禁断の扉、あるいは渇望の果て
南フランスの地下深くに広がるイザベラの秘密実験施設。
その最深部にある巨大なドーム状の訓練フィールドは、轟音と閃光、そして破壊の嵐に包まれていた。
「遅い、遅い、遅いッ! 止まって見えるんだよ、テメェら!」
怒号と共に、真紅の流線型機体『クリムゾンクイーン』が空間を跳躍する。
物理法則を無視した三次元的な機動。紅蓮の粒子を撒き散らしながら、彼女は空間そのものを足場にして加速する。
対峙するのは、エデン軍の主力である無人機『ホープレス』の強化型、30機。
統率された連携で弾幕を張る無人機たちだが、クリムゾンクイーンの変幻自在な動きを捉えることはできない。
セレーナは、操縦桿を乱暴に叩き込むように操作した。
右腕のブレスレットが輝き、亜空間ゲートが開く。
そこから射出されたのは、巨大なヒート・ハルバード。彼女はそれを空中で掴み取ると、回転の勢いを乗せて薙ぎ払った。
——ズガァァァン!!
一撃で3機のホープレスが両断され、爆発四散する。
だが、セレーナの表情に歓喜の色はない。あるのは、満たされない渇きと、苛立ちだけだ。
「チッ……こんな鉄屑どもじゃ、準備運動にもなりゃしねえ!」
彼女の脳裏に焼き付いているのは、あのノアⅥでの模擬戦だ。
カイトの駆る『ベオウルフ・リベリオン』。
時間を超越する動き。未来を先読みし、攻撃の意志が生まれる前に断ち切る神速の剣。
あれこそが、彼女が求めていた「頂」だった。
それに比べれば、プログラム通りに動くだけの無人機など、止まっているも同然だ。
「もっとだ……もっと速く、もっと深く潜らねえと、あいつの背中は掴めねえ!」
セレーナの碧眼が、怪しく発光する。
彼女は、イザベラから与えられた「素体」との同調率を、危険域まで引き上げていく。
肉体が悲鳴を上げる。神経が焼き切れそうなほどの情報量が流れ込む。
だが、その痛みこそが、彼女を生の実感へと繋ぎ止めていた。
コントロールルームの防弾ガラス越しに、その様子を見下ろしている女性がいた。
イザベラだ。
彼女の手元には、セレーナがエデンから持ち帰った深紅の結晶体——位相潜行システム『アヴァロン』が、厳重な封印容器の中で妖しく脈打っている。
「フフフ……いいわ、セレーナ。その渇望こそが、貴女とクイーンを進化させる最良の燃料よ。」
イザベラは、狂気と愛情が入り混じった瞳で、暴れ回る真紅の機体を見つめた。
セレーナの戦闘データは、リアルタイムで解析され、『アヴァロン』との同調プログラムに反映されていく。
空間を操る素体の力。認識をずらすアヴァロンの力。
二つが融合した時、理論上、この世に存在するあらゆる「壁」は無意味となる。
イザベラの視線が、ふと虚空を彷徨う。
彼女が見ているのは、セレーナではない。
ここではない何処か。遥か西の彼方、黒い壁に閉ざされた大陸だ。
(待っていて、リゲル。……もうすぐよ。もうすぐ、迎えに行くわ。)
彼女の脳裏に、数十年前の記憶が鮮明に蘇る。
双子として生まれ、念話で心を共有していた兄、リゲル。
彼がアメリカ大陸の深部、エリア51の地下で「扉」を開いてしまった瞬間のことを。
——逃げろ、イザベラ。こいつらは……こいつらは、こちらの世界にあってはならないモノだ!
断末魔のような思念と共に送られてきた、最後の光景。
ほの暗い穴。次元の裂け目。
そこから這い出してくる、おぞましい形をした異界の侵略生物たち。
物理法則を無視した形状。光を喰らい、魂を啜る捕食者。
リゲルは、それらが地球全土へ溢れ出すのを防ぐため、自らのDARKコアを暴走させ、大陸ごと時間を凍結させるかのように封印したのだ。
それは、英雄的な自己犠牲だったかもしれない。
だが、イザベラは納得していなかった。
「……犠牲なんて、認めない。」
彼女は、アヴァロンの入ったケースを愛おしげに撫でた。
冷たいガラスの感触。その奥にある熱。
「あんな化け物どもが何よ。地球の環境がどうなろうと、人類がどうなろうと知ったことじゃないわ。私はただ、貴方を取り戻したいだけ。」
もし、壁を開放して、異界の怪物が世界中に溢れ出したとしても。
その時は、その時だ。
人類が進化した星装機とコアの力で駆逐すればいい。あるいは、滅びるならそれまでだ。
彼女にとっての「世界」は、兄リゲルという片割れがいて初めて成立するものなのだから。
「さあ、急ぎましょう。……エデンがノアⅣを焼き払い、世界が混乱の極みに達した時こそ、壁を開く絶好の機会だわ。」
イザベラは、不敵な笑みを浮かべ、メインコンソールに向き直った。
そこには、クリムゾンクイーンとアヴァロンの接続シミュレーションが、完了間近であることを示すプログレスバーが表示されていた。
◇
一方、緑化都市エジプト。
かつての星歌祭の熱狂は消え去り、今はエデン軍の最重要拠点として、張り詰めた空気に包まれている。
ピラミッド頂上の司令室。
巨大な円卓を囲むように、エデンの指導者たちが顔を揃えていた。
上座に座るアルトの表情は、晴れない。
モニターには、陥落したノアⅢのその後の様子や、ノアⅣへの進軍状況が表示されている。
