
性能差は歴然。足手まといになる可能性も高い。以前の彼女なら、「邪魔だ」と一蹴していただろう。
だが、今は違う。
「……弾除けなんて言わないで。」
リシェルは、彼らの目を見て言った。
「貴方たちは『翼』よ。私たちの死角を埋め、補給線を守る、重要な翼。……背中は任せるわ。」
その言葉に、一般兵たちの顔が輝いた。
バラバラだった意思が、一つの目的に向かって収束していく。
即席の、しかし強固な防衛部隊——**『ガーディアンズ』**が、ここに誕生した瞬間だった。
◇
それからの時間は、地獄のような訓練に費やされた。
華やかな模擬戦ではない。仮想シミュレーターを使い、数百の敵に囲まれる絶望的な状況を想定した、泥臭い集団戦の訓練だ。
「バルト! 突出しすぎだ! 射線が塞がる!」
「うるせえ! ここを抜かれたら司令部直撃だぞ!」
「右翼、崩れます! 鴉、フォローを!」
「……了解。」
罵声が飛び交い、機体がぶつかり合う。
ディーバシステムによる恩恵がない彼らは、自身の技量と、無線による連携だけを頼りに戦うしかない。
疲労はピークに達し、精神も摩耗していく。
それでも、誰も音を上げなかった。
(カイトか……あいつは、もっと過酷な戦場をくぐり抜けてきたんだ。)
バルトは歯を食いしばる。
かつて見下していた「棄民上がりの野良犬」。だが、その少年は、誰よりも強く、そして優しかった。
彼が背負っているものの重さを思えば、この程度の訓練など準備運動にもならない。
(待ってなさい、エデン。。)
リシェルは、アサルト・ヴァンガードの照準を調整しながら、空を見上げた。
(『希望』は、私たちが絶対に消させない。)
彼らの心には、それぞれのパートナーへの想いと、ノアⅣへの愛着、そして仲間への信頼が複雑に交錯していた。
うまくまとまらない部分もある。確執もある。
だが、「守る」という一点においてのみ、彼らの魂は鋼のように結合していた。
その時だった。
ハンガー内に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『緊急警報! 未確認飛行物体、接近! 速度マッハ2以上! ノアⅣ防空識別圏を突破しました!』
「来たか……エデン!」
リシェルが色めき立つ。
「全機、発進準備! 迎撃するわよ!」
『待ってください! 熱源反応、極小! 単機です! 星装機ではありません、これは……小型機!?』
「小型機?」
バルトが怪訝な顔をする。
「ミサイルか? それとも自爆ドローンか?」
モニターには、地上を這うように超低空で接近する、極小の光点が映し出されている。
エデン軍の主力にしては早すぎる。偵察機にしては速すぎる。
その時、ハンガーの隅で待機していた朧影が、突如として反応した。
普段は無口な鴉が、通信回線を開く。
『……リンだ。』
「は?」
全員が動きを止める。
『来る。リンが……来ている。』
鴉の言葉を証明するかのように、管制塔からの通信が入った。
『接近機より、広帯域通信! こ、これは……歌!?』
スピーカーから流れてきたのは、ノイズ混じりの、しかし力強いラップのビートだった。
**《Yo! 聞こえるかBrother & Sister! こちら特急デリバリー!》**
**《嵐を越えて、闇を裂いて、届けに来たぜ勝利のキー!》**
その声に、全員が息を呑んだ。
聞き間違えるはずがない。
ノアⅣの元気印、リトル・ディーバ、リンの声だ。
「リン……!」
鴉の仮面の下で、瞳が揺れた。
モニターの中で、光点は猛スピードでノアⅣの空域へと侵入してくる。
それは、イザベラが開発した高速グライダーに乗った、たった一人の少女だった。
『着陸許可なんて待ってらんない! 緊急着陸するから、誰か拾ってよね!』
無茶苦茶な要求と共に、グライダーは突っ込んでくる。
だが、その無茶苦茶さが、張り詰めていた彼らの空気を一気に変えた。
「ったく、相変わらず無茶な女だ!」
バルトが笑い出した。
「おい鴉! お前の女だろ! 迎えに行ってやれ!」
「……言われなくても。」
朧影が、弾かれたように発進ゲートへと走る。
数分後。
滑り込み翼の折れたグライダーのコックピットから、リンが這い出してきた。
それを、朧影の手が優しく救い上げる。
「鴉ー! 怖かったよぉー!」
リンは朧影の指にしがみついて泣きじゃくったが、すぐに顔を上げ、集まってきた仲間たちに向かって、満面の笑みで親指を立てた。
「みんな! カイトからの伝言だよ!」
リンが持ってきたデータチップ。
そこには、アーク・ロイヤルの到着予定時刻、エデン軍の進路情報、そしてカイトたちが立案した『ハンマー&アンビル』作戦の全貌が記されていた。
リシェルは、そのデータを読み込み、震える声で言った。
「……勝てる。これなら、勝てるわ。」
それは、絶望的な籠城戦ではない。
敵を罠に嵌め、打ち破るための、反撃の狼煙だった。
「野郎ども! 聞いたか!」
バルトが吠える。
「英雄様が、俺たちを『金床』に選んでくれたそうだ! 最高の鉄床になって、エデン軍を粉々に砕いてやろうじゃねえか!」
『オオオオオオッ!!』
ハンガーに、鬨の声が轟く。
絶望は消え去った。
そこにいるのは、故郷を守るために覚醒した、鋼鉄の守護者たち。
彼らは知っている。
この空の向こうから、最強の援軍が、愛する歌姫たちを連れて帰ってくることを。
それまでの間、この地を一歩たりとも踏ませはしない。
ノアⅣの防衛部隊『ガーディアンズ』は、夕闇迫る空の下、決戦の地へと展開を開始した。