エデン軍の士気は高い。いや、高すぎる。
長年、棄民として虐げられてきた彼らの怒りは、勝利によって雪が解けるどころか、復讐の炎となって燃え盛っていた。
「解放」という名目で行われる略奪。「浄化」と称される虐殺。
アルトが掲げた「真のノア計画」——自然との共生と、平穏な楽園の創造という理想は、血塗られた現実の前に霞みつつあった。
(私は……間違った選択をしたのだろうか。)
アルトは自問自答する。
ムーニーの支配を終わらせるためには、力が必要だった。イザベラの技術、そして過激派の武力。それらを利用しなければ、エデンは歴史の闇に葬られていただろう。
だが、その代償として、自分たちは「怪物」になりつつあるのではないか。
「……アルト様。ノアⅣ方面軍より報告です。先遣隊が、ノアⅣの防衛ラインと接触。交戦を開始しました。」
報告を行ったのは、レオン司令官だ。彼もまた、現場の過熱ぶりを抑えきれず、疲労の色を濃くしている。
「状況は?」
「敵の抵抗は微弱です。ノアⅣの上層部は機能不全に陥っており、組織的な防衛は崩壊している模様。……ですが。」
レオンは言葉を濁し、視線を横に向けた。
そこには、かつての敵であり、今はエデンの軍事顧問という立場で席に座る男、アズラエルがいた。
「ですが、何ですかな? レオン司令。」
アズラエルは、優雅に紅茶を啜りながら、薄く微笑んだ。
軟禁状態を解かれ、エデンの参謀として迎え入れられた彼は、驚くほど協力的だった。彼が提供するノア各都市の防衛システムのデータや、ムーニーの行動予測は、エデン軍の快進撃を支える重要な要素となっていた。
「……敵の中に、特異な動きをする部隊が確認されています。正規軍のデータにはない、ゲリラ的な戦術。少数精鋭による、遅滞戦闘です。」
「ふむ。それは興味深い。」
アズラエルは、モニターの地図に視線を走らせた。
中国大陸から日本列島へ向かう侵攻ルート。その要所要所で、エデンの補給部隊が襲撃を受けている。
「おそらくは、星歌祭に参加しなかった実力者たち……野良の星装機乗りや、生き残りのパイロットたちでしょう。烏合の衆と侮れば、足をすくわれますよ。」
「対処法は?」
アルトが問う。
「単純です。彼らは『守るべきもの』があるから戦っている。ならば、その守るべきものを——市民や都市機能を人質に取るような包囲陣を敷けばいい。彼らは動けなくなる。」
アズラエルの提案は、冷徹かつ効果的だった。
アルトは眉をひそめた。
「民間人を巻き込むような戦術は……。」
「戦争ですよ、アルト様。綺麗事では勝てません。」
アズラエルは静かに、諭すように言った。
「それに、早期決着こそが、結果として犠牲を最小限に留めるのです。……真のノア計画、その崇高な目的のためならば、多少の犠牲は許容されるべきでしょう?」
「真のノア計画」。
その言葉が出ると、アルトは反論できなくなる。
地球の再生。氷河の溶解による海面上昇と、環境の激変。
それは、今の文明を一度水に沈めることと同義だ。
アルトが目指す未来のためには、いずれにせよ大きな痛みが伴う。アズラエルは、その矛盾を鋭く突いてくる。
(この男は……危険だ。)
アルトは直感していた。
アズラエルがエデンに協力するのは、改心したからではない。彼自身の科学者としての好奇心が、エデンの掲げる「環境変動」に興味を示したからだ。
そして、それ以上に彼が関心を寄せているのは——。
「それにしても……楽しみですね。」
アズラエルは、窓の外、遥か西の空を見つめるように目を細めた。
「エデンの計画が成就し、極地の氷が解け、大量の水が世界を覆う時……。あの『黒い壁』は、どうなるのでしょう?」
アメリカ大陸を封鎖する、絶対不可侵の断絶空間。
物理的な攻撃も、通信も一切通じないその壁に対し、地球規模の環境変化という「質量」が押し寄せた時、何が起きるのか。
壁は耐えるのか? それとも決壊し、中の「何か」が溢れ出すのか?
「マザーですら予測し得なかった事態。……それを観測できるのであれば、私が貴方方に協力する理由としては十分すぎますよ。」
アズラエルの瞳の奥に、マッドサイエンティスト特有の、冷たく昏い光が宿る。
彼は、エデンの理想などどうでもいいのだ。ただ、世界を使った壮大な実験が見たいだけ。
アルトは拳を握りしめた。
イザベラの狂気。アズラエルの好奇心。そして、兵士たちの復讐心。
エデンという船は、危険な乗組員たちを乗せて、暴走しようとしている。
だが、舵を放すわけにはいかない。
「……レオン司令。ノアⅣへの進軍を急げ。ただし、無用な殺戮は厳禁だ。それだけは守らせろ。」
「はっ!」
レオンが退出し、会議は終了した。
一人残されたアルトは、天井を見上げた。
「これが……正しい道なのか。創始者よ……。」
彼の苦悩を知ってか知らずか、エデン軍の大部隊は、東へと進み続ける。
その先には、迎撃の準備を整えつつあるノアⅣが、そして、帰還を急ぐ『アーク・ロイヤル』が待ち構えている。
それぞれの正義、それぞれの野望。
全ての思惑を飲み込んで、戦火は極東の地へと収束していこうとしていた。




